11 接触

「ぼくに掴まって」

 ビルを出るなり、エルが手を差し出してきた。

「ああ」

 ゼットはうなずくと、少年の細く白い手を握った。疑問も抱かない。それは、彼が報告に駆り出された理由そのものだからだ。

強制起動オーバードライブ

 エルの両目が、銀色の光を帯びた。AFSの強制起動により、少年の華奢な体に変化が訪れる。彼の右半身が鉄の装甲で覆われ、背後に鉄の環が出現した。半ば機械化した半身は、彼が人間などではないことの証明かもしれなかった。

 強制起動は、その名称通りAFSを強制的に起動するため、本来とは異なる状態で現れる。能力も本来より低いものの、状況次第では完全起動よりも有効だった。

「行くよ」

 いうが早いか、エルの背部に浮かぶ鉄の環が回転を始めた。回転速度が増すとともに物凄い力のうねりがゼットを襲った。耳を塞ぎたくなるような甲高い音の中、環の中心に光球が生じるのを目撃する。

「舌を噛まないように気をつけて」

「え?」

 ゼットが疑問符を浮かべた瞬間、光球から爆発的な閃光が生じ、爆音が轟いた。急加速の衝撃が、ゼットの脳を激しく揺らした。揺れたのは脳だけではない。全身余すとこなく震わされ、危うく胃の内容物を吐き出しそうになった。目まぐるしく変転する景色が目眩を助長し、感覚を狂わせる。なにがどうなったのかわからない。いや、エルが飛んだのはわかる。だが、浮遊感などという優雅なものはない。凄まじい重圧の中で、ゼットはただひたすらに後悔した。

「ついたよ。中央公園」

 そんなエルの声がしたのは、文字通り一瞬だったかもしれない。それと同時に急停止がかかり、ゼットの体を重い衝撃が襲った。しかし、地に投げ出されたり、打ち付けられるような羽目にはならない。

 無意識のうちに体勢を整え、迫りくる地面に両足を突き刺すようにして着地する。足から伝わる衝撃は強く、痛みとなって脳を刺激したものの、彼は顔色ひとつ変えなかった。

「ひでえ有り様だ」

 中央公園を赤黒く塗り潰す惨状を目の当たりにしても、目を細めただけだった。むせ返る血の臭いも、懐かしい戦場の空気を思い出させるだけだ。

(懐かしい……?)

 戦場に立ったことなどないのに?

 彼は失敗作の烙印を押された廃棄物に過ぎない。商品棚に並ぶこともなく、不良品として処分される運命だった。血生臭い戦場の記憶などあるはずもない。

 では、この懐かしさはなにに起因するのか。

 ゼットは、地を埋め尽くす数多の死体が、配下のデバイスたちの成れの果てであることを認めて、静かに眼を閉じた。

 もし、天国などというものがあるのなら、彼らの魂が天に召されることを願った。この修羅の巷に生まれ落ち、化け物として開発された挙げ句、戦場に立つことさえ許されずに散っていった哀れな魂たち。

 運命の不条理を感じずには要られない。

 そしてゼットは、デバイスたちを殺戮した存在へと目を向ける。死体の山の中心にそれは立っていた。

 長身の女だ。長い黒髪は風に揺れ、血まみれの外套が戦いの凄惨さを物語っている。しかし、女の体には外傷も見当たらず、外套を染めているのは返り血だけなのだろう。

 得物はレイピアらしい。

 もっとも特筆すべきは、彼女の人間らしからぬ外見だ。頭部から獣の耳が生え、背からは一対の翼が広がり、尾が伸びていた。

 AFSの強制起動による影響に違いない。

 女の眼がこちらを見た。黄金の瞳。第一世代。

 いつか見たまなざし。

 いつも見ていた――。

(そういうことか)

 ゼットがひとり納得していると、不意にエルの手が振りほどかれた。怒気とともに言葉が紡がれる。

「なんてひどい様なんだ」

 ゼットは、彼の怒りをどこか遠く感じた。壁がある。隔絶されている。置いていかれたわけではない。突き放されたわけでもない。寂しくもない。

 当然の道理と切り捨てたのはゼットのほうなのだから。

「みんないい人だったのに……」

 少年が感じている憤りを共有できないことにいささかの疑問も抱かない。

 ゼットからしてみれば、彼らが敗れ、死んでいったのは、単純に彼らが弱かったからだ。数の上では圧倒しているにも関わらず、女を追い詰めるどころか、腕の一本さえ奪えない。

 惰弱。

 彼らはあまりに弱く、儚かった。

 だからこんな辺鄙な街に群れ集い、肩を寄せ合い、互いの傷口を舐め合うしかなかったのだ。

 もちろん、そこにはゼット自身も含まれる。

 自嘲に過ぎない。

「許せない」

「おい、待て――!」

 ゼットの制止は聞き入れられなかった。

 最後にこちらを振り返ったエルの表情は、最初に出逢ったときと同じ顔をしていた。敵意を剥き出しにした野生の獣。殺気が暴発した。

 エルが地を蹴るようにして飛び出した瞬間、彼の背部の環が急速回転し、火が点った。瞬間、爆発的な加速によって、少年の姿がゼットの視界から掻き消えた。第一世代の動体視力でも捕捉できないほどの速度。

 当然、相手も捉えられまい。

(眼では……な)

 女は、あの数の第三世代、第二世代を事も無げに殲滅したような化け物だ。規格外。歴戦の猛者などという言葉では物足りないくらいの実力の持ち主だ。第一世代の中でも最高峰といってもいいのではないか。

 そんな実力者が、少年の殺気を認識できないはずがなかった。怒りに任せて飛び出した未熟者の行き着く先などひとつしかない。

 ゼットの視界から消失したかに思われたエルの姿が、女の背後に現れた。強制起動によって半ば機械化した左腕を、女の後頭部にでも叩きつけようっしたのだろう。その一撃は鉄の板くらいなら簡単に打ち抜くほどのものだ。命中すれば、女は絶命したに違いない。

 だが、エルの怒声は悲鳴に変わった。

 女は、彼を振り返りもしなかった。翼を閃かせ、数多の羽で少年の全身をずたずたに切り裂いたのだ。

 黒き羽は、鋭利な刃。

 エルは、身体中から血を噴き出したことで冷静さを取り戻したのかもしれない。空中で体勢を整えるなり、その場から再び消え失せた。野放図な殺気もろとも、公園の中から飛び去ったらしい。

 自分では勝てないと悟ったのか、ゼットでさえ敵わないと思ったのか。どちらにせよ、エルの選択に間違いはない。彼がこの場にいても邪魔なだけだ。

(せめておまえは生きろ。みんなの分まで、な)

 勝手な言い分ではあったが。

 やれやれ、と、ゼットは肩を竦めて見せた。そうでもしなければやりきれない。

 女は、ずっとこちらを見ていたのだ。

 エルの奇襲を迎撃している最中も、ずっと。

 黄金の輝きを発する虹彩は、凍てつくかのようであり、射抜くかのようであった。

「おまえがゼットか?」

 無機的な声音は、感情を圧し殺している風でもなかった。とっくに心など死んでしまっているのかもしれない。人を殺すとは自分の心を殺すも同義なのだ。

 彼女のように戦場に配備されたAFSデバイスは、数多のデバイスのみならず、人間の兵士を殺してきたはずだ。AFSデバイスが大量生産され、戦場を彩るのは人の形をした人ならざるものばかりとなった今でも、武装した兵士が投入されないわけではない。熟練の兵士ならば、AFSデバイスに対しても同等以上に戦えなくもないのだ。だが、そういった兵士も次第に減ってきているらしい。

 それもこれも、彼女のような正式採用された第一世代が旧来の戦場を蹂躙し尽くしたからだ。

 しかし。

 ゼットは、彼女の声音に抱いたイメージを胸中で打ち消した。彼女は、そうではあるまい。そんな気がする。どれだけ人間を殺そうと、デバイスたちを血祭りにあげようと、AFSを滅ぼそうと、彼女の鉄の心は傷一つつかないのではないか。

(そこまではいかないか)

 と、己の考えをさらに否定したのは、それではあまりにもつまらないからだ。

 それでは、彼の望みさえ叶わない。

「良い男だろ? 別に惚れたって構わないんだぜ」

 ゼットは、シニカルに笑ってみせた。

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