5 起動

 胸が鳴った。頬がわずかに緩む。意識はむしろ緊張するのだが、表情だけは別の生き物のように微笑を浮かべてしまう。胸の内に喜びがあった。闘争の鐘の音が聞こえた。

 視線を巡らせる。

 周囲三六〇度を埋め尽くすのは、何十人という失敗作たち。屈強な肉体を誇る男や、目付きの鋭い少年、扇情的な肢体の美女、凶悪な面構えの少女など、年齢や性別はさまざまだった。彼らは一様に武装し、剣や槍、弓などを携えている。やはり軍の正式採用モデルだ。これほどの数の武器を手軽に用意できるはずもない。なにものかが横流ししているのは間違いないらしい。が、どうでもいいことではあった。

 いまやソラは、先程の狙撃手のことさえどうでもよくなっていた。敵がこれほどいるのだ。殺す相手には困らない。それに、なんといっても彼らも本気でこちらを殺しに来ている。エースたちとは違う。

 これが戦場なのだ。

 ソラは、ようやく笑みを消した。いつものような鉄面皮を意識する。鉄面皮、などいうのはかつての生徒や現在の部下たちの陰口なのだが、いつの間にやら彼女の代名詞となっていた。それも悪くはないものだ。心地よくもないが。

 見回した限り、第三世代が敵戦力のほとんどを占めていた。第二世代の数はざっと一割以下と見ていいだろう。当然の結果だ。何も不思議ではなかった。総量が違うのだ。大量生産され、戦場を塗り潰すほどに投入され消費される第三世代と、既に生産が中止された第二世代では、現存する絶対数があまりにも違いすぎた。不良品の数も変わるし、その上、脱走者となるとその数はさらに少なくなる。

「……おまえが中央からの刺客か?」

 険悪な言葉を投げつけてきたのは、やはり第二世代の証明たる銀色の目を持つ男。赤茶けた頭髪を腰辺りまで伸ばしていた。髪に隠れがちな眼は爛々と輝いている。それは瞳に光が反射しているわけではなく、物理的に虹彩が発光しているからだ。虹彩の発光現象は、AFSデバイスすべての世代に見られるものであり、AFSが起動していることの証明だった。つまり彼は、最初から全力を出しているということだ。

 筋肉質な体には、軍が採用している戦闘服の上から部分鎧を身に付けていた。合金製の胸甲、肩当て、篭手。白夜では貫けないだろうが、そこに当てなければいいだけの話だ。

 手にしているのは長槍。全長二五〇センチほどか。当然、男の身長よりも長い。その鋭利な穂先は刺突のみならず斬撃にも対応している。当然間合いは広く、そう簡単には懐に飛び込むことはできないだろう。そして、柄頭に見える獣の頭部を模した飾りは、軍のものであることの証明。

 フウェイヴェリルの軍は、なぜかその獣頭の飾りを気に入っていた。ソラには理解できないことだったが、理解しなくてもいいことでもある。

 男の背後が、陽炎が立ち込めているかのように揺らめいていた。彼の後方で武器を構える第三世代たちの姿が、わずかに歪んで見える。そこだけ空気の濃度が違うかのようであり、まるで目には見えないなにかが蠢いているようでもあった。目に映らず、背後の景色さえも透過するような存在。事実、不可視の化け物がそこにいるに違いなかった。

 ソラには、目に見えずともわかった。そもそも、男の虹彩が銀色に輝いている以上、それが実体を伴って出現しているのは明白だった。その上、それには独特の気配とでも言うべきものがあった。臭いと言ってもいい。戦場の臭い。刀槍剣戟が火花を散らし、生存本能と破壊衝動が交錯する領域――その臭いがする。

 その臭いを嗅いだとき、ソラは、今度こそ、と思った。今度こそ、期待を裏切ってくれるな。

「問答無用」

 ソラは、先ほどの男の問いを一蹴すると、白夜を軽く構えた。体勢は固定しない。いつ、どんな攻撃が来ても柔軟に対応できるよう、常に律動させる。わずかな律動。だれの目にも彼女の肉体が動いているようには見えないかもしれない。それほどまでにささやかな揺らめきだった。

 切っ先を赤毛の男に向ける。他の有象無象には興味がない。第二世代はともかく、第三世代は敵と認識する価値さえなかった。周囲から注がれる無数の殺気も、痛くも痒くもなかった。中には彼女の興味を引くほど研ぎ澄まされた殺意もある。だが、極少数だ。第二世代の数ほど少なくはないにせよ、期待するべきではない。彼らに期待すれば肩透かしを食らうのは、さきの戦闘で、よく理解した。

「いいさ、それでも。おまえはエースたちを殺したんだ。なら、生きて帰れると思うなよ」

 言葉が、軽い。

 ソラは、やはり期待はずれなのかもしれないと思ったが、深くは考えないことにした。

 男は、無造作に槍を一薙ぎして見せた。鈍い銀光が視界を切り裂き、剣風が砂埃を舞い上げる。男の五メートルほど前方の地面に美しい半円が刻まれた。それだけで、彼がただ無造作に槍を振るったのではないことがわかる。切っ先が届いてもいない地面を抉るなど、通常では到底不可能だった。

「これがおまえの生死を別つ絶対境界線。これを越えたとき、おまえは死ぬ」

 勝ち誇るでもなく、たた義務のように告げてきた男に対して、ソラは、呆れるよりもむしろ憤りを覚えた。なぜ、みずからの能力を敵に周知させるのだ。己の手の内を明かすなど、実戦では考えられないことだった。余程力量の差が有っても、口にするべきではない。綻びは、そこから生まれる。弱点を見出され、敗死へと至るのだ。

(フェイクならば……)

 彼の義務的な口調が、一縷の望みだった。偽報ならば構わない。それが本当の能力から目を逸らさせるための行動なら理解できる。

 それに、周囲の百以上の失敗作どもが身動ぎ一つしないのも気になった。

 武器を構えたまま微動だにしない。それは、彼らが行動に移る瞬間を待っている証明のように思えてならなかった。一斉に攻撃をしかける千載一遇の好機。その合図を待っているのだとすれば、それは、赤毛の男の宣言と関係があるのかもしれない。

 でなければ、あのようなことを公言するなど、ありえない。

 そう考えれば、彼女の怒りも収まろうというものだ。なぜ、これから処分しようというもののために怒りを覚えなければならないのか、彼女自身にも理解できないことではあったが。

 いずれにせよ、男の真意を知るには、行動に出るしかない。黙殺するという手はなかった。

 それではつまらない。

「それがどうした」

 静かに告げると、彼女は、左手を背後に回し、剣帯から短剣を抜いた。二本。人差し指と中指の間に一本、中指と薬指の間にもう一本の短剣を挟んでいた。彼女は最大六本の短剣を携帯している。近接戦闘にはレイピアがある以上、短剣の出番は牽制としての投擲か、攻撃としての投擲くらいしかなかったが。

 ソラと赤毛の男の間にはおよそ十メートルの距離があった。

 男は、深く腰を落とし、長槍を構えていた。切っ先は鈍い輝きを放ち、その絶対境界線とやらを飛び越えた瞬間にでも動き出すかのような気配を見せている。気迫は十分。殺気の鋭さも合格点を与えられるだろう。銀色の眼光は、敵と認識するに足る程度には力強いものだった。

(さて)

 ソラは、思索を断ち切ると、左腕を振るった。赤毛の男の頭部を狙い、短剣を投げつける。二本の短剣は、彼女の無意識の思惑通り、直線を描いて男へと殺到する。

 そして、絶対境界線の直上に差し掛かった瞬間、ぎんっ、という耳障りな音とともに虚空に火花を散らした。なにか見えざる壁にでも阻まれたかのように跳ね返り、地に落ちる。

 ソラは、わずかに目を細めた。それなりには強力な能力らしい。

(強力?)

 胸中で頭を振る。短剣を打ち払っただけだ。投げ放った短剣を蒸発させるくらいではなければ、強力とはいえまい。

 彼女は、男を見た。男は、槍を携えた姿勢のまま、動いてさえいなかった。つまり、槍による迎撃などではない。もちろんそんなことはわかっている。確認する必要さえない。

 一歩、踏み出す。

 見えざる障壁があるのだとして、それが彼女の生死を別つ絶対境界線などではない。そんなものが自分を殺せるはずもなかった。確信は、自惚れからくるものではない。実力と経験に裏打ちされた自信だった。

 周囲の気配に細やかな変化が生じたが、黙殺する。有象無象の失敗作どもは、ソラが絶対境界線を越える瞬間を待っている。その瞬間になにが起こるのか、想像するだけで面白くはあった。

 赤毛を無視したらどうなるのだろうと考えなくもなかったが、こんな面白そうなものを放置するなど、ソラには考えられないことだった。

 期待外れの不良品どもだ。多少なりとも楽しませてもらわなければ、この任務を受けた意味がない。

 もちろん、どんなにつまらない任務でも、彼女は文句も言わない。だが、戦いならば、楽しくなければ意味がない。

 戦うために生まれた以上、そこに喜びを見出だすのはある意味当然だった。

 地面を蹴る。外套を閃かせて飛ぶソラの姿は、漆黒の猛禽を想起させるという。銀の嘴を持つ黒き凶鳥。振り撒くのは死だけだ。

 絶対境界線までの距離が瞬く間にゼロになる。

 彼女は、なんの迷いもなく地面に刻まれた半円を飛び越えた。刹那。

「つ~かま~えた~!」

 間延びした子供の声が足元から聞こえ、強烈な衝撃がソラを襲った。足の裏から頭の頂点まで電流でも走ったかのような痛みが生じる。小さくうめく。予想とは異なる方向からの攻撃。

 そして、彼女の体は空中で静止した。

 ソラは、足元を見下ろし、それを認識した。地面に異形の顔面が浮き出ている。それは決して人間のものではなく、泥の塊のようだった。淡い緑の光を発するふたつの眼孔と、歯も舌もない口腔があり、そのおかげで顔と判別できた。いや、実際にはそれを顔と判断したのは、彼女の経験則に過ぎない。第一、出来の悪い人形の顔にさえ見えないのだ。穴が三つあるだけでは、一目見て顔面などとは思えないかもしれない。

 それが、子供の声を発した存在だった。ソラにはわかる。数多の経験が導き出す結論に狂いはない。そして、短剣を弾いたのも、彼女を拘束したのも、それの力に違いなかった。

 そう、ソラは、泥の顔面の周囲から伸びている触手のようなもので拘束され、空中に固定されていた。泥で構成された幾つもの触手が、彼女の肢体を外套の上からがんじがらめにしている。レイピアを振り回すどころか、身動きひとつ取れない。だが、ダメージは最初の一撃だけだった。ゆえに問題はない。なんとでもなるだろう。

 彼女は、視線を不細工な化け物から赤毛の男に戻した。男の背後にあった陽炎のような揺らめきが失せている。なるほど、あれの正体が泥顔面らしい。

「まさかこんな手にかかるとはな……」

 赤毛は、ソラを拘束できたことを喜ぶよりもむしろ驚いているようだった。ソラが、まさか無策で飛び込んでくるとは思いもしなかったのだろう。実際、あんなことを宣言されたのならば、様子を見るなり、警戒を強めるものだ。しかも、投げ放った短剣を弾かれている。その上で飛びかかるなど、正気の沙汰ではない。

 ソラにだってわかっている。

 ここが本当の戦場で、相手が普通の第二世代ならば彼女も警戒し、なんらかの方策を練ったかもしれない。しかし、ここは仮初の戦場に過ぎない。相手は第二世代とはいえ、欠陥品なのだ。有象無象の廃棄物たち。取るに足らない相手だった。

 ソラは、泥人形の触手の感触と臭いに眉を潜めながら、周囲から迫り来る足音に多少の期待を覚えていた。それは破滅の足音だ。殺意と敵意が群れをなしている。数多の武器が翻り、彼女を目指して解き放たれようとしていた。無数の矢、剣、槍。

「じぇ~い~! ど~するの~?」

「そのまま捕まえてろ。すぐに終わる」

「りょ~か~い!」

 泥人形の子供じみた大声は耳障り極まりなく、ソラは耳を防げないことだけが辛かった。無論、両手が使えたところで、耳を塞ぐわけもない。それは愚行だ。

 赤毛の男――恐らくジェイ――は、勝利を確信しているようではあったが、決して油断しているようにはみえなかった。捕縛できたことに半信半疑なのだ。だが、彼も動かなければならないのだろう。周囲の有象無象が動き出していた。

「終わる? なにが終わるというのだ」

 他人事のようにつぶやきながら、ソラは、男が跳躍する様を見ていた。その場で槍を振り回せば届いたはずなのだが、彼は確実性を求めたのだろう。絶対境界線を描く程度の力では、ソラは殺せないと判断したのかもしれない。

 ソラの広大な視野は、眼前のジェイだけでなく、その背後や周囲から迫り来る数多の敵を捉えている。目には見えないものの、自身の後方からも接近してきているのも把握している。全周囲。あらゆる方向から、夥しい数の死が殺到してくる。得物を携えたものだけではない。殺気の込められた無数の矢が、彼女の視界に飛び込んできていた。

 赤毛の男との間合いは、既に三メートルほど。だが、男は止まらない。さらに距離を詰めようとしていた。動けないソラに必殺の一撃でも叩き込むつもりなのかもしれない。だが、その慎重さが徒となる。

 ソラは、ひどく軽薄に告げた。

「まだ始まってすらいないじゃないか」

「っ!」

 不意に、眼前といってもいい距離にまで接近していた男の顔が、驚愕に染まった。間抜けな表情だった。

「第一世代(オリジンズ)だと……!」

 その発言のおかげで、彼が愕然とした理由がソラにも理解できた。彼が口にしてくれなければ永遠に謎のままだったかもしれない。もっとも、そんな謎を抱えて生きていくつもりなどさらさらなかったが。

 彼の死とともに忘れたに違いない。

 ジェイが驚いたのは、ソラの眼を間近で見たからだ。サングラスを外したいま、露になった彼女の眼に輝くのは、黄金の虹彩だった。遠距離で見て気づかなかったのは、彼の失態にほかならない。

 それは第一世代の証。

 第三世代は愚か、第二世代の遥か上を行くAFSデバイス。

「いまさら気づいたのか? 第二世代(インプロダクト)」

 彼女は、淡々と、銀色に輝く眼を見据えていた。彼の瞳に焦りが生まれていた。いや、恐怖に近い感情が揺れているといったほうが正しい。

 ジェイの表情から勝利の確信が失せた。

 その反応が、ソラの意識を急激に冷却した。冴え渡る感覚が告げる警告も無視し、目の前の失敗作をいち早く破壊したい衝動に駈られた。またしても期待外れだった。

 もう、いいだろう。

 遊びは終わりにするべきだ。

「AFS強制起動(オーバードライブ)」

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