第8話
庭に設えた棚の上に、重ねてあった順番通り土器かわらけを置いて行く。
固唾を飲んで見守っている一同に有雪(ありゆき)は説明した。
「〈星祭り〉の祭儀は別名〈星宮の神事〉とも言う。棚を設え、その上に置いた三つの器に七夕の夜の星を映して……本来は〝恋の成就〟を占う風雅の極みの儀式なのだ」
「今日は七夕ではないし、その上、まだ日も暮れていないが大丈夫なのか?」
気の回る質たちの狂乱(きょうらん)丸が心配して訊いた。
「多分な」
この〈印〉を仕込んだ者は〝三つの器に水を張る〟という行為にこそ主眼を置いたのだろうと有雪は推察していた。
果たして──
「お、見ろ!」
水を注いでほどなく、器の表面に煌くものが浮遊し始めた。
天から降った星……ではなくて、結晶……
土器の底を塩で塗り固めてあったとみえる。塩が全て水に溶けた後、澄んだ器の底に文字が浮かび上がる仕組みである。
「中々凝った真似をする。星祭り……〈ほし〉を水鏡に映して……〈しほ〉……〈塩〉か?
もしそこまで考えたとすれば大した風流人もいたものよ」
「風流人か……」
成澄(なりずみ)はふと年下の同僚の言葉を思い出した。
── 屏風に歌を書き留めるのは風流人ならよくやること……
「おい、この場は任せた。俺は今一度、確認したいことがある」
成澄は慌ただしく主殿の方へ駆けて行った。
暫くして戻って来た検非遺使(けびいし)の顔には久々に見る晴朗な笑顔が燦いていた。
「そういうことだったのか! これで全てわかったぞ!」
「何を今更? ほら、見ろ!」
有雪の指し示す祭壇。
もうここまで来れば誰の目にも明らかだ。
それぞれの土器の底に刻まれた三つの文字は、体仁なりひと皇子の所在を告げている。
《 円 》 《 覚 》 《 寺 》
「この騒ぎは何事か!?」
甲冑に身を包んだ若武者が血相を変えて南門の方から駆け入って来た。
鴨川の東、ここよりは京師みやこの外と言われる白河の地。
清和天皇が建立した御請願寺、円覚寺領内の古寂びた屋敷である。
見ると、前庭に、一体何処から降って湧いたものか、異類異形の群れがざわめいている。
綾籣笠(あやらんがさ)に綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)の装束。手には妖しき楽器を携えた田楽舞いの一行である。
若武者は屋敷の階きざはしに身を寄せて声を荒らげた。
「この者たち、誰が招き入れた!?」
奥から出て来た女房は五衣の重式目(かさねしきもく)も匂やかに答えて、
「和子(わこ)様がぐずって仕方ありません。このような処に押し込められてはそれも道理。
ちょうど通りがかった田楽一座の声を聞きつけ、ぜひにとご所望です」
南〈廂(ひさし)の間〉の御簾(みす)の向こうから、盛んに小さな手を打つ音がする。
それに応えるように、鼓、簓(ささら)、編木子(びんざさら)、笛に太鼓に鉦かね……
一斉に鳴り響いて田楽舞いが始まった。
群れの中には垂髪の美しい童が二人ばかりいて、舞いも歌う声も一際ひときわ優れて素晴らしかった。
散々面白く舞い奏でるほどに、やがて調べが止んだ時だった。
一行の中から先刻まで朱色の笛を吹いていた大柄な笛役が静かに前に進み出た。
「此の度たびの企ては全て露見しましたぞ。この上は速やかに皇子をお返しくださいますよう」
籣笠を上げて、中原成澄(なかはらなりずみ)はきっぱりと告げた。
「帝は親王の無事のご帰還を望んでおられます。ここは潔くお返しになるのが賢明。悪あがきなさって一度ひとたび騒擾そうじょう起これば──何より、今後ろにおられる方々に火の粉が降りかかりましょう」
成澄は眼前の階の武者にのみ語りかけた。
「帝は皇子さえ無事戻られるなら、今度のことは一切不問にするとおっしゃっておられる。
我等は皇子の御命を。そちらは主の御身を。
ともにお仕えする尊き御方の安全を慮おもんばかれば、これが一番の納め方」
それから、やや口調を変えて、
「俺もおまえも、戦ってこの身一つ血を流して果てるは本望。何ほどのこともない。
だが、お仕えする主君を護り抜いてこそ、武者の誉れじゃ!
まして、尊卑に拘らず幼き者に手をかけたいとは、思うはずもないものな?
そうであろう、上総(かずさ)丸? ……義朝殿よ?」
「──……」
若武者は顔を上げて周囲の築地壁を見廻した。
初夏の空、蒼穹の天がぐるりを取り巻いている他は何物も見えなかった。
幡や指物の類は一切見えない──
後ろに控える援軍はいないのだ。
にも拘らず、若武者は唯一言、爽やかに頷いて、言った。
「諾! 皇子はお返し致します!」
※お気づきですね?
まだ一つ謎が残されています!
屏風に書かれていた和歌は誰が書いたのでしょう?
そして、その意味とは……
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