蛇神草紙

蛇神草紙 第1話

籠女・・・籠女・・・




籠の中の鶏は・・・




何時何時・・・出逢う・・・




夜明けの・・・晩に・・・




鶴と亀が滑った・・・




後ろの正面・・・誰・・・












漆黒の闇に若い娘の声・・・恐怖の悲鳴が響き渡る


それと同時に森で眠る鳥達が一斉に騒ぎ出し飛び立つ




今は弥生・・・新月の宵の話で御座います




誰もが異常と感じる悲鳴をただ聞き入る人々がいた


「天見様・・・鹿沼様が現れたようで御座います」白い装束と頭巾で顔を隠した男が祭壇で祈祷を行う巫女に話す


「その様じゃ・・・」天見様と呼ばれた巫女の顔が篝火で照らされる・・・まだ年端もいかぬ娘だった「今年はA村からの籠女じゃ・・・次の年はB村じゃな」

「仰る通りで御座います・・・して丁度良い刻限ですが如何します」


「そうじゃな・・・」天見は立ち上がり手をかざす「皆の衆、只今の刻限を以て豊作祈願の儀を終えた。早々に籠を持って村々に報告じゃ」


白い装束を纏った人々が頷き、方々に走り出す




「鹿沼様・・・いや蛇神よ・・・娘の命と引き換えに実りを約束しましたぞ・・・」天見は空を見上げる




天見が見上げた空に星が墜ちた・・・まるで悲鳴を上げた娘を表すように






時は室町・・・鹿沼と呼ばれる蛇神、それを祀る巫女の一族、天見・・・そして都から落ちてきた武士の話で御座います






「間も無く夜が明ける・・・無事にすんだかのう」顔に生きた年の分の皺が刻まれた老人・・・村長が外を見て呟く


広い荒ら屋には村の成人した男共が全員集まっている・・・三十人程だろうか


「村長・・・次の年はうちらの村から籠女を出さにゃならん」三番目の年長者が村長に近づき話す「誰を選ぶん?」


「事を急ぐでない・・・まずは天見の巫女が来てからじゃ」村長が話を止める


荒ら屋に重々しい空気と沈黙が漂う・・・




シャン・・・シャン・・・シャン・・・シャン・・・シャン・・・シャン・・・




「あいも変わらず百鬼夜行の鬼火の様じゃ・・・村長、天見の巫女が来たぞ・・・」戸から外を窺っていた村人が喋る




村人が見た光景・・・白い装束の者達が行列をなし、松明で照らされる。行列の数人は錫杖を持ち音を鳴らす・・・先頭には天見がいた




「入るぞ・・・」天見が荒ら屋の戸を開ける


村人達は天見を見ると座り直し額を床に付けた


「村の男衆は集まっているかえ?」天見は荒ら屋を見渡す


「左様で御座います」村長が天見の問いに答える「して豊作祈願は如何に」


「無事に執り行われた」天見は手を打つ


白い装束を纏った者が荒ら屋に入る。ある者は松明を持ち、ある者は大きな籠を数人で抱えている

「これぞ、無事に執り行われた証ぞ・・・各々方、しかと目に焼き付けるがよい」


白い装束の者が籠を傾け松明で照らし、村人に中を見せる


籠の中には何もなく、鉄の臭いを放ち、紅の雫が滴り落ちる・・・それは血であり、籠は紅に染められていた。籠を見た者は安堵する者もいれば顔を青ざめる者もいる


「無事に執り行われた証・・・異論は無いかえ?」


「しかと確認し、豊作になるよう精進致します」村長は再び額を床に付け答える


「うむ。次の年はこの村から籠女を出す・・・努々忘れるな」天見は荒ら屋を去ろうとする




「何が豊作祈願じゃ!!ただの生贄でねえか」思い沈黙を破る声が出ると共に齢三十半ばの男が立ち上がる・・・先ほど顔を青ざめた内の一人だ




荒ら屋はざわめく・・・ある者は男を宥め、ある者は天見に戯れ言で御座います、と謝る


「何が鹿沼様じゃ!!ただの人を喰う蛇の化け物でねえか!!」男はなお叫ぶ


「黙らっしゃい!!鹿沼様を化け物と呼ぶとは・・・」村長は一喝する「天見様、若い者の非礼・・・ひらに御容赦を」


「構わぬ」天見は荒ら屋を去る足を止め振り返る


「なしてじゃ!!化け物を化け物と言って何が悪い!!」


村長が男に止めよ、と言いかけたが天見によって遮られる


「主・・・籠女になりうる娘の父御かえ?」


「そうじゃ・・・」男が頷く


「しきたりなのは解っているかえ?この地は鹿沼の水を引いて稲作を行っている・・・が稲作に向かぬ地。故に鹿沼の主に贄、籠女を差し出し豊作を願うことは解っているかえ?」


「しきたりで話をすますんじゃねえ・・・そげな事、この村に生まれてから知っとる。鹿沼から水を引く五つの村から、毎年順に籠女を出すことは・・・じゃがなして可愛い一人娘を蛇に喰われなきゃならん・・・」


「今までどの村でも籠女を出してきた・・・この村だけから出さないわけにはいかん・・・」


「お前が言うんか!!唯一籠女を免れてきた天見の者が!!」


「では主は、鹿沼様の逆鱗に触れ、凶作で稲穂が実らず、飢饉で家族や村の衆が死んでもいいと言うのかえ?」


「・・・それは・・・」男が口を噤む


「そうじゃ、そうじゃ」村人が口を揃えて言う


「それに、この辺の町は鹿沼の加護を得た米を食うとる!!凶作になれば庄屋は米を安くしか買わん、そうなれば儂等は飢え死にじゃ!!町の者もまた米の値がつり上がれば飢え死に・・・儂等が恨まれる」別の村人が言う


「・・・解ってる・・・解っているが・・・なして娘を喰われなきゃならん・・・ようやく女らしゅうなったのに・・・」男が膝を付き、涙を流す・・・数人の村人も同じ様に泣いている。この男同様の生贄・・・籠女になりうる娘を持った父御だった


「・・・まだ時はある・・・次の豊作祈願までに心を決めよ・・・よいかえ?」天見は男に近づき肩に手を置く


男はただ泣くばかりだった






「・・・あっちも嫌だ、こっちも嫌だ・・・全くきりがない」荒ら屋の隅から溜め息混じりで男が呟く「男なら潔くどちらか腹を決めろ」


「誰かえ?」天見は声の主を見る


声の主はゆっくりと立ち上がり天見に近づく・・・村人とは違う上等の着物を着た若い男だった


「その身なり・・・この村人ではあるまい」


「残念だがこの村の者だ・・・二年前から住んでいる」男は天見の前に立ち、顔を見る「百鬼夜行の先頭を歩き、村人が床に額を付けて礼をするのでどの様な鬼かと思えば・・・年端もいかぬ娘ではないか」


「お、落ち人が何を天見様に無礼を!!」村長が男を睨む「天見様・・・誠に申し訳・・・」


「落ち人じゃと・・・腰の物は飾りではないのかえ?」天見は男の腰にある太刀を見る


「三年前まで宮仕えをしていた・・・警護の仕事をな。太刀はその時の名残。今は村を賊から護っている」


「着ている物を見ると上流の御人じゃな・・・何故都から落ちたのかえ?」


「宮中の政略に巻き込まれるのに飽き飽きしたんでな・・・父御や母御と共に落ちた。」


「ほう・・・そうか」天見は男を睨む「して新参者の貴様が村のしきたりに口を出す道理は何じゃ」


「・・・その籠の血はお前達がやったのではないのか?」


「何を言うか若僧が!!」白い装束の男が怒鳴る「先程から聞いておれば失礼にも程があるぞ!!」


「非礼は詫びよう・・・しかし俺は魑魅魍魎や八百万を信じていない・・・鹿沼様は本当にいるのか?」


「ほほほほっ、これは面白い」天見は口を袖で隠す「都は四神の神によって鎮護されていると言うのに・・・かつての宮使いの警護がそれを信じないと言うのかえ?」


「鎮護されようが飢饉や日照り、疫病は起きる・・・巫女はこれをどう見る?」


「何が言いたいのかえ?」


「所詮、人の世・・・神が居らずとも成り立つ」男は太刀を抜く


「若僧!!何を!!」


「神が豊作にするだと。片腹痛い・・・治水し水田を整備をすれば日照りがこようとある程度は収穫は出来る。たとえ稲作に向かぬ地であろうと。この村々の治水は余りにも乏しい・・・しかも鹿沼という沼だけの水では頼りない。神に生贄で人が死ぬより、治水や湧き水を探る方が良いのでは?」


「ほう・・・して抜いた太刀は如何するのかえ?」


「娘を生贄にするのが嫌・・・飢饉で家族が死ぬのも嫌・・・」男は太刀を天見の首元に当てる


「若僧!!」白い装束の者達が小刀を懐から出す


「待て」首元に太刀を当てられているというのに天見は一切動じない「猪武者よ・・・何を考えているのかえ?」


「籠はお前達の仕業か?」


「違う」


「では鹿沼と呼ばれる蛇の化け物は本当にいるのか?」


「いる・・・化け物ではない。神だ」


「では話は簡単・・・」男は太刀を振りかざす


「天見様!!」




ごとっ




振り落とされた太刀は、白い装束の男の頭巾と松明を二つにした


「神を殺し・・・神を恐れない生活をするのみ」男は太刀を納める


「神を殺すじゃと・・・はははははっ」天見が狂ったように笑い出す


「何が可笑しい?」男は狂ったように笑う娘を一瞥する




「天見様、お気を確かに」




「妾は正気じゃ・・・何が可笑しいじゃと・・・これが笑わずにいられるか・・・」天見は突如笑いを止め男を見る「恐れ知らずの猪ではない・・・貴様はただの莫迦じゃ・・・莫迦な猪じゃ」




「確かに莫迦な猪だ・・・だが腕に覚えはある」




「・・・腕があっても、その太刀では鹿沼様は切れぬ・・・塵如き傷さえつかぬ」




「天見様、何を仰せられる。御乱心か!!」白い装束の者が天見の言葉を疑う




「落ち人・・・名は何かえ?」




「俺の名は巽 小次郎 忠次だ」巽は静かに天見を見た









この時、巽が齢二十五、天見が齢十六で御座います。日が昇り始める刻のこと二人は静かに対峙なさられた



人々が恐れる鹿沼様を殺すと言われた巽・・・しかし、その心中にはある思いが沸々と湧き上がります



天見も鹿沼様を祀る一族と言うのに裏切るような言葉・・・その言葉の真意とは・・・



今それを知る者は誰も居りませぬ



それは次の話で御座います




次の話を待たれませ・・・



今回はこれ限り



***


巽は村外れにある溜池のほとりに座っている・・・釣りをしていた


微かに竹竿の先が動く


「とりゃ・・・餌を取られたか・・・」巽は何もない釣り針を眺める


「武者様の下手糞」近くで遊んでいる童達が大声で笑いながら巽に声をかける


「仕方がないだろ!!釣りは最近始めたばかりなのだから」巽は針に蚯蚓を付けながら笑う




今は水無月、巽が神を殺すと仰り三月が過ぎた話で御座います




「全く騒がしい童共だ」笑いながら巽は再び溜池に針を落とす


そして考える・・・童達の中に娘がいた。あの娘はいつか籠女に選ばれるのだろうか・・・あの笑っている娘はいつか居なくなるのか、と


「鹿沼・・・蛇神か・・・」巽は溜め息をつく













巽はかつて父御と共に宮中に仕えていた。今とは真逆の生活・・・代々宮中に仕えていた巽家は一角の家柄だった。そして巽小次郎忠次は少納言の近辺の警護・・・悪く言えば小間使いをしていた


「これ・・・巽!!酒が切れたぞ」少納言が手を叩き巽を呼びつける


「少納言殿、何用で御座いますか」


「呼んだら直ぐに来ぬか!!たわけが!!」少納言が杯を巽に投げつける「酒じゃ!!早よう酒を持ってこぬか!!」


「しばらく」巽は女を抱く少納言を一瞥する


「全く・・・気が利かぬ」少納言は抱く女に笑いかける「酒が不味くなった・・・美味を味わいたいのう」


「少納言殿、酒で御座います」


「ちっ、全く興が削げる。巽・・・もう帰れ」


「・・・失礼致します・・・」巽は頭を下げ離れる




巽は馬に乗り帰路につく・・・牛の刻のため人気が全くない


「・・・政をせずに女と戯れ・・・この国の行く末が不安だな」


巽は馬に乗りながら町を見る・・・所々に屍のように眠る乞食の童を見る


「南北に別れた朝廷も無事に統一したが、未だに争乱の火は燃えているというのにな・・・」巽は溜め息をつく「そして昨年の日照りによる凶作・・・そこに民を苦しめるさらなる税・・・朝廷は雲の下を・・・民の現状を見ないでいるのか・・・自分達は快楽に溺れているのに・・・権力に溺れているのに」


巽は馬から降り、乞食の前に干し飯を置く


「俺は何をしている・・・一食の飯を置いても、この童は救えぬというのに」巽は腰に下げた太刀を握る「俺は何の為に武を磨いたのだ・・・」


巽は夜空を見上げる


「たった一人も救えぬ政・・・俺はそんなものに一生使えるのか・・・」巽は再び馬に乗る「・・・私の武で何か変えることは出来ぬのか・・・」












「神殺しをほざく武者が次は太公望かえ?」巽の後ろから天見が声をかける「神殺しは諦めたのかえ?」


水面に魚が跳ねる


「太公望なら西伯公を釣ったが・・・俺は巫女か」巽は一度竿を上げる・・・餌が無くなっていた「やはり俺には釣りは合わぬのか?」


「ほう・・・意外と博学じゃな。唐土の易周革命を知っとるとは・・・莫迦と言って申し訳がないな」天見は巽の横に座る


「巽は文武を以て良しとするが家訓・・・論語や孫子も学んでいる・・・古事記もな。先々代は近衛府の中将まで登った」巽は天見を見る「何のようだ?莫迦を確認しに来たわけではあるまい」


「ほう・・・真の天上人かえ・・・」天見は水面を見る「何をしている?」


「見て解らんか?」巽は針に餌を付け溜池に入れた


「釣りのことではない・・・他の村からお前を見たと耳に入った」


「遠くへ散策して何が悪い・・・昨年は豊作だったから賊になる輩が少ない。お陰で収入源が減るは暇になるは・・・食うために釣りをする羽目になった」


「鹿沼の方から現れたとも耳に入ったぞ」


「だから散策だ」


「この時期に蛇神は現れぬぞ・・・まあ現れても見えぬが・・・」


「・・・祀る一族が蛇神と言っていいのか?鹿沼様だろ」


「構わぬ・・・都から落ちた貴様に聞きたい事がある」


「何だ?」


「都の事を聞きたい」


「都か・・・羅生門から入れば」


「違う・・・政や情勢についてじゃ」天見は巽を睨む


「何故そのような事を聞く?」


「都の方角に凶星が現れているのじゃ・・・日に日に輝きが増し、他の星に影響が出始めとる」


「・・・日照りか疫病か?」巽は水面から天見に目をやる


「違う・・・争乱の相が出ているのじゃ。都が燃えるとも・・・」天見は天を仰ぐ


「確かに都は北朝方と南朝方に別れ争っていた。しかし統一後は軽度の衝突しかしていない・・・しかし朝廷自体が乱れておるか・・・」巽は竿を動かす「・・・巫女の占いは当たるのか?ただの気のせいでは」


「妾もそうじゃと願いたい・・・が争乱は短くて五年、長くて十年。間違いなくこの村々にも影響が出るじゃろ・・・そうすれば村々も人手が無くなり蛇神どころではない」


「どころでない、とは・・・巫女は俺が神を殺すのは賛成なのか?」巽の竿が引く「おっ!!引いている!!」


「早急に神を殺すのは反対じゃ・・・」


「村人が不安になるからか?」巽は竿を引く「大きいなこりゃ」


「そうじゃ。水の問題がある・・・そして蛇神の逆鱗に触れるだけだからだ」


「先程聞いたが現れぬ、見れぬとはどう言うことだ」水面に釣られた魚が跳ねる


「蛇神は常にこちらにいるわけではないからのう・・・あの蛇はあちらに住んでいるのじゃ」


「・・・あちらとは・・・」巽は竿を引く手が弱まる


「古事記を読んだなら解るじゃろ・・・黄泉の國・・・幽世・・・神々の世界にいる」天見は手を休めるな、と巽に注意する「この顕世には存在しないのじゃ・・・蛇神は弥生の新月のみ顕世に来られる・・・幽世の者、故に見えることも触れることも叶わぬ。まあ真の姿を見たら恐怖で魂を喰われるか、神に体を喰われるか・・・」


「故に太刀で切れぬか・・・おお、初めて釣れた!!」巽は針に掛かった魚を見る「今宵の飯は魚だな」


「・・・流石天上人、莫迦じゃな・・・」天見が笑う「民草の生活を知らぬ・・・一晩泥を吐かせぬと臭くて食えぬぞ」


「・・・そうなのか?」巽は魚を入れる桶に慌てて水を入れる「はあ・・・今日の飯は何にするか・・・」


「・・・明日、屋敷に来い」天見は笑うのを止める


「・・・何故、屋敷に行かねばならん」巽は天見に竿を見せる「俺は生きるために、食うために釣りをせねばいかん」


「飯を食わせてやろう」


「・・・どうせ、飯だけじゃないだろ・・・」


「・・・明日、天見の一族が集う。神殺しを奏上する・・・」天見は巽を見る「貴様も参内せよ」


「宮仕えをしていた者に奏上やら参内とは・・・天見は帝気取りか?」


「それは失礼をした・・・

必ず来い、よいかえ?」


「解った・・・」巽は袖の中に手を入れ巻物を取り出し、天見に渡す


「これは何ぞや?」天見は巻物の紐を解く


「三月分の成果・・・鹿沼周辺の測量と治水計画だ」



天見が巻物を開くと墨で鹿沼から五つの村々に続く水路・・・他に湧き水がある箇所が事細かく書かれていた。そして如何に水を効率に分けるか等も。












巽は鹿沼の前に立っていた・・・三日前、豊作祈願が行われた弥生


「鹿沼・・・蛇神の住む沼か」巽は目を瞑る・・・籠女が如何に神に襲われたのか、と思いにふける


鹿沼は周囲が五町(約550メートル)程だろうか。周囲は人の胸程に育った葦が生い茂っていた・・・いかにも人が踏み入ってはいけない地の雰囲気だ


「深さは解らぬか・・・小さくはないが五つの村々に流れ、稲穂が実るには少なすぎる・・・」巽は巻物に見た事を書く「ましてや山頂・・・沼に水が溜まるわけがない・・・水が湧き出ているのか・・・それとも・・・蛇神の加護か」


鹿沼を調べている巽は奇怪な跡を見つける・・・一本道のように葦が倒れていた


「獣道・・・にしては道幅がありすぎるが、熊か・・・」獣道は鹿沼のほとりに続いていた「冬眠明けで水を飲みに来たのか」


よく考えればその道は異常だった・・・しかし本能がその考えや結論をかき消す


「どこに続いている」巽は獣道を歩く


巽は熊への恐怖は無かった。何時熊と出会っても言いように太刀を構える


獣道の幅は七尺強(二百十センチ)あった・・・そして葦は鹿沼の真逆の方向に綺麗に倒れている。まるで人の手により踏み倒されたようだ


「道が切れた・・・」巽は行き詰まる・・・鹿沼から約半町程(約五十五メートル)で道が無く、葦がそびえ立っていた「これは・・・」




巽は屈む




倒れた葦が赤黒く染まっている




「もしや・・・」巽は葦を引き抜き赤黒く染まった葉を嗅ぐ「やはり・・・鉄の臭い・・・血か」




巽は静かに立ち、振り返る・・・そこには鹿沼へと続く獣道があった




「これは・・・獣道ではない・・・」巽は震える太刀を握る右手を左手で抑える「・・・蛇神が這った跡か・・・」



無情にも震える太刀と鞘が当たる音が鹿沼に響く









「貴様、王佐の才がある。見事な治水じゃ」天見は真剣に巻物を見る「・・・聞いておるのかえ?」


「・・・ああ、すまん」巽は頭を振り弥生に見た獣道・・・蛇神の跡の記憶を振り払う


「全く人が褒めれば・・・何を考えていたのかえ?」


「つまらぬ事だ・・・」巽は釣り具を片付ける


「帰るのかえ?魚一匹では父御や母御の分が足りぬだろう」天見は立ち上がる巽を見る


「・・・都から落ち延びる際に追っ手や賊の手にかかった・・・」巽は去りながら話す


「・・・悪いことを聞いたな・・・」天見は謝る「明日、必ず来い・・・迎えをやる、必ずじゃ」




「・・・解った・・・」巽は去るが立ち止まる「天見・・・名は何だ?」




「名はない・・・神に仕えるだけの存在じゃから」




「・・・蓮華はどうだ?」




「何じゃ?蓮華の季節は過ぎたぞ」




「お前の名前だ・・・蓮華・・・」




「何故名を付けるのかえ?しかも蓮華とは・・・」




巽は手を振りながら去っていく




卯月・・・水田を紫に染める蓮華草。まるで鹿沼様という存在を忘れさせる蓮華草の花々を摘み取る童達を巽は思い返す・・・







さてさて、天見が心配する凶星・・・それは都が燃える大乱で御座いました。細川様と山名様の争い・・・後にいう応仁の乱


だがそれは別の話で御座います


鹿沼で巽が見つけられた獣道、いや蛇神の跡・・・それは巨大なもので御座いました


天見一族が集う場にて巽と天見は何を語るのか・・・ましてや蛇神を祀る一族が神殺しという愚考を許すのか・・・




それはまたの話で御座います




次の話を待たれませ




今回はこれ限り




***



「巽はまだかえ?」天見は一族の集いに参加する為にある一室で礼服に着替えながら使いに聞く「何をしておるんじゃ」


天見は苛立ちを隠せなかった・・・巽に使いを出してから時間が経ち過ぎていた。あまりにも時間がかかりすぎている


「来ないつもりかえ?・・・巽・・・」天見は紅をさす為に鏡を見る「いや・・・奴は来る・・・何をしているのじゃ・・・」


天見は昨日の巽を思い出す。たった三月であれほど細かく測量や治水計画が出来るものなのだろうか・・・もし出来たとすればそれは巽の才なのだろう

「王左の才・・・か。巽よ・・・どこに向かう・・・。古来より才のある者・・・唐土では岳飛は宰相に裏切られた。この国では左遷された菅原道真公、朝敵となった平将門・・・悲劇しか待っていないぞ、巽よ・・・」


天見はふと格子窓の向こうを眺める・・・大樹の枝に止まる白い鳩を見つけた


『何を考えておる』突如鳩が話す


天見は目を見開く・・・そばで座っている使いを見たが平然と巫女に頭を下げ続けていた。どうやら使いには鳩の声が聞こえていないようだ


『今更心を閉ざしても遅いぞ』鳩は天見を見つめる『主上はすでに気付かれておるぞ』


「犀鶴殿の式神か・・・何用だ」再び鏡を見て呟く。使いは誰に言っているのか、と聞いたが無視した


『神に仕える者が裏切るとは面白い・・・』鳩は翼を広げる『主上がお待ちだ・・・速やかに来い』


天見は溜め息をつきながら飛び立つ鳩・・・式神を見る


「行くぞ・・・巽が来たら部屋に案内せい。よいかえ?」使いが返事をするのを聞いてから部屋を出る




天見の一族が集う部屋に向かう。それは短い廊下であったが足取りが重い。廊下の続く先・・・そこには天見がしようとする愚考に気付いている者が待っている


『神殺し、神殺し』廊下に着物を着た五寸程の鬼達が笑いながら天見に話しかける


「黙れ・・・鬼が」天見は鬼を見ない


『犀鶴様、知ってる。知ってる』


「その様な事は承知だ・・・子鬼共よ、去れ」


『神殺し、神殺し』鬼達が騒ぎながら消える


「・・・屋敷の護鬼まで呼び出し私を試すか・・・犀鶴殿・・・」


天見は歩を早める。何と恐ろしい道なのか、何をしようとするのかを知りながら、妾を試すかの如く自らではなく僕に語らせる・・・と考えながら天見は微かに緊張する


「お待たせしました」天見は戸を開け、中に入る

部屋で待たせた人々を見ず、静かに下座に座る


「皆々様、この度の召集にお集まり恐悦至極に存じます」天見は指を揃え、頭を下げる




頭を下げた先・・・上座には神殺しに気付いている者が静かに座っていた




この話は、村の溜池で釣りをしている巽に天見が出逢った次の日の話で御座います




「・・・して何故に我等天見の一族を召集した・・・」上座に座る威厳ある老人が下座に座る娘に静かに、そして重く語る「鹿沼様への来年の豊作祈願についてではあるまい・・・」




長い部屋には二十人弱の人々が座っていた。幼い者で齢十過ぎから高齢の老人・・・齢八十弱まで、男女様々な齢の者が集まっている。ここは天見の本家、天見で唯一名を持つ当主、天見犀鶴の屋敷であった




「天見の娘よ・・・鹿沼様はご健在か」犀鶴は娘を見た


「鹿沼様は御健在で御座います。してこの度、皆々様に御相談したい事がありお集まり頂きました」娘は深く頭を下げる・・・心中では知って知らぬふりをするとは恐ろしい、と思う


「相談したい事とはなんだ?まさか援助か・・・」天見の男が話す


「違います」娘は面を上げる「・・・皆々様は都の方角に凶星が現れたのは御存知でありますか?」


「知っている・・・凶星が二つ現れた・・・」犀鶴は腕を組み顎髭を触る「・・・都を大乱の火が覆う凶相が出ている・・・それが如何にこの度の召集と関係がある・・・」


座っている男や女共がざわめく


「犀鶴様・・・凶星とは?」


「・・・お主等・・・腕や目が鈍ったな・・・」犀鶴がざわめく者共をぎろりと睨む・・・すると男や女共は怯みあがるように静まる「娘よ・・・汝はあの凶相をどのように見るか・・・」


「都に二つの者が争い都が燃えまする・・・その火は都の外まで飛びましょう。その争いは短くても五年、長くて十年以上と見ました」


「そうじゃな・・・その後はどう見る?」犀鶴は鋭い目つきになる


「・・・・・・凶星が散る夢を見ました・・・」娘は目を閉じる「散った星は消える事無く輝く・・・戦乱の世が来ると・・・」


「何を言っている!!足利様の治世が終わるというのか!!」中年の男が立ち上がる「足利様の次の知性を担う者は何処の国にも居らぬわ!!」


「・・・黙らぬか・・・都の護所の神官が・・・」犀鶴は一度男を見て黙らす・・・がすぐに娘に目をやる「担う者が居らぬから戦乱の世が来る・・・儂と同じ占と見た」


「はっ・・・して相談したい事とは・・・」娘は再び頭を下げる、が何も言わない

「何を・・・黙っておるのだ・・・」犀鶴が見透かした目で娘を見る「・・・言えぬ事の為に儂等を集めたか・・・」


「・・・いえ・・・」娘は微かに震える


「いや・・・儂が知っているから話辛いのか・・・」


「・・・そのような理由では・・・」


「では皆の衆に話せ・・・」犀鶴が不適に笑う


「この度・・・神ご」




戸が突如開く




「すまぬ・・・参るのが遅くなった」


愛染の衣を纏い、立烏帽子を被った巽が現れる・・・それは宮中に参内する為の衣装だった。そして巽は木箱を脇に抱えていた


巽は娘の横に座る。木箱を背後に置く


「何者ぞ、いきなり入ってきて・・・」天見の男が口を出す


「ここを何処だと心得ている・・・神に仕えるあま」

「呼ばれたから此処にいる」巽は天見の女が話すの遮る「だが途中で参上した事は謝ろう」


「娘!!一体、天見が集う席に何故部外者を呼ぶ!!」


「黙らんか!!」犀鶴が一喝する「・・・お主か・・・戯れ言を考えたのは・・・」


「おい、蓮華・・・上座の御老人は誰だ」巽は小声で娘に囁く


「妾を変なふうに呼ぶな」娘は頭を下げながら巽にだけ聞こえるように呟く「天見家当主、天見犀鶴殿じゃ・・・何故遅れたのかえ?」


巽は娘の質問を無視し上座を向き座り直す


「天見家当主、天見犀鶴様とお見受けいたす・・・某、先の国司、巽影綱の嫡子巽小次郎忠次と申す・・・どうやら某の心中を察しているようで」













「・・・先の国司・・・巽・・・影綱・・・まさか!!」先程の都の神官が巽を指を差し震える「・・・少納言の殿の右腕を切り落とした・・・国賊・・・巽忠次か!!」


部屋の一同全員がざわめく・・・いや二人以外。巽と犀鶴だけが動じずにただ座っている


「巽、それは真かえ!!」娘が頭を上げ巽を睨む「何故言わなんだ!!」


「政略に嫌気がさしたのは事実だ・・・やれやれ、俺の名も有名になったものだ」巽は都の神官を睨む「某は宮中に住む鬼を斬っただけだ・・・権力という力を振るう腕をな」


「何が鬼を斬っただ!!国賊が!!」


「ははははっ、鬼を斬ったか。面白い」犀鶴が笑う


「誰か!!この国賊を捕縛せよ!!」都の神官が大声で叫ぶ


「手を合わせるか」巽は片膝を立て太刀に手をやる「・・・犀鶴殿、無礼お許しよ」













さてさて、巽小次郎忠次 。かつての所業を知る思わぬ輩により神殺しの話をする暇なく国賊として捕まりそうで御座います。




何故、巽小次郎忠次がかつて仕えていた少納言の殿を斬ったのか・・・そして国賊として捕まってしまうのか




それはまたの話




次の話を待たれませ




今回はこれ限り

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