12 同類


 ソラは、前方に現れた男だけを見ていた。白髪をオールバックにした長身の男。美術彫刻のような顔立ちは、どこか皮肉げに笑っているように見えた。双眸に浮かぶ黄金の虹彩は第一世代のデバイスだという証明。もっとも、彼は失敗作だ。先程処分した廃棄物たちと同様、処理するだけでいい。

 得物は腰に帯びた刀。無論、それが彼の攻撃手段の全てではない。AFSがある。ゼットというデバイスに心当たりがない以上、AFSがどのようなもので、どのような能力を持っているかなどわかるはずもない。警戒しなければならないが、警戒しすぎて手をだしあぐねるのも考え物だ。

 レイピアの柄を握る手に力を込めつつも、呼吸を整えながら。筋肉が緊張しすぎないようにする。相手は不良品とはいえ、第一世代。第二世代の廃棄物でも、その攻撃力は侮れないものがあるのだ。強制起動状態で全滅させる程度の実力差こそあったものの、気を抜けば腕の一本くらい失っていたかもしれない。

 もちろん、彼女が気を抜くことなどありえないが。

 余裕こそあれ、油断はしない。意識は常に冷たく保たれ、視界が曇るようなこともない。それこそ装置デバイスであることの証明なのかもしれない。感情に左右されるようでは、装置足りえないのだ。

「否定はしないさ」

 彼女は、相手の軽口に付き合うように告げながら、間合いを測った。前方十メートルほどの距離に、男は立っている。彼の斬撃の間合いは、長い腕に刀身を足した距離と考えていい。しかし、先もいったように剣撃だけが武器ではない。AFSを起動してはいないものの、強制起動という手段があることを考慮しておかなければならない。

「はっ、惚れたかよ」

「まさか。ありえないな、そんなことは」

「……だろうな。おまえなら、そういうと思ったぜ」

 ゼットの口は軽いが、その目は酷く覚めているように見えた。まるで己をも嘲笑っているかのような、そんなまなざし。その視線が、周囲を巡る。が、隙はない。一足飛びに飛び込んで斬りつけられるような隙は、微塵も見せなかった。男の動作には無駄が多い。大仰で、どこか芝居じみてさえいた。しかし、それは彼女が付け入るべき隙などではなかった。

 誘っているのだ。

「まったく……ひどい有り様だ。せっかく集めたってのによ。これじゃあ一からやり直しだ」

 ゼットがうんざりしたように言ってきた。周囲の惨状を認識したにしては随分と軽い言いようではあったが。彼が無感動であろうと、激情を噛み殺していようと、ソラには関係のない話だ。彼女は男に冷ややかな一瞥をくれた。

「そんな機会があると思っているのか?」

「あるさ。おまえさえ倒せば、どうとでもなる」

 当然のように肯定してきた相手に、今度はソラがあきれる番だった。男は自分の立場をわきまえてもいないのだろうか。失望する、先ほどの自嘲的な目つきは、気のせいだったのかもしれない。

「なるものか。わたしが不良品如きに負けるはずもなければ、万が一わたしが貴様に破れたところで、フウェイヴェリルのAFSデバイスはわたしだけではないのだ。貴様一人に滅ぼされるはずがない」

「できるさ。おまえさえ殺せれば……おまえさえ」

 不可解なくらいに自分に固執する相手に対して、ソラの意識は覚めていくばかりだ。研ぎ澄まされた刃のように。凍てついた氷河のように。

「その前提が不可能だといっている」

 ゼットは、笑わない。

「どうかな? AFS――」

「させん」

 地を蹴り、一瞬にして間合いを詰めたソラが繰り出した高速の突きは、ゼットの神速の居合いによって弾かれ、苛烈な金属音を轟かせるに止まった。剣光が、彼女の視界を白く染める。囁くようなゼットの声は、ひどく穏やかだった。

強制起動オーバードライブ

 男の瞳があざやかに輝き、膨大な黄金の光を発した。双眸から全身へと走る数多の光線は複雑な幾何学模様を描き出すとともに、肉体に異変を起こす。強制起動による肉体の変化。それにともなう爆発的な力の拡散が、ソラを襲った。吹き飛ばされる。

「っ!」

「ははっ! 第一世代同士、力は互角だな!」

 AFSの起動で気分が高揚したのだろう――異形化したゼットが、けたたましく笑った。額の左右から鋭角的な突起物が生え、背には二対の小さな翼、臀部からは漆黒の鱗に覆われた長い尾が伸びていた。鱗には黄金色に輝く模様が浮かんでいる。両手ももはや人間のものではなくなっており、黒き鱗と鋭利な爪は、化け物へと成り果てた証であろう。

 いや、本性を現したというべきか。彼もソラも元より化け物だ。成り果てている。果てるまで、化け物のままだ。

 ソラは、翼を翻して空中で体を回転させると、着地と同時に剣を構えた。ダメージはない。力の開放に伴う風圧によって、軽く弾き飛ばされただけに過ぎない。

 間合いは、突剣を手にした彼女より、長刀を得物とする相手の方が遥かに広い。手足の長さも、彼女とは比べるべくもない。では、速度で圧倒するのはどうか。抜刀の初速こそこちらの突撃を上回ったものの、通常の剣速はおそらく互角と見ていい。

(どうかな)

 今日中で頭を振る。勝手な思い込みほど危険なものはない。それに相手はAFSを起動したのだ。剣速も上がっていると見るべきだろう。それに、AFSデバイスの射程範囲は、得物と身体の長さのみではない。

「ひとつ聞くが」

 ソラは、静かに口を開いた。開戦当初から気になっていたことがある。

「なんだ? 好みのタイプなら聞くまでもないぞ」

「なぜ、喰った」

 相手の軽口など聞き流して、彼女は告げた。それは問いかけなどではない。喉元に刃を突きつけるように言葉を叩きつけている。無論、ゼットが涼しい顔で返してくることは承知の上だ。

「なぜ? 仲間だの同志だのいったところで、俺たちはただの化け物だ。飼うには餌付けする必要があったからな。喰わせた」

 彼の回答に迷いはなかった。事実その通りなのだろう。配下のデバイスを繋ぎ止めておくためだけに、この小さな町の住人たちを一人残らず殺し尽くし、食い尽くさせた。男も女も老人も、子供さえも。街の住人という住人はことごとく餌と成り果てたのだ。

「罪もない人の命を――とでもいうつもりか? おまえだって同じだろうに」

 ゼットは、口の端を歪めた。AFSと融合した姿と相まって、極めて悪魔的な顔つきになっていた。嗤っているのだ。嘲り、冷笑しているのだ。

「おまえだって《黒》に餌付けされ、首輪をつけられてるじゃねえか」

「くだらん」

「母と慕う化け物への忠誠という名の首輪だよ。鈴つきのな」

「はっ」

 ソラは、息吹きとともに地を蹴っていた。彼は虎の尾を踏んだのだ。龍の逆鱗を撫でたといってもいい。間合いを一気に詰め、レイピアを男へと伸ばす。鋼鉄すら貫く一撃。

「図星か。切っ先に感情が乗っているぞ」

 しかし、突剣はゼットが無造作に振るった太刀によって弾かれ、剣先はあらぬ方向へと流れた。それでも彼女は敵への突進を止めない。翼を閃かせ、慣性を殺して軌道を変えようと試みるも、その寸前に腹部へと叩き込まれた蹴りの重さがソラの努力を無駄にした。いや、軌道は変わった。左方向へと吹き飛ばされる。

 攻撃が読まれた。どれだけ速度を上げようとも、殺気の向かう先が読まれれば、手痛い反撃を喰らうのは必然だった。腹への痛撃と口の中に広がる血の味を噛み締めながら、彼女は空中で体勢を立て直すために翼で大気を叩いた。慣性を殺し、姿勢制御を行う。

「哀れなものだな。最初期の被験者にして成功体であり、失敗作。不良品でありながら正規品として戦場に投入された第一世代オリジンズ

 ゼットが嘲笑とともに吐き出してきた言葉は、彼女には理解し得ないものだった。妄言に等しい。着地し、ダメージの浅さを確認するとともに武器を構える。腹部の痛みは直ぐに消え去るだろう。AFSによる損壊箇所の自動修復。デバイスをデバイスたらしめるそれは、補給もなしに何十日も戦争を続ける兵器たちにお誂え向きの機能といえた。

「なにを言っている」

 ソラを見るゼットの目は、酷く覚めていた。なんの感情もない。哀れみもなければ同情もなく、怒りや憎しみといったものさえ浮かんでいなかった。ただこちらを見ている。それは兵器としてみれば正しい姿だったが。

 違和感がある。さきほどまであったはずの軽薄さが、毛ほども感じられなくなっていた。

「おまえも同類だと言ってるんだよ。俺たちと同じ廃棄物だとな」

「くだらん」

 唾棄したものの、ソラは即座に飛びかかることもできなかった。視界が揺らぐ。足元がふらつき、危うくレイピアを落としかけた。違和感がある。ゼットに対して、ではない。なにか普通ではないことが起こっている。自分の身に、なにかが起きている。

「被験体No.00005ソラ。おまえはAFSの起動実験に失敗したんだよ」

 聞いてはならない。脳が叫んでいる。男の言葉に耳を貸してはならない。知ってはならない。認めてはならない。それは悲鳴だ。断末魔の絶叫にも似た。

 ソラは、歪む視界の中で、それでも笑みひとつ見せないゼットの顔がひどく恐ろしいものに見えた。


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