第2話 老執事は誘う

「少し、お時間よろしいでしょうか?」


 低めの渋い声が、俺を呼び止めた。自分の記憶にはない声だった。振り返ると、やはり、今まで会ったことのない人物が立っていた。

 すらっと背は高く、白髪交じりの髪をオールバックにした、青い目のジェントルだ。顔に深く刻まれた皺から中年より少し上くらいではないかと推測できるが、その割には背筋はしゃんと伸びて、スリーピースのスーツ姿が良く似合ってる。そのスーツも、俺が舞台で着る様な、袖がブカブカですぐに膝が抜けそうな安物じゃない。完全に彼の体の一部になったかのように動きについてくる。もしかしたらオーダーメイドの仕立てじゃないだろうか。

 そんな高級車と同額以上の服を着てるような、おそらく海外からおこしになったダンディズムを体現した様な御仁が、一体全体俺に何の用だろうか。


 最初に思い至ったのは、できればお近づきになりたくない、堅気ではない少々デンジャラスなご職業の方だ。彼らのような職種の方は見栄を大事にする。もちろんそれは見た目も含まれるから、オシャレでダンディな人が多い。

 しかし目の前のジェントルは、背こそ高いもののこちらに威圧感を与えてこない。むしろ、すっと主人のそばで控えている執事のような謙虚さが伺えた。言葉使いも丁寧だし。


 なら、仕事で来日したサラリーマンだろうか。営業マンという線ならあり得る。スーツはサラリーマンにとって鎧も同じ。ホテルでも営業先でも人はその人の服や靴、腕時計など身に着けている物で人を判断する。見た目で判断してはいけないなんて幻想だ。外見が九割だ。ファーストインプレッションが今後の人間関係を形成するうえで最も重要だからだ。むしろ、適当な服を着ていくことが失礼にあたる場合だってある。着ている服は相手に対する自分の評価だからだ。友人や家族に会うなら、楽な格好で良いだろう。けれど、これから商談をしようって人間が適当な服を着ていたら、商談相手は「自分たちは適当な服で会う程度の相手だと思われている」と気分を害する。だから、男は彼女の家に挨拶に行くときは正装もしくは可能な限りのオシャレをして父親に挑むし、営業マンは戦いに行くために完全武装する。俺だって、舞台に上がるときは勝負服を身に着ける。真っ赤なボクサーパンツとせめてシャツだけはと奮発した一枚一万五千八百円のワイシャツだ。


 さて、少し話はそれたが、服だけで言えば最強装備の完全武装である見ず知らずのジェントルがいったい俺に何用だ。


「そんなに警戒されなくても大丈夫です。取って食う訳ではありませんから。・・・害なすつもりなら今貴方は息をしていません」


 流暢な日本語でかなり物騒なことを言ったなコイツ。もしもの話だったら何を言っても許されると思うなよ。


「私、アカシャ伯爵家に仕える執事スタンリーと申します。淡路谷圭様でいらっしゃいますね?」


 突然フルネームを呼ばれた。人違い、という訳ではなさそうだ。警戒のメーターが一気に跳ね上がる。


「伯爵家に仕える執事さんが、俺に何の用ですか」


 後ろ手に携帯を弄りながら答える。いつでも通報できるようにだ。スタンリー執事は苦笑した。警戒されているのに気付いている・・・!


「物騒な世の中ですから、警戒するに越したことはありませんが、度を過ぎると弊害が生じますよ?」


「挨拶すらしたことないナイスミドルが俺の名前を知ってるってのは、警戒に値すると思うんですがね」


「ふむ、そうですか。一応所属事務所にもマネージャーさんにも話を通しているのですが」


「申し訳ないが、そのマネージャーからの連絡が来てないうちは信用する訳にはいかないんだよ」


「困りましたね。当方も少々時間がないのですが。本当に連絡は来ておりませんか?」


「若手の芸人を何十人と抱えてるからね、俺みたいな新人なんぞよりも優先する案件があって、ぽっと頭から抜けたんじゃねえの?」


 言ってて悲しくなるが事実だ。


「致し方ありません」


 来るか、そう身構えた。


「また後日、改めてお伺いすることにしましょう」


 スタンリー執事は予想に反してあっさりと引き下がった。右足を一歩さげ、クルリと反転。言葉通り後日改めるのか。後日来られても困るんだが。


「あ、そうそう」


 こちらに背を向けたまま、スタンリー執事はピンと人差し指を上に向けた。なんだ、最後に一つだけ何か質問か?


「アクラクセインという国をご存知ですか?」


 唐突に言われ、素直に従って頭の中を検索する。


「確か、世界最高峰の医療先進国だよな」


「はい。ですので、何も心配はいりません」


 何が言いたい、と喉元まで言葉が出かかった瞬間だ。首を後ろから痛打された。空気と一緒に言葉を吞み込む羽目になる。うわあ、本当に首裏を的確に叩かれると体に力が入らなくなるんだ、と訳の分からない納得をしながらその場に倒れた。


「申し訳ございません。こちらとしても、主より可及的速やかに淡路谷様をお迎えするように命じられておりました故、このような強硬手段を取らせていただきました。ただ、これから向かうアクラクセインは、先ほどの話の通り世界最高の医療技術の集まる場所です。後ほどきちんと検査をさせていただきます」


「そういう、意味の、心配・・・かよ・・・」


 近づいてきたスタンリーが俺のそばに落ちていた何かを拾い、こちらに見せた。直径三センチほどのゴムボールだ。こいつが俺を襲ったのか。まさか、あの後ろを向いた瞬間に、すでにボールを投げていたとでも言うのか。俺の気を逸らし、油断させるためにあんな話をしていたのか。


「申し遅れましたが、私、多少暗器の心得がありまして」


 執事の嗜みにしては物騒だなオイ。それともあれか、主人を守る為に武芸百般が執事の最低条件なのか? くそ、体が全くいうことをきかない。このまま死ぬのか。


「ご安心ください。ただの脳震盪です」


 脳震盪か、なら安心だ・・・なんかなるかボケ! と叫びたいがついには口すら上手く動かせなくなってきた。目の前も真っ暗になり始める。ああ、これが意識を失うってことか。


「大丈夫です。ぬかりはありません。マネージャーさんから、あなたのパスポートは受け取っておりますので」


 何が、大丈夫だ・・・・、パスポート・・・?

 途中が千切れているビデオフィルムみたいに、目の前の映像が途絶えた。ちなみにこれ、友人のマンガの引用な。自分自身で使う日が来ようとは夢にも思わなかったぜ。

 夢で・・・・あってくれ・・・・



 振動が体を揺さぶっている。誰かが揺さぶっているわけじゃない。体を支えている地面が小刻みに揺れているのだ。地震、じゃない。なら何だ?

 意識が疑問を持った時から、少しずつ外界の刺激を体が捉えはじめる。まずは耳が、音を捉えた。鳥のさえずりには程遠い、バリバリという轟音だ。例えるならヘリのローター音。非常に五月蠅い。

 次は視覚だ。瞼を通してくる強烈な光が、強制的に眠気を飛ばす。そう言えば、昔西日のきつい部屋に暮らしてた時、うっかり昼寝してたら顔半分だけ日焼けしたことがあったな。嫌だ、もう阿修羅男爵なんてあだ名で呼ばれるのは嫌だ!

 過去のトラウマを起爆剤にして体を起こす。


「・・・・え?」


 目覚めたのは、狭い部屋だった。多分、四畳もない。その中に設置されている四人用くらいのベンチに横になっていた。いや、これ部屋じゃない。日差しが刺し込む窓に近付く。


「・・・・え?」


 馬鹿みたいな顔して馬鹿みたいな声アゲインだ。でも許してほしい。こんな状況になったら、誰だって俺みたいになる。

 俺の目、もしくは頭がおかしくなってなけりゃ、俺は今、空にいる。

 五月蠅いのも当然だ。例えてる場合じゃない。本当にヘリに乗っているんだ。至近距離での爆音だ。自分の声だって耳に届かねえくらいだ。

 窓の外はどこまでも真っ青な空と山の緑、この二色だ。明らかに日本じゃない。心なしか空気が上手い。


「目覚められましたか」


 耳元で声がした。あまりの衝撃に気付かなかったが、頭にヘッドセットが付けられていた。こんなことに気付かないほど、今の俺はやばい。


「もうすぐ到着しますので、お待ちいただけますか」


 この声は、確かスタンリー執事だ。彼の言葉が終わるか終らないかで、ヘリの高度が下がり始めた。お待ちいただけますかも何も、むしろこのパニック状態が終わるまで待ってほしい位だ。

 ヘリがゆっくりと着陸した。ローターも徐々に速度を落とし、比例するように振動も騒音も収まっていく。収まらないのは俺の困惑だけだ。

 ガラッと扉が開かれる。扉を開いたのはあの時と同じスーツ姿のスタンリーだ。


「着きました。どうぞ、降りてください」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。もう何かよくわからんのだけれど、せめてこの混乱が静まるまで待ってくれない?」


「お待ちしても構いませんが、何もわからないままではいくら考えても答えは出ないかと思います。それよりもまずは、我が主にお会いした方がよろしいかと」


「主?」


「はい。私にあなたをここまで連れてくるよう命じたのは主ですから」


「・・・その主様から説明を受けた方が話は早いってこと?」


「左様でございます」


 どうぞ、と促され、とりあえず従うことにした。スタンリーの言う通り、このままでは何もわからない。どうせ帰る手段もないのなら、進むか。主様とやらに会うのも一興だ。開き直って、スタンリーの後を追って外に出た。

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