2 任務

「カリシアって、聞いたことあるかしら?」

 女が尋ねてきたのは、首都グラスヴェリルにある大邸宅の一室に脚を運んだときだった。

 フウェイヴェリルを運営する《委員会》の委員のひとりであり、《黒》の派閥の総帥。

 名はサヤといった。十代後半から二十代前半といっても通じる外見が、彼女の神秘性を際立たせている。実齢は不明であり、彼女に直接年齢を聞いたり、なんらかの手段で知ろうとしたものは例外なく謀殺されるという噂が、まことしやかに囁かれている。サヤの日頃の言動を見ている限り、その噂が事実であっても不思議ではない。

 透き通るように輝く銀髪はこの世の思えないほど美しく、大きな眼はまるで碧玉のように綺麗な青さを湛えている。絹のような肌は、紫外線など浴びたことがないように見えた。実際はそんなことはない。晴れた日差しの中を闊歩する彼女の姿を目撃したこともあれば、散歩に同行したこともあった。

 可愛らしい唇は、朱でも差したかのように紅いが、彼女は化粧をしない主義だった。化粧ひとつせずにその美貌を保っていられるのは新手の詐欺だ、などと喚く連中もいるが、ソラにはよくわからない話だった。ソラも化粧などしない。兵器にそんなものは不要だった。サヤの要望で一度だけ化粧をしたこともあるが、それだけだ。語るべき内容はない。

 サヤの身長は、決して高くはない。低いといってもいい。一五〇センチ足らずといったところだろう。体型も女性的な凹凸は少なく、それが一層、外見年齢を引き下げる要因になっていた。幼児体型と陰口を叩くものもいるが、彼女自身は気にしてもいない。それどころか幼女趣味の男を引っ掛けられるわ、などと喜んでさえいた。

 身に纏うのは、ゴシック調の漆黒のドレス。スーツの着用が義務付けられている場面でもその格好だった。それはスーツ姿があまりにも似合わず、周りの人間が笑いを堪えなければならないためでもあった。彼女としては納得しがたいことであるらしかったが、それでも、部下のそんな意見にも耳を傾け、取り入れるのはさすがに総帥といったところだろうか。

 その姿は、まるで美々しく飾られた人形のようだった。玉座のような大仰で豪華な椅子に腰掛けているのだからなおさらだ。さらにぬいぐるみでも抱えてくれれば、ある意味完璧だったが。

 妄想を振り払い、ソラは問いに答えた。

「東端の町ですね」

「御名答。さすがはソラね」

「褒められるようなことではありません」

「ふふ。あなたらしいわ」

 サヤの笑い声は心地良い。いや、話し声自体、ソラの耳朶には気持ち良く響いていた。彼女の声を聞いているだけで、わずかにも安らぎを得られるというのは、どういう理由なのだろう。いや、理由などどうでもいいことだ。現実に安らぎを覚えられるのなら、それでいい。

 大邸宅の二階にあるサヤの執務室。高級感の漂う広い空間には、ソラとサヤのふたりしかいない。ソラが彼女に呼び出されたときは、いつもこうだった。極秘の任務があるのだ。部下に聞かれるだけならまだしも、何かの拍子にその口から漏れることを恐れている。彼らに他意があろうとなかろうと、任務の内容が漏れることだけは避けなければならないのだ。特に、ソラに与えられる任務の内容ほど公言してはならないものはないだろう。

 多くの場合、人の死が絡んでいる。

「そのカリシアの町に都市開発計画の手が入ることになったの。浄化炉を建造して、ついでに拠点として機能するように全面的に造り直すつもりらしいわ」

 時間もお金もかかるけれどね、とサヤはうんざりしたようにいった。都市開発計画の責任者としては頭の痛いところなのかもしれない。町をひとつ作り直すのだ。膨大な金と人が動く。そこに数多の思惑が絡みつき、彼女の思考を雁字搦めにしていたとしても不思議ではない。が、そんなことはあるまい。ある種の安心感とともに確信する。サヤには失礼な話かもしれないが。

「浄化炉を……ですか?」

 ソラが引っかかったのは、それだった。

 浄化炉。

 フウェイヴェリル領内の大都市ならば必ず一基は存在するだろう施設のことだ。延命装置とも言う。

「そうよ。ガナンの浄化炉、エンシエルの連中に壊されちゃったもの。ついでにガナンは陥落。直すには、ガナンを奪還しなくちゃならないわ。それなら、新たに作るほうがいいんじゃない? 浄化炉は多ければ多いほどいいともいうしね」

「……エンシエルは、なにを考えているのでしょうか」

「さあね。自分たちのことだけ考えているんじゃない? 自分たちさえ生き残ることが出来ればいいとでも想ってるのよ。だから、平気で浄化炉だって破壊できる。そんなことをしたってなんの意味もないのにね」

 それどころか、自分で自分の首を絞めているだけだ。例え、エンシエルが大陸の覇権を握ったところで、大陸が破滅してしまえばそれこそ意味がない。すべては水泡と帰し、なにもかも消滅せざるを得ない。もっとも、フウェイヴェリルやサイズルーンがエンシエルの独走を許すことはないが。

 大陸は、破滅を患っているという。

 逃れ得ない滅びを。

 その破滅の日をわずかでも遠ざけるために浄化炉はあった。大陸の毒を浄化し、大陸の命を少しでも永らえさせるために。

 そのための浄化炉なのだ。

 それを破壊するなど、大陸に生きる人間にとっては考えられない話だった。つまり、大陸の将来など考えてもいないのだ。身勝手極まりない。しかし、我侭なのが人間とも言える。が、狭量な視界に映るのは、小さな世界でしかない。

「エンシエルの阿呆たちはこの際放っておくとして――いずれこの借りは返すけど――、あなたにはカリシアに行ってもらうわ」

「話が見えません」

「カリシアの住民には浄化炉の建造のために退去してもらうのだけれど、それだけじゃ怖いのよ」

「怖い?」

「わたしたちがもっとも恐れるのは、イレギュラー。だから、あなたに行かせるのよ。あなたなら、力技でねじ伏せられるでしょう?」

 えもいわれぬ笑みを浮かべ、至極簡単なことのように言ってくる彼女に対して、ソラは憮然とした表情を浮かべるに留まった。彼女の期待は当然のことではあったが、目の前ではっきりといわれると面映いものがある。意識して表情を硬直させておかないと、緩みかねなかった。サヤの前で表情を崩すなど、餓えた獣に餌を見せるようなものだ。それだけはできない。

「……どういうことです?」

「カリシアには、第二世代、第三世代の失敗作が隠れ住んでいるという報告があるのよ」

 サヤの言葉に、ソラは目を細めた。意識が急激に冷えていく。脳細胞が活性化され、数多のイメージが頭の中を錯綜した。闘争の風景。本能が囁いている。早く行こう。そして、血祭りに上げよう。

 彼女は密やかに歯噛みした。血を落ち着かせなければならない。だが、疼く。本能が闘争を求めている。しばらく前線から遠のいていたのが原因だろう。厄介なことだが、同時に仕方のないことだとも想う。

 ソラは戦士なのだ。

 戦うことでしか己を表現できないのだ。だから、闘争には胸が躍り、腕が鳴る。それが兵器として不要な感情であるとわかっていても、抑えられない。

「処理施設から脱走した連中でしょうね。脱走報告はあっても、確保されたという話はほとんど聞かなかったし」

「手引きしたものがいるのでは?」

 あの施設からそう簡単に脱走できるものではない。内部に手引きしたものでもいない限り、外へ抜け出すなど不可能なくらい厳重に管理されているはずだった。罪人を収容するよりも厳しく、深く。

 失敗作は害悪でしかない。害悪を外に出すことなどあってはならない。処理しなければ、フウェイヴェリルという国自体に害を為しかねない。

 失敗作の烙印を押されたものどもは、フウェイヴェリルに憎悪を抱いているだろう。国のために身を擲った挙句、不要だと判断されるのだ。復讐という名の暗い情念に身を焦がされているとしても、なんら不思議ではない。

「かもしれないわね。ま、それに関してはこちらでなんとかするわ。あなたには、その失敗作を見つけ出し、処分してきて欲しいの。イレギュラーが起こる前に、ね」

 失敗作の脱走が既にイレギュラーだと思うのだが、彼女は口には出さなかった。サヤもわかっているだろう。それに最悪の事態を予期してのことかもしれない。その最悪の事態がどのようなものなのかは彼女には想像もつかなかったが、それは自分の発想力が貧困だからかもしれない。勝手に結論付けて納得する。そして、尋ねる。

「動員人数は?」

 すると、サヤは極めて意外そうな顔をした。そんな質問などまったく予期していなかったとでもいいたげな表情だった。その驚いた顔がめずらしくて、ソラは、息を止めてしまった。それほどまでに愛らしかったのだ。もちろん、ソラはその反応を表情には出さない。

 一拍の間を置いて、サヤが口を開く。

「あなたひとりよ。相手は第二、第三世代の廃棄物。あなたなら、暇潰しにもならないんじゃないかしら?」

 ソラは、サヤが導き出した当然の結論に満足感を覚えたものの、やはり表情には一切表さなかった。サヤの前では、些細な弛緩も許されない。彼女に好機を与えるわけにはいかないのだ。ソラがソラで在り続けるためには、常にある程度の緊張を持って彼女と相対しなければならなかった。

 そうして、ソラは、カリシアに派遣された。

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