10 急行
「はあっ!」
気合と共に振り上げられた斧槍の一閃を紙一重でかわした刹那、ソラは、猛烈な殺気が頭上に生まれたのを認めた。が、即座に相手にする訳にもいかず、我が身を翼で庇うことで対応する。眼前のヨミによく似た女が、攻撃の手を休めるはずもない。どちらか一方には絞れないのだ。両方を同時に処理しなければならない。いや、それが普通だ。順序よく片付けられるなど、余程の実力差がない限りは不可能に近い。つまり、女は、他の有象無象に比べて格段に強いということだ。
ハルベルトによる胴を払うような一閃をレイピアの腹で弾く。白夜の強度有ってこその荒業だった。
翼に衝撃が走り、爆音が轟いたのはその直後だった。痛覚が、痺れるような強い痛みを訴えてくる。矢の雨などとは比べようのないダメージ。雷撃に違いない。
ソラは、弾かれた斧槍を流れるような動作で構えた女へと突っ込んだ。長柄武器の間合いではこちらが不利だ。距離を詰め、レイピアの切っ先を女の頭に突き付ける。
「っ!」
女の顔が苦悶に歪んだのは、白夜の一撃を左の掌で受け止めたからだ。女の目が鈍い光を放つ。
「掴まえた……!」
言うが早いか、凄まじい衝撃がソラを襲った。頭上に展開した翼が悲鳴を上げるほどの数多の激痛。耳をつんざく爆音と苛烈な電流の嵐が、彼女の意識を席巻した。視界が揺れる。腹部に走る鈍痛。ハルベルトの石突きによる打撃。外套と戦闘服では防ぎきれず、筋肉の防壁をも突き破ろうとする。
「ヨミを――妹を返してもらう!」
翼に炸裂する轟音の中でも、女の声ははっきりと聞こえた。AFSの猫耳が、聞き分けていた。
(やはりか)
ソラを姉と慕うヨミの、本当の姉。とはいえ、なんの感慨も湧かない。湧きようがない。彼女は失敗作であり、とっくに処分されているはずだったのだ。いまさら、生きていた、などといわれたところで、だからどうしたと思わざるを得ない。
「貴様を殺し、委員会を倒して!」
(それは――)
爆音の轟きは、激痛を伴う衝撃となって翼を伝う。苛烈な痛みは全身をばらばらにするかのようであり、その猛攻は第二世代AFSとは考えられないほどだった。ソラであっても歯を食い縛らなければ意識が吹き飛んでしまいそうな――逆にいえば歯を食い縛れば耐えられるほどの――衝撃。翼を展開していなければ、彼女の肉体はズタズタに破壊されていただろう。
今にも消し飛びそうな意識の中で、ソラは、空いていた左手で斧槍の柄を掴んでみせた。凶悪なまでの握力で、腹を突き破ろうとする力を押し留める。
女に動揺が走ったのは、会心の連携攻撃でさえ、ソラを制圧できなかったからだろうか。
「不可能だ」
彼女は、ひたすらに冷ややかに告げた。自分では声が出たかどうかさえ定かではない。胸中でつぶやいただけかもしれなかった。が、構わない。相手の手に刺さったままのレイピアを引き抜くと同時に、尾を女の腹に突き刺す。苦悶の声。瀑布の如き猛攻が、一瞬、止んだ。その瞬間を見逃すソラではない。頭上を仰ぐとともに翼を広げ、視界を確保する。鉛色の空になにかが浮かんでいた。AFS。ソラは脊椎反射のように白夜を投げ放った。彼女の手を離れたレイピアは、一条の銀光となり、上空のAFSの腹に突き刺さる。
機械の翼のようなものを背負った少年の姿をしたAFS。 機械仕掛けの人形のような無機的な表情が崩れるのと、ソラの間近で怒号とも悲鳴とも取れる凄惨な声が上がったのはほぼ同時だった。爆発的に膨れ上がった怒気をむしろ冷ややかなまなざしで受け流しながら、そちらを見遣る。
「わたしは負けない……貴様にも、フウェイヴェリルにも……!」
腹を突き破る尾による痛みと、AFSから逆流してきたであろう激痛という二重苦は、ヨミに良く似た顔を必要以上に醜く歪めていた。さらに怒りだ。轟然と燃え盛る憤怒が、悪鬼の如き形相へと変貌させていく。
「ヨミを取り戻すまで……!」
「ヨミを取り戻してどうする?」
ソラは、ひどく冷ややかに問いかけた。女の怒りが増せば増すほど、彼女の意識は冷えていく。
翼の痛みは引いていないが、追撃がない以上は耐えられる。周囲から攻撃してくる様子もない。それは一重に、女のAFSによる爆撃を恐れてのことに違いなかった。
滝のように降り注いだ雷撃は、ソラの周囲の地面をも徹底的に破壊していた。
「あの子を幸せに――」
「あの子は幸せだと言っていたよ。わたしという姉がいるから、幸せだと」
ソラの言葉に、女は色を失った。それは予想だにしない告白だったのだろう。ソラ自身、なぜそんなことを口走ったのかわからなかった。なにか不愉快な感情が胸の内で蠢いている。
「ヨミの姉は、わたしひとりでいいということだ」
それは、ヨミという最凶最悪のAFSデバイスを制御する上で都合が良いからだ。それ以外の理由はない。
だが、ソラの心中は穏やかではなかった。なぜかはわからない。目の前の女を憎悪している自分に気づく。女が、ヨミの唯一の肉親であるからなのかもしれない。
ソラの知らないヨミを知っていることが、どうしても許せなかった。そして、戦闘中にそんなことを考えている自分自身が余計に許せない。
これでは彼らを笑えない。
自分もまた、素人以下ではないか。
「ヨミはわたしの妹――ああっ!」
女の体が漆黒の炎に包まれたのは、ソラが尾の発火能力を最大にしたからに他ならない。黒き猛火は、女の肉体を瞬く間に焼き尽くしていく。怨さに満ちた叫び声が、ソラの耳朶に刻まれた。
「……」
焼け死に、地に崩れ落ちたそれを一瞥したソラだったが、取り立てて感情の変化はなかった。それでいい。彼女は、理解のできない感情が姿を消したことに多少の安堵を覚えると、頭上を仰いだ。AFSの姿はもはや消え去っており、支えを失ったレイピアが急速に落下してくるところだった。
しかし、受け止める機会は訪れなかった。
「よくもニーを!」
怒声とともに飛来した投槍を避けるために、左へと飛び退いたからだ。
(あの女の名前か?)
派手な装飾が施された槍があらぬ方向に飛んでいくのを横目で見ながら、ソラは、その考えを頭の中で否定した。少なくともそんな名前のデバイスは存在しないし、ヨミの姉の名前ではない。
(確か……ネノ)
記憶の奥底から浮かび上がってきた名前に間違いはあるまい。ヨミの姉であり、第二世代AFSデバイスとして開発された少女。失敗作の烙印を押され、廃棄処分されたという記録を閲覧したことがあった。
つまり、ニーというのは偽名。もしくは廃棄物たちの間でのみ通用するコードネームのようなものなのかもしれない。エースやジェイというのもそうだろう。
ならば、ゼットとやらも本当の名前ではないに違いない。思い当たらないのも当然だった。
「そういうことか」
ソラは、ひとり納得すると、槍を投げてきた男の方に向き直った。いや、槍を投げ放ったのは、短髪の男の隣に立つAFSだろう。甲冑を着込んだ半人半馬の第二世代AFS。馬体には、剣や槍など複数の武器が装着されている。
男とAFSの背後には、数多の第三世代が布陣しており、彼の号令を今か今かと待ち構えているように見えなくもない。数は多少減っているようだったが、やはりまだまだ多い。
ソラは、小さく嘆息を浮かべた。
雑魚を相手にするのが、そろそろ面倒くさくなってきていた。
「本当に来たのか」
部下からの報告に、ゼットは、感心するよりもむしろあきれたように目を細めた。“彼”からの情報通り、中央からの刺客が来たという。それはかねてより想定してはいたことだが。
フウェイヴェリル全域に監視の目を光らせる《委員会》が、この町の異変に気づかないわけがない。これでも長い間隠し通してこれたものだと感心してもいいくらいだった。
それもこれも、“彼”の手腕によるところが大きい。
“彼”がいなければ、ゼットたちはとっくに廃棄処分されていただろう。いや、そもそも最初の処分を免れ、廃棄処理場から脱走することさえできなかったはずだ。脱走後、なんとしてでも生き延び、これほどまでに多くの同胞を迎えることができたのも、“彼”のおかげだった。
“彼”には“彼”の目論見があるにせよ、感謝しないわけにはいかない。
だが、それもこれまでかもしれない。
ゼットは、白の外套を羽織ると、壁に立て掛けていた刀に手を伸ばした。柄頭に菊の花の紋章が刻印された長刀・菊花。
ついでに姿見(この部屋に元々あったものだ)を見遣ると、ゼットの全身が映り込んでいた。百九十センチを優に越す長身の男。見事なまでの白髪をオールバックにしており、彫りの深い顔立ちをしている。どこか皮肉げにつり上がった双眸には金色の虹彩が浮かんでいた。口の端が歪んでいるのは、どこかで己の境遇を嘲笑っているからかもしれない。
全身筋肉の装甲に覆われているが、暑苦しさはない。その戦争用に鍛え上げられた肉体に纏うのは、対デバイス戦を想定しているという戦闘服だ。
デバイス相手にはほとんど意味をなさないためか迷彩など一切施されていないものの、その黒を基調とするボディースーツが有用であることは、度重なる訓練で明らかになっていた。そもそも、フウェイヴェリルの実践部隊に配備されているという時点で有用性を疑う必要はない。
その上に外套を羽織っている。白のトレンチコート。とても戦場に向かう格好ではない。
「おまえはいつ見ても良い男だよ、ゼット」
冗談めかしくつぶやいて、部屋を出る。と、少年がひとり、扉と対面の壁に寄りかかって立っていた。どことなくいたずら好きの猫を思わせる雰囲気の少年。さらさらの黒髪に第二世代特有の銀色の目を持っている。彼が、刺客襲来の報せを伝えにきたゼットの部下だった。
「エル、待たせたな」
その呼び名は、少年がこの廃棄物の棲む町カリシアに訪れたとき、ゼットが与えたものだ。
本当の名前を捨て去るのが、ここのルールだった。本当の名前は、《委員会》を打倒し、自分たちの誇りと自由を取り戻したときにこそ名乗るべきだ。それが彼の持論であり、故に仲間たちにも本来の名前を捨てさせた。
エルという名前は、当初こそ気に入っていないようだったが、何度も何度も呼ばれるうちに観念したのだろう。いまでは自分からエルと名乗るようになった。
(むしろ当て付けかな)
そう思わないこともない。
エルは、ここへ来た当初は極めて反抗的で、ゼットたちにも敵意を隠さなかった。いまでこそ命令には従順で、子猫のような愛嬌を見せるものの、内心ではなにを考えているのかわかったものではない。彼は猫のように気まぐれだった。
「いいえ。ぼくは大丈夫ですよ。皆の方が心配かな」
殺されてなきゃいいけど、と不穏な言葉を軽々しく口にする少年の心の内など、想像もつかない。
しかし、エルのいうことももっともだった。相手はたったひとり。だが、だからこそ警戒しなければならない。カリシアの制圧など、その“たったひとり”で事足りると判断されたということなのだ。第一世代。それも相当の実力者に違いない。
「急ごう」
ゼットは、速やかに彼が寝床とする雑居ビルを後にした。彼がこの街に住み着いて以来根城としていたビルは、彼と仲間たちの手によってでたらめに装飾され、一目見て、なにがなんだかわからない有様になっていた。が、どうでもいいことには違いない。
ここはカリシアの北東に位置する。
戦場は中央公園。
急げば、間に合うかもしれない。いや、急がなければ到底間に合うまい。
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