第17話 危機と本性

 万丈の初手は掴み。俺の腕を強引に掴み、そのまま力ずくで投げる。

 この試合のルール上、枠外に出るのは敗北だ。ただし、今回は俺からの要望で手を着いても負けないというルールを追加したのだが、もしかしたらそれが裏目に出る可能性もあったのかもしれない。

 投げられた俺がなんとか枠内で留まるとすかさず万丈はスライディングをしてくる。それをジャンプでなんとか避けると、避けることを考えていた万丈が俺の足を掴んで地面へと落とす。そのせいで変な着地をしてしまった俺は全身のバランスが崩れる感覚とそれに伴う大きな痛みを受けた。そこに万丈の蹴りが腹部に炸裂。内蔵を揺さぶられた。

 吐き気が襲う中、俺は万丈の止めの攻撃をなんとか避け、ゆらゆらとフラつきながら万丈から逃れる。


「おいおい。どうしたよ。ゴミ虫を潰すんじゃなかったのか? もしかしてよ。お前みたいな雑魚の分際で、俺に勝てるとか思っていたんじゃないだろうな? それなら、可哀想だが無理な話だ。お前じゃ、俺の速さには追いつけねぇんだよ!」


 気合の入った突きが俺の顔面を捉える。ぐしゃりと音を上げて、俺は吹き飛ばされた。ああクソっ。手加減ってものを知らないのか、あいつは! 今のは本気で殺しに来ただろ!

 だが、一直線に向かってくる攻撃を、俺はバックジャンプである程度の威力を殺していた。そのため、これほどの攻撃を受けても立ち上がることが可能であった。

 しかしながら、バックジャンプで攻撃を和らげるのが精一杯で、完全に威力を殺すことも、避けることもできない。それは一貫して万丈の攻撃が読めないことにあった。

 まるで、テスト範囲を知らされていないテストを受けているような気分だ。まあ、テストに物理的な痛みはないが、精神的ダメージだったらいい勝負をするだろう。それほど、万丈の攻撃には一貫性も、統一性もない。つまるところ、これは我流と呼ばれるものか。

 俺は我流を使う人と戦ったことがない。七海さんはそうらしいが、両手だけと手加減をされても相対できていないのだから七海さんと比べてずっと弱い万丈でも自由に戦われては手も足も出ないのだろう。

 さて、どうしたものか。勝つとか、ぶっ倒すとか大見得切ったのはいいが、負けたら大恥だぞ? いや、俺が恥をかくのはいい。俺のせいで七海さんにまで恥が感染うつってしまうのが心苦しい。かと言って、攻略法のない勝負に校内最弱が勝てるはずもない(攻略法があっても勝てる見込みは薄いが)。

 こうしている間にも万丈の攻撃は続く。多少のダメージを負いながらも、俺はどうにかして突破口を探す。でも、万丈の攻撃が読めるわけでもなく……。


「がっ!」

「ガハハ! 降参しないと死んじまうぞ!!」


 無残にも攻撃が俺の頭に炸裂する。その結果、俺の体の動きは完全に止まり、木偶の棒へと変化する。そこからは、完全な虐殺へと変わった。倒れそうになる俺を倒さまいとアッパーで起し上げ、連続攻撃が俺の顔面を体を打ち付ける。

 一旦、攻撃が止んだかと思うと、俺は頭を掴まれて力なくその場に立たされていた。


「おいおい。もうへばったのか? いいのかよ。生徒会長さんの秘密をここでバラしちまうぞ?」

「……や、めろ」

「ああ? 聞こえねぇぞ?」

「や、めろって、言って――――」


 俺の言葉は最後まで出なくて、最終的に俺の頭を掴んでいる万丈の手が、勢いよく地面に叩きつけられ、それに伴って俺の後頭部は固い床に打ち付けられた。

 普通、後頭部はひどい衝撃を受けると危険な部分。それを、何回もと言っていいほど叩かれた俺は、既に死んでいても不思議ではない。現に、頭からは血が流れ、衝撃で口の中を切ったらしく血の味が広まり、全身も痛みを思い出したかのようにズキズキと悲鳴を上げている。申し訳ないが、俺がこれ以上戦える理由は存在しない。理由は存在しないが、戦おうとするのは、俺の親父譲りの頑固な性格からなる心が生み出した最後の足掻きだ。

 それ以前に、七海さんの前で、俺が負ける事は許されない。校内最強の弟子である俺が、高が五十位程度の万丈に負けるわけには行かないのだ。それが、例え惨めなことであっても。


「ちっ。まだ倒れないのか。いいぜ、今楽にしてやるよ。おい、みんな! そこにいる生徒会長、臥雲七海はな! 親に捨てられ、貧乏生活の中で、武術だけが取り柄の何もない女なんだぜ!!」


 瞬間、試合場が凍った。クスクスと笑っているのは万丈と同じく問題児扱いをされている奴らだろう。きっと、あいつらは万丈が手足と使っている奴ら。同時に、七海さんに恨みを持っている奴ら。

 そうか。七海さんの敵は、一人じゃなかったんだな。こりゃ、俺には荷が重そうだ……。

 意識も薄らいでくる中で、万丈とその仲間たちが七海さんを嘲笑っている。その中でどうしていいのかと困っている生徒たちも、少しずつ七海さんを笑い始めた。なんでだ。理想だと思っていた七海さんをなぜ笑うんだ。どうして、七海さんがこんな仕打ちを受けなくちゃいけないんだよ!

 一歩、歩き出そうとする。だが、俺の体は動いてくれなくて、視界が暗くなり始めた時にふと、七海さんが歩いてくるのが見えた。


「私は確かに貧乏だよ。親にも捨てられたし、取り柄は武術だけかもしれない。でも――」

「でもも何もないんだよ、生徒会長。あんたは普通を持っていないんだ。みんなが持っているものを、あんただけが持っていない。可愛そうだな。なあ、みんなもそう思うだろ!」


 ガヤガヤとし始めた試合場。そのザワつきの正体は笑い。みんなが七海さんを笑っている。見れば、七海さんは震えている。きっと、怖いんだ。みんなが自分を笑っているというこの状況が怖いのだ。

 どうしてだ。どうして俺には力がないんだ。この観衆を黙らせられるほどの力がないんだよ!!


「だ、まれよ」


 やっと動いた口も、かすれた声にしかならない。しかし、それを聞き届けた万丈は面白くなさそうに俺の胴体を蹴り上げる。一回のバウンドをして、俺が必死に立ち上がろうとすると、万丈はそれを足で地面へと押し付けた。俺が最初に言ったゴミ虫を潰すかのように。


「良かったな。この学校のゴミ虫を潰せるぜ? なあ、春日原燿。俺とお前の違いはなんだと思う? それはな――」

「やめて! それ以上は燿くんの今後の生活に支障が出ちゃうよ!! 生徒会長の座ならあげるから! 私を笑ってもいいから! だから、それだけは――」




「それ以上、言うなぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!!!!」




 地面に踏みつけられた俺が試合場に響き渡る声でそう叫んだ。一瞬にして笑い声は消え去り、静寂が全てを包み込む。

 俺は七海さんにそれを言って欲しかったわけじゃない。俺を救って欲しかったわけじゃない。俺は救いたかったんだ。こんな理不尽な世界に苦しめられて、その世界を愛することしかできない七海さんを。こんな下衆から救い出したかったんだ。


――――決して、泣いて諦めて欲しかったわけじゃない!!!!


 俺は必死に万丈の足を持ち上げ、息継ぎをする。そして、


「あんたは何も間違っちゃいないんだよ!! 金がないのがなんだ! 親に捨てられたのがなんだ! そんなことがあんたの人生の自由を奪っていいわけがないだろ!! なんで誰よりも頑張っているあんたが苦しまなくちゃいけないんだよ!! なんでこんな下衆にあんたが全て捧げなくちゃいけないんだよ!! そんなことは間違ってるだろうがよ! こんな現実、おかしいだろうがよ!!!!」


 俺の叫びが余韻を残しながら試合場に反響する。そして、すべての音がなくなったとき、万丈が冷たい視線を俺に向けながら、


「言いたいことはそれだけか? じゃあ、死ね」


 大きな足が俺の胸板に押し付けられ、万丈の大きな体の体重が全て乗せられる。細身で、しかも筋力があまりない俺の体はそれに耐えられずミシミシと音を上げ、万丈が本気で肋骨を折りに来たとき、簡単に骨が折れた。

 声も上げず、俺は体を震えさせた。痛みで震えたのではない。俺はこんな状況の中でも勝ちに行くために震えていた。消して止まってはいけないと、頭が命令する通りに俺は必死に藻掻くように震えていた。

 なぜ、こんな絶望的な状況の中で、諦めても誰も文句を言わない状況の中で、俺が必死に足掻いていたのか。それは俺の今の状況を見て、七海さんが泣いていたからだ。俺が傷つけられるのを見て、七海さんが本気で泣いてくれていたからだ。

 そのことはとても嬉しい。嬉しいが、同時にとても悲しい。

 俺は、何をしにここに来た? 俺は、それを達成できたのか? 俺は、何も成し遂げられていないんじゃないのか?

 七海さんが泣いている。俺の大好きな人が泣いている。あの美しいおっぱいを持つ七海さんが、俺の敗北を見て、泣いているのだ。


――――そんな現実が、許せると思うのか?


 痛みで意識が半分飛んでしまった。そのせいだろう。体の制御を保つはずの頭がそれを疎かにしてしまったらしい。体が、酷いダメージを受けたはずなのに軽い。

 限界突破。中国拳法やアジア系の武術にありがちのもので、人が隠し持っている力を限定的に開放するものがある。俺の今の状態はそれにとても酷似していた。痛みで思考が飛び、痛みを痛みとして捉えてくれない。それすなわち、体がセーブしているはず限界を突破して、無理矢理に力を出せるということだ。

 俺はけらけらと笑い始めた。


「は、ハハハハハハ!」

「けっ。痛みで頭がイっちまったか。まあ、仕方――」


 ぐちゃりと、万丈の足がへし折れた。普通、折曲ってはいけない方向へと。

 万丈の足首を持った俺の左手と万丈の膝を打ち抜いた俺の右手が、その音を出したのだが、万丈は数秒間自身が何をされたのかが分かっていなかったみたいだ。少しの時間をおいて、叫びだした。


「あ、足が! 俺の足がぁぁぁぁ!!」


 足を抱えながら、万丈が転がる。枠ギリギリに押しやられてただけあって、もう少しで転がり出てしまいそうだったが、俺は万丈の無事な方の足を掴んで試合場の真ん中へと引き戻す。

 そして、転がり続ける万丈のもう片方の足を掴んで、膝に足の乗せて両手で手前に折り曲げた。


「ひぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 悲痛の叫び。先程まで優越感に浸っていた男が一瞬にして弱々しい小動物へと姿を変えた。そのせいで観戦者たちは各々見てはいけないモノを見たという顔で呆然とした。

 両足が潰されたことにより逃げる事はもう許されない。万丈は、このあと俺に何をされてもルール上、仕方がないのだ。

 ゆらゆらと近寄る俺を見て、万丈が明らかに恐怖した顔で震えながら言う。


「や、やめろ! 秘密は守る! こ、これ以上、誰にも言わない! だ、だから――――」


 秘密を守る? 誰にも言わない?

 もう遅いよ、万丈。お前は七海さんを悲しませすぎた。いや、それ以前に、


――――俺を、怒らせすぎた。


「黙れよ。こっちは我慢の限界だったんだ。一度だけならず二度までも七海さんを泣かせたな? お前は、この場で殺す」

「お、おい。先公! 審判なら早く終わらせ――」

「ごめんね~。先生は眠いそうでさ~。審判が出来るかわからないけど、俺がこの試合の続きを執り行うよ~」


 どうやら、邪魔が入らないように金鵞が取り計らってくれたらしい。壁際で明らかに何かしらの攻撃を受けた先生が伸びで床に寝かされている。金鵞は俺に笑いかけると、枠外に出て行って、ヘラヘラと見たいものが見てたというしたり顔で俺の試合を見続ける。

 さて、邪魔者はいなくなったよ、万丈。さっき、お前が言ったことをもう一度言ってやろう。


「た、頼む! お、俺の負けだ! 俺の――」

「言いたいことはそれだけか? じゃあ、死ね」


 俺に乞うように手を伸ばしていた万丈のその手の手首を掴み、捻らせてから肘を膝で打ち抜いた。両手足の三本を失った万丈は涙で顔を歪ませながら、片手で必死に逃げようとするが、俺はそんな万丈の背中を踏みつけ、どこに行く気だ? と聞く。

 その光景を会場に来ていたすべての生徒が見ていた。時々聞こえる、あいつは校内最弱じゃなかったのかという声は、どこか恐怖を持っており、見ずとも震えているのが分かる。

 俺はこれが終わったら退学だから、何をしたっていいんだよ。万丈、さっき、俺とお前の違いは何かって聞いたな? それは……。


「俺とお前の違いは、覚悟の差だよ。万丈」


 合気道や古武術で手に入れた体の体重移動で万丈よりも軽い俺でも数段の威力を出せるようになった。俺の体重を乗せた踏みつけが、万丈の分厚い胸板からメキメキと体内から悲鳴を発生させる。

 万丈は声にならない音を発しながら気絶してしまった。これで、敵だった万丈は七海さんの卒業まで戻ってこないだろう。敵が一人減ったわけだが、まだまだいるんだよな、こういうのが。

 俺は、全校生徒に向けて、睨む付けながら言う。


「七海さんを笑う奴がいるのなら俺が叩き潰す!! 七海さんを嘲笑う奴がいるのなら俺が蹴散らす!! だから来いよ! そんなゴミ虫は校内最弱に負けるってことを教えてやるよ!!」


 万丈を倒されてもなお、粋のいい問題児たちは数で潰そうと観戦席から飛び出してくる。きっと、俺よりもずっと上の強者だろう。だけど、今の俺なら勝てる気がする……あ、れ?

 ふらっと俺の体が揺らいだ。どうやら、頭を何度も打ち付けられたダメージが今頃来たらしい。気が付けば、俺の体はまた命令を無視する。

 あー、どうしよう? 敵の数は……百人超えてるんですけど!! 待て待て待て! さっきの無し! たんまぁぁぁぁ!!

 しかしながら、そんな心の声は届く訳もなく、敵は近づいてくる。

 もうダメだ、そう思った瞬間。敵たちが宙を舞った。それを引き起こしたのは、金鵞と四天王のみんなだった。そして、宙を舞う生徒中を走り抜けてくる人が一人。俺が、出来もしない啖呵を切ってまで守りたかった人、七海さんだった。

 七海さんは倒れそうになる俺を抱き寄せ、そのまま床に座り込む。


「ありがと。本当に、本当にありがとね。君がいなかったら、私は……」

「は、はは。何を言ってるんですか。俺がいなくても、七海さんは七海さんでしょう? いつでも笑ってて、いつだって元気で、強くて可愛くて、俺の大好きな――――」


 最後の方は、何を言っているのか自分でも理解できなかった。眠気が思考の邪魔をする。思っていることがそのまま口に出てしまっているような気もするが、どうにも眠い。考えることすらもやめたくなる中で、たった一言、七海さんのこの言葉だけはきっちり聞こえた。


「私も大好きだよ。だから、少しだけ待ってて。すぐに、この人たちを片付けるから」


 俺は笑ったのだろうか。泣いたのだろうか。それとも両方だろうか。どれにしろ、俺の心はとても嬉しくて舞い上がりそうになったのには間違いなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る