第18話 裏方と真実

 万丈という男に喧嘩をふっかけ、その上で公正なジャン拳を行って、戦っている少年は、目の前で万丈という男に甚振られている。

 自ら喧嘩を振っておいて、副会長という立場の人物を押しやってまでも戦わなければならないと言った少年が今、試合場の中央で、全校生徒の目の前で甚振られ、無様にも立ち上がっている。

 こんな試合に意味はない。それが大部分の意見だった。気が付けば、周りでは最弱が何をやっているのだと笑っている者たちもいる。誰の目から見ても明らかな現状の中、一人の少年がヘラヘラと笑いながら神原に近づいていく。


「少しだけ賭けの時間とは早いけど、これが副会長さんに見せたかったものさ~。どうだ~? 面白い逸材だろ~?」

「さあ? 私には彼が何をしたいのか微塵も理解できませんけど」

「ははっ。違いねぇや~。理由も状況も心もわからない人間にとって、他人が何をしようとわからねぇもんだよな~。でもな~。案外、あいつァは理由も状況も心もわからなくてもいい、どうでもいい事のために闘ってるのかもな~」

「どうでもいいことのために闘う? ……私には到底理解できませんね。人が闘う時、それはそれ相応の理由を持っているはずです。闘う理由もないのに、拳に何が乗るというのですか」


 キツく金鵞を見つめる神原。だが、金鵞はそんな神原の視線すらも面白おかしく見て、いかにも相手の怒りを買おうとしている。

 やがて、決着が着くかと思われた時、ジャージを着た学校を休んだはずの少女が試合場に近づいていく。そして、告げられる真実。生徒会長が、みんなの憧れが本当は貧乏で、親に捨てられた普通ではない人だという事実に、問題児を除くすべての生徒が驚いた。問題児たちはそのことをクスクスと笑い、生徒会長を嘲笑う。万丈は戸惑っている人たちに火を付けるように同意を求め、生徒たちはそれに答えてしまった。

 神原はそれを見て、悔しいという思いでいっぱいだった。

 神原は生徒会長の事実を知らなかった。だが、笑う理由はないと言い切っていた。しかし、全校がそういう考えかと言われればそうではない。周りに合わせる者だって絶対にいるのだ。それが、伝染していって、やがては大きな悪意に変わる。それを、生徒会長は耐え切れずにいる。

 この場で今、生徒会長の傍にいられないことが悔しく、相談してくれなかった生徒会長が憎くて仕方なかった神原は唇を噛んだ。

 悪意が充満する場の中で、一筋の光が差した。生徒会長が少年の体を思って試合を終わらせようと声を上げ、自身の全てを捧げようとしたその時、少年がボロボロの体では到底でないような音量で叫んだ。


「それ以上、言うなぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!!!!」


 響きはすべての生徒に届き、悪意を一旦押し黙らせる。少年の怒気を感じ取った生徒たちは少年の敗北を待つだけの状況を見届けるために再び静まった空気の中で、少年の最後の叫びを聞き届ける。

 普通。校内最弱と呼ばれる少年が、ここまで闘えるはずがなかった。もっと早くに敗北するはずだった。しかし、少年はここまで耐えてみせた。それだけで十分だったのだ。それなのに、少年はまだ足掻いている。神原はそれを見苦しいなどとは思わなかった。むしろ、羨ましいとさえ思った。

 必死に足掻く姿は確かに滑稽だ。敗北を待つだけの状況はどう見ても残酷だ。だが、それに抵抗する姿はこれ以上に無く素晴らしい。自分にはできないと心から尊敬できることだ。

 だが、


「ここまでですね」


 冷たい視線を見せた万丈が少年の薄い胸板を大きな足で踏みつぶそうと力を込めた。

 それで少年は終わるはずだった。神原も最後までそれを見ずに立ち去ろうと回れ右をすると、またしても金鵞が邪魔をする。ヘラヘラと笑っている口元が、まだだと言っている。どうしてそこまであの少年のことを信じられるのか、分からなかった。しかし次の瞬間、その気持ちが少しだけわかった気がした。


「見ろよ~。あいつァ、本気なんだ。いつだって……そう、いつだって必死に生きてるんだ~。女子のおっぱいのためにな~」

「まさか……あの体で、一体どこからあんな力を?」

「物理でやっただろ~? 力点と作用点、となんだったっけな~? まあ、そんな感じで足首を軸に、膝を少しの力で折り曲げたのさ~。これは、合気道の力の移動の真髄にあるもんだな~」

「合気道? ですが、彼は……」

「必死に覚えたのさ~。生徒会長さんとな~」


 まるでその現場を見ていたように、金鵞が言っている。それを聞いて、神原は驚きを隠せなかった。土日を挟んで、あの少年は一体どれだけの修行をしたのかと。一体、どんな修行をさせられたのだと。

 体が武術を覚えるのにはかなりの年月がいる。しかし、あの少年はそれをたった二日で終わらせてしまった。いや、それ以上に扱えていると言っていいだろう。校内最弱だと笑っていた者たちを嘲笑うかのような所業に、神原は少年のことを考え直した。

 彼は普通ではない。そう、言うなれば天才。いや、鬼才だろう。一つの武術をいやもしかしたらもっと多くの武術を二日で習得してしまったという、馬鹿げた所業を行ってしまう彼は、既に自分たち四天王の脅威でしかないと。

 面白おかしく笑う金鵞。どうやら試合が終わりそうなのを見て、教師を無力化しに行ったらしい。果たして、助けを求めた万丈の表情は金鵞を見て恐怖に染まり、完全に怒りに身を任せた少年を見て絶望に色を変えた。それを見ながら、神原は万丈と同じく恐怖で体を震わせていた。

 もしも、彼が最初から本気を出していたら。もしも、彼が女子に簡単に手を出せてしまうような人だったら。きっと、七海は最初の出会いの時点で武術家としての人生が死んでいたかもしれない。

 そう考えると、彼は武術家殺しとして広く名を知られなくてはならないだろう。そうでなければ、世界中の武術家が彼の毒牙にかけられ、その生命を終わらせることになる。

 そんなことを考えている神原に一通のメールが届く。宛先は金鵞だった(メアドは随分と前にジャン拳で勝ち取った)。

 内容は『今すぐ四天王全員で全出口を押さえて、待機しろ。もうすぐ、祭が始まる』というものだった。何が祭りなのかわからなかったが、神原はとりあえず四天王にそのことをメールで知らせ、至急手配し、自身もまた出口に向かった。

 少年の敗北で全てが終わると思われていた試合はまさかの少年の大逆転で幕を下ろし、最後に少年が放った言葉がすべての問題児を掻き立てた。


「七海さんを笑う奴がいるのなら俺が叩き潰す!! 七海さんを嘲笑う奴がいるのなら俺が蹴散らす!! だから来いよ! そんなゴミ虫は校内最弱に負けるってことを教えてやるよ!!」


 そんな啖呵が自身にどのような被害を被るかも考えず、少年はそう断言した。掻き立てられた問題児たちはリーダー格だった万丈のことなど忘れて数で潰すために一斉に少年に向かって突っ込んでいく。


「こういう、ことだったのですか」


 神原が合図を出すと、四天王全員が一斉に問題児たちを宙へと巻き上げ、ふらついた少年の下では事の発端者である金鵞が後始末のように問題児を巻き上げている。

 生徒会長の休みを知らされた少年が走り出した時、校門で話したことで引っかかることがあった。

 それは、一体どうやってこの学校の闇とも呼べる問題児たちの根絶をするのかというものだ。


『俺も、生徒会長さんが間違っているとは思わないさ~。でもな~。実際に間違っていると思っている輩がたくさん存在するんだ~。俺は、無駄な抗争を一度で終わらせるために万丈をけし掛けたんだ~。わかるか~? 俺は、お前さんの敵じゃないってことさ~』


 少年と金鵞が話していた内容の一部だ。この中で、無駄な抗争を一度で終わらせると言っている金鵞の思惑だけが最後までわからなかった。一体どういった方法で全てを収める気だったのか。少年を使って終わらせるのだと思っていたそれは、全く違った。

 金鵞は、生徒会長の秘密を餌にして、少年を出汁に使い、最後はこの学校の頂点である四天王と生徒会長で肩をつけさせようとしていたのだ。そして、その作戦は成功してしまった。神原たちは見事その作戦の上で踊らされてしまった。


「まったく、小賢しい人ですね。いつか、潰しますよ?」

「いや~。バレちまったか~。まあ、いつかが来ないことを願うよ~」


 百人程度の問題児の混戦の中、二人はそんな話をしている。気が付けば、試合場に降り立った一人の少女が自分のために闘ってくれた少年を抱き抱え、感謝とお礼の言葉を言っていた。そして、半分程度がいなくなったところで、少女は四天王と金鵞の包囲網からゆっくりと歩き出た。

 その表情にもう迷いの念は存在しない。むしろ、いつも以上に晴れやかで、いつも以上に生き生きとしていた。そんな生徒会長を見て、四天王全員は呆れのため息を吐き、そして同時にこう思った。


――――ああ、やっと吹っ切れたのか、と。


 前から思っていた。生徒会長は自分たちに何かを隠し、苦しんでいるのではないかと。なぜ、自分たちに相談してくれないのかと。当然だ。自分たちが生徒会長の心がわからないのと同じで、生徒会長だって自分たちの心がわからないのだから。もしかしたら笑われるかもしれないと考えると、絶対に言うことなどできないのだから。

 その点、少年は違ったのだろう。きっと、最初は成り行きだったのかもしれない。それでも全てを知ってしまったのだ。そのことが、どれだけ生徒会長の心を穏やかにさせたのか、計り知れない。

 だから認めよう。四天王全員は、背後で寝かされている少年を見やって、一斉にこう呟いた。




「「「「自分たちの負けだよ、校内最弱の弟子さん」」」」




 そして、それから先は生徒会長の二つ名の通り『一姫当千』、すなわち『一騎当千』が始まった。


「みんな。手を出さないでね。これは本来、私の問題だから。私の弱さが生み出した事件だから」


 全員が頷くと、生徒会長はにっこりと申し訳なさそうに笑って、五十人程度になった問題児の中を華麗に走り抜けた。

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