終 <くだん姫>

終 <くだん姫>




「ようやく幸氏たちが戻ってくるそうで」

 雅やかな声は、男のものだった。

 一条高能いちじょうたかよし。藤原北家の流れをくむ貴族である彼は、公家としてはめずらしい親鎌倉派だった。

 鎌倉御所の奥深く、大姫は隠されるように守られていた。病弱であるが故、そして何よりも、その能力を周囲が利用するために。

 姫の住む一画、小御所へは限られた者しか訪れることはできない。その場所に、高能は出入り自由の身だった。身分のためというよりは、任務のために。彼は御簾越しでなく、姫と対面できる数少ない者のひとり・・・しもべ、だった。

 いまここには、大姫と、ふたりきり。

「わたしが鎌倉におるあいだに戻ってくれはるとよいな。新しい同輩に、ぜひお目にかかりたいものや。ましてやあの幸氏がどのような顔をして連れてくるのか」

 男は心底楽しそうにしていた。

 幸氏と親しい者は、彼が連れてくる娘に興味津々で待ちかまえている。

「高能どのは、幸氏が発つ前にもさんざん遊んだでありましょうに。あれは、きまじめな男なのだから、そのように遊びすぎていじめないでくださいませ」

 大姫はしかめた顔を大仰に背けた。

 くすっと、彼は笑みをこぼす。

 彼にとってはこの姫さえも、からかいやすい相手のひとりだった。

「おや、ひとりじめなさるおつもりか? もはや姫も幼子ではあるまいに。いつまでも守り役べったりでは、幸氏も窮屈であろ?」

「あれは私のためだけに生きている男。どうしようと私の勝手」

「さて、わがまま姫のお相手には、あれくらい我慢強くないと厳しかろうが・・・あれにとっては、あなたは亡き主君の許嫁。討たれた主君の最期の願いであるあなたのしあわせを守るためなら、あれは、己の命とでも代えるだろう。ひとり生き残ったことを悔いて生きてきた男や。その幸氏が妻を娶るかも知れぬとは・・・いやはや、世の中なにがあるか、まことわからぬ」

 かつて姫の許嫁であった、木曽義高。幸氏はその義高に従って、共に鎌倉へやってきた従者だった。幸氏の父も、義高の父に仕えていた。そして、最期に起こった悲劇。

 幸氏は、義高を鎌倉から逃がそうとした。

 己が義高の身代わりとなるために、幸氏はひとり鎌倉に残った。

 けれど、義高は逃げ切れなかった。ほどなく義高は無惨な死をとげる。

 残された幸氏は、鎌倉に膝を屈した。すべては主君の大事にしていた、ちいさな姫のため。その姫が望むから、鎌倉の御家人になった。不器用で、忠義な男だった。

「高能どのはそろそろ京へお戻りになった方がよろしいのでは? こうも鎌倉に入り浸りでは、また朝廷でいやみを言われましょう」

 大姫は、つんとすましている。

 しもべのくせに、いつだって無遠慮に痛いところをついてくるこの男を、姫は、すこし、苦手だった。

「つめたいやないですか。わたしとて、姫さまのしもべ。できるならずっと鎌倉でおそばにありたいが、公家に生まれたのも何かの縁。せめて朝廷に出仕して、姫さまのお力になれるよう日夜はげんでおるというのに」

「朝廷工作は父君の仕事じゃ。私は存じませぬ」

「そのうち役立つかもしれないやないですか。すこしはわたしの努力も認めていただきたいなあ」

 間延びした京ことば。のんびりと扇を弄ぶ優雅な指。男にしておくのがもったいないほど、美貌の主でもあった。そして、才も身分もあるがゆえに、傲慢でもある男。

 個性豊かなしもべたちにあっても、一際精彩に富んだ存在であった。

 他の者たちが、ある意味必死になって姫に傅いているというのに、この男はどこか「仕えてやっている」とばかりの態度をとる。

 おもしろくもない。

 しもべでなければ、関わり合いになりたくない男だった。

 あえて大姫は虚勢を張っていた。

「今度の新入りには、さすがの高能どのもかないませぬよ」

「そんなにうつくしい娘であらしゃるか?」

 自分の美貌とくらべているのだろう。ほんとうに、鼻持ちならない男だ。

「まあ、楽しみになされませ。ほどほどにはうつくしい娘だが、そんなことよりももっとすごい取り柄がありまする。――だれにでも愛される、という」

「それはまた・・・すばらしいことで」

 高能は感心してみせるが、本心ではないだろう。

 幸氏のような送魔の力や、宗員の結界など、即物的な能力しか興味のない男だ、これは。

「お気に召さぬか?」

「いえ。ただ、ずいぶん中途半端で、あやうい力やなと思うて」

「あやうい?」

「愛情なんて、主観的なものやろ。愛情の傾け方は人それぞれで、必ずしもよい方に傾くとはかぎりまへん。愛すればこそ避けるのも人。愛すればこそ、厭うのも人。まして執着などして、傾けた愛情に見合うものが返らなければ、憎悪にすり替えるのも人、危険で扱いにくい能力であろうね、それは」

「さすがは、都人。お得意の恋愛遊戯から学ばれたか?」

「まさか。わたしはずっと、姫さま一筋や。これからも」

「私には、そなたの軽口の方がよほどあやうく思えます」

「愛情に危険はつきもの。その娘、おそばにおかれるなら、よう、注意されることや。揉め事のもとにならぬように」

「・・・私には、あの娘が必要になる」

 くだんの姫は、それについて多くを語らない。

 それならば、配下であるしもべたちには、なりゆきを見守るしか術はない。

 まあ、彼女の負担を思えば、同輩が増えるのは高能にとっても歓迎すべきだった。

「――かつて。父の最初の妻、伊東氏の女が生んだ子は、雄のくだんだった。あれは怪物の姿で生まれ、赤子のまま、予言して死んだ。彼の予言は父の死と、この国の荒廃だった。その後、二度目の妻である母の腹から私が生まれた。私は雌のくだん。雄のくだんが予言した災いは、私の予言で回避せねばならぬ」

 そうして大姫は、その予言で幾度も父の危機を救ってきた。

 いくつもの命で購いながら。

「大好きで大嫌いなお父様のために、ですか」

 皮肉というには、高能のつぶやきには暗い影がこもっていた。

「くだらぬことばかり口にするなら、早々に都へ戻られよ」

「いやだな。妬いているんですよ。あまりに姫が父君思いやから」

 この姫の人としての運命はすべて父親、源頼朝に支配されている。

 くだんは短命、人としての寿命はそう長くはないはずのこの姫を、高能は鬼としてでなく男として守りたいのだった。

 嵐がくるのだろう。

 滅亡の足跡が近づいてくる。

 この国が滅びようがどうしようが、高能にはあまり興味はなかったが、それを口にするのはこの姫を否定するにもつながる。

 ――せいぜい、鬼たちにもがんばってもらわなければならぬ。

 高能は姫の御前で平伏し、しばしの暇をこうと、こころを残したまま、その場を辞したのだった。

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