蛇神草紙 第2話

巽は静かに太刀を握り構える・・・女子供は巽から声無き悲鳴を上げながら遠ざかり、男達は弱腰で巽を囲む


天見の娘と天見家当主犀鶴だけはその場から動かなかった


「俺を甘く見るなよ」巽は周囲を見る


「巽、落ち着くんじゃ!!」天見の娘が巽の着物の裾を握る「ここで騒ぎを起こせば・・・」


「いや・・・ここで退けば後々の災いになる」巽は男共を見る「斬りはせぬ・・・何も持たない者を斬る程俺は不作法ではない」


「後々の災いじゃと・・・巽よ・・・何を」




巽がかつて仕えていた少納言の殿の腕を切り落とした国賊と暴露され、天見一族の厳かな集いが一転騒ぎになった話で御座います




「この賊め・・・おとなしゅう捕まれい!!」男が隙を伺う


「捕まえれば・・・かつての少納言の殿から褒美が貰える・・・」都の神官が呟く


「上手くいけば・・・宮中入りを口添えを」別の男が話す




「蓮華・・・神に仕える一族が力に仕えようとしておるぞ」巽は蔑むように男共を見る「・・・犀鶴殿、心中察しますぞ」




天見の屋敷が騒々しくなる。天見の屋敷は広い・・・長年この地に建てられた屋敷の柱は黒くなり、所々装飾の彫りが刻まれている。それなりの地位が伺える・・・私兵や使いの者も多いようだ、が部屋に入ってくる様子はない。部屋の前に集まっているだけだった


「何をしている!!早よう国賊を捕まえい!!」都の神官が叫ぶ




だが、私兵や使いの者が入ってくる気配は一向になく、都の神官の叫びが無情に響く




「何を・・・」




突然騒ぎの中に笑い声が響く・・・天見の一族は笑う者を見る。天見家当主犀鶴を


「ははははっ・・・巽殿と申したな。一族の無礼を詫びよう」犀鶴は巽に頭を下げる


「犀鶴様、こやつは国賊で御座います。頭を下げては天見の名が泣きますぞ」


「黙れ・・・天見の恥が」犀鶴はゆっくりと頭を上げる「神殺しを企てる愚かな若僧と思っていたが・・・良い目をしておられる」


「か、神・・・殺しですと」男共は再び巽を見る「なおさら許せぬ輩!!早う捕まえよ!!」


だが私兵や使いの者は誰一人部屋に入らない


「何故誰一人入ってこぬ!!」


「・・・戯け者共め・・・」犀鶴は床に指を当てる「いつから主等はこの屋敷の主になった・・・そして自分達は若い武士を恐れ、使いの者に頼るとは情けない・・・縛・・・」


「かはっ」巽を捕まえようとする天見の男どもが白目を向き固まる


「何をしたんだ・・・」巽は太刀を握る手を弱め、固まった男共を唖然と見る


「巽殿よ・・・気にするでない」犀鶴は笑う「当主に仕える者を勝手に指示した罰・・・いやいや、お恥ずかしい所を見られた」


「・・・先程から周りの使いが中に入らないのは・・・」


「儂の命が無いからだ」犀鶴は顎髭を触る


「・・・犀鶴殿は私を国賊と知り、命を出さぬのか?」


「巽殿は国賊ではない」犀鶴は笑う「儂の耳には巽殿は天晴れ、と入っておる。左大臣の殿が少納言の殿を嫌っておった・・・ろくに朝議にも参内せず、日頃女と享楽に溺れておったからのう」


「しかし、俺は・・・」


「左大臣の殿が帝に直々に奏上し巽殿の罪を放免にした・・・」


「そうなのか?」


「しかし・・・主を斬った事実は真。それを許せば世が荒れる・・・故に表向きは国賊扱いじゃ。また、巽殿を捕まえ再び宮仕えさせるためだ」


「しかし・・・俺は追っ手に」


「それはかつての少納言の殿の私兵だ」


「本当なのか・・・それは」巽は座り直す・・・握る拳は震える


天見犀鶴は穏やかに微笑み頷いた













「何故、犀鶴殿は左大臣の殿と帝のやり取りを知っていたのだ?」


今、部屋には犀鶴、巽、娘の三人だけだった・・・犀鶴が他の天見は全て部屋から下がらせた


「神々に仕える一族が何故このような屋敷を持っていると思う・・・」


「・・・村々の厚意ではありませぬな・・・」


「都に魑魅魍魎が百鬼夜行のように夜な夜な現れ跋扈した平安の世・・・時の天見家当主は帝の命により参内し、内裏の座に座り国家鎮護の任に就いた。そして功労が認められ多くの褒美を戴いた・・・この屋敷もそのうちの一つ」


「左様でしたか・・・宮中に御縁が」


「今でも祭事の際は参内しておる・・・だから少納言の殿の左遷時に事の成り行きを聞いていた」犀鶴が溜め息をつく「お陰で天見は狂いだした・・・


「犀鶴様?」


「巽殿の言われた通りだ・・・力や金に仕えようとし始めた。しかし、まだこのような神に仕える娘がいるとは」犀鶴は温かい眼差しで娘を見る


「犀鶴様・・・私は誉められる筋合いはありません」娘は頭を下げた「恐れながら・・・妾は神に仕える身でありながら神を殺そうとしております」


「いや・・・お前は神に仕える巫女だ。だから神を恐れ畏怖する。そして迷っている・・・何故神を殺そうとする?」


「それは・・・凶星が理由でございます。戦乱が起きれば蛇神どころではありません。籠女を出さなければ蛇神が怒り、水を止めます。田畑は枯れ果て、再び作物が育つようにするには何年もかかります」


「確かに・・・しかし神を殺せば・・・何故決意した?」

「この巽に出逢ったからで御座います」


「話の途中、失礼する」巽は昨日娘に見せた巻物を広げる「鹿沼周辺の図で御座います」


「ほう・・・良く出来ている」犀鶴はまじまじと巻物を見つめる


「鹿沼は山の頂にありながらも水が減ること無く、向かいの山には水はありませんが木々が青々と茂り山腹から小川が流れています・・・私はこの地を湧き水が豊富な地と見ました」巽は図を指差しながら説明する「・・・現在は鹿沼のみで田畑を潤していますが、この湧き水を集めれば天災に影響なく育ちます」


「左大臣の殿が登用したい理由が解った。なるほど・・・しかし治水による人員と資金がかかりすぎる。まさか天見の財を?」


「抜かりなく」巽は背後に置いていた箱を取り出し開く「資金はあります。近隣の者や都で飢えている者を雇えば人員は足り、飢餓で死ぬ者が居なくなります」


箱の中には宝玉等がぎっしり入っていた。珊瑚、翡翠、水晶、金や銀が美しく輝く


「これは」犀鶴は宝玉を手に取り巽に聞く


「巽家の家宝です。帝より褒美として頂戴した品も・・・あと七箱有ります」


「これら・・・帝の褒美等の財を使ってまで治水をするとな・・・何を考えている?」


「犀鶴殿、おかしな事を言われます。貴方まで金に仕えようとするのですか?俺の父御と母御は既にいません・・・俺は自分の財を好きなように使うだけです」


「・・・何故そこまでして神を殺そうとする?戦乱が必ず起きるとは・・・」


「それは巫女の考え・・・俺は籠女で亡くなる娘を無くしたいだけです」


「解らぬ・・・宮仕えをしてお主は解るだろう、国の基本は犠牲。万を救うのに千殺すが通り・・・」


「俺も同じ意見です・・・ですが初めから千を殺すと考えるのはおかしい・・・俺は限り無く犠牲を出さないよう考える」


「・・・良い心掛けだ・・・しかしだ、それを神を知って言えるのか?」


「幅七尺以上、長さ半町以上の神をですか」巽は不適に笑う


「・・・見たのか?」


「実際には見てはおりませぬ・・・豊作祈願の終わった後日に鹿沼へ行った際、巨大な跡を見ました」


「ははははっ、巽殿は凄い御仁じゃ」犀鶴は豪快に笑い出した「知って、神に挑もうとは」


「ただの莫迦な猪なだけです」巽は姿勢を正し頭を下げる「犀鶴殿・・・どうか神を殺す事を許して頂き、斬る方法をご教授して頂きたい」


「何故其処までして神を殺そうとする・・・」犀鶴は笑いを止め、巽を睨む「儂は神を殺す事は認めん」
























「だが天見家当主が神を殺すと言えば仕方がない」犀鶴は娘を見た「当主よ、如何する?」


「犀鶴様、一体何を・・・」娘が目を丸くする


「儂はもう年だ・・・次期当主を決めねばならん、が他の一族は天見の座に座る資格ではない・・・奴らは天見の財が目当て・・・だが決めた。娘よ・・・これよりそなたが当主だ」


「妾にも当主の資格など・・・」娘が深く頭を下げる「どうか、御言葉を取り下げて頂きたい」


「天見家当主天見犀鶴の最後の命だ・・・そなたが当主だ」犀鶴は冷たく言い放つ「して、神を殺すか?」


娘は頭を下げたまま震える・・・しばらくすると力強く頷いた


「巽殿、当主が神殺しを認めた・・・これからは出来る限り助力しよう」犀鶴は微笑みながら巽を見た「だが・・・神は殺せぬ・・・」


「殺せぬとは?斬る事が出来ないためか?」


「斬る事は出来る・・・魔鍛冶衆に作らせた武具ならな・・・しかし、巽殿には使えぬ代物」


「では私の使い慣れた武具にすれば・・・」


「子供に太刀は扱えぬ・・・それと同じで力の無いお主には霊剣は使えぬ」


「力とは・・・」


「術を使う力だ・・・そなたが術士ではない限り扱えぬ」














「では妾が巽に術を教えます」突如、娘が体を起こした「巽が術を仕えるならば問題ありますまい・・・神殺しの前にまずは治水、時間はあります」


「ならぬ!!」犀鶴が怒鳴った「術は人を救うが人を殺める事も出来る・・・天見以外の者に術を教えるは言語道断。例え天見家当主の命でもそれは出来ぬ」


「では巽が天見の者になれば術を教えても良いのか?」


「おい蓮華・・・何を」巽は娘を見る。娘は真剣な眼差しだった


「ほう・・・娘、蓮華と当主の名前を決めていたのか?」


「蓮華は巽が勝手に付けた名です・・・ですが」娘が再び犀鶴に頭を下げた「天見家当主、天見蓮華・・・この度巽小次郎忠次と婚姻を結びます・・・文句は犀鶴様といえども言わせませぬ」









さてさて・・・一時は巽が国賊だと騒ぎが起こりましたが、無事に天見家当主に神殺しの許可を手に入れられました




しかし、犀鶴は巽には神を殺す事が出来ないと仰います・・・魔鍛冶衆に作らせた武具で神は斬れても巽には武具を扱う事が出来ないと・・・


そして、新しい天見家当主が突然言い出した婚姻・・・巽の予想していない事が起こります




巽は一体どうなる事やら・・・それは次の話で御座います




次の話を待たれませい




今回はこれ限り




***



「・・・丑と未の方位・・・」巽は目を瞑りながら呟く


今、巽は天見家の広大な庭にいる


・・・一辺が五間(9メートル)の赤い布に太極図と北斗七星が描かれた布が引かれていた。巽はその中心に白い装束を着て静かに座っている


「戯け」天見家現当主が扇の骨で巽の頭を叩く「誰が式鬼は二匹と言ったのじゃ!!酉にもいるわ」


「痛・・・少しは手加減してくれ、蓮華・・・」巽は叩かれた頭を撫でる「それに先程まで二匹だったのに卑怯だぞ」


「お主は基本がまだ出来ておらんのだ!!見えない者なら心眼で感じろ!!解れば二匹だろうが五匹だろうが解る!!」




天見の娘が当主の座を引き継いで四月たった神無月のある日の話で御座います




「それもそうだが・・・始めた時よりは少し見えるようになったぞ」巽は丑の方位を見る「なあ・・・護鬼?」


『そうだ、そうだ』小さい着物を着た小鬼がはしゃぐ『巽は見えるし、話せる』


「式鬼・・・護鬼が見えたぐらいではしゃぐでない!!蛇神はあちらの者・・・見えない。お前は鬼を斬るのかえ?お前は神を斬るのだろう?」


「・・・だからって厳しくないか、一様形だけだが夫婦だぞ」巽は俯く「・・・鬼が・・・」


「なんじゃと・・・人が主の事を心配して術を教えてやれば・・・」


巽と天見の娘は形だけの婚姻を結び、娘は当主の座に就くために蓮華と名を付けた・・・婚姻は巽に神を殺す為の力をつけるためであり、巽は死者や天見の護鬼、式神は大分見えるようになった。今は見えない神を気配で探る心眼の鍛錬をしていた




村々では治水の工事が始まり、都から生きるために人が大勢やって来た。犀鶴が左大臣のご助力を頂き、都全域にお触れを出してもらったお陰だった・・・そして村々は人が集まり活気が出始め大きく発展しだした




「巽様!!どこに居られますか!!」天見の屋敷から叫び声が響く・・・どうやら使いの者が巽を探しているようだ「犀鶴様がお呼びで御座います!!巽殿は何処で御座いますか!!」


「どうした?」巽は立ち上がる「犀鶴殿は何用でお呼びか?」


「巽、今日の鍛錬は終わりじゃ・・・明日は鬼の如く至極からな」蓮華は小鬼共を見る「護鬼よ・・・持ち場に戻れい」


「・・・聞こえていたのか」巽は屋敷に向かいながら蓮華に話す「頼むから少しは手加減してくれ」













「遅くなりました」巽は犀鶴のいる部屋に入る・・・中には女性がいた・・・目元を面で隠している


「待っていたぞ、巽殿」犀鶴は茶を啜る「どうした疲れた顔をして・・・蓮華は厳しいか?」


「ええ、何度も扇で頭を叩かれました」巽は犀鶴と女の間に座る「何用で御座いますか?」


「犀鶴殿・・・こちらの武人が神を殺そうとする者か」女が巽を見る


「巽 小次郎 忠次殿じゃ・・・巽殿、こちらは魔鍛冶衆の者だ」


「魔鍛冶衆・・・と言いますと神を斬る霊剣の件についてでお呼びか」


「いかにも、武人・・・刀が出来た」女が側に置いてあった包みの封を解く「犀鶴殿もご確認を・・・」




包みの中から太刀の刀身が現れた・・・刀身が黒く輝き、真っ直ぐな刃紋からは鋭利さを感じる事が出来た


「・・・見事な太刀で御座いますな・・・」巽は息を飲む「これが神を斬る事が出来る霊剣・・・」


「業物だな」犀鶴が刀身の茎(なかご)・・・柄に納まる部分を持つ「しかし・・・命が吹き込まれていない・・・」


「作用・・・しかし命を吹き込むのはそちらの仕事」女は巽を見る「武人・・・貴様の仕事だ」


「い、命?」


「簡単に言えばこの太刀は眠り子」犀鶴は立ち上がり床の間に飾られた藤で編まれた籠を取る「術士が太刀に力を与え、子を起こす・・・下がっておれ」


犀鶴は巽と女を下がらすと自分の周りに鉄製の箸の様な杭を投げるように床に突き刺す・・・計五本の杭が五角形の頂点に刺さる


「犀鶴殿、その杭は?」巽は遠目で見ながら聞く


「術針だ・・・魔鍛冶衆よ。試し切りをさせて頂く」犀鶴は床に籠を横にして置く「巽殿・・・しかと見よ。太刀に命を込める術を」


犀鶴は呪を唱えながら籠の蓋を足で開けた・・・周囲に異様な気配が漂い始めると犀鶴は目を瞑る


「・・・何だ・・・あの籠の蓋が開いた瞬間から寒気が・・・」


「恐らく幽世の虫だろう」女が呟く




ドンッ




目を瞑ったまま犀鶴は太刀を床に突き刺した




犀鶴が太刀の茎を握りながら深く呼吸をする・・・額から一筋の汗が流れる




「バン!!」突如犀鶴が叫ぶ




犀鶴が叫んだと同時に異様な気配が消えていく




「・・・はぁ、これ位で疲れるとは・・・年はとりたくないな」犀鶴は太刀を引き抜くと刃を見る「刃こぼれはしていないな」


「魔鍛冶衆を嘗められたら困ります。その程度で欠けることはありません」


「犀鶴殿・・・今のは?」巽は犀鶴に近づく


「都で捕まえた幽世の虫を切った・・・捕まえるのには苦労したんだぞ・・・何せ見えない、心眼を使わないと・・・」犀鶴は疲れた顔をする「今のが命を吹き込むだ・・・虫の気配は気付いたか?」


「はい・・・感じました」


「太刀を突き刺したのは虫の動きを封じる為・・・虫を刺しても死なない、が儂が力を込めれば死ぬ」犀鶴は刀を置き、床に座る




「太刀に命を込めるか・・・神を殺すには心眼で見つつ太刀に力を込める・・・難しいな」













「武人よ、少納言の腕を何故切った・・・」女は巽に聞いた


女は巽の愛刀の柄を外し、その柄を霊剣に入れる作業をしていた


「・・・犀鶴殿から聞いたのか?・・・その話は解決している。ただ鬼を切っただけだ」


今、この部屋には犀鶴は居ない・・・幽世の虫を切った為か疲れて寝床に行っていた


「太刀は魔鍛冶衆の子供・・・理由もなく人を斬る輩に渡したくはない・・・理由を話せ・・・」













三年前、都を落ちた日


少納言の殿は女に飽きたと言って、珍しく朝議に向かっていた


「巽よ・・・早く新しい女を見つけてこい」少納言は馬に乗りながら巽に言う


「・・・御意」巽は少納言が乗る馬を操りながら静かに答えた


巽は心中では吐き気がした・・・久方ぶりに朝議に参内すると少納言が言った時は嬉しかった。やっと政に精を出していただける、と。だが、実際には時間を潰すためだった


「あー、眠い」少納言は欠伸をする「どうせ朝議は左大臣が勝手に進めるから寝ておるかのう」


そんなやり取りをしながら巽は少納言の屋敷から宮中に向かっていた


巽は市井を見た・・・大通りは商人や町人が大勢いて賑わっていた。しかし、裏道を見れば数人の痩せこけた人が、道端に横たわっていた。以前見た市井より明らかに悪化していた


「俺は・・・」


「どうした、巽。何か言ったか」


「いえ・・・何も・・・!!」


粗末な服を着た童が突然飛び出した。少納言が乗る馬が驚き暴れる


「ぎゃあ!!」少納言が馬から落ちる


「どう、どう・・・」巽は馬を宥めると、落ちた少納言を見る「御無事で御座いますか」


「おのれ・・・糞餓鬼が」少納言が怒りの形相をし、刀を杖代わりにして立ち上がる


飛び出した童は馬に驚き尻餅を付いていた・・・しかし、顔は泣くとは違う形相で少納言と巽を睨む・・・まるで恨むかの如く。童の近くには卵が割れていた


「卵・・・身なりからして盗んできたのか」巽はふと童が睨む理由が気になった「何故・・・そのような目をする」


「私を少納言と知っての無礼か!!この餓鬼が!!」少納言は刀を抜く


町人達が騒ぎを見て集まる


「少納言殿!!刀を納め下され!!ここで童を斬れば市井の笑い者ですぞ!!」巽は振り上げられた腕を押さえる「どうか、どうか」


童は逃げることなく睨んでいた


「巽!!離せ!!抜いた以上刀を納めれば、それこそ笑い者だ!!この餓鬼!!」


「違います!!貴公は少納言であらされる。私情に任せて斬ることこそ恥。今からでも遅くはありません。どうか刀を!!」




巽は少納言を諫める・・・しかし、少納言は聞き入れない




「・・・のための・・・卵・・・よくも・・・」




巽は振り向く・・・童が何かを呟いている




「・・・んだら・・・お前等のせいだ」




童の睨む顔・・・童の顔じゃない。鬼の顔・・・




「かかあのための大切な卵・・・死んだらお前等のせいだ」




巽は童の呟く声が突き刺さる。再び少納言を見る・・・なんと醜い人間だ、と巽は唇を噛む




「人は落ちれば鬼になる・・・」巽の口から言葉が漏れる「あのような童まで鬼に落ちる・・・」




「ええい、離せ巽!!この下衆と共に斬るぞ!!」




「どちらが・・・鬼だ・・・」



ふと、巽の手が少納言の刀を離す




刹那、少納言が刀を振り下ろす




「ギャアアア!!!!」都に悲鳴が轟く




「どちらが下衆だ・・・享楽に溺れ、権力に溺れ、市井を見ず、真意を見ず。そなたは宮中に住む悪鬼・・・腕がなければ権力も握れまい」巽は少納言の振り下ろす刀より早く太刀抜き、少納言の右腕を切り落とした


「私の腕が・・・私の腕が・・・」少納言は鮮血流れる腕を痛みによる悶絶した顔で見る「私の・・・腕が」


「童、来い」巽は童の襟元を掴み、少納言の馬に乗り腹を蹴る「はいよ!!」


巽は馬を走らせ逃げた・・・市井で主を斬った、大勢の観衆の中で・・・宮中の者を斬った・・・つまり叛逆。国賊になったのだ


「童・・・母御は病か?」巽は後ろを見る。そこには鬼は居なかった・・・半泣きの童がいるだけ


「うん」


「銀子だ・・・これで盗まずに卵を変え」巽は童に巾着を渡す「母御を大切にしろ、いいか」


「いいの?でもおじちゃん・・・」


「気にするな、鬼になる童を救えただけで十分だ・・・ただおじちゃんは止めてくれ。まだ俺は若い」



巽は童を馬から降ろすと、すぐに自分の屋敷に馬を向けた




「・・・巽・・・殺してやる・・・」




悪鬼の殺意を巽はまだ気付いていなかった






そして、巽は家財を持って父御と母御を連れて都から落ちた


「お前は正しいことをした」父御は巽に笑いかけ巽の行為を褒め称えた


だが都から落ちる際、少納言が出した追っ手の襲撃を受けた。父御は母御を守る為に斬られ死んだ


そして母御も途中で襲われた賊の手に掛かった













「そんな理由だ・・・魔鍛冶衆の者。神を殺す意外には刀は使わない。安心してくれ」


「すまぬ・・・お前を試した。辛い事を話させたな」女が霊剣を柄に納め目釘を打ち込む


「気にするな・・・俺が莫迦だから起こした因果応報だ・・・」


「神を殺す理由は何だ」

「言いたくない」巽は困った顔をする「あえて言うなら恩返しだ」




「出来たぞ」女が刀を持ち上げる「持ってみろ」



「俺の柄にしっくりくる・・・不思議な太刀だ。して銘は何だ」




「銘はない・・・」女は道具を片付ける「魔鍛冶衆は術士に狙われる・・・呪や式神を斬ることが出来る刀を打つからな・・・だから顔や名を知られるわけにはいけない」




「では何故天見は・・・」




「あの犀鶴殿の人徳のお陰だ」女は立ち上がる「犀鶴殿に残りの矢一万本、槍百本は後々に出来ると伝えてくれ」




「何だ・・・その武器の数は」




「犀鶴殿に聞いておらんのか?天見全てが神殺しにあたる為の道具だ」女はそう言うと部屋を出た












さてさて・・・徐々に神殺しの準備が始まりました


それにしても矢一万、槍百本とはまるで戦のようで御座います


一体鹿沼様と呼ばれる蛇神はどのような蛇なのでしょう


鹿沼様と巽の戦い・・・それはまたの話でこざいます



次の話を待たれませい




今回はこれ限り



***


「蓮華・・・明日は鍛錬を休ませてくれないか」巽は蓮華の部屋に入るなりそう言った


「構わぬ・・・明日は豊作祈願を執り行うのに忙しいからのう」蓮華は文を書く手を止める「・・・単身一騎で神に挑むわけではあるまいな・・・」


「俺は其処まで愚か者に見えるか?」巽は苦笑いをした「安心しろ・・・太刀を置いていく」


「いや、妾は今はお主一人だけの体ではないと言いたいだけじゃ。半年前まで神殺しを反対していた村人も今では神に挑もうと弓を取り始めた。そして、治水のお陰で人が増え村も少しずつ発展しお前を領主と慕う者も現れたのじゃぞ」


「俺はそんな偉い人間ではない・・・また今年も籠女で娘が死ぬ・・・あの父御達に会わす顔がない・・・」


巽はそういうと静かに部屋を後にした


「巽?何じゃ・・・様子がおかしいのう」蓮華は考える「神殺しは焦らずに、治水が無事に終えて村人が安心してから行うと言ったのは自分じゃぞ・・・」




巽が神殺しを殺すと仰りましてから一年が経った弥生の新月・・・蛇神への豊作祈願前日の話で御座いました




夜が明けるなり巽は天見の屋敷を後にした。巽は蓮華との形だけの婚姻を結んでからは殆ど天見の屋敷で暮らしていた。巽は昨日蓮華に言ったとおり太刀は腰に携えてはいなかった。変わりに一輪の菊を持っていた


「こんな朝早くから一体何処に行くのかえ」蓮華は物影から屋敷を後にした巽の背を見ていた「それに菊を持っていたが何をする気じゃ」


蓮華は巽に気付かれないよう後を追う


巽は静かに歩く・・・何かを考えいるかゆっくりとした足取りだった


鹿沼周辺の村々を巽は歩く。村々では治水がものすごい早さで行われていた。今年から一つの村で鹿沼以外の水を使い田畑を潤す段取りになっていたからだ


「改めて巽の才に驚くのう・・・一年前は落ち人風情が今では立派な御仁になられた」












突如、巽は鹿沼とは反対の山に入った・・・


「山の治水を見に来たのか・・・いや、それにしては早く出かけておる。今行っても誰もおらん」


しばらく山に入ると蓮華は巽を見失った。


「気付かれたか・・・何処に行ったのかえ」












「・・・童や・・・すまぬ」巽は山の頂上、村々を見下ろせる場所に居た「今年もお前のように籠女が出される」


巽の前には三尺程の塚があり、小さな珊瑚の枝が置かれている


「もうしばし待ってくれるか。お前の願いを叶えてやるからな。童が笑い、村人も笑う・・・必ず叶えてやる」


巽は塚の前に腰を下ろした。




「何時まで隠れている・・・今日は鍛錬は休みだろ」



「気付いていたのかえ」木陰から蓮華が現れる


「今日は豊作祈願で忙しいのだろ?こんな所で当主が遊んでいていいのか」


「・・・構わぬ。毎年の事だから使いの者も段取りは解っておるからのう」蓮華は巽に近づきながら話す「この塚・・・父御や母御のかえ?」


「違う・・・恩人の塚だ。骨は無いがな」


「恩人か・・・前々から気になっていた。お主は何時からこの村々に来たのかえ?」


「二年前から住んでいると言っただろう・・・今年で三年か」


「ここは都から歩きで半月・・・早馬なら四日以内で来れる。少納言を斬ったのは今から四年前、一年何処にいた?」


「財を荷台に載せて逃げていたんだ・・・時間もかかる。それにいろんな所へ逃げていたんだ・・・一年などすぐに経つ」


「一年もあれば蝦夷や日の国まで行ける・・・何故、都近くまで戻ってきたのかえ」


「どうでもいいだろ」


「・・・魔鍛冶衆の者に神を殺すのは恩返しと言ったな・・・この塚の主と関係あるのかえ?」


「盗み聞きとは細君のする事は思えぬな」巽は蓮華を睨む


「すまぬ・・・」


「仕方がない・・・・・・この塚は四年前の籠女の塚だ・・・」













「俺は何故まだ生きている・・・俺のせいで父御や母御は死んだというのに」


林の中で巽は傷を負って横たわっていた。少納言が出した追っ手・・・出会した賊によって傷を負わされていた


「俺にはまだ天命があるというのか・・・それなら神はなんと残酷だな」巽は天に手をかざす「父御や母御を殺してまで行う天命とは・・・なん・・・だ」


巽はそこで意識が途切れた









「母御・・・武者様が気付いたよ」


巽が目覚めると民家に居た。目の前には齢十三程の娘が居た


「・・・此処は・・・」


「まだ起きちゃ駄目だよ・・・傷が開いちゃう」娘は優しく微笑んだ


巽は四年の師走に初めて鹿沼の村に来た・・・山菜を探していたこの娘が巽を見つけ助けたのだ


「・・・水・・・が飲みたい・・・」




娘の名前は伊代という名前だった。




「俺を・・・何故助けた・・・」巽は横にながら呟く


「武者様、目の前で困っている人を助けるのは当たり前だよ」


「・・・俺は国賊だぞ」


「こくぞく?」娘は首を傾げる


「国の敵だ」


「そんなの私には解らないよ・・・ただ私がしたいことをしただけだよ」伊代が笑った




助けられた巽はしばらく死人のようだった・・・たまに話すが全て自分を責める言葉だった・・・




「あのね、武者様」伊代が巽の頭を撫でる「みんな生きているのは理由があるんだよ」


「・・・童が何をいう・・・」


「武者様の父御も母御も亡くなったのもきっと理由があるんだよ」


「違う・・・俺のせいで死んだ・・・」


「きっと武者様には生きて欲しかったんだよ。自分の信じたことを貫いて、ね」


「・・・童に何が解る・・・」


「解るよ」伊代は笑う「私は村のみんなに笑って欲しいから生きている」


「・・・大層な理由だな・・・」巽は鼻で笑う


「笑ったな」伊代が巽の頬をつまむ「私は本気なんだよ」


「・・・離せ・・・痛い・・・笑ってすまない・・・」


「解れば宜しい」伊代が満面の笑みで笑うが、突然「でもね・・・笑って欲しいのに母御は泣くんだ・・・それに来年は別の母御が泣く・・・」


「・・・どうした・・・伊代・・・?」


「私は皆が楽しく笑って暮らして欲しいのに・・・」伊代が一筋の涙を流す


「・・・生きているのは意味があるんだろ・・・お前は皆を楽しく笑って過ごせるという大事な意味がある・・・お前自身が泣いてどうする」巽は痛む体を鞭打ち、家財が入った箱を取り出す「お前に良い物をやろう」


「良い物って?」伊代は袖で涙を拭く


「ほれっ」巽は箱から赤い珊瑚の枝を出し伊代に渡した


「初めて・・・こんな綺麗なの・・・」伊代は目を輝かせて珊瑚をみる


「お前にやる・・・大切にしろよ。お前は笑っているほうが似合っている・・・もう泣くな」


伊代はうん、ありがとう、と答えた・・・巽はその言葉が残酷なものだとは全く知らなかった




巽は民家の奥の間で隠れるように過ごしていた。伊代の父御は賊に襲われ命を落としたらしく、伊代と母御だけで過ごしていた


母御も心優しい方で巽が国賊と知っても匿い続けた


巽は傷が癒えると時折伊代に読み書きを教えた。伊代が教えてと頼み込んだからだ


「伊代・・・もう寝なさい」巽は文字を書く伊代の頭を撫でる「そんなに焦っても身に付かないぞ」


「・・・文字を習うのが面白いの・・・だからもう少し、お願い」


「ほう・・・勉学が面白いとは。顔もべっぴんだから将来は小野小町のような才女になるな」巽は笑う


だが、伊代を悲しい目で見守る母御に巽は気付かなかった




雪が大分溶けたある日の夜・・・それは起きた。巽は奥の間で寝ていると来客が来た。巽は聞き耳を立てる



「天見の使いで御座います」


「籠女は宜しいか」


「・・・はい・・・」母御が悲しい声を出す


「行ってくるね」伊代の笑い声を上げる「母御、日が昇ったら私の葛を開けてね・・・武者様に有難うって言っておいてね」




再び戸が閉まり静寂が襲う・・・ただ母御のすすり泣く声が響く


「・・・どうしたのだ?伊代はこんな夜分に・・・」巽は顔を出す


「巽殿!!」


「母御殿・・・何を泣いて」


「聞かないでください!!」母御は戸の近くに有った鎌を持つ・・・その顔は涙を流し笑っていた「あの子の最後の願いで御座います・・・楽しく笑ってください」


「最後?一体・・・!!」巽は外に出ようと戸に近付く・・・何が起きているのか解らなかった。が自らの首に鎌を当てる母御を見て驚く


「巽殿・・・外に出るならば私は自害します」母御は笑う「貴方はお優しい方です・・・事の真意を知れば伊代を止めるでしょう・・・ですが伊代はそれを望んではおりませぬ・・・お願いします・・・笑ってください・・・あの子は最後まで笑って行ったのですから・・・」


巽は訳が分からなかった・・・ただ解るのは目の前の母御が本気の目をしていることだけ


無情にも時が過ぎる・・・巽はただ母御の前に座り、母御は首に鎌を当て続ける


「母御・・・何が起きているのですか」巽は頭を下げた「某も元は武士・・・覚悟は出来ております。どうか鎌を置き、話をしてくだされませんか・・・聞いても伊代を探しに外には出ません」


「・・・二言はありませぬか」


「ありませぬ」


母御は鎌を置き、鹿沼や籠女について話だした


「神など存在しませぬぞ!!何を莫迦な事を」巽は話を聞いた第一声がこれだった


「鹿沼様はおられます・・・そして伊代は村の為に自ら籠女になったのです」


「何を言っている・・・母御」巽は血の気が引く


巽は思い出す。伊代は生きているのは理由があると言っていた・・・村人が笑って楽しく暮らして欲しいと言っていた・・・そして巽は知らずにもう泣くなと伊代に言った


「神など・・・いる・・・はずがない」




日が昇り始める。母御は伊代が言った葛を涙を流しながら探した


「母御殿」巽は葛を見つけ中身を見た母御に近寄る


「巽殿・・・私には字は読めませぬ」母御は葛の中に有った紙を巽に手渡す



紙にはたどたどしい平仮名で『はは』『たつみ』と書かれていた。巽は震える手で紙を広げる


「伊代はなんと・・・」


「母御泣かないで、と書いてあります」


「・・・そうでございますか・・・もう一つは貴方へでございますか」


巽は自分の名が書かれている紙を広げる・・・中に何か入っている




ゴトッ




何かが落ちた




『たつみ

かえします わらっていきて』




巽は紙から落ちた物を拾う




落ちたのは赤い珊瑚の枝



「・・・お前はこれの為に必死で文字を学んだのか・・・」巽は紙を綺麗に畳んだ「・・・お前の願いは難しいな・・・」


「巽殿?」


母御は泣きながら笑う巽を見た













「伊代は俺に生きているのは理由があると言った・・・だから探した・・・籠女で蛇神に喰われたあの日から生きている理由を・・・父御や母御を死なせてまで生きる理由を」


「巽・・・もう止めてくれ」蓮華は巽を止めた


「そして伊代が言った言葉を理由にした・・・来年は別の母御が泣く・・・なら俺が神を殺す。例え止められても俺がしたいことをするだけだ、と」


「巽・・・」


「しかし・・・この一年で解った。これは天命だと」巽は涙を流しながら笑う「まるで神が導くように順調に進んでいる」


「お前は・・・自分の意志で生きていないのかえ?」


「解らない」


「お前に言い忘れた事がある」天見は悲しい顔でみる「神は・・・祟る・・・」



巽は静かに立ち上がる




「巽・・・お前は何の為に生きている」




巽は静かに伊代の塚を後にする




「一度死んだ身・・・解らないな・・・」




巽が去った塚には赤い珊瑚の枝が輝いていた




さてさて、何故神殺しをするのか巽は静かに語りました


生きる理由が解らずにいた巽・・・生きる理由の為に死んだ伊代


この二人が出逢ったのは偶然か、はたまた天命なのかは今では解りません


ただ解るのはこの日は弥生の新月・・・鹿沼様が現れる日で御座います。が、まだ鹿沼様の恐怖を知る者おりませぬ




それはまたの話で御座います




次の話を待たれませい




今回はこれ限り

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