トマソン渡り

魚津野美都

トマソン渡り

 僕の学友たる外村には、変な癖がある。トマソンを見るとそれをじっと見つめ、指笛を三度鳴らして耳を澄ませるのだ。

 外村曰く、そもそもトマソンというのは、登った先に壁しかない階段とか、向こう側が塗り固められたドアとか、そういう存在する意味のない構造物を指すのだという。

 なぜそんなことをするのか、何度か聞いたことがあったが、曰く、昔に習ったおまじないだとか、前の恋人の癖が移ったのだとか、適当にはぐらかされてばかりだった。


 ある日の夕方。いつものようにトマソンを見かけた外村は、これまたいつものように指笛を三度、ふぃー、ふぃー、ふぃー、と鳴らして耳を澄ませていた。

 もう慣れたもので、僕はその様子を止めるでもなくぼうっと見ていた。すると、しばらく耳を澄ませていた外村が突然「聞こえた」と言うやいなや、トマソン階段を駆け上り、壁に触れた瞬間忽然と消えてしまったのだ。


 呆気に取られていると、後ろから肩を叩かれた。思わず飛び上がって振り向くと、達成感に満ちた不敵な笑みを浮かべる外村がいた。


「おい、あれ、今の」

「トマソン渡りさ」

 曰く、トマソンから別のトマソンへと渡ってゆく技なのだという。まだ頭が追いつかない僕は、夕陽に照らされる外村の眼鏡を見て、「そうなのか」と呟いた。


 外村はその晩居酒屋で、レモンをたっぷり絞った軟骨の唐揚げをぱくぱくと平らげながら話してくれた。

 曰く、このトマソン渡りという技は、高二の頃の恋人に教わったのだと。二つ上で、それはそれは美人だったのだという。

「で、結局なんで別れたのさ」僕がコークハイを飲みながら尋ねると、外村はすっかり押し黙り、手許のお冷をぐいっと飲み干すと、「トマソン渡りの後、消えた」と言って、メニューを開いて静かになってしまった。「トマソンに食われたのかもな」そうぽつりと言ったきり、何も言わなかった。

 僕も手許のお冷をぐいっと飲み干すと、伝票をちらっと見て、店員を呼び、お茶漬けを二人前頼んだ。

 僕達は無言でお茶漬けを流し込み、適当に会計を済ませ、おうとかああとかじゃあなとか言って、それぞれ帰路についた。

 


 翌日から、外村は授業に来なかった。

 携帯には繋がらず、メッセージにも既読はつかず。外村のことだ、そんなこともあるだろう。と、僕はさほど心配せずにいた。しかし、二日続くとやはり心配になる。外村の家にも行ったが、鍵がかかって入れず、人の気配もしなかった。

 僕は、できそうな授業分だけ代返してやり、講義をぼうっと聞きながら、外村の言ったことを思い出していた。

「トマソンに食われたのかもな」


 一人の帰り道、相変わらず外村からは連絡はない。夕陽が辺りを照らしている中、外村が"渡り"を見せてくれたトマソンを見つけた。

 何かに突き動かされるように、僕は指を口に含み、ふぃー、ふぃー、ふぃー、と指笛を鳴らす。耳を澄ます。……何も聞こえない。

 僕はトマソンをじっと観察する。携帯が震える。外村からの着信だった。

「もしもし、外村?お前、どうしたんだよ」

『ふぃー、ふぃー、ふぃー』

「……もしもし?外村?」

『ふぃー、ふぃー、ふぃー』

「おい、もしもし」


ふぃー、ふぃー、ふぃー。


僕は前へと走り出した。

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