骸狩りと呪われのミリア

植木バチ

第一話 「地下牢での邂逅」

 宮殿東廊地下への階段に一歩足を踏み入れるとまず悪臭が鼻に付いた。人の持つ本能が拒絶する大量の肉、臓が腐り落ちた臭い、人の死の臭い。いつしか骸狩りスカベンジャーと呼ばれるようになったわたしでもいつまで経ってもこの臭いに慣れることはない。それも今回のは地下に臭いが篭っているのか特別強烈だ、鼻元を手で覆ってもまるで紛れない。

 臭いを拒絶する鼻と棒になりそうな足に鞭を振るうようにして駆け足で先へ進む、ランプの灯火で足元の闇を掻き分けるようにして慎重かつ迅速に。死臭は階段を一つ下りる度に少しずつ増していった。

 やがて階段を下りると廊下に出た。ランプの灯火で辺りを確認すると格子の先に腐敗がだいぶ進んでいる痩せこけた死体が二人分転がっている。変色した二対の目が恨めしそうにこちらを睨んでいて、少し気味が悪い。

「……こっち見るなよな」

 格子とその先の人間、宮殿内部にしてはあまりにも無骨過ぎる粗い石造り、どうやらここは地下牢のようだ。なるほど、この死体共は地上の国が滅ぼされた際に置いて行かれた奴らか。少し可愛そうだな、ちょっとした不幸で最悪の死に方をするなんて。

 とりあえず地下へ逃げると言う目的は達成されたのだが、少し地下牢をうろついてみることにした。囚人の寝ぐらなんざ探索しても何もないだろうが、あの死体に睨まれながらじゃ休憩も何もあったものじゃない。囚人が入っていない牢を探して、その辺りで休憩しよう。

 手前の牢から囚人二人の牢、囚人一人の牢、囚人が二人……いや実質一人か、の牢、囚人が一人の牢、囚人が一人の牢、目がある死体全てが牢の外を睨みつけているのはこの内の誰もが外の世界を渇望した結果だろう。看守のような気分だ。手元の灯火が突き当たりの壁を照らす、なんだあまり広くない牢獄なのか。次の牢屋が最後の牢らしい。結局死体に睨まれながら休む羽目になりそうだ。最後の牢屋をランプで照らすとそこには――

「あら、こんにちは。それともこんばんは、かしら?」

――生気のある赤い眼が二つ、肩を過ぎるくらいに伸びた銀の髪、人形のように整った顔立ち、そして透き通った声で自分に話しかけてくる――生きている少女がそこに座り込んでいた。

「わ、わ」

 驚いて二歩後ずさる、三歩目で背後の石造りの壁に頭をぶつけた。声にならない痛みが走り、ぶつけた後頭部を手で押さえる。

「まあ失礼ね、そんなに驚くなんて」

「……驚くなって言う方が無理だっての」

 頭をぶつけても目の前の少女は消えない。死臭に毒されたわたしの頭がとち狂った結果、生み出した幻覚ではないらしい。

「私、そこまで恐ろしい顔してる?」

「いや顔の問題じゃなくてね、背景とのずれの問題なのよ。こんな滅んだ国の地下牢なら死体よりもあんたみたいな生きている女の子の方がよっぽど怖いって」

 小さな輪郭とそれに合った小さな顔の部品が気味の悪いほどにちょうど良く配置されている少女の顔はむしろ整っていると言えるだろう、その中で真っ赤な瞳と灯の光を反射して銀に輝く髪だけが異彩を放ってはいるけど。どこの人種だろうか、少なくとも大陸では銀の髪に赤い瞳の組み合わせは見たことがない。

「滅んだ国。そう、やはり外で何かあったのね」

 銀髪の少女は地上の国を憂えるような、それか諦めたような、そんな悲しい微笑みを浮かべた。

「ああ、何もかも全部壊されて滅んじゃったよ――ってなんでそれを知らないの」

 この国が滅んだのは三年も前の事だ、それを知らないならこの娘は配給のないこの地下牢飲まず食わずで三年以上生きていたことになる。

「私はずっとここに閉じ込められていたもの。外の様子なんか分からないわ。最初はスティ、ステネラと言う女性がお世話をしてくれたけれど何時からか来なくなってそれからはずっと一人よ。一人になってからはずっと昔読んだ本を頭の中で思い出したり、時折それを朗読したりしているの」

 ステネラとは看守の名前だろうか、スティはあだ名? 看守にあだ名を付けているのか。

「ずっと、っていつから? 大体何したらその歳でこんな地下牢にぶち込まれるはめになるのよ」

「ずっと、子供の時から。何をしたかは分からないわ」

「子供の時から……? 分からない、ってあんた……」

 その言葉が嘘でないなら恐らく彼女は訳も分からないまま牢に入れられて、十年以上の時を過ごしたことになる。ここで少し会話が途切れ、それで誤魔化せていた辺りの死臭が鼻腔を荒らし、一つ咽せた。

 気に留めてなかったけどよく見ると彼女の牢は他の牢よりも少し広く、切り出した石に布を敷いただけの粗末な寝台の奥にぎっしりと詰まった本棚が見える。内容にもよるが本は大体宝だ、特に魔術の教本や動植物の図鑑なんかは下手な宝石細工よりもよっぽど高く売れる。彼女の所有物と言う訳なら頂くわけにはいかないが。

「……それで食べ物は?水はどうしてる?今まで私以外に誰も来なかったの?」

「待って、そんなに多く質問されたら口と頭が疲れてしまうわ、私が人と話すのは三年ぶりなのよ。一つにして頂戴」

 気になった事を並べたが、一蹴されてしまった。

「ああ、ごめん。なら一つだけ……あんた、人間、だよね?」

 言われた通りに一番気になっていることを質問した、が何だか失礼な聞き方になってしまった気がする。第一人間じゃなかったらなんだ、歩く死体か生霊か。

「幽霊、ではないわ。だってほら、肌の感触があるでしょう?」

「おわっ!?」

 彼女が牢の格子の隙間からすっと手を伸ばしてきて思わず避けてしまう。

「なぜ避けるの」

「いや、なんでと言われてもね」

「ほら、触ってみて?」

 白い手のひらがもう一度格子の間から出てきたので恐る恐る触ってみると、確かにすべすべの肌の質感があった、それに何も持ったことがない赤子の手のように柔らかかった。そして何よりも体温があった、これは彼女が生きてる証拠に違いない。

「ねえ、霊ではないでしょう?」

「うん、そうみたい」

 少しだけ彼女に対する警戒心が薄れた気がする。彼女は間違いなく生きている――だが水も食べ物もなくどうやって?

「霊ではないわ、けれど人間かどうかは私にもわからない、だって何も食べなくてもこうして生きているんですものね。どうしてかしら、スティが居た頃はもっと人間らしかったはずなのに」

「そっか」

 ある日、自分が人でない事に気づく。それがどんなに恐ろしいことかなんて想像すらできない。

「私からも少し聞いていいかしら?」

「あぁ、どうぞ」

「貴女のお名前は?」

 名前、そういえばまだ名乗ってないし名乗られてもいなかった。

「大陸では骸狩りスカベンジャーで通ってる、本当の名前は無くなっちゃった」

骸狩りスカベンジャー……通り名と言うものかしら、物騒な名前ね。本当の名前が、無くなるとはどういうこと?」

「あ、いや、その――わたしが生まれた村では齢十八になると幼名を捨てていみなを貰う決まりなんだけどね、その前に蛮族に村がやられて、一人だけ生き残っちゃってさ……それで十八になって幼名を捨てたんだけど諱を貰えなくて名前無しになっちゃったのよ。幼名は十八になると絶対捨てなくちゃいけないから仕方なくね。それで大陸で色々やってる内にいつの間にか骸狩り《スカベンジャー》って呼ばれるようになってた、って訳」

「それは……悲しい話ね」

「……まあ、あんたほどじゃないよ。その後ずっと一人って訳じゃなかったからね」

 ぺらぺらと帝国にいる友人にさえ話さなかった過去を話してしまった。彼女が自分と同じ一人きりだったからだろうか。傷の舐め合いがしたかったのか、わたしは。銀髪の少女は先ほどの話を自分の事のように悲しんでいるような、そんな顔をしている。こっちまで悲しくなるようなそんな――

「……じゃあさ! あんたの名前も教えてよ。名乗られたからには名乗るのが筋ってもの、そうでしょう?」

 重い空気を吹き飛ばすように口を開く。こういう空気は好きじゃない。

「私の名、ね――それよりも良い事を思いついたわ、貴女に名前をあげましょう」

「は? いや……え?」

 突拍子も無いことだった。わたしに名前を付ける、彼女は簡単にそう言ってのけた。

「だって女性なのに骸狩りスカベンジャーだなんてあんまりでしょう? もっと素敵な名前を付けてあげるわ、その代わりに」

 あんまり、あんまりか。気にしたことがなかった。そう言われるとあんまりな気がするような、しないような。しかし代わりにとは何だろう。

「代わりに、私にも名前を頂けないかしら」

 彼女はどこか期待するような眼差しでそう言った。

「急にそう言われても困ると言うか、あんたも名前が無いってこと?」

「名前は、あるけれど」

「親から貰った名前でしょう? なら、その名前を大事にしなさいよ。それは簡単に書き換えていいものじゃない」

 子に名前を与える、と言うのは神聖な事だ。彼女が何故それを望むのかは知らないが、それを出会って間もないわたしなんかが上書きするのは冒涜だ。しちゃ駄目なことだ。

「……私の名は××××・×・シン」

「シンってあんた、それ……」

 、その姓はわたしでも知っているぐらいに有名な名。

「知っているのね。そうよ、私は血縁上は地上の亡国の第三王女に当たるらしいわ」

「……王女様だったの」

 地上の国はその名を彼女の姓と同じくしてシン皇国、と言う。大きな国ではなかったが、魔術の原料になるカイナの木の輸出により三年前滅ぼされるまでは大陸の一国に負けないほどの繁栄を誇った島国。彼女は自分をその国の王女だと言うのだ。戯言と聞き流すこともできたが目の色一つ変えずにそう言った彼女の言葉にはどうにも信憑性があった。

「あら、そうは見えなかった?」

「……言われなきゃとても見えないね」

 銀髪の少女の雰囲気には確かに上流階級だけが持つ高貴さも混じっているように見えるが、その高貴さは彼女の持つ圧倒的な神秘に押し潰されてしまっているように見えた。

「失礼ね。なら、何に見える? 町娘に見えるかしら?」

「例えるなら……雪の精?」

「雪……本で見たことがあるわ。そう、そう見えるのね私は」

「一応褒めたつもり」

 ランプの光に照らされて輝く銀色の髪や白い肌もそうだが、何よりも儚く溶けてしまいそうな、そんな雰囲気が雪によく似ていた。この暗黒の地下から連れ出して太陽の下に晒されたら消えてしまいそうな、そんな雰囲気。

「少し話が逸れたわね。私の名は××××・×・シン。国が滅んだのならこの王族の名前も一緒に葬るべきでしょう? だから新しい名前が欲しいの。ねえ、お願いよ」

 違う。彼女はもっともらしい理由を述べたが、そもそもこの一人きりの牢の中で今更王族の名前を捨てることがそんなに重要だとは思えない――わたしにはどうもその真意は違うもののように感じる。

「嫌だ」

「そんな事言わないで……貴女が名付けてくれないと駄目なの、駄目」

 今までいやに大人びた口調だった彼女だが、事が思うように行かなくなり駄目、駄目と何度も繰り返す。その姿は年相応のそれに見えた。

「本当の理由を言ってくれないと、嫌だよ」

 はっきりと、真っ直ぐにわたしは彼女に聞く。

「――だって、だって貴女はじきに此処から発ってしまうのでしょう? そうしたら私はまた一人、寂しいじゃない。せめて、なにか残していってくれてもいいじゃない!」

 観念したのか段々と語気を強め、捲し立てるように少女は理由を話す。涙を流してはいないが泣いているように見えた。つまり、名前を欲しがる理由は――

「貴女が私をどう思っているのか知らないけれど、私にとって貴女は長い長い暗黒の中、やっと差した光なの! その光が何も残さずに行ってしまうなんて私には耐えられない……だから」

――この少女は光、他人との繋がりを求めているんだ。ずっと一人で闇の中に居た自分でも誰かと繋がることができる、その証拠を求めている。だったら――

「だったらなんで『牢から出して』って言わないのよ」

「え……それ、は」

「そう言えばいいじゃない。なんで目の前のわたしみたいな光で満足しちゃうかな、外に行けばそんなものいくらでもあるっての。帝国の街なんか夜も光っているんだから」

 今まで泣いていたのに一転してきょとんする少女。まさか考えもしなかったのだろうか、少し呆れた。

「それは……駄目よ。私がこの牢に入れられているのはきっと意味があって……ここから出たら、良くないことが」

 もっと呆れた、そんな曖昧な物のために何を遠慮しているんだか。光が欲しいんだか欲しくないんだか分からない。

「面倒……開けるね、

「だ、駄目……」

 煮え切らない彼女の態度にいい加減嫌気が差したわたしは拒否の言葉は無視する。牢の格子扉は私の握りこぶしぐらいの大きさの大きなパッドロックで施錠されていた。しかし、こんな物わたしの手にかかれば無いも同然だ。腰のポーチから鍵開け用の鉄針を取り出し、鍵穴に入れてやるとすぐに錠が外れる。扉に手をかけて思いきり力を込める、開かない。どうやらどこか錆びついて開けなくなっているようだ。

「待ってっ、待って!」

「いや、もう許さない。絶対にあんたに太陽を拝ませてやるんだから」

 がんがんと扉に蹴りを入れる、引っ張ったりもする。三回目の蹴りを入れた後、全ての体重をかけて引っ張ると、がこん!と音がして扉が開いた、そして思いきり扉を引っ張っていたわたしはまた後ろの壁に後頭部をぶつける。

「痛た……よし、開いた」

「駄目と言ったのに……」

 知ったことか。

「ほら、開いたんだからさっさと出る!」

「きゃっ!?」

 座り込んでいた彼女の折れてしまいそうなくらい細い手首を掴んで牢の外に引っ張ると可愛い悲鳴が上がる、立ち上がった彼女は生まれたての緑鹿ハルマーのようにおぼつかない足取りで今にも転びそうだったので、牢から出した後は優しく手を繋いでやった。

「……強引ね。でも、ありがとう」

「よく言われる、どういたしまして」

 繋いだ手はやっぱりすべすべで柔らかくて、ほんのりと温かかった。

「ところであんたの名前だけどさ、『ミリアベル』ってのはどう? それか縮めて『ミリア』、昔うちの村によく咲いてた小さな花の名前からとったんだけど」

 は白い花弁三つから構成される小さな花を咲かせる草だ、種が薬になるからどんなに綺麗に咲いてても摘むなと父によく怒られたっけ。小さな白い花の雰囲気が彼女に似合っていると思ったからこの花の名前を選んだ。

「へ?」

「気に入らなかったら別に考えるけど、どう?」

 結構自信があるのでもし気に入らないと言われたら少しへこむ、かもしれない

「そ、そんなことないわ!名前、付けてくれないと思っていたから……その二つならミリアがいいわ、とても良い名ね」

「気に入ってもらえて良かった、じゃあミリアって呼ぶね。で、わたしの名前は? 考えているんでしょ?」

 自信作が気に入られて少し得意げな気持ちになり、にやけてしまう。

「その、笑わないでね? 『アラナ』と言うのだけれど……変、じゃないかしら? 物語の主人公からとったの」

「アラナ、珍しい名前だけど全然悪くないじゃない。有り難く貰っておくわ」

 アラナ、新しいわたしの名前。どうしよう、今どうしようも無く嬉しい。

「じゃあ今からわたしはアラナで、あんたはミリアだ。よろしくね『ミリア』」

「ええ、宜しく。『アラナ』」

 互いに付け合った名前を呼び合うと、なんだか自身が生まれ変わったかのようにすら感じられた。

「さて、そろそろ陽の光が恋しくなったし地上に向かいますか。この死臭まみれの地下牢ともお別れしたいしね――あ」

「私、太陽の光なんて初めてだわ。とっても楽しみ――どうしたの? アラナ?」

 そうだ、すっかり忘れていた。そもそもわたしが何でこの地下にやって来たのか。逃げてきたのだ、どこまでも執拗に追いかけてくるから。

「ごめん、ミリア。もしかしたら地上、出られないかも」

「それは、つまり……どういう事かしら?」

 冷や汗が一筋、わたしの頬を伝った。

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