第7話

「私が登ります」

 熒惑(けいこく)丸が申し出た。

「おや、おまえは?」

 ここで初めて検非遺使(けびいし)は従者の少年に目を止めた。

「はて? 何処かで見た覚えがあるが──前に会ったことがあるかな?」

 熒惑丸は頬を染めて慌てて顔を逸らした。婆沙(ばさら)丸が笑って、

「そのはずじゃ。傷ついた平氏を屋敷まで連れて来てくれた童だよ。俺たちの衣装を分けてやったのさ。どうだ、見違えたろう?」

「ほう? しかし……」

 成澄(なりずみ)があまりに繁繁見るので有雪(ありゆき)がからかった。

「おいおい、そんなに見つめるなよ。可哀想に真っ赤になっているじゃないか!」

 氷のような眼差しで狂乱(きょうらん)丸が言った。

「何をグズグズしてる、成澄? 早く木の上を調べよう」

「おう、そうだった!」

「では」

 言うが早いか、小猿よろしく熒惑丸はスルスルと梶の木に登っていった。

「俺たちでも良かったのに……」

 山国育ちの狂乱・婆沙の兄弟は少々口惜し気だ。二人とも木登りは得意だったから。

「どうじゃ、熒惑丸? 何か見つかったか?」

「あ! これは──」

 遥か頭上、梶の大樹の枝には有雪が予告した通り七夕の飾りのごとく文字を墨書した七枚の葉っぱが夏風にさざめいていた。


 熒惑丸が丁寧に千切り取って来た七枚の葉を一同は頭を寄せて覗き込んだ。

 そこに記されていた文字は──


     《   星祭り   》


「星祭り? 俺にはまださっぱりわからぬ……」

 成澄がうめいて烏帽子(えぼし)に手をやった。

「ふむ?」

 双子の田楽師も互いに瓜二つの顔を見合わせる。

 一人、有雪だけが破顔して頷いた。

「なるほどな! そういうことか! おまえたちはここで待ってろ、俺が取って来よう──」

 有雪はそれだけ言うと悠然と屋敷内へ戻って行った。

 残された一同、わけのわからないまま、陰陽師の言葉に素直に従って庭で待っていた。

 ややあって、有雪はまず一台の棚を庭へ抱え下ろした。

「これは塗篭(ぬりごめ)の中にあった。先に見て回った時は、目にしたものの別段気にも留めなかったが……さて、問題はこの台の上に置かれていた物だ」

 いったん屋敷内へ取って返して、再び有雪が持ち出して来たのは、三枚重ねられた土器(かわらけ)である。  ※塗篭=窓のない部屋、納戸

「俺が陰陽師であったことを、今こそ、感謝しろよ!」

 勿体つけて有雪は言う。

「これは〈星祭り〉の儀式のための祭具である。

 皇子を拉致した一味のある者──多分、長衡(ながひら)の兄に違いないが、皇子の居場所を〝ここ〟に隠し記したのだ」

 重ねられた器を慎重に一つ、二つ、と外して行くと最後の器の中に一片の薄紙が見えた。

「これじゃ」

 有雪が言って取ろうとした時、一陣の風が過ぎって、紙片を掠め取った白魚のごとき指がある。

 それこそ──

「あ、熒惑丸!?」

「おまえ、何をする?」

「これはもらった!」

 熒惑丸は獅子のように髪を靡かせ、軽々と身を踊らすと叫んだ。

「申し訳ない、成澄様! だが、皇子の行方を誰よりも早く知りたいのは貴方だけではありません。我が主(あるじ)もいたく気を揉んでおられます。ですから──これは私が頂戴します。御免!」

 疾風のごとく熒惑丸は駆け去った。

 あまりのことにそこにいた全員、石のように凝り固まったままだった。 

 成澄でさえ、大刀の柄に手をやる間もなかった。


「…何てこった……」

 暫くして、漸く金縛りが溶けると皆一斉に罵り始めた。

「あいつ、俺たちのことを探っていたのだな?」

「考えてみれば、熒惑丸が俺たちの近辺に出没し始めたのが六日前。皇子はその前日に行方知れずになっているから──」

「きっと、早い段階で平長衡(たいらながひら)の挙動に不審を覚えた者がいて──成澄はとっくに目をつけられて見張られていたんだ!」

「となれば、案外、長衡を射たのもあいつか、あいつの仲間かも……」

「卑怯者め! 謎を解くのは俺たちにやらせて、まんまと漁夫の利を掠めやがった!」

 飛ぶ交う罵詈雑言の中、成澄は唇を引き結んで踵(きびす)を返した。

「おい、何処へ行く?」

「決まったこと。こうなったからには地の果てまででも、あいつ──熒惑丸を追って行く……!」

 悲愴な決意の検非遺使。その蛮絵の袖に陰陽師が手を置いた。

「まあ、待て。馬に飛び乗るのは真実の〝皇子の行方〟を知ってからにしろ」

「……何と言った?」

 こんな事だろうと思ったのよ、と有雪は余裕の顔で片目を瞑ってみせた。

「今朝、『裏切り者出現』の卜占が出ていた。それで、ちょっと先回りして……引っ掛けてみたまでさ! フフ、あやつ、まんまと馬脚を現したな?」

 狂乱丸、明るい声で訊く。

「では、熒惑丸が奪って行った紙片は?」

「さっき屋敷に引っ込んでいる間に俺がそれっぽくデッチあげたデタラメさ。

 梶の葉に記された文言、〈星祭り〉にちなんで交野の星田妙見宮と書いといたから──都からはかなりの距離だ。あいつと、それから、誰かは知らぬがあいつの主とやらは暫くは戻って来れまいよ」

 橋下の陰陽師は天下の検非遺使と美しい田楽師兄弟の顔を順々に見廻して、厳かに告げた。

「では、これから、本物の〈星祭り〉の祭事をご覧にいれよう……!」


    

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る