14 魔女
魂という不確かな存在を戦闘兵器として開発したもののことだ。自律思考性戦闘端末ともいう。略称はAFS。エー・エフ・エスともエイフスとも呼称される。
膠着状態に陥った三大国家にもたらされた新技術によって開発され、競うように各国の前線に配備された戦争兵器。この滅びに瀕した大陸に決定的な楔を打ち付ける闘争機構。破壊と殺戮を振り撒くためだけの機能。
もはや人間ではなくなった
その研究が始まったのはいつだったか。少なくとも彼女が物心つく前から始まっていたようである。
長年に渡って続く三国間の戦争は、次第に停滞の様相を見せてはいたものの、休戦協定が結ばれることもなければ、そのような提案がなされることもなかった。常に火種を抱え続ける火薬庫の中のような状況にあって、休戦など考えられもしなかったのは当然といえる。そして、恒常化した戦争は、他国を出し抜くための技術競争を加速させる。新兵器が次々と生み出され、戦場に投入され、闘争の形質を変えていく。
戦場に流れる血の量は、増えることはあれど、減ることはなかったのだという。
彼女が生まれたのは、そんな血塗られた世界の片隅だった。
物心ついたときには親はなく、ホームと呼ばれる施設で育てられていた。親は戦争で死んだのだ。父は有能な指揮官で、母もまた、副官として戦場に立っていたらしい。
ふたりは、同日に死んだ。カームベルリルの防衛に駆り出されたふたりは、サイズルーンの猛攻に耐え切れず戦死したという。
彼女だけが生き残った。
彼女は親類縁者をたらい回しにされた挙句、ホームに預けられることになったが、彼女が親類縁者を恨むことはなかった。すべては物心がつく前の出来事で、彼女の人格形成に何ら影響しなかったのだ。いや、多少の影響はあったかもしれない。しかし、両親の死や親類のぞんざいな扱いが、彼女の心に暗い影を落とすよりも、同じようにホームに預けられた子供たちとの交流が、明るい光となって彼女の健やかな成長を促したのだ。
ホームには、彼女と同様に戦争で家族を失った孤児たちが多く預けられていた。ゼツもその中のひとりだ。彼は第一印象からしてほかの子供達とは違っていた。異彩を放っていたのだ。
名をゼツといった。
懐かしい日々の幻を見たのは、気を失っていたからだろうか。混濁した意識が見せた過去の幻。まるで走馬灯のような夢想。もはや取り戻せない日々は、無残な残骸となって頭上に散らばって消える。
(夢か)
悪い夢だ、と彼女はひとりごちた。声にはならなかったかもしれない。空気が漏れたような音だけが、耳に残った。いや、それは錯覚だったのか。ほかの音はなにひとつ聞こえなかった。聴覚が機能していない。爆音にやられたのかもしれなかった。
全身、焼けるような痛みが蠢いている。眼前には噴煙が立ち込め、視界は良好とはいえない。鼻腔を満たすのは肉が焼けるような臭いだ。いや、実際に焼けているのだろう。舌の上に広がる鉄の味は、内臓がいかれた証明なのかもしれない。意識を失う原因となったゼツの攻撃は、ソラの全身を覆っていたAFSの防御を突き抜け、彼女に致命傷を負わせたのだ。
翼はもがれ、装甲は破られた。強制起動によって得られた機能の大半が失われた。全身、余すところなく痛撃を受けたのだ。意識を取り戻せたのは僥倖だろう。あのまま過去の夢に埋没していた可能性だってあるのだ。
耳こそ聞こえないものの、目に異常はないようだ。視界こそ爆煙で覆われているが、これといった違和感はない。手も足も動いた。指を動かすたびに電流のように痛みが走るが、痛みがあるということは神経が繋がっているという証でもある。もっとも、瀕死の重傷を負っている現状、そんなものは気休め程度にもならない。
(いや)
彼女は頭を振った――つもりだったが、実際には頭を動かすこともできなかった。地面に頬を埋めるような体勢のまま、渦巻く熱気になぶられるに任せるしかない。顔面が地中に残った爆発の余熱を感じているが、どうすることもできない。人間ならば座して死を待つよりほかなかっただろう。
しかし、ソラは人間ではない。
AFSデバイスである。死――つまり生命活動が停止しない限り、肉体的な損傷ならば完治するまで再生し続ける。人間とは比べ物にならない自己治癒力を持つのがデバイスだ。そして、第一世代の回復力は第二世代以降とは比べるべくもないほどの精度と速度を誇る。
それはもはや、生物とは呼べないものなのかもしれない。だからこそ、第一世代は子を成せないのだろう。生物の枠組みから外れてしまったのだ。化け物であり、戦闘兵器。
ソラは、突如凄まじい痛みを覚えた。肉体の再生が始まり、全身の痛覚が悲鳴を上げたのだ。致命的な傷は瞬く間に復元されるだろう。だが、それまでは痛みに耐え無くてはならない。いつものように痛覚を遮断するには、再生速度を落とすよりほかなかった。いまは再生を最優先にすべきだろう。
歯噛みして、痛みに耐える。全身が沸騰するような激痛。極限まで高められた代謝能力が、全身の傷という傷をあっという間に復元していく。すでに手は自在に動くようになっていた。両手に力を入れる。腕も動く。全身に力が入る。痛みは未だ蠢いていたが、問題はない。
地面に張り付いた体を引き剥がすように起こしたとき、目の前の白煙が揺らいだ。
煙の狭間で、ゼツのAFSがこちらに顔を向けていた。真紅の鱗に覆われた、巨大な鰐とも蜥蜴ともつかない存在。全長三メートルを優に超す巨体からは長い首が伸び、鋭角的な頭部を支えている。突き出た顎、鋭い爪、鋼のような肉体――所謂ドラゴンを模したような姿を持つAFSは、口から火の息を漏らしていた。宝石のような両目を爛々と輝かせ、こちらの動きひとつ見逃すまいとしているかのようだ。
実際、ゼツに代わって監視しているのだろう。いや、AFSとデバイスが視覚情報を共有することができる以上、それはゼツによる監視と大差なかった。AFSの視線こそ無機質なものだが、そのまなざしの向こう側には、ゼツの意志がある。
「さすがは第一世代最強といわれるだけのことはある。恐ろしい回復速度だ」
ゼツが思ってもいないであろうことを口走ってきたのは、ソラがその場に立ち上がってからだった。声が聞こえたということは、麻痺していた聴覚が復活しているということでもある。そして再生による痛みはほとんど消え、残ったのはわずかな痺れのみ。それもすぐに消えてなくなるだろう。全身の傷口は塞がり、致命傷は嘘のように消えて失せた。だが、これくらい第一世代ならば当然なのだ。失敗作とはいえ、ゼツも同程度の回復能力を持っていると見ていい。
「最強……か」
ソラは鼻で笑った。くだらない戯れ言だ。ただの戦闘装置にそのような装飾は要らない。意識を後方に集中する。彼の声は、後ろの方から聞こえてきたのだ。
「違うか? おまえはそのように作られたはずだ。開発されたはずだ。調整されたはずだ。フウェイヴェリルのどのAFSデバイスにも負けない存在として君臨するために。魔女の支配を打ち破るために」
その台詞が耳に届いた時、ソラの肉体は無意識に反応していた。地を蹴り、後方に飛ぶ。空中で回転し、視界の中心に目標を捉える。意識が追いついたのは、ゼツの驚愕に開かれた目を見た瞬間だった。金色に輝く目が、懐かしく思えた。だが、つぎの瞬間には、ソラは拳を彼の額に打ち付けている。そのまま、ゼツの後頭部を地面へと叩きつけ、地中に埋めこむ。
「魔女だと!」
我知らず発した声は、絶叫のようだった。一方で、背後から迫ってくる熱気にも気づいている。敵への追撃を諦め、素直に前方に身を投げ出す。熱線が、寸前まで彼女のいた空間を焼くのが、地面を転がるソラにはわかった。冷静さを失ってはいない。
「そうだ、魔女だよ……!」
男の反応を聞くに、いまのは痛撃とはならなかったらしい。右拳には十分な手応えはあったのだが。
(
彼女は起き上がると、ゼツの姿を視認した。彼は、すでに立ち上がり、こちらを見ている。その隣には真紅のドラゴンが佇んでいた。いつでも攻撃できるとでも言いたげな表情をしている。
場に満ちていた白煙は風に流され、ゼツの爆発による破壊の爪痕が明らかになる。ソラの装甲を貫くほどの爆圧は、地形を大きく変えてしまっていた。半径十メートルほどの地面が半球形に抉り取られ、地表から立ち上る熱気が風景を歪ませている。爆発の熱量を物語るかのようだ。
その抉られた大地で、ソラは、ゼツと対峙していた。
「魔女……」
今度は、受け止められた。意識的に飛びかかり、繰り出した蹴り。たやすく掴まれ、投げ落とされる。地に叩きつけられ、呼吸が止まる。しかし、それも一瞬のことだ。ダメージといえるようなものさえない。起き上がる。間合いは縮んだ。
「魔女に与えられた知識。魔女にもたらされた技術。魔女の意思によってのみ起こされる戦争。魔女に呪われた世界……それがこの世のすべてだ」
「世迷い言を」
低い姿勢のまま突っ込むが、AFSの巨体に進路を塞がれる。ドラゴンは大口を開けている。鉄すら噛み砕きそうな歯牙が、赤く燃えた。熱気。左へ倒れこむように転がる。間一髪、物凄まじい熱量がソラの脇を通り過ぎた。全身から大量の汗が吹き出す。
「違うな。真実だよ。おまえも知っているはずだ。聞いたはずだ。覚えているはずだ。俺たちはそのために作られた。俺もおまえもそのために失敗した。不良品となったんだ。第一世代としても規格外であるがゆえに、な」
「なにを」
立ち上がり、敵に向く。ゼツと、彼の半身たるAFS。大気が焦げたような臭いが漂っていた。汗のせいで体力が奪われている。
「言っている……?」
ソラは、ゼツの様子に違和感を覚えた。ソラを取り戻すなどと息巻いていたさっきまでとは、まるで違う。人が変わったようだった。しかし、ゼツはゼツだ。昔から変わり様がない。彼は、彼以外になりようがなかった。
異彩を放つ眼は、昔のままだ。いまでこそ金色に輝いているが、他のデバイスとは違うのだ。
「あの魔女を出し抜くにはどうすればいいのか。それだけが彼の主題だった。彼はそのためだけに人生を捧げ、俺たちを開発した。彼は、支配から脱却したかったのだと思う」
ソラは、ゼツの世迷い言をいつまでも聞いているつもりもなかった。支離滅裂な、まるで譫言のような言葉たち。耳には届くが、響かない。
地を蹴る。右へ。ドラゴンが反応する。即座に左に飛び、熱線をやり過ごす。間合いはな零になる。AFSが首を巡らせるより早く、ソラの拳がゼツの下腹部に突き刺さった。手応えは十分。肉を突き破り、内臓へ到達する。だが、感触は生物のそれとは違う。そして、ゼツの腹から溢れたのは血ではなく、紅い光だった。閃光が視界を塗り潰し、轟音が鼓膜を劈く。熱と衝撃が、ソラの全身を貫いた。
「そりゃあ火影だろ」
意識が吹き飛ぶ寸前、なぜかゼツの声だけは聞こえた。
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