海に揺蕩う

@sanjinsado

第1話

「はははははっ!! やはりなかなかいい眺めじゃないか!」

「そうね、貴方が居なければ更に良いんですけれどね。それに貴方の言う眺めとは、私のスカートの中でしょう」

「バッ、馬鹿なことを言うんじゃぁない」

「今、目を逸らした。この変態ヤローが」


  宇宙空間を浮かぶならあまりに柔いように見えるだろう。片やメイド服にスマートなヘルメット。片やスーツ姿にヘルメット。それらが意味することは、最新鋭の宇宙服を手に入れられる程の財力があるということだ。

 彼らは遠くに見える青い惑星を見ていた。望遠鏡を覗けば鮮明に見える距離、懐かしむのだ。過去に生まれ育ったその地球を。


「おい、誰が恥丘を見ているって?」

「やめなさい、地の文にまで変態するのは」

「ほんっと君はいつまで経っても辛辣だなぁ。そこが好きなんだがね」

「はぁ……」


 溜息は彼に届かない。通信を止めたからだ。彼女は目を閉じて、まるで胎内の赤子のように丸くなる。それが二人の合図だ。


「ありがとうございます……」


 例えるならば、にこげに包まれた小動物を包み込むように、彼は彼女を抱きかかえる。しかし、決して抱きしめることは出来ない。触れれば文字通り壊れてしまうから。


「---以前から考えているように、人にはオーラがあるのだと思っている。スピリチュアルなそれでは無く、社会において人の立ち位置を成り立たせるため---」

「ねぇ」


 彼は通信が切れていることに気付いていながらも、ひたすら話し続けていた。いつだってそうだった。彼女が不意に通信を再開したとしても、自分の声が届くように。一人じゃないと信じさせるために。この広い宇宙で漂っていたとしても。


「どうしたんだい、トイレならもう少し待ってくれよ」

「催してません。そんなことじゃないの」

「あぁ、その後に続く言葉はもう聞き飽きたよ。僕の好きにしているのだから、感謝はいらないんだ」

「むぅ……それじゃないのに……」


 ---重力アレルギー。それが4年前から彼女を苦しめる、人類初の災いだ。重力子を発見してから、人類の技術は格段に飛躍した。宇宙開発は数十年、あるいは画期的なブレイクスルーがあれば数年の内に人類の居住区を地球外に持つことが可能になるまでとなった。

 そして、それが発見されてから十年余り。彼女は重力アレルギーを発症した。メイドとして働く彼女は、勤勉で有能だった。しかし、突然の呼吸困難、吐き気に見舞われてから仕事は全くと言っていいほど手につかなくなる。このままではいけないと病院で診てもらっても、初めの内はアレルギー症状らしいといった診断結果しか出ず、根本的な原因も見つからなかった。

 仕える家の次男でありながら、誰にでも気さくに話しかける男性が居た。それが彼だ。


「大丈夫かい? そんな状態だとセクハラ出来ないじゃないか」


 ベッドに腰掛ける彼女の調子が少し良さそうだと見て、彼は話しかけてきた。徐々に衰弱していく体を支えたのは、案外彼のくだらない冗談だったのかもしれない。


「はぁ…………もう、何言ってるんですか」

「---ところでだな」


 珍しく言い淀む姿に、首を傾げる。ほのかに上気した頬は、彼の柔らかな雰囲気に可愛らしさを付与する。


「コロニーに行ってみないか」

「えっ……」


 ベッドの上で体を抱きかかえる彼女を慮っての提案だった。しかし、それは---


「そんなの……私の身には余ってしまいます」

「別に気にすることはない。家族の者も気まぐれに作っただけで、ほとんど使ったことも無いのだ」


 財力さえあれば、小型のスペースコロニー程度なら手に入れることだって出来る。もちろん一般市民に手の届く価格では無いが、一種の別荘地として、それなりの人気を誇っている。


「それに君は私がケダモノに変わるのでは、なんて心配をしているかもしれないが、案外重力さえ無ければ出来る事も限られてくるのだぞ」

「あははっ、そんなこと心配してませんよ」

「そうか、なら---」

「ええ、もしよろしければ連れて行ってもらえますか? ベッドのフカフカも好きですけれど、人生で一度くらいふわふわとしてみたいです」


 見せまいとする安堵が彼から漏れでているのを見て、彼女は少し元気になった気がした。




「考えにくいことですが……地球上で受ける何かが影響を及ぼしているのかもしれません」


 かかりつけの医者はそう言った。突拍子も無いが、確からしさを彼女自身感じていた。何故ならば、コロニーで彼と数日ほど過ごしていた時、不調を感じることは少なかったのだから。


「例えば、空気だったり。あるいは---」単なる思いつきで、一笑に付すようなものだといった具合に言い淀む。

「重力だったり」

「まさかっ。ほんとにそうだったら、私地球に住むことが許されないってことですよね」


 笑って話しているが、彼女の手は強く握られている。奇妙な予感が針のように突き刺さっていることを痛みで誤魔化すため。



 果たしてその推測は正解であった。

「…………」

 メイドとして雇われて宛てがわれたこの部屋。世間一般の使用人の待遇としては最上級に値する部屋に今、満ちるものは恐怖だった。ベッドの上で彼女は体を抱え込むように座っている。その手には診断結果が記された紙が握られている。話によると、重力に対するアレルギーは人類初らしい。きっと生物という枠組みでも初めてなのだろう。


「どうして…………」


 どうして、世界の91億人の中から私が……。涙も、声も漏らさなかった。彼女自身、不思議に思っていながらも、どこか納得していたのかもしれない。身の程を知らない私はこうなることが当然だったと。


「…………」


 医者も看護師も何も言わなかったが、徐々にこのアレルギーは深刻化していくことが予測されていた。それを彼女自身、感覚的に感じていた。対症療法に薬を飲んでいても、最近ではろくな効き目を感じないのだから。震える体をさらに縮こまらせた。


 扉を三回叩く音。普段と違い、若干リズムが崩れているが、


「どうしましたか? あいにく今日は変なこと言っても返しきれませんからね」


 優しげに叩く音は彼だ。


「……入っていいかい?」

「いいですよ」


 どこかから検査結果を聞いているらしく、彼の様子はおかしかった。だからこそ、気丈に振る舞う。彼女にとって最後の意地だ。最上級の笑顔を彼に向ける。


「どうしたんですか? こんなお昼間から使用人の部屋にいらっしゃって。あ、まさか仕事をしていない私を咎めに来たとかですか? 申し訳ありません、今しばらく待っていてくださ……」


ぐい---と彼は抱きしめた。


「いた……い……っ」

「もうそれ以上紡がないでくれ」


 彼女が静かになると、彼も腕から力を抜いた。凄まじく早い鼓動が彼女の耳に伝わる。


「なにかあったのですか? ぁ、いた……」


 またも強く抱きしめる。破城槌を打ち付けるような衝撃が彼女の心を震わせた。


「僕が君を助けるから……必ず……」

「そんな……助けるも何も」

「以前行ったコロニーがあるだろう。そこを君のためだけに用意する。あそこなら、多少でも緩和されるはずだ」

「---あ、やっぱり勝手に私の診断結果聞いたんですね。ダメ……なんですよ、そのようなことをし……て……」


 溢れ出る思いは言葉を詰まらせる。彼にもたれかかるようにして誤魔化したが、胸元を熱く濡らす涙が何より本心を伝えてしまっているだろう。


「いいんだ……」「いやです……!」

「大丈夫だ……!!」「甘えられない……です……」


 彼女を抱きしめた。もう言葉は不要だ、思いを伝えるような優しい抱擁。若干の時が過ぎたころ、安心感から彼女の意識は不意に遠のく。彼は決して起こさないように彼女を安臥させ、ベッドの端に座った。あるいは、そのまま出て行くことが眠りのためには良かったのかもしれない。だが、愛しい者の寝顔がそこにある。彼は再度思いを固めるのだった---




「------のかい」「---寝ているのかい」

「あぁ、ごめんなさい。ついうとうとしてしまって。今の間なら、こっそり胸を触っても気づかなかったかもしれませんよ」

「ふははっ、当然堪能済みだよ!」

「そうですか、ケダモノですね。私の胸の分、責任はとってくれるんですか?」触っていないことは想像がついたが、からかってみる。


 彼女はいつの間にか寝ていたことに気付いた。無重力空間は揺籃だ。あるいは見方を変えれば、重力に放逐されているわけだが、それは彼女を使用人としての身分からも解放させてくれている。彼の用意してくれた空間に、彼が時々顔を見せに来る。地球での仕事や用事が多ければ連絡を適度にしてくれるから、寂しさを感じることは無いとは言えないが、想像以上に少ないと言えただろう。彼女は今が幸せだった。


「責任---取ろうか」「えっ……」二人は正対した。彼には満面の笑みが浮かび上がっている。

「君の体の症状の治療に目処を付けてもらった」「……です」

「……どうしたんだい?」「いやですっ!」


 音量の自動調節が働き、彼の耳には感情の抑揚は伝わらなかった。しかし、わかってしまった。強張った表情に涙を浮かべていれば、それが悲しみを表しているのは明白なのだから。


 モミ……モミ……。


「あひゃっ!?」


 彼は大胆にも彼女の母性に触れた。手に収まるそれの表面を手のひらでなぞるように。そうと思えば、半球を崩すように揉みしだく。


「ひゃわわわわっ!?」

「真剣に聞いてくれ」


 彼は今、男だった。硬い決心を持った一人の男性として、彼女の目の前に立つ。その体に走る震えを武者震いと言い聞かせて、ここに立つ。


「き、ききっ聞けるじょーきょーなんですかっ!?」

「地上に降りたら、こんなことを君と毎夜したいんだ」

「はい……? いいです……よ……?」


 隠微な意識の中、彼女は頬を染めるばかりで気付いていなかった。それが初心で変態な彼のプロポーズだったことに。

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