プロローグ
プロローグ
「見てよ、充! 空が真っ白だよ!」
星光高校の二年生一行をオーストラリアへと届ける役目を果たしている飛行機内で、隣の席の野田夏樹が声を跳ね上げる。
そんな風にはしゃいでいる友人に向かって、俺――沼倉充は機内に付属していたヘッドホンを外す。
「お前、飛行機乗ったことなかったのかよ」
「ないよ。しかも北海道すら出たことないよ」
「中学の時の修学旅行はどこだったんだ? 青森とかじゃないのか?」
「函館どまりだよ。公立だったし」
「公立は言い訳になんねえぞ。俺もそうだったけど東京に行ったし」
「それは自慢?」
「東京に行ったくらいで何の自慢になるんだよ。時計台が東京タワーに変わった札幌のようなもんだぞ」
「それは言い過ぎだと思うけど……でも、一回は行ってみたいな、東京」
恐らくはテレビやネットの中でしか見たことのないであろう、そんな都会に対して思いを馳せる友人の姿に少し憐れみを感じていると、
「東京は恐ろしいところだべー。女の子は食われ、男の子は掘られるらしいよ」
ひょこっと前の座席から、ショートカットの女子生徒が顔を覗かせた。
新山佳織。
俺は彼女に歪んだ眉を見せつける。
「嘘をつくな、佳織。なら東京の男は全員開発済みだというのかよ」
「BL大国、東京」
「国じゃねえし」
「あ、そういえば、ちょっと話は逸れるんだけど」
夏樹が不思議そうに首を傾げる。
「前から思っていたんだけど、充って何で新山姉妹を判別できるの?」
「あー、野田君、女の子の顔を判別とかひっどいんだー。私は傷ついたー」
「いやいや一卵性の双子は、なかなか見分けにくいと思うよ。実際、かなりそっくりだし」
夏樹が口にした通り、佳織は双子の片割れである。
因みに、そっくりな妹の新山沙織も同じクラスであり、先生も含め、大抵の人は2人の違いを見分けられていない。
「見分けんのなんて簡単だろ」
「へえ、私も聞きたいねえ。どうやって判別しているかをさ」
「だって佳織の方が可愛いじゃん」
「へ……」
瞬時に固まる佳織。
「冗談だよ」
額をつつくと、佳織は「あ、うん」と反応を見せる。
「一卵性とはいえ、違いは結構あるもんさ。目立つ違いもあるぞ」
「それはいったいなんだい?」
「ちょっと耳貸せ」
俺はごにょごにょと夏樹に囁く。
「……分かった」
頷いて夏樹は、乗り出している佳織の胸元に視線を移した。
「変態! 何処見てんのよ! っていうか何でバレた!」
「あ、佳織さんの方だ」
「な、言った通りだろ?」
イエーイと夏樹と手を合わせる。
「胸を異様に気にしているのが佳織なんだよ。視線をふいと映すだけで過剰反応するし……っていうか、バレた、って何がバレたんだよ。Cカップであることか?」
「ほほう、Cカップとは。これはいい情報を聞いた」
そこで佳織に覆い被さるようにして、頭の上に顎を乗せる少女。
妹の新山沙織だった。
「お前ら双子なんだからそんなの分かるだろ?」
「いやはや、佳織は私に見せてくれないんだよもみもみ。ぺろぺろさせてくれないんだよもみもみ」
「あんたがそうやって襲うからでしょうが! 揉むのやめい!」
身体を勢いよく起こす佳織。だが沙織はヒラリとそれを交わし、俺達の横に移動する。
「で、充。私も知らないCカップ情報は何処で手に入れた?」
「揉んだ」
「はああああ?」
佳織が素っ頓狂な声を上げる。
「いつ! 何処で! そんな記憶は……ハッ! まさかあの朝、寝ているふりをして……」
「冗談に決まっているだろ。逆に思い当たることがある方がこええよ。俺、何されてんの?」
「いや、あの……冗談に決まってんでしょ」
しどろもどろの佳織に向かって、俺はやれやれと首を振る。
「お前の胸のサイズなんか知る訳ないだろ。適当だ適当。女性は大体Cカップくらいがちょうどよいと思っているってのをテレビで見たから言ってみただけだよ」
「女性にカップ数の話をするのもどうかと思うけどね」
「だよねえ、野田っち」
うんうんと頷く沙織。
「我が姉ながらちょろすぎると思うわ。いくら幼馴染という特殊環境であっても」
「普通は引く所だよね。なのに訴えるどころか、好感度アップしているし……これが幼馴染の特権ってやつなんだね」
「ま、翻弄されて顔を赤らめたりする所が可愛いんだけどね、うちの姉」
「その通りですね」
綺麗で透き通った声が、唐突に横から飛ぶ。
視線を向けると、金髪を靡かせながらキラキラと目を輝かせている少女がいた。
シャーロット・セインベルグ。
純粋なイギリス人の血統の少女だが、正確な日時は忘れたが何年か前に帰化し、家族ともども正式な日本国籍を取得している。日本の当て字は……なんだっけ。それも忘れたな。
「こういう所が可愛すぎて頬ずりしたくなりますよね」
「私はシャロも頬ずりしたくなるけどね」
「いえ、遠慮します」
「なになにー? ぺろぺろ? あたしもやるっす」
そこでシャーロットの後ろから手を上げたのは、瀬能奏。
演劇部の少女で、いつも演技しているかと思うくらい、テンションが高い。
「かなちゃんは自分の胸でも揉んでいなよ。シャロと佳織は私が貰う」
「あたしじゃ揉み心地ないんすよ。譲ってくれっす」
「嫌だね。この世の女の子は私のものさ」
沙織と奏が馬鹿な言い争いをしている間でシャーロットは微笑み、佳織は深いため息をつく。
この4人と俺は、小学生の時からのずっと友人である。そして、見事なまでにここまでずっと同じクラスとなっている。特に双子にも関わらず佳織と沙織がずっと同じクラスなのは、何かの陰謀すら感じる。
「おいおい、エロい話が聞こえたかと思ったら、お前らか」
あー、忘れてた。
もう1人、ずっと同じクラスの奴がいた。
香川陽介。
「何だよ俺揉ませろよ。あ、間違えた。俺も混ぜろよ」
「何言ってんの、こいつ」
「これだから男は」
「有り得ないっすね」
「どなたでしょうか?」
「うおーい! 何だこの充との違い! 俺も幼馴染なのに!」
俺達の後ろの席で、陽介が嘆きの声を上げる。
「はあ? 幼馴染なのは私達双子と充だけに決まっているじゃない」
「ん、まあ、正確な意味ではそうかもな」
俺も首肯で同意する。家も隣同士なのもあって、生まれた時からの知り合いと言っても過言ではない程の関係であるため、胸を張って堂々と幼馴染であると言える。胸を張る必要性があるかは知らないが。
「それにあんたに対する反応は、幼馴染云々関係ないわよ」
「何だよ、佳織。充に惚れているか否かだってのかよ?」
「な、何を言っているのよ!」
「男に惚れるとか有り得ないし」
「うーん、ミッチーはあたしの好みとはズレているっすね」
「私はお慕いしている方がいますので」
「……なんか俺、とばっちりでダメージ食らってね?」
よしよしと夏樹に頭を撫でられながら、陽介を睨み付ける。
「あ、う、その……お、俺は二次元に逃げるわ! おーい、直人、翔! 二次元おっぱい語ろうぜ!」
陽介はひどいセリフを残して、大いなる禍根を撒き散らしに、携帯ゲームをしている京極直人と管島翔の所へと向かう。
「あいつは何がしたいんだ?」
「しかも非常に反応しづらいこと言いながら向かったよね。僕が京極君と管島君だったら知らない振りをしているよ」
「あいつは昔からお調子者だからな」
こういうバカが1人クラスにいると非常に場が明るくなる。そして案外気が利くのもあって、陽介はあのような性格だが、みんなに好かれている。でも、それはあくまで友人としてであって、異性としてはモテないんだよな。あくまで「いいお友達」止まりで。
「なあお前ら、誰か陽介に恋してないの?」
「何を寝ぼけているのよ」
「男の中でもあいつは有り得ない」
「うーん、ヨーちんはパスっす」
「私はお慕いしている方がいますので」
「……俺の時よりひでえな」
陽介に同情してきた。
「じゃあこの流れで、夏樹はどうだ?」
「ちょっ、充っ! 何を言っているのさ!」
「いーじゃんか。修学旅行なんだし、コイバナ、的な流れで」
「まだ初日だよ! しかも異性の前でやる話じゃないよ!」
狼狽する夏樹に対してにやにやと笑いを浮かべながら、俺は4人に判定を促す。
「さて、いかに?」
「夏樹は可愛いよね」
「うん。男の中でも可愛い方」
「惚れてるわけじゃないっすけど、なっぴーにコクられたら、あたし的にはオッケー出すっす」
「私はお慕いしている方がいますので」
……何これ。
「好印象じゃないか。ふざけんな! 羨ましい」
「……いいかい、充」
浮かれることなく、また照れることなく、真剣な表情で夏樹は告げる。
「女の『可愛い』は将来『美しい』に変わるけど、男の『可愛い』は――『ガッカリ』にしかならないんだよ」
「なんか名言っぽいな」
「それに、競っている訳じゃないけど……あの人がいるしね」
「ああ、あいつか」
口にしなくとも、思い当たる人物は恐らくは同じであろう。
「あいつがいるから、二番煎じになっちまうってことか」
「ん。あと、さ」
そこで夏樹は目を伏せる。
「可愛い、って思われるのは、異性として見られていない、ってことなんだよね。だからあんまりそういう目で見てほしくないな」
「ん、何となくそれは分かる気がするが、奏みたいにそういう所が……」
……ああ、そういうことか。
俺はこっそりと夏樹に耳打ちをする。
「……お前、あの中に好きな奴いるのな。しかも奏じゃないときた」
「……分かりやすい?」
「……まあ、ウチの女子らはそういうとこ鈍いからな。気が付いていないだろう」
「……さすがに充には言われたくないと思うよ」
「何でさ?」
ちょっと憤慨した直後、沙織に横腹をつつかれる。
「ひゃうん」
「お前が言うのかよ」
「だって充、腹くすぐり弱くないんだもん」
沙織は親指を立てる。
「ここで好感度アップのチャンスだよ」
「誰得だよ」
「佳織得だよ」
「ちょっ!」
「ん、ならいいや」
「いいのっ?」
「可愛い佳織が、得をするなら」
「……ちょっと待て」
先程からあたふたしていた佳織が、そこで唐突に、じとっとした目になる。そして素早く首を後ろに向ける。
「やっぱり、ね」
「あ、バレちゃったっすか」
カンニングペーパーを掲げていた奏が、冷や汗を垂らす。
「あんたねえ……」
「お、怒っているっすか?」
「当たり前じゃないですか」
シャロが奏にダメ出しをする。
「何故『俺の可愛い佳織が』にしなかったのですか!」
「それか!」
「そんなわけないでしょ!」
佳織が今にも飛び掛からんと声を張り上げた所で、ポーン、という音と共に シートベルト着用サインが付く。
『お客様に申し上げます。当機は間もなく暴風域に入ります。大きな揺れが予想されますため、ご着席の上、シートベルトをお締めください。なお――』
「ほら。佳織も沙織も席に戻りな」
腰を浮かせている2人に注意を促す。
「くっ……覚えてなさいよ」
そう席に戻る佳織の後姿に、シャロと奏は舌を出す。
それを眺めながら沙織と夏樹が微笑を洩らす。
俺も自然と笑いが込み上げてくる。
何故かそれが見られるのが嫌で、ふと窓の方に視線を移す。
――ブツン。
あまりにも話の脈絡もない、このタイミング。
そこで唐突に、そこで俺の意識は途切れた。
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