第6話


「どうした、有雪(ありゆき)? まだ解けんのか?」

 とうとう検非違使(けびいし)は焦れて露骨にこぼし始めた。

「おまえが日頃吹聴している知恵や博識に期待して連れて来たというのに。やっぱりあれは双子たちの言う通り大法螺だったのか?」

「まあ、待て。例の平氏に声をかけられたのが〝ここ〟だと言ったな?」

 結局、広い屋敷を一廻りして主殿の月次屏風(つきなみびょうぶ)の前に戻って来た二人だった。

「おまえが立っていたのか? それとも先に平氏がここにいたのか?」

「さあ、どうだったかな?」

 思い出そうとして首を捻ってから、成澄(なりずみ)は突如色めき立った。

「おい、すると、やはり? この屏風が〈印〉と何か関わりがあると?」

「おまえたちはどの辺りに立っていた?」

「ここだな。ほら、ちょうど書き留められた歌の辺り」

 成澄が指し示したのは七月。唐衣裳装束の姫君が描かれてあった。


  絵自体は別段、何の変哲もない──


「……そうか!」

 いきなり陰陽師の大音声。肩の白烏(しろからす)が驚いて飛び去りかけた。

「ど、どうした、有雪?」

「この絵じゃ! よく見ろ、成澄。七月の姫君の纏(まとっ)ている一二単の……この御衣の文様を何と見る?」

 促されて、成澄は改めて屏風の絵を凝視した。

「これは──〈梶の葉〉紋?」

「その通り! では再び聞くぞ。この姫の名は何と言う?」

「いや、俺は……」

 検非遺使は烏帽子(えぼし)に手をやった。動揺したり困惑した時見せるこの男の癖である。

「俺は知らない。俺の見知っている姫ではないな?」

「馬鹿か? 誰がおまえの懸想している姫の名を明かせと言った? これだから検非遺使は〝容貌第一〟と揶揄されるのだ」

 今度焦れて声を荒らげるのは巷の陰陽師だった。

「聞き方を変えよう。いいか? これは月次屏風だ。その七月に描かれている姫と言ったら、名は何だ?」

「……織姫(おりひめ)?」

「当たり! この姫は織姫……織女星じゃ! ところで、その織女星のことを別名〈梶の葉姫〉とも言うのだ」 

 有雪は言う。

 月次屏風の七月に描かれた姫は〈織女星〉で言わずもがな〈七夕〉を表している。

 〈七夕〉はもともとは中国の五節句の一つ、〈乞巧奠(きこうでん)〉が奈良時代の宮廷儀式に取り入れられ今では民間にも広く定着した行事となった。

 この七夕、古くは梶の葉に歌を記して祝った。

 それ故、織女星を〈梶の葉姫〉とも呼ぶのだ。

「庭へ行こう、成澄! 庭に〈梶〉の木はなかったか?」


 果たして、広大な庭園の、池の築山の向こうに堂々たる梶の木が植わっていた。

「さてもさても……」

 幹に手を置いて満足げに見上げる橋下(はしした)の陰陽師。

 検非違使が追いついた時、東門から息急き切って駆け込んで来たのは双子の田楽師とその従者だった。

 濃き薄き青から紫の水干(すいかん)の袖が夏の日盛りの陽光に煌めいて、さながら、天から零れ落ちた星の子たちのよう……

「成澄──っ!」

「おう、おまえたち……どうした?」

「〈かみのき〉の謎を解いたのじゃ! それを知らせたくて──」

「五条から駆けに駆けて……やって来たぞ……!」

「それはそれはご苦労なこった。だが、こっちも解いたぞ」

 大樹の下でしたり顔の有雪。

「あ! 〝それ〟じゃ、梶の木! 梶の木のまたの名は〈紙の木〉だものな?」

 古来、梶の木の若枝の皮で紙を産したので、この名がある。

「だから、あの検非違使が死に際に残した『かみのき』とは、〈かみ〉は〈かみ〉でも〈神の木〉ではなくて〈紙の木〉なのだ……!」

 〈調御倉(つきのみくら)〉を〈月の御倉〉と婆沙(ばさら)丸が取り違えたように、言葉は音で聞いただけではわからない。そのことに気づいて〈かみ〉を様々当て嵌めて、紙の木=梶の木に行き着いた狂乱(きょうらん)丸だった。

「梶の木ならば、何も神社を探す必要はない。もし屋敷内にその木があれば、そこにこそ何らかの〈印〉が隠されているはずと悟ったのさ!」


 ひとあたり幹や根元や洞うろを探ったが何も見つからなかった。

 長駆を反らせて、見上げて成澄が言う。

「残るは上──枝か?」

「さもありなん」

 有雪は含み笑いをして、

「何しろ、〈七夕〉……梶の葉姫とくれば……やはり〈印〉は枝に吊るしてあろう」


 

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