16 決着

「決着をつけよう。俺が勝って、おまえを取り戻す」

「笑えない冗談だ」

「本気だからな」

 金色に発光する目に嘘は見えない。感情のゆらぎはなく、一点の曇もない。真剣なのだ。真剣に、取り戻そうと考えている。言葉のひとつひとつにも、その意志が感じられた。

 しかし、ソラは目を細めるだけだ。

 例え自分が負けたとしても、ゼツの元に戻ることなどあり得ないのだ。

 彼は不良品の烙印を押された廃棄物で、彼女はフウェイヴェリルの軍に所属する戦闘兵器なのだ。立ち位置が違う。見えている景色も違う。彼は過去に思いを馳せ、彼女は現在だけを見ている。気になることはあるが、それはあとで考えればいい。

 兵器は、壊れるまで戦い続けるのがさだめだ。

 敗北とは死であり、生きている限り闘争を諦めないだろう。

 そう、プログラムされている。

「そして、役割を果たそう」

「役割……」

「俺たちが存在する理由だよ」

 ゼツが、地面を蹴った。足の裏から火を噴出し、爆発的な速度でもって殺到してくる。レグドもそれに追随している。ソラはダルクを目前に展開させた。一歩後ろに下がり、AFSが翼を広げたのを確認する。ダルクの黒い翼が融けるように拡散し、前方に一枚の分厚い壁を構築した。

「わたしの存在理由など必要ないさ」

 激突音とともに衝撃がダルクの壁を大きく歪める。ゼツが激突したのだ。あれほどの速度では、進行方向を変えることも、止まることもままならない。こちら側に盛り上がってくる壁を見やりながら、ソラは、さらに後ろに飛んだ。上方から、火の雨が降り注いでくる。レグドが上空から降らせたのであろう火の雨は、ダルクの全身を包み込んで烈しく燃え盛った。炎が壁を侵蝕し、包み込み、粉砕する。だが、ダルクは破壊されない。むしろ燃え盛る炎を吸収し、みずからのエネルギーへと変換してしまう。

 炎が消え、ゼツの姿が見えた。空中で静止した彼の姿は多少滑稽ではあったが、それも一瞬のことに過ぎない。彼は虚空を蹴り、ソラへと殺到してくる。が、そのときにはソラも対抗手段を考えだしていた。引くのではなく、飛び出し、間合いを零にする。ゼツの口の端が笑った。燃える刀身がソラの左脇腹を貫いている。しかし、同時にソラの右拳がゼツの胸を貫いていた。

 ゼツが苦笑した。

「悪手だな」

「貴様もな」

 告げ、力を炸裂させる。

 爆発が起きた。強大な力の爆発。二つの爆発。ゼツが吹き飛ぶのを認識する傍ら、ソラも吹き飛ばされていた。

 意識が掻き消えそうになるほどの痛撃。内臓から全身が焼き尽くされそうになる。だが、彼女は空中で踏みとどまった。背後にはダルクが浮かんでいる。無意識のうちに翔ばせていたのだろう。ダルクの頭に手を起き、左手で傷口に触れる。深い傷だ。致命傷といっていい。意識が保っているのが不思議なほどだが、ダルクのおかげともいえる。AFSのバックアップがなければ、意識など消し飛んでいただろう。

 そして前方では、ゼツとレグドの姿があった。彼は、左の胸から肩にかけての部位を損失している。大きく抉れ、断面が見えている。生きているのが奇妙なほどだが、それもAFSの力によるものだ。デバイスが戦闘兵器たる所以ともいえる。

 デバイスは、生命活動が停止でもしない限り、戦闘行動を止めることはないのだ。どれだけ重傷を負っても、致命傷を負おうとも、半身が千切れていたとしても、戦い続ける。

 それが戦争装置であるソラたちの宿業なのだ。

「ちっ……どうやらこっちのほうが重傷らしいな」

「そのようだ」

「まったく可愛げのない女だ」

「そこが気に入ったんじゃなかったのか?」

「その通りだ」

 彼は、ぐうの音も出ないといった表情をした。大きな傷口からは止めどなく血が流れている。痛覚は遮断しているのだろうし、傷口も塞がるだろう。が、復元には時間がかかるに違いない。肩から先が吹き飛んでいる。再生させるにも、大量のエネルギーが必要だ。そして、時間もかかる。それを許すソラではないことも、彼は理解しているだろう。

 ふと、首を傾げる。自分はなにをいったのだろう。なにかとてもくだらないことをいった気がする。まるで恋人たちの睦言のような言葉を発したような、そんな感覚。奇妙で、不気味で、それでいて懐かしい匂いがある。

 鼻腔を埋めるのは血の臭いなのだが、しかし、ソラの脳裏には別の匂いが漂っていた。なにかが、過る。網膜の裏を掠めていく。幾つもの光。影に覆われて見えない。思い出そうとしている。いや、思い出してはならない。懊悩がある。苦しい。だが、そんな苦しさからはすぐに開放されることも知っている。

 目の前の男を殺してしまえば、それで終わる。

 あらゆる疑問も、消え去るはずだ。

 なにも悩まなくていい。答えなどいらない。自分は戦闘装置に過ぎない。殺戮機構に過ぎない。異論はいらない。疑念を挟む必要もない。思考を捨てろ。意識を手離せ。

 ダルクの体を押して離した。地に墜ちる。ゼツの顔に驚きが満ちた。空が視界を埋める。鉛色の空。いまにも雨が降り出しそうだった。黒い雨。大陸を蝕む病。滅びの声。

『滅びを告げに現れた、かの魔女らこそ、滅ぼすべきなのだ』

 そのために開発された生命。

 そのために仕組まれた運命。

 そのために消費される人命。いや、装置たち。兵器として戦場に立つことも許されなかった失敗作たち。彼らも、今日のこの日のために利用されたに過ぎない。いまならわかる。頭の中に飛び込んでくる。数多の言葉、数多の意思、数多の情報。錯綜し、収束していく。だが、混乱はない。

 すべてを解放したいま、彼女の思考は極めて鮮明だった。

 地に落ちた。痛みはない。みずからの影の上だ。影。ダルクの支配領域。影の中へ融けるように沈んでいく。ダルクの視界では、ゼツがようやく動き出した。全身から火を噴き出し、地に落ちたソラに向かってくる。まるで火の玉にように。制御すらできなくなったのだろうか。

 そう思った時、ソラは、影に溶けた。

 


 ゼツは、ソラが己の影に沈んでいくのを見た。まるで溶けるように闇に飲まれていく。もちろん、ただ見ていたわけではない。彼女がなにをしようとしているのかを察知したゼツは、全力で阻止しようとした。AFSの力と、自身のデバイスとして持ちうる力の限りを尽くして。

 全身から火が噴き出した。爆走している。先の一撃が、制御系を狂わせたのか。だが、止まれない。むしろ加速する。沈みゆくソラの元へ、滑空していく。

 思い出している。先の激突の影響だろうか。閃光のように、記憶が蘇っていた。忘れていた過去のすべてが、頭の中を駆け巡り、ゼツの意識に衝撃を与えていた。始まりのあの日から、今日に至るまでの全記憶。開発された瞬間から仕組まれていた運命のすべて。

 混乱があった。絶望的な情報の奔流に飲まれ、現状を見失いかけた。だが、目の前の現実を見失うことは許されなかった。目を背けることなど出来ない。自分はやはり、ただの装置に過ぎないのだ。戦争するための兵器なのだ。感情よりも敵の処理を優先するようにプログラムされている。

 魂を武装化するデバイスなのだ。

 身も心も、兵器として成立するように開発されている。そしてそれはすべて了承済みの事柄だ。兵器となって国の役に立つ。それがあのホームにいた孤児たちが選んだ答えだ。

(だが、これは違うだろ!)

 彼は、悲鳴を上げたかった。しかし、喉から噴き出す炎が、口を遮っていた。それはまるで絶叫のようだ。絶望的な事実への魂の叫び。望みは叶えられない。願いは届かない。夢は夢のまま霧散する。なんのための十年だったのか。いや、それもわかっている。こうなるための十年。ここでソラと戦うために積み上げてきた時間。彼女を目覚めさせるための。

 影に沈みゆくソラの目が、こちらを見た。黄金に発光している。手を伸ばした、ような気がした。影に沈みかけた傷だらけの腕を、こちらに差し出してきたような。だからゼツも手を伸ばした。しかし、わずかな距離を埋めることもかなわないまま、彼女の姿は影に溶けた。

 ゼツの手は、影すら消えた地面を叩き、瞬時に破壊のエネルギーを伝えた。そして、全身でその真っ只中に突っ込む。

 破壊の嵐が起きる。

 いままでの爆発とは比較にならないほどのエネルギーの奔流が、地中から吹き上がる。莫大な光が地を砕き、粉塵を舞い上げ、なにもかもを飲み込むように暴走する。

 音は聞こえなかった。町を震撼させるほどの爆音はあっただろうが、聴覚が認識を拒否したらしい。噴き出したエネルギーに全身がずたずたに引き裂かれたが、やはり痛みは感じなかった。

 あるのは喪失感と、絶望だけだ。

 顔をあげる。巻き上げられた土砂が、暗闇を描き出している。その中で一際強く輝くのは、紅いドラゴン。AFSレグド。その目が見つめるのは、AFSダルク――ソラの半身だ。牽制しているのだろうが、もはや意味はない。

 彼女は、目覚めた。

 ゼツの制御を離れたエネルギーは、天変地異のように吹き荒んだ。地は割れ、建物は崩れ、木々は吹き飛ぶ。街並みは一瞬にして崩壊した。無数のデバイスたちの死体も巻き上げられ、臓物を撒き散らし、破壊の嵐に飲まれ、損壊されていく。

(まだだ……まだっ)

 ゼツは、レグドを呼び寄せた。満身創痍。立っているのがやっとだった。いや、立てているのかどうかすら怪しい。視界が揺れている。

 前方から、レグドが視界に飛び込んできたとき、ゼツは、感じたことのないような寒気を覚えた。レグドの影が、舞い踊る粉塵に映っていた。全長三メートルの巨体が生み出す巨大な影。その影がいつもより色濃く見えたのだ。何かが潜んでいる。

 レグドが、吼えた。ゼツの意識に反応して飛び退こうとした。が、みずからの影から逃れ得る方法などはない。影が隆起し、巨大な顎を形作る。そして、ドラゴンを丸呑みした。闇色の鬣が揺らめき、金色の目が瞬いた。ソラのAFSダルクの頭部。レグドを飲み込むと、粉塵の中に消えた。

 ゼツは、動けなかった。声も出ない。破滅的な痛みが、全身を粉々に打ち砕こうとしている。レグドが飲まれた先で破壊されているのだ。AFSとデバイスが生命を共有している以上、レグドが死ねばゼツも死なざるを得ない。もっとも。

(それで済ませるはずはねえよなあ)

 ゼツは、黒く長い腕が、背後から伸びてきていることに気づいた。闇色の髪が視界を泳ぐ。ソラの腕、ソラの髪。いや、彼女の影といったほうが相応しいだろう。そしてそれは死の影そのものだ。抱かれれば、破滅を免れる術はない。

 かといって、いまのゼツに抗う手段はなかった。

 闇が、ゼツの意識を覆った。

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