Laugh Story

叶 遼太郎

第1話 喜劇は悲劇に劣るのか

「人間は結局、悲劇の方が好きなんよ」


 口の悪い友人が、もっともらしく、さも『あ、私もう悟り開いたんで』みたいな感じで、偉そうに言った。


「自分に降りかかるもの以外の全ての悲劇は全て他人事、人間にとっては娯楽、エンターテイメントでしかないんや」


 この時点で僕は既に、ちょっとイラッとしていた。心の底から憎たらしいような悪い奴ではないのだが、こういう喋り方する時のこいつには今までも散々イライラさせられてきた。ともすれば殴ってやろうかと思う時もあった。実際にはやらないが。どうしてわざわざ同じような意味の言葉を二回続けるのか理解に苦しむ。娯楽でもエンターテイメントでも、どっちでもいいから一つでええやんけ、と思う。重複削除せえこのボケ、と心の中で罵倒しながら、表面上では


「どういうこと?」


 と、やんわりと先を促す。そんな僕の内心を知る由もない友人は話を続ける。


「わかりやすいんが映画。特に女受けがええ奴。あれ、大体悲劇やん」


「そうか? ハッピーエンドだってあると思うけど?」


「もちろんある。面白いのも否定せえへん。けどCМとかで見終わった観客とかの感想とか、上映中の様子とかを流すんって、大抵泣ける奴やろ。『今季最高のラブストーリー』とか『全米が泣いた!』とか『純粋でせつなすぎる物語』とか、ああゆうの」


 涙で目が曇ってたんかねえ。鼻で笑って毒をまき散らす。すごいな、あんな三十秒のCMに罵詈雑言を詰め込めるものなんだと感心する。まあ、言われてみれば確かにそうかもしれない。世の作品群を見れば、友人が言うように感動の超大作と銘打つのは、喜劇よりも悲劇のほうが割合的には大きい気がする。


「つまりや、人は誰か死なんと涙一つ流すこともできへんのよ」


 無茶苦茶だ。それはあまりに極論過ぎやしないか。それは友人も分かっていたようで、極端な話やけどな、と前置きした。


「でも、そんなら聞くけど。お前最近泣いたか? 理由は何でもええ。悲しいことでも感動したことでもええから」


「え? ・・・いや、ここ数年あくび以外で涙が出たことは無いな」


 もしくは目にゴミが入ったときくらいか。そう答えると、それはそれで淋しいやっちゃなぁ、と呆れられた。聞かれたから正直に、おそらく求められたであろう答えを返したのに何て言い草だ。


「な訳で、ちょっとやそっとのことで感動とかせえへんやろ? 口では感動した、とか辛い、とか言うてても、ほんまに心震わすような、胸かき乱されるような、涙流すような出来事に逢うてへんやろ?」


「まあ、ないな」


「だからや」


 何がや。こいつの話はこういう要領を得ないところが多々出現する。説明が全く無い。本人の脳内にだけあって、相手にも同じものが存在してると思ってる節がある。

 一番の問題は、自分は大多数の人間と同じ、普通の一般ピープルだと思っているところだ。自分の思考回路が大分ずれていることに気付かない。普通の人の感覚が平面に書かれた円とする。僕の感覚を同じように、その円の中に書くとしよう。普通の人はぴったり同じ円が重ねて描かれる。僕の場合は多少ずれていることは否定できないので、少し円が歪んだりして、普通の人の円からはみ出たりする。

 さて、ここで同じようにこの友人の感覚を書いてみたとしたら、どうなるか。

 答えは、同じ次元に存在しない、だ。こいつ一人だけ3Dグラフィックの可能性がある。それだけ普通の人間とかけ離れた感覚を持っている。

 そのことを指摘したら


「それは・・・お前の方やろ・・・?」


 と愕然とした表情で言われ、そっちだ、お前やで言い合いになり、次第に熱を帯びてエスカレートして喧嘩になり、過去の恥ずかしい黒歴史をノーガードで全弾発射で撃ち合った結果、互いの心に消えない傷が、友情関係にマリアナより深い溝が出来上がった。

 話を戻そう。言いたいことは、こいつは説明がへたくそなくせに、こっちに理解力がないせいで自分の話を理解できてないと思っているってことだ。


「だから、感動物の作品やったら人が死ぬんよ。最後に。人が死んだら、フィクションでも悲しいやろ? しかもや、大抵は幸福絶頂のところからの転落。落差も相まって悲しさ倍増や。そら泣くやろ」


 泣かすように作ってんねんからな。と友人は締めくくった。


「そうでもしないと、人は泣くことすらできなくなってるってことを言いたいのか?」


「Exactly、や」


 ドヤ顔で人差し指を突きつけてきやがった。イラッとしたのは吞み込んで、ようやく話が見えてきた。


「涙を流したいがために悲劇を見てる、人がそれを求めてるってことか」


「せや。自分こんな泣いてるで、感受性豊かやで、この話で泣いてる自分最高やん、という自己陶酔に陥りたいがためや」


 うがち過ぎだが、一理ある。

 人間が涙を流す、感情を露わにするってことは、それが大きな刺激だってことだ。大きな刺激は未経験とも言えて、だから経験の少ない子どものころはなんてことない普通のことで大げさなくらい感動したり泣いたりできる。成長して、時間の経過とともに経験を重ねると、刺激と経験の差で刺激が薄まる。だから子どものころのようにはしゃぐことはできない。涙が流せなくなってるのもそのせいだ。

 その不足分の刺激を求めるためのフィクションが存在する。言ってて少々悲しいものがあるが、自分には縁のないラブストーリーなんかは刺激が強い、だから涙という反応が出やすい。


「だから、世の中が求めてるのは悲劇で、喜劇なんぞ誰も求めてへんっちゅうこっちゃ」


 そう言って、友人は原稿用紙の束を、まるで外れた馬券か宝くじのように盛大に宙に放った。はらり、はらりと舞い落ちるのは彼が書いたマンガだ。床に落ちたそれを、俺は拾い集める。


「何だよ。また駄目だったのか」


「連敗記録絶賛更新中ですわ」


 見る目のあらへん連中ばっかりや。と友人は吐き捨てた。

 何のことは無い。マンガ大賞に応募していた彼の作品が落選しただけだ。ただの八つ当たりだ。


 少しだけ、俺たちのことを話そう。友人は漫画家志望で、俺は売れる前のお笑い芸人をしている。つまりお互い売れてない。


「雑に扱ってやるなよ。作品は我が子も同然なんだろ?」


 それだけの努力と愛情と情熱を注いで作っているのを俺は知っている。口は悪いが、創作に対する姿勢、夢に打ち込む姿勢は尊敬できる。だから俺は、こいつの友人でいる。


「金にならへんのやったら紙屑同然や」


 心にもないことを言って自嘲する。悔しくて悔しくて仕方ないから、負け惜しみのように自分の作品を卑下する。


「俺は、お前の作った話は結構好きだけどねえ」


 拾いながら目を通す。設定はデパートが舞台か。警備員として雇われた主人公が、デパートで起こる様々なトラブルに全力でツッコミつつ問題解決に体当たりで取り組むコメディだ。主人公以外の従業員がかなり個性的で、なぜこんなことが起こるのかわからないような面倒ばかりを起こし、主人公に丸投げするが、最後にはなぜか売り上げが上がったり評判が上がったりして大成功、という筋書きか。なかなか面白いと思うんだけどな。

 なになに、「それただの素うどんやから!」・・・ほう、流石関西出身。こんなツッコミは初めてだ。お笑い芸人の俺にとってはなかなかいい刺激になる。このセリフとか、ネタに組み込ませてもらおう。もちろん許可は取ってからになるが。


「お前に好かれても、審査に通らな、万人に受けな意味あらへん」


 お前かて一人に受けるより会場全員に受けた方がええやろ、と言われては頷かざるを得ない。当然だ。結局のところ俺たちがやっていることはビジネスで、笑いもマンガも商品なのだ。それが売れなければならない。人が金を払うのだから、その人が望む、それに見合うクオリティでなければならない。


「それは、そうだけどさ」


 それでも人には個性がある。大人気の芸人のネタだって笑う人と笑わない人がいる。万人に受けるギャグ、万人に愛される作品など存在しない。

 また、今しがたの話にも合ったように映画やドラマ、マンガ、本には流行りがある。この流れは速く、誰も彼もが流される。

 こいつの作品は、多分他の人間が読んでも普通に面白いと評価される。

 けれど、今売れるか売れないか、で考えると、おそらく売れない。流行りじゃないからだ。ニーズに合わない、人が求めない物は当然売れない。

 また、こいつの罵詈雑言の通りでは無く、審査員だって数多の作品を見てきた歴戦の猛者、マンガソムリエと評すべき人々だ。こいつの作品以上に面白いものであれば当然そっちを選ぶ。流行りだろうがなんだろうが覆すような面白いものがあれば選ばれる。選ばれなかったということは、そこまでのインパクトがなかったってことだ。有り体に言えば、つまらないと判別されるのだ。

 そんなことはこいつだって分かってる。分かっちゃいるけど愚痴らずにはいられないのは人間の業だ。吐き出して吐き出して、悔しい思いを声に出して少しでも自分を守らずにはいられないのだ。ま、ある程度毒を吐き時間が立ったら落ち着くだろう。それまでは、適当に付きあうか。反対の立場の時は、俺がこいつに付きあってもらっているし。

 案の定、弱いくせに酒を口にして、友人はばたりと倒れた。それもいつも通りだ。明日になったらケロッとした顔で起き上がり、またマンガを描き出すだろう。描かずにはいられないからだ。どれほど苦しくても、今日みたいにひどく辛い思いをしても、認められなくても、それでも描かずにはいられない。いっそ捨てられれば楽だろうが、それもできない。

 俺も同じだ。今も鳴かず飛ばず、テレビ出演なんぞ夢のまた夢の立ち位置で、笑いでの稼ぎなんかほぼゼロ。バイト代の方が高い。ようやく出演したとしても、寝ずに考えたネタが大滑りして大火傷、死にたくなるような恥をかくことなんかザラだ。失恋で心に傷を負うと癒えるまで傷跡から血が流れ続けると例えられるが、そんな人にはいつか運命の人が現れて、その傷を縫い合わせてくれるだろう。俺の場合、心はめった刺し、開いた傷口を縫い合わせてくれるような鉄板ネタは無いから絶賛出血中だ。出血多量で倒れられればどれほど楽だろうか。けど、それは許されない。俺自身がそれを許さない。

 友人と同じく、俺も笑いを考えずにはいられないからだ。どれほどの重傷を負ったとしても、また、あのスタンドマイクの前に立ちたいと願う。一度でもいいから、人が笑ってくれたという達成感を味わうために、今までの全てが報われる一瞬のために、震える足を叩いて鼓舞し、たった数分に賭け続ける。

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