3 開始

 彼女の薄暗い視界に映る街並みは、先ほどから何一つ変わらない。静寂よりももっと重い、絶対的な沈黙に抱かれた廃墟のような世界だ。生きとし生けるものの気配は微塵も感じられず、小さな虫や動物たちさえもいないのではないかと錯覚させる。いないはずがないのだが、そう判断させるだけの説得力がある。

 それほどまでに静まり返っていた。

(これがイレギュラーといえるのか?)

 町の住民が見当たらないのは十分に異常事態だ。再開発のための退去勧告は出されていないし、住民の受け入れ先も決まっていない状況なのだ。こんな状態で住民を退去させるわけがないし、退去させていたのならば報告があるはずだ。それがない。ということは、町の内部でなにかがあったことの証左だろう。

 サヤの危惧したイレギュラーなのか、どうか。

 ともかく、彼女はカリシアの大通りを前進していた。季節の移ろいを無視するかのように気温は低く、吹き抜ける風も冷たいが、障害になどなるはずもない。廃墟同然の静けさに抱かれた街並みはあまりに色褪せて見え、彼女の意識を遠い過去へと誘おうとするかのようではあったものの、それさえも彼女の前進を阻むことはなかった。

 やがて、ソラは町の中心に辿り着いた。街の規模にしては広めの、公園とでもいうべき空間だった。そこを街の中心と断定したのは、見回す限り、様々な通りが繋がっていたからだ。街の北と南にある城門から続く通りを歩いていけば、必ずここに到達することだろう。

 だだっ広い空間だった。戦闘を行うには十分すぎるほどの広さがある。集団と戦うならここだろう、そんなことを考える。

 公園の中心には小さな池があり、池の真ん中には女神かなにかの銅像が佇んでいた。武装し、槍を掲げているところを見ると、闘争を司る存在なのかもしれない。遠く後方の街にあっても戦いからは切っても切り離せないのが、この大陸の街の特徴だろう。

 もっとも、その女神がなんであれ、信仰する対象にはなりえない。

 彼女が信仰するのは力だけだ。

 闘争に勝利し、未来を勝ち取るには純然たる力が必要だった。

 だから、ソラは、ここにいる。

 公園を見回す。荒れ放題だった。長い間、手入れもされず放置されていたのだろう。雑草が、そこかしこで自分たちの勢力圏を主張していた。

「……?」

 ふと、ソラは、頭上を仰いだ。空は相変わらず不機嫌そうな表情をしている。いや、不愉快そうとでも形容したほうが相応しいのかもしれない。彼女は、詩的な表現が嫌いではなかった。かといって、詩想に耽るようなことはない。

 空模様は、いまにも降り出しそうに見える。

 雨。

 黒い雨。

 大陸を破滅へと追い遣る漆黒の雨が、降る。

「さっさと片付けるか」

 だれとはなしにつぶやいて、彼女は背後へと向き直った。

 男がいた。四人。見た目には人間のようだ。四肢があり、ふたつの足で突っ立っている。髪型や容貌も、一目でわかるほどに違う。身に付けた簡素な衣服は、動きやすさを優先にしているように思えた。戦闘に支障を出さないために、だ。

 だれもが鋭い眼光を放っている。こちらを見据えるまなざしは敵意に満ちてはいたが、感情的ではない。むしろ、冷静に値踏みしているといったところだろう。銀色の虹彩を持つのがひとり、残る三人は多用な虹彩をしていた。つまり、第二世代が一体で、残りは第三世代ということだ。失敗作。廃棄物たち。

「あんたか。中央からの使者ってのは」

 声を投げて寄越してきたのは、銀眼の男だった。冷ややかな声音。攻撃的な性質を秘めている。敵意の塊だった。

 ソラは、目を細めると、口の端に小さな笑みを刻んだ。意識が震える。久々の感覚だった。ようやく、戦場に到着したのだ。待ちに待っていた。ここが彼女の居場所なのだ。あるべき場所であり、果てるべき場所なのだ。だが、昂揚感に身を委ねてはいけない。まだ、早い。頭の中の冷静な部分が、ソラに警告している。

 彼女は、それを受けて心を冷やすのだ。感情を制御し、戦闘に備えよ。

「……なるほど」

 ひとりごちる。なるほど、情報が漏れている。《黒》の中に内通者がいるのか、それとも別の派閥による手引きなのか。《黒》の中に内通者がいるとしたら大変なことになる。サヤが怒るだろう。彼女の怒りは、いつかのように粛清の嵐となって吹き荒れかねない。それは《黒》が最凶最悪の派閥といわれる所以となった。繰り返していいものではない。が、ソラにはどうすることもできない。彼女に出来ることといえば、目の前の敵を排除することだけだった。

 ソラは、銀眼の男を見据えた。サングラスに覆われた視界でもそれとわかるのは、やはり感覚的な問題なのかもしれない。端整の顔立ちをした男だった。均整の取れた体格は、彼が日頃から鍛錬を怠っていない証だろう。それは残りの三人も同じだったが。

 静かに口を開く。

「おまえたちが失敗作か」

「失敗作などと呼ぶな!」

「俺たちは失敗作でも廃棄物でもねぇっ!」

「失敗作だのなんだの、あんたらが勝手に決め付けただけだろう?」

 瞬時に激昂した男たちの中で冷静に言い返してきたのは、銀眼の男だけだった。彼だけが、他の連中とは違う空気を纏っている。これが一世代の差だとすれば、あまりにも大きな差といえるのだが、実際はそうではないだろう。簡単な挑発に乗った連中が愚かなだけだ。

 彼女は、軽く頭を振った。彼らの反応にあきれたわけではないが、多少の脱力感を覚えないでもなかった。血湧き肉躍る戦場には程遠い。嘆息とともに言葉を吐き出す。

「……まあいいさ。おまえたちと口論するためにここにきたわけではない」

「!」

 ソラの言葉を宣戦布告とでも受け取ったのだろう――男たちが一斉に飛び散った。銀眼はその場に留まり、残りの三人が左右に散開する。それぞれ、どこかに帯びていた得物を取り出すと、切っ先をこちらに向けてきた。四つの冷ややかな殺気が彼女の意識に触れる。心が震えた。望んだ通りとはいかないにせよ、戦場に立つことができた。それだけで彼女の意識は昂揚した。肥大し、尖鋭化していく。

 もはや、抑えられない。

 が、彼女は、彼らを片手で制した。その上で、自分の意識をも制する。もう少しだけ我慢が必要だ。

「ひとつだけ確認したいことがある」

「なんだ?」

「まさか命乞いか?」

 第三世代の男が、ありえないことを口走ってきたが、この際黙殺する。

 ソラは、銀眼の男を見ていた。精悍な面構えは、好意に値した。戦士の顔つきだった。丁重に殺してあげよう。

 問う。

「町の住民が見当たらないようだが、何処へ行った?」

「……」

 男は、なにも返してこなかった。沈黙が答えとでも言わんがばかりに口を閉ざし、手にした長剣の柄を握る手に力を込めたようだった。思い詰めているようでもある。攻撃を仕掛けてくる様子もない。黙殺。彼女は、彼への評価を改めた。好意を抱くほどの相手でもなかったらしい。覚悟が足りない。

 ソラは、男の反応を窺うのにも飽きて、第三世代の連中を見回した。彼らも一様に緊張したような面持ちで、罪の意識にでも苛まれているかのようだった。なぜ、住人の居場所を聞いただけでそのような反応をするのか。

 答えはひとつ。

 ソラは、声を上げて笑いたかった。これほど馬鹿馬鹿しい話があってたまるものか。イレギュラーにしてもほどがある。いや、サヤはこの程度予想していたかもしれない。行き場のない失敗作どもが集まったのだ。なにを仕出かすのかわかったものではなかった。

 彼らが、《委員会》への憎悪と復讐心のあまり、地獄に身を堕していたとしても、なにもおかしくはなかった。それほどの所業。

 いや、本能に従っただけなのかもしれない。

 だとしても許されることではない。

 ソラは、銀眼を見遣った。もはやなんの感情も湧かない。あるのは殺意のみ。いや、それは殺意ですらなぁった。廃棄物を処理するという任務を遂行するだけのことだ。義務に過ぎない。義務に感情はいらないのだ。速やかに遂行するだけだ。

 そして、問う。

「――喰わせたな?」

 銀眼に動揺が走った。

 男が口を開くのと、ソラの足が地を蹴ったのは、どちらが速かったのか。

「し、仕方なかったんだ! そうするしか――!」

「言い訳などするな。見苦しい」

 男の言葉が続かなかったのは、その口の中に突剣(レイピア)の切っ先が突っ込んだからだ。剣を振るったのはソラ。一足飛びに間合いを詰め、剣を抜くと同時に突き刺していた。眼にも留まらぬ早業。レイピアの切っ先は口蓋から脳髄へと至り、銀眼の男を絶命へと追い遣る。男の眼は焦点を失い、肉体に宿る力も急速に消えていく。

 ソラは、レイピアを抜くと、男の体が重力に引かれて崩れ落ちるに任せた。剣を振るい、切っ先に付着した血や脳漿を飛ばす。物音がした。ただの肉塊と成り果てたものが、崩れ落ちたのだろう。

「エース!?」

「そんな、エースが……!」

 男たちが大仰に叫んだが、ソラの耳にはただの悲鳴にしか聞こえなかった。不愉快な鳴き声だ。闘争には不要に違いない。

「泣くなよ。ただ廃棄物をひとつ処分しただけだ」

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