第3話 関西弁令嬢
「おおう・・・」
綺麗に整えられた庭園を抜けた先に、城があった。比喩でも何でもなく、見たまんま、城としか表現できない建築物だ。確か、カントリーハウスだっけか。欧米の貴族が田舎に大邸宅を構えるってのは昔からよくある話らしい。友人のマンガに出てきたんで覚えてた。まさにマンガに出てきそうな城が目の前にある。
後ろを振り返る。目に入るのは山、森、芝、ヘリだ。目に入る場所一帯が敷地なのだ。いやホント、こんなんに住んでる主が、遠い異国の地にお住いの、どこにでもいるような、俺みたいな人間に一体何用だ。
「こちらへ」
会う前から完全に気圧されている俺をよそに、スタンリーはさっさと入口前に移動した。これまた、重厚な木目のドアだ。キィ、と微かな軋み音を立てて開く。
おっかなびっくりドアをくぐった。窓から入る柔らかい日差しが玄関ホールの木目の床を照らしている。案内されるがまま入って右の応接室に通された。
「こちらで少々お待ちください」
そう言ってスタンリーはすぐさま出て行った。おそらく主を呼びに行ったのだろう。
見るからに高そうな革張りのソファに座る勇気はなく、窓際に近付き、外を眺める。
頭に浮かぶのは、文化遺産級の城の素晴らしさでも窓の外に見えるのどかな風景の感想でもなく、借りっぱなしのDVDのことだ。どうしよう、明日返却日なのに。どうにかして友人に連絡を取り付け、返しに行ってもらうしかない。
こんな時まで延滞料金の心配をしていると、ドアがノックされた。ガチャリ、とドアが開いて、二人の人物が現れる。
一人はスタンリー。もう一人はスタンリーが押す車椅子に腰かけていた。
今日イチの驚きが待っていた。現れたのはこれまでお目にかかったことのない美女だ。年齢は俺と同年代くらい。肩まで伸びたさらっさらのブロンドヘアーに色素の薄い白いきめ細かな肌。少し切れ長の瞳や高い鼻、つやつやの唇が小さな顔の中で『これが正解!』といわんばかりの形で揃っている。体つきは少し痩せて細いが、語弊があったら申し訳ない。それがイイ。深窓の令嬢という儚げな雰囲気をさらに増して、守ってあげたくなる。
まさにお嬢様と呼んで差支えない、いや、彼女こそがお嬢様の中のお嬢様と称すべき貴い人が、天上の楽器をかき鳴らしたかのような美しい声で
「おう、よう来たな」
なぜ関西弁なんだ。しかも気軽にこっちに向かって片手をあげてやがる。お前はどこのチャラい兄ちゃんだ。全てをぶち壊しにするような第一声のせいでこっちが声も出せずにフリーズしていると
「あれ? なあスタンリー。もしかしてうち、日本語どっか間違うてる? あっち伝わってへんかな?」
「いえ、お嬢様。意味は通じているかと思われます」
「せやんな。おっかしいなぁ?」
可愛らしく首を傾げる彼女。
「おかしいのはてめえだァ!!」
我慢できなくなって思わずツッコミを入れてしまった。
「何なんだあんたは! 一目見ただけで人を恋させるような容姿してる癖に口開いたらけったいな関西弁ひけらかしてくれやがって! あまりのギャップに一瞬ゲシュタルトが崩壊しかかったわ!」
空気がシィン・・・となった。叫んだ後にハッと気づく。何つう暴言吐いてんだ俺はこんな麗しい美女に向かって。しかもその隣には暗器まで使うトンデモ執事がいるってのに! やべえ、死んだ。これは死んだな。貴族なんてプライドの塊なイメージがあるのに。
「あ、いや、その、ちゃうねん」
『素晴らしい!』
必死に言い訳を並べ立てようとした俺の言葉を遮って、彼女が叫んだ。今度はけったいな関西弁ではなく、アクラクセイン語だ。大学で履修した。アクラクセイン語は日本語と文法が似ているため覚えやすかったから、第二外国語にうってつけだったのだ。
『流石本場の芸人! ツッコミもお手の物ということか! ククク、そうでなくてはな!』
さっきまで深窓の令嬢風だった彼は、今は悪の女幹部みたいな壮絶な笑みを浮かべていた。種類は違うが、これはこれでイイ。ゾクゾクしちゃう。けど、新しい何かに目覚めている場合ではない。こっちも訳が分からないのだ。
『ちょ、ちょっと待ってください。さっきからあなたは何なのですか?』
彼女に倣い、アクラクセイン語で話すと、彼女とスタンリーが少し驚いたような顔をした。どうやらこっちがアクラクセイン語が話せるとは思ってなかったらしい。そこから、彼女はまた楽しそうに笑った。
『なるほど、あなたの言葉に嘘偽りは無いようだな?』
『どういう意味ですか?』
「まあ、立ち話もなんやし、ひとまず座り。スタンリー、茶ァ頼める?」
再び彼女は関西弁で喋り出した。
「畏まりました」
命に従い、スタンリーが出て行く。
「あの」
「まあ待ち。スタンリーやったらすぐ戻るから。揃たら話そか」
言った通り、一分もしないうちにスタンリーは戻ってきた。彼が押すティーワゴンには二セットのティーカップが用意されている。
「紅茶、好き?」
「え、ああ、まあ」
飲んだことあんのはペットボトルだけだけどな。
「そら良かった。緑茶もあんねんけど、日本人やからて緑茶、つうのは捻りがないなあと思て。ほら、はよ座りて」
促され、彼女の向かい側にあるソファに腰を下ろす。滑らかで艶がありながら、しっとりとした触り心地が癖になりそうだ。これは材質もさることながら、毎日の掃除や手入れが完璧である証。俺が座ったのを見て、彼女は自分の胸に手を当てた。
「ほんならまあ、名乗らしてもらおか。うちがアカシャ家当主、ベアトリーチェ・アカシャや。長けりゃアトリでええわ」
ずいぶんフランクな貴族だな。俺の中の貴族イメージを再構築する必要が出てきた。しかし、彼女が当主なのか。てっきり、恰幅のいいおっさんが出てくると思ってたから二度びっくりだ。
「俺は、淡路谷圭、です。一応、芸人やってます」
「ほんなら、ケイ、と呼んでええか」
「はい。大丈夫です」
俺の受け答えを聞いて、アカシャ家当主は少し顔をしかめた。
「なんやな、自分、ちょっと硬いで。もっと楽にしい。別に取って食うこたあらへんのやから」
「いえ、そう言った次の瞬間、昏倒させられたもんで」
ちら、とスタンリーの方に目をやる。まったく動じず、素知らぬ顔をしてやがる。視線に気づいたアカシャ伯爵もスタンリーの方を向いた。
「ん? なんやスタンリー。手荒い歓迎したん?」
「淡路谷様は日本人にしては珍しく疑り深かったものですから、誤解を解くのは少々面倒・・・ウォッホンッ、失礼、難しそうでした。フライトまでの時間もあまりなかったため、少々強引な方法を取らざるを得ませんでした」
「あんた今、面倒って」
「申し訳ございません。私、まだ日本語を勉強中なものでして。誤解を与えるような発言をしてしまいました。平に、ご容赦のほど」
嘘こけテメー! 滅茶苦茶流暢に喋ってんじゃねえか! 今時の日本人でも平にご容赦なんぞ使うか!
「本人もこない言うとうし、スタンリーもうちのために頑張ってくれたんや。ここはうちの顔に免じて許したって」
な? なんて、両手で拝みながら可愛くウインクされた日にゃ何でも許してしちゃうね。くそ、美人は得だ。咳払いして、見惚れていたことをごまかしながら話を切り出す。
「じゃあ、その話は良いとして、アカシャ伯爵。貴女に色々とお聞きしたいことが」
というと、やはり彼女は渋い顔をして俺の話を切った。
「だから、硬いんやって。うちらタメやで。敬語やこいらん。あとアトリでええ言うたやろ」
上のもんを立てる日本語のええとこやけどややこしいとこはそこやねん、とそのややこしい所を把握している人間にしかできないと思うんだが。
「わかった。アトリは、何で俺をここに呼んだんだ?」
おそらくこれが全てに該当する質問だ。
「せやな。まずはどこから話そ」
彼女が深く車椅子に腰かけた。見計らったようにスタンリーが俺たち二人分の紅茶を継いでくれる。揺れる紅茶の表面からいい香りが応接室に漂った。
「ごめん、アトリ。その前に一つだけ良い?」
どうしても気になることがもう一つあった。
「ん? ええよ」
「何で関西弁なの?」
すると、アトリはにや、と良い質問だと言いたげに口を歪めた。
「ケイ。この世界で最強の言語は何やと思う?」
最強の言語? 言葉に強いも弱いもあるのか?
「英語、じゃないのか?」
英語は世界共通語、子どもでも知ってることだ。英語があれば世界各地どこへでも行ける。当たり前の知識だ。
「ちゃうな」
しかし、アトリは首を横に振った。
「関・西・弁、や」
わざわざ区切って言うほどのものか?
「確かに英語は世界共通。どの国でも使える便利なクレジットカードみたいなもんや。やけどな、英語や自分とこの母国語が通じへん人と喋らなあかんようになったら、どうする?」
「どうするって、どうしようもないんじゃ」
頑張ってジェスチャーで伝えるしかない。
「普通はそうや。けどな。関西弁はちゃう。関西弁は、全く理解できなくても相手に自分の意志を伝えることのできる最強の言語ツールなんや」
そんな馬鹿な。確かに関西弁はイントネーションの高低があり、標準語よりとっつきやすいと聞いたことはあるし、なんとなくイタリア語かフランス語に似てる、みたいな話もあるけど。
「ふ、日本人の癖に関西弁の素晴らしさを知らんとは、嘆かわしいこっちゃで。ええか。結局のところ、この世界に存在するほぼすべての言語は耳から入って頭、脳で処理する。せやから、脳で処理出けへんことは理解出けへん。けどな、唯一関西弁だけは、耳から入って魂に響くんや」
トントン、と自分の胸を拳で叩くアトリ。ソウルフルな仕草しやがる。
「こんな実験データがある。ある家電量販店の店員で、標準語を話す店員と関西弁を話す店員に、日本語が分からない外国人を接客してもろた。標準語の店員はなかなか相手の意図が組めず、商品説明や販売に苦戦しとったが、なんと、関西弁の店員はすぐさま外国人客と意気投合し、いともたやすく物を売りさばいたという。このことから見ても、関西弁が最強の言語やと分かる」
どこから拾ってきた統計データだそれ。
「以上の理由から、うちは関西弁を使っとる」
「自慢げに語ってるとこ悪いんだけどな」
ものすごいドヤ顔のところ誠に申し訳ない話を、俺は彼女にしなければならない。
「その関西弁は、絶対関西人の前で使うな」
「へ?」
言われた意味が解らないのだろう、アトリはきょとんとした顔で俺の方を見ていた。
「え、何で何で?」
「発音がおかしい」
ばっさり言った。その時の彼女の顔は、本当に辻斬りにバッサリと体を切られたかのような驚愕に染まっていた。
「何というか、関東人が無理矢理関西弁を喋ってるような違和感がある。関西人は、関西弁を関東人に下手くそに使われるのを非常に嫌うデリケートな人種でもある」
大ざっぱに見られがちだが、関西人はそういう自分たちの文化に対して敏感なところがある。実際、友人の前でギャグで『なんでやねん』と使ったらガチのケンカに発展した。
「関西弁リスペクトするのは全然構わない。けど、今のままでは関西人を敵に回す」
探偵に罪を暴かれた犯人のように、アトリはがっくりと項垂れた。
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