第5話


 時間が早いせいか、はたまた、流石に調べ尽くした感があるのか、件(くだん)の屋敷にこの朝、成澄(なりずみ)と有雪(ありゆき)以外人影はなかった。

 皇子一行が方違(かたたが)えに選んだだけあってそこは豪壮な一町屋である。  ※一町は約120m四方の広さ

 四足門を入ると典型的な寝殿造り。寝殿を挟んでコの字型に東西の対屋(たいのや)が張り出している。遣水(やりみず)を引いた池には泉殿(いずみどの)、釣殿(つりどの)も整えられていて南側の庭園も見事である。

 とはいえ、特別変わった処は見受けられない。

「この屋敷の中に皇子の居場所を知らせる〈印〉があると、命に変えて長衡(ながひら)殿は言い残したのだ」

 成澄は急き立てた。

「俺はもう何度も巡ってみたが、有雪、おまえは今日が初めてだ。存分に探って見てくれ。そも、長衡殿が臨終いまわの際に残した〈かみのき〉とは何を意味するのか? 〈かみのき〉に〈印〉が隠されていると考えるのが妥当だと俺は思うが、おまえはどう思う?」

「うむ……」

「おい、なんなら──その鳥は俺が預かるぞ?」

 橋下(はしした)の陰陽師がいつも肩に留まらせている白い烏(カラス)のことを検非遺使(けびいし)は言ったのである。

 これには、有雪よりも烏のほうが吃驚して羽をバタつかせた。


「一口に〈神木〉と言っても……限りがないものだな?」

 陽は中天に近い。

 午前中いっぱい、これで幾つ目の神社だろう?

 意気込んで出て来たものの狂乱(きょうらん)・婆沙(ばさら)の兄弟も流石に疲れ果てた。

 ここは五条と西洞院(にしのとういん)の交わる辺り。緑濃い森の中にある神社の一隅。

 神木ではないがそれなりに立派な槻(つき)の大樹の根元に腰を下ろして一息ついている最中だ。

「もう十は神社を見て歩いたが──さっぱりだな?」

 額の汗を拭いながら婆沙丸がぼやいた。

「やっぱり〈かみのき〉即、〈神木〉というほど単純なはずないのではないか? その程度の謎なら誰でも容易(たやす)く読み解くぞ?」

「だが、実際、神社は人を隠すには都合の良い場所だぞ」

 兄は譲らなかった。

「社(やしろ)の中に誰か隠れていても畏れ多くて滅多に人が開けたりしないだろう? 繁繁と覗かれる心配もないし」

「そうは言っても、今までのところ誰か隠れている気配のあった社などなかったじゃないか」

 一人だけ元気な元牛飼い童の少年、竹筒を掲げて駆け戻って来た。

「どうぞ、水を」

「おお!」

 険悪な空気が一変した。竹筒を受け取りながら満面の笑顔で婆沙丸、

「気が利くな、熒惑(けいこく)丸!」

 狂乱丸も笑った。

「ところで、おまえ、本名は何と言うのだ?」

「本当の名は逃亡の際、捨てました。ですから、その〝熒惑丸〟で結構です」

「……美味い!」

 竹筒の水を喉を鳴らして飲みながら婆沙丸が叫ぶ。

 悋気心(りんきしん)はともかく、こういうことには冷静な兄は殊更不思議がりもぜす、

「ここは元々水神を祀った神社だからな。良い水流の地に立っているのさ」

 一方、感動屋の弟は訊かずにはいられなかった。

「おい、熒惑丸、こんな美味い水、何処で汲んで来た?」

「あそこ──」

 熒惑丸は振り返ってその方角を指さした。

「調御倉(つきのみくら)の陰に清水が湧いておりました」

「ほう? あの社はそう言う名か? つきのみくらとは……」

 婆沙丸は目を細めた。

「お月様の宝物(ほうもつ)でも入れてあるのかな? ぜひ一目見てみたいたいものじゃ!」

「やれやれ」

 兄は微苦笑した。

 側に落ちていた木の枝を拾うと地面をなぞりながら教える。

「〈つきのみくら〉とはこう書くのよ。〈調御倉〉。調(つき)とは稲や穀物……要するに神に供する貢物を保管する倉という意味じゃ」

「チェッ、同じ日に生まれたというのに」

 珍しくしんみりした口調で婆沙丸は言った。

「兄者に比べて俺はどうしてこう虚者(うつけもの)なんだ?」

 左小指の赤い珠を繋いだ指輪を撫でながら、

「そのせいでいつも面倒を起こす。こんなバカな弟で悪かったな?」

 何を隠そう、この指輪こそ瓜二つの兄弟を識別する唯一の物なのだが──その経緯(いきさつ)はまた別の物語。

「いや、待て! 悪くない!」

 今経っても自分が書いた地面の字を凝視しながら狂乱丸が叫んだ。

「むしろその〝バカさ〟……大いに役に立った! 」

「え?」

「今度こそ、〈かみのき〉の謎、解いたり!」

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