第19話 黒幕と白幕
春日原燿が事件を起こしてから一日の時間が経った頃にて。
吽雀高校の理事長室。普段は人が寄り付かない物々しい雰囲気を醸し出す一室に、一人の無愛想な空手着を着た男がノックもせずに入っていく。
中には一人の女性がそれほど忙しくもなさそうに座っている。女性の名は
そんな女性を前に、臆することなく男はズカズカ歩いていく。この度胸の塊の男の名前は春日原臥龍。つい一日前に問題を起こした春日原燿の実の父親であり、世界最強の五本指に入る猛者である。なぜ、そんな男がこんな卵を育成する場所に来ているのかというと、春日原燿の事件の話を聞きに来た……ということはなく、実は理事長と臥龍は幼馴染である。よって、これは久々に幼馴染に会いに来たのと同じであって、息子のために謝りに来たという事は微塵もない。
さて、先ほど、この二人は幼馴染だといったが、その実二人の仲は険悪である。仏頂面な臥龍と無表情で臥龍を見つめる竜胆。一触即発の雰囲気を匂わせつつ、二人は同時に笑った(と言っても、笑ったとわかるのは竜胆だけで、臥龍は微かに口元は動いたかという程度だ)。
「本当。あなたの血筋はやってくれますね」
「ざまあみろ。お前の考え通りには行かんよ。この学校では最弱と呼ばれているらしいがな。俺の息子はやるときはやるやつだ」
「結構な信頼っぷりじゃないですか。あなたがそれほどまでに他人を信頼するのは初めて見ましたよ」
「じゃあ、存分に見ておくんだな。雀羅、お前じゃあ、俺の考えに及ばんよ」
「どうでしょうかね。私の本気はこんなものじゃないですよ?」
楽しそうな雰囲気から一転、険悪すぎて逆に笑えてくる二人の会話に純粋な悪意は感じなくて、むしろ二人はゲームをしているのではないかという考えさえ思わせる。
臥龍は勝手に客用の椅子に座り込み、長居することを遠回しに伝える。すると、竜胆もそれを認可したらしく自らお茶を入れ始めた。しかし、そのお茶はあくまで自分用。臥龍の分など入れるはずもなく、そのままズズッと音を立てながら飲んでいく。
臥龍もお茶がそこまで好きなわけではないので別に文句を言うことはなかった。どちらかと言われればお茶を入れられることにより、逆に毒が入っているのではないかと勘ぐってしまいそうになるほど、気を使わなくてはいけなくなるほどだ。
さてと、と、臥龍が話を始める。それはここに来た本当の理由であり、ある話の続きをしに来たのである。
「よくもやってくれたな。まさか、お前が俺の家を燃やすとは思わなかったよ」
「何のことか全然わからないんですが?」
「白を切り通すつもりならそれでもいい。でも、俺の家を放火した奴がどうして警察で捜索されずに今ものうのうと生きているんだろうな?」
臥龍は全てを知っているんだぞという目で竜胆を見る。竜胆は迷惑そうにお茶を一口飲むと、とんっと茶碗をテーブルの上に置くと、
「根拠はなんですか? もしも私が関係しているとして、私はどう関係しているというんですか?」
「根拠、か。昔からお前がそういうのが好きだったな。……そうだな。まず、根拠の一つはさっきも言った通り俺の家を放火した奴が警察によって捜査されていないこと。次に、同時期にこの学校の問題児とやらが停学処分から復帰したことだな」
ぐっと喉を鳴らして、竜胆は臥龍から目をそらす。臥龍はなおも続ける。
「そうだな。一つずつ問題を解き明かしていこう。まず、俺の家が放火された。放火されたということは放火した奴がいる。それは必ず逮捕されなくてはいけない。しかし、現在も逮捕されていない。逃げ続けている可能性もあるかも知れないが、日本の警察はそう簡単に放火犯を逃がさない。素人でもわかるような犯行をする犯人を逃がすわけがない。なら、どうして捕まらないのか」
一回の息継ぎを経て、臥龍は答えを言った。
「警察本部よりも上の立場で、いやもしかしたら総理大臣レベルの圧力が掛かっているから。そう考える方が賢明だろう? むしろ、そう考えるほかないんだよ。そして、警察全体を押し黙らせるほどの権力者といえば総理大臣や各大臣。それに、ジャン拳システムを作り出した創始者たちか、世界屈指の武闘家のみだろう。この中で、一番動きそうな奴は、ジャン拳システムを作り出した創始者たちか世界屈指の武闘家たち。まだこの段階では範囲を絞れただけだ。そこで二つ目の究明が必須となるわけだ」
ここまで話して、臥龍はそっと竜胆の方を睨みつけた。竜胆はもはや誰が見てもわかるくらいに動揺しいている。茶を飲む手がプルプルと震えているあたり、もう当たっていることが丸分かりだ。
しかしながら、最後まで言って竜胆を逃がすことを許さないように止めを刺しに行く。
「同時期に問題児が停学処分から復帰したな? そいつは昨日俺の息子と戦った。そして敗北したらしいじゃないか。その試合をする前の時、俺の息子がある気になることを言ったらしい。これは俺の弟子に聞いた事だから完璧ではないが、俺の息子は『個人的にも俺はお前に恨みがあるんでな』と言ったらしい。個人的、ということは私念があったことになる。だが、あいつは誰かを恨むことは早々にない。なぜなら、あいつは恨む要素がまずないんだよ。なにせ、喧嘩をしないし、闘いは自ら避けるやつだからな。そんなあいつの個人的な恨みってのはなんだろうな?」
「さ、さあ? あなたの知らないところで喧嘩でもしていたんじゃないですか?」
「校内最弱が、か? あいつは決して自分の領分を間違えない。必ず、自分が出来ることしかしないんだよ。なにせ、そう育てからな。そんな奴が、自分よりも随分と上の立場に喧嘩を売って敗北して、恨みを持つなんてことはないんだよ。だから、俺はこういう結果にたどり着いた」
客用のソファから立ち上がって、臥龍は理事長の席に座る竜胆の下に近づき、ドンっと大きな音を立てながらテーブルに手を着く。
それに驚いてびくんと竜胆の体が震え、少し泣きそうな目で臥龍を見つめる。
「俺の息子の個人的な恨みというのは放火のことで、俺の息子の対戦相手の停学処分が終了するのを知っていたのはお前だ、雀羅。そして、最初の結論の枠の中にお前は入っている。なにせ、お前はジャン拳システムの創始者の一人で世界最強の一角だからな。それ以前に、お前は俺のことが嫌いだ。できるなら死んでほしいと思っているだろう? 今回の放火にお前が絡んでいると考えれば全てがうまく繋がるんだよ、雀羅。これでも何か言い訳があるか?」
「……どこで、分かりましたか?」
「どこで? 最初からだ、雀羅。お前が俺に何かをしようとするときの姑息な表情は昔から変わらないからな。嫌でもわかるさ。俺たちは幼馴染だ。嫌なことも、当然嬉しいことも知りたくなくてもわかってしまうんだ。それを、忘れたわけじゃないだろう?」
「そう、ですね。まったく、やっぱり私はあなたが嫌いです。いいえ、あなたの血筋は嫌いです」
「そう毛嫌いするな。俺はお前のことを昔から結構気に入っているがな。険悪な仲だが、いざという時は一番俺のことを理解してくれているからな」
「今の言葉、千代さんが聞いたらどう思うでしょうかね?」
「さあな。まあ、千代のことだ。案外、笑って許すんじゃないか? あいつも俺たちと同じ歳なんだからな。それに親友同士だっただろう?」
臥龍、竜胆、そして臥龍の妻の千代は同級生。それも、この吽雀高校の卒業生だ。当時は今みたいにジャン拳システムがなかったため、喧嘩が絶えなかった臥龍に、いつも迷惑を被っていた二人が竜胆と千代である。
そんな懐かしい記憶が二人の中で流れたあと、もう一つ、切っても切れない繋がりを思い出す。
「
「ああ。お前こそ、
「ええ。まったく、二人共どこへ行ってしまったのでしょうね。三人の娘たちを置いて……」
今の海璃と刄とは臥龍と竜胆の姉弟、兄妹である。海璃は臥龍の姉であり、刄は竜胆の兄である。そして、結婚している仲でもある海璃と刄は、五年前三人の娘たちを置いてどこかへ消えてしまった。その三人の姉妹というのが臥雲七海、臥雲六花、臥雲五美の三人である。
なぜ、臥雲という苗字が臥龍と竜胆ないのかというと、臥雲という苗字は元々臥龍の父親の苗字であり、臥雲と臥龍だと同じ字が二つ入るので、臥龍は春日原という母親の方の苗字を使っているというわけだ。つまり、竜胆の兄は臥龍の家に婿入りしたことになる。
よって、臥雲姉妹と春日原燿は他人である前に、血筋が最も近い他人、親戚という枠組みに入っていることになる。だが、それを知らない臥雲姉妹と春日原燿はちょっとおかしい方向へと関係が進んでいるみたいだが、それはまた別の話だ。
「臥雲姉妹はうまくやっているのか?」
「ええ。連携校から、いじめなどの事は聞かされていません。多分ですが大丈夫でしょうね。まあ、あの姉妹に喧嘩を売ること自体がまずおかしいですが」
「そうでもないだろう? いつの世にだって下克上をしようとする輩は存在する。そういう危険だって――――」
「安心してください。下克上なんて、あなたの息子しかしませんから」
下克上。下の者が上の者を敗ることを指し、自ら革命を起こそうとする所業である。そんな大それた事は普通は起こらない。なぜなら、上の者が下の者に負けるはずが到底ないからだ。
しかしながら、下克上という言葉が存在するということは当然のようにそういう事柄が存在するわけで、一般ではそのことをイレギュラーと呼ぶ。そのイレギュラーを達成したのは臥龍の息子、春日原燿である。
春日原燿は最下位という底辺から五千位代という強者に苦し紛れだが勝った。それはありえないことで、観戦者に希望を与えるものにほかならない。
そんな偉業(異業とも言う)を達成した春日原燿は既に普通ではない。臥龍の息子というだけで普通ではないのに、臥龍の力をそのまま受け継いだとなると、事は一線を画すことになる。
ジャン拳システムを作り出した一人としてはそれは認可できなかった。だから、潰そうとしたのだが、逆効果となり、むしろ覚醒の兆しを作り出してしまったことを竜胆は心の奥で後悔することを止まない。
「これからは大変そうだな。一人が下克上を達成してしまうと、あとは戦乱だぞ?」
「だから、あなたの血筋は嫌いなんですよ。私に迷惑しかくれないんですから」
「それが、お前にとっては楽しみになってきているだろう? どんな面倒も簡単に片付けてしまうお前だから、お前はお前に面倒を押し付けられるんだ。そうだろう、雀羅?」
「勝手に理解しないでください。……はあ、ですがまあ、生徒たちが腐っていくよりはマシでしょう。今回だけは、感謝しますよ」
やれやれと呆れ気味だが、竜胆は笑顔で頭を振った。臥龍はそんな竜胆を見て、微かに笑う。
やがて、臥龍は真面目な顔になって、竜胆を見るようになる。そして、真面目なトーンで話し始めたことには重々しさが感じ取れるほどの野太い声だった。
「臥雲姉妹を、頼んだぞ?」
「あなたに言われなくてもわかっていますよ。彼女たちは私の姪ですからね。何が何でも守ってみせますよ。ですが、能力不足は私の仕事でどうにかできるものではありません。能力の方は――」
「そっちは俺がどうにかする。臥雲七海に武術を教えたのは俺だからな。臥雲七海はすごかったぞ。教えたことをすぐにやり切る。天性の才能を持っている。凡人が到底手に入れられないような天才という才能をな」
「そう、ニヤニヤ笑わないでください。まったく、あなたは本当に昔から変わりませんね。あなたは戦う以外に好きなことはないんですか?」
「失敬な。俺にだって修行という楽しみがある」
「それは戦うことを指すんですよ。やっぱり馬鹿じゃないんですか?」
「そう口うるさいからお前は色々と小さいんじゃないのか?」
そんな他愛ない(?)ことを言い合いながら、馬鹿なことを言い合えるのは仲がいい証拠か、それとも険悪すぎるが故か。そのどちらにせよ、二人の言葉は臥雲姉妹を守り切るという決意であった。
しかしながら、守るというのは大人二人の役目ではなかった。臥龍と竜胆は別々の思惑をもって、ある人物にその責任を丸投げしようとしていた。その人物とは春日原燿。彼は彼女を守ると公言した。邪魔はさせないと断言してしまった。その尻拭いと同時に仕事を押し付けようと考える二人のことを春日原燿はまだ気がつかないでいる。
「さて、俺はそろそろ帰るとするか」
「ええ、さっさと帰ってください。あなたがいると仕事は進みませんから」
「仕事などしていないじゃないか。俺のせいにするな。そもそも、仕事などさほど大変ではないだろう?」
「そんなことありませんが? 少なくとのあなたが修行をするよりは大変ですよ」
「ほほぉう? お前、俺に喧嘩を売る気か?」
「あなたは幼馴染に、しかも女性に手を挙げるような下衆だったのですか? 千代さんに言いつけますよ?」
「ふんっ。まあいい。それじゃあな」
「ええ、では」
臥龍がテーブルから手を退かすと竜胆はノートパソコンを取り出し、カタカタとタイピングを始めた。どうやら仕事をし始めたらしい。
それを後ろ目に見ながら、臥龍は伝え忘れていたことを思い出したようで、振り返って、
「今夜は鍋だそうだ。帰りが遅いと千代が心配するから早く帰って来い」
「……分かりましたよ」
それだけ伝えて、臥龍は理事長室から最初と同様に仏頂面で出て行った。
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