the Darkness of the Origins
雷星
1 到着
大陸と呼ばれている。
名もなく、意味すらわからず、その広大な大地のことをそう呼んでいる。
だれが呼び始めたのかもわからない。
すべては歴史の闇の中だ。
いや、繰り返される戦火の中で燃えて尽きたのかもしれない。
名を付ける必要がなかったのは、他に比べるものがなかったからだろう。
大陸はただ大陸でよかった。
だからこそ、この大地に住む人々は、この地を大陸と呼んだ。
大陸には、三つの国があった。
サイズルーン、エンシエル、そしてフウェイヴェリル。
大陸を三分する国家は、何百年にも渡って領土を巡る戦争を続けていた。奪っては奪われ、殺しては殺され、壊しては壊され――闘争は何度となく繰り返され、いつしか戦いの目的さえ忘れられていった。手段と目的が入れ替わったのはいつからだろう。だれもが、戦うことこそが義務なのだと思うようになっていた。
だれも疑問を抱かない。
絶え間なく続く闘争こそが、この大陸に生きるものの責務だといわんばかりに。
それはある意味真実であったのかもしれない。
少なくとも、彼女は、そう信じていた。
女が軍用車を降り、カリシアの地を踏んだのは、夏だというのにもかかわらず肌寒い風が吹きつける日のことだった。
頭上には、鉛色の雲が幾重にも折り重なりながら渦を巻き、いかにも悪天候だといいたげにその存在を主張している。青空の欠片さえも見当たらない。太陽が顔を覗かせるはずもなく、冷ややかな空気だけが地上を撫で付けるように吹いていた。
女。名はソラ。一見、男とも女とも見分けの付かないような格好をしていたが、れっきとした女性だった。彼女の存在にどれほど性差の意味があるか疑問ではあるものの、女として生まれてきたのは事実だ。否定するつもりもないだろう。
長身痩躯。艶やかな漆黒の髪が風に靡くほどには長い。透けるように白い肌はさながら陶器の如し、とはだれかの言葉だが、自慢するようなものでもない。そもそも、容姿を誇るような状況にあったこともなければ、そんなつもりもない。
細く鋭角的な眉は、彼女の攻撃的な部分を暗示しているような気がしないでもないが、きっと気のせいだろう。両目はサングラスに隠されている。陽光を逃れるためではない。
目を曝すのは、単純に嫌いだった。
長身を覆うのは黒い外套であり、腰には剣を帯びていた。剣の鞘も黒一色で、ベルトも、外套の隙間から覗く装束もまっ黒であり、まさに黒ずくめといった様子だった。故にこそ、肌の白さが際立つのだが、彼女は別段気にもしていない。といって、この黒ずくめの格好を気に入っているというわけでもなかった。支給された制服を身に付けているに過ぎない。
ソラは、軍用車が走り去ったのをその独特の駆動音が遠ざかったことで認識した。彼らの役目は、彼女を無事ここまで送り届けることだけだ。見届ける必要も、事が終わってから迎えに来る必要もない。いや、本来ならば迎えに来のだが、彼女がそれを拒んだ。
任務終了後は独りでありたいというのが、ソラの数少ないわがままだった。彼女の上司もそのことに関しては口を挟んでこない。理解している、ということだとソラは認識していたが。
そう、任務だ。
ソラは、ある任務を遂行するためにカリシアに来ていた。
カリシア。
フウェイヴェリルの領土にある町のひとつだ。
見るからに小さな街だった。大陸の町の例に漏れず四方を城壁に囲われてはいるものの、明らかに防衛能力に欠如していた。防壁は薄く、低い。この時代、この程度の城壁など意味を成さないだろう。破壊されて突破されるか、飛び越えられて突破されるか、ふたつにひとつ。どちらにせよ、これほど無意味な城壁もない。
が、それも仕方のないことかもしれない。この町は前線から遥かに遠い場所に位置している。フウェイヴェリルにおいて、もっとも戦火に縁のない町といっても過言ではないのだ。それだけに防衛能力の強化や、人員の配備が遅れても致し方のないことだった。労力をここに割くよりも前線に充てるほうが効率的だったし、なにより後方なのだ。すべてが後回しになるのは必然的なことだ。
少なくとも、フウェイヴェリルを運営する《委員会》はそう考えているし、その結論に異論を挟むものもいなかった。
古びた城門を潜り、街の中へ。門が開け放たれているのは、時刻的な理由に過ぎないだろう。街の住人が安寧に溺れているわけでもあるまい。夜が来れば門は閉じられるはずだ。
(とはいえ……)
ソラは、城門の先に広がる閑散とした市街の光景に疑問を抱かざるを得なかった。話では人口一万人足らずの町だというのだが、その情報さえも疑わしいほどの光景だった。人気がないのだ。人っ子一人いなければ、生活感もない。立ち並ぶ家屋や建築物の窓や扉は閉ざされたままか、または開かれたまま長い間放置されているように見えた。
(これがイレギュラーか?)
彼女の脳裏を過ぎったのは、彼女に命令を下した人物の言葉だった。
『わたしたちがもっとも恐れるのは、イレギュラー。だから、あなたに行かせるのよ。あなたなら、力でねじ伏せられるでしょう?』
至極簡単そうに微笑みかけてきた女性のことを思い出して、ソラは、ただ目を細めた。サングラスの奥。外からはわからない些細な変化。彼女は頭を振った。浸っている場合ではない。この異常事態を制圧しなければならない。
原因を追及し、解明する必要はなかった。
制圧。
それだけが彼女に与えられた任務。
ソラは、前方を見遣った。閑散とした街並みが広がっている。人気がないのは相変わらずで、半ば廃墟と化しているといっても言い過ぎではなかった。生気がないのだ。生物が活動している様子が見受けられない。ならば、滅びているのと変わりない。
町は、人間が生活するために作られるのだ。そこに住むべき人間がいないのならば、廃墟以外のなにものでもなくなる。どうでもいいことだが。
むしろ、《委員会》にとってはそのほうが都合が良いに違いなかった。
(浄化炉か)
廃墟を歩きながら考えるのは、彼女がここに来た理由だった。
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