第11話 居候と姉妹

 土曜の朝九時。怠惰な俺はいつもなら寝ている時間帯。しかし、今日に限っては違った。なぜか、俺の家が全焼し、行く宛がなくなった俺は土下座までして七海さんの家に泊めさせてもらうことに成功した。

 だが、ここで問題が存在する。確かに、七海さんの家は空き部屋が多い。ただし、それは両親がいない分であり、決して客室があるというわけではない。つまり、この家には今、七海さんと七海さんのご姉妹しかいないことになる。それを加味すると、俺は急に女の子三人と一つ屋根の下という素晴らしい生活が始まったことになる。

 どこぞのラブコメだと思うかもしれないが、いや俺もそう思っている。しかしながら、現状そんなことはどうでもいい。まず、俺は、俺の心は急に女子三人と一つ屋根の下の生活に適応できるほど頑丈ではない。そして、俺は年頃の男だ。それに加えて、かなりの変態だと自覚している。

 それを考慮した上で、俺が静かに寝られるかといえばそうでは決してない。かと言って、校内最強と呼ばれる七海さん、中学校で『光速』と呼ばれている才女の六花ちゃんを前に手を出せるかといえば出せるはずもなく、その二人に守られているこの中で唯一の真面目な少女、五美ちゃんにも手は出せない(小学生に興味はない)。

 だがしかし、緊張とムラムラで眠れるはずもない俺に時間は無残にも進んでいく。そして、今に至るわけだが、どうだろう。少しは苦しみがわかってもらえただろうか。

 俺は一晩を起きて過ごし、その上で朝九時から七海さんに叩き起され、強制的に庭(のような空き地)に連れ出され、そこで眠い目を擦りながら六花ちゃんを前に立たされ、何かが起こりそうな予感がバリバリする瞬間を過ごしている。


「えっと……これは?」

「朝の稽古だよー。今から、六花と戦ってもらうの」

「はぁ……はぁ!?」


 ああ、これだよ。嫌な予感とかホントどうしてよく当たるのかしら。まあ、その言葉さえも七海さんには常識であって、むしろ、嫌な予感が起こらない方がこの人にとっては異常なのかもしれないな。

 俺は出会って三日にして七海さんの本性とか、性格とか、生き甲斐とも呼べるものを見出しつつある。そして、なによりもそれに適応しつつあるのだ。ゆえに、今から何を言われようとも諦めることしかできない。

 鬼の笑顔を見ながら、俺はため息をついて、六花ちゃんを見る。六花ちゃんはその場でジャンプをしたり、軽いジャブをしたりして体を確かめている。

 俺はというと特に何もできないので小さなあくびだけをしていた。

 両者の準備が完了したと見た七海さんは俺と六花ちゃんを空き地の中心に立たせルール説明をする。


「今回は枠組みはないから、どちらかが負けを認めるか、地面に手を付く、もしくは相手を気絶させられればお終いね。今回は時間制限をつけるよ。三十分。この間に燿くんを倒せなかったら六花は五美と一緒にお買い物。もしも燿くんを倒せれば、燿くんは五美と一緒にお買い物ね。このルールに違反しない程度だったら何をしても構わないよ。オッケー?」


 こくりと俺と六花ちゃんは頷いた。そして、お互い三歩下がると、七海さんが片手を高く上げて振り下げた。瞬間、『光速』と呼ばれる六花ちゃんがその名に恥じない突進力で俺の懐まで迫ってこようとする。しかし、眠い頭でも攻撃を受ければ痛いことくらいわかっている俺はその突進を逆に利用して横に逃げる。

 避けることを前提としていたように六花ちゃんは体を九十度回転。鋭い蹴りが放たれる。完全に意識のシャットダウンを狙った一撃。受ければ俺の意識は何処へ飛んでしまうだろう。だから、当たるわけには行かなかった。俺は体を捻ってその攻撃を受け流す。


「昨日の出会い頭の攻撃で分かりましたけど。春日原さんは避けるのが得意ですね」

「いやぁ。これしか取り柄が無くてさぁ」


 軽口を叩けるのだと余裕の顔して六花ちゃんをムキにさせる。そうすれば、怒りで攻撃が定まらずに多少避けやすくなるかもしれないと考えたが、それは逆効果だったみたいだ。

 確かにムキにはなった。しかし、同時に六花ちゃんの心に炎を灯させただけだったのだ。


「それなら、これでどうですか?」


 先程よりも素早い攻撃。だが、避けられる。そう思って、体を捻って避けると、蹴り返しが速さを失わず迫ってくる。流石に避けられない。そして、この攻撃が当たる位置は顎。完全に脳を揺らす気だ。

 脳震盪。それがこの勝負の決定打になるはずだった。七海さんがこの言葉を言わなければ。


「燿くーん。負けたら、一週間は金綱くんが対戦相手だよー」


 チックショォォォォォォォォォオオオオオオオオ!!!!!!

 俺は捻ったばかりの体を今度は逆に捻る。すると、文字通り光速で迫ってくる蹴り返しが俺の髪の毛を掠って振り切られた。

 野郎と一週間も修行をするために俺は七海さんの弟子になったわけじゃない!! 俺は……俺は七海さんとの修行がしたいんだ!! 揺れるおっぱいを見ながら修行がしたいんだよ!!


「うっそぉ……い、今のを避けるんですか?」

「へっへっ……これでも負けられない理由ができちまったんでね」


 俺は危なかったと汗を拭う。あと少しで野郎の攻撃を避け続ける地獄の一週間の扉が開かれたかと思うと本当に汗が止まらない。

 六花ちゃんは俺の行動に驚きを隠しきれず、同時に何が何でも俺を倒そうと闘志を燃やし始めた。目は鋭く、燃えていて尚且つ心は冷静と言う、武術家の某をちゃんと体現している。

 中学生なのに、ここまで洗練された心と体をしているとは流石に身震いをせざるを得ない。

 一体、七海さんは六花ちゃんに何を教えたんだ……。

 そう思いたくのも必然なくらい、六花ちゃんは完成されている。いや、七海さんはこれでもまだ未完成と言い張るのだろう。きっと、七海さんの目指す完成は俺の親父の目指す完成に酷似しているはず。最強が語る完成の姿、それは……。


「六花、あれを解禁。久々にやってみて」

「え、で、でも――」

「大丈夫。燿くんは、それを受けないはずだから」


 あれ? 俺って、このあとどうなっちゃうの? 解禁って何? ちょ、ちょっとぉ! 教えてくださいよ!

 困惑しながらも、六花ちゃんは構えを変えた。まるで空手のような静かな構え。


 ここで、突然だが俺の親父のことについて話そう。俺の親父は空手の達人なのだが、クマをも屠った化け物である。そんな親父が常々口にすることがある。それは『空手とは、元来は一撃必殺を題目にした武術である』というものだ。


 今、目の前で行われているのは恐怖が沸き起こるほどの静かな構え。ただの一つも心に波紋などはなく、全くの白を基調としたその洗練された構えはいかにも『明鏡止水』の境地のそれに近い。

 俺は、この構えを知っている。昔、どこかでこれを見た覚えがある。どこだったか、それはわからない。ただ、それを前に俺は震えていた。背筋がゾクゾクとして収まらない。

 この構えを見て、俺の体が逃げろとうるさく騒ぐ。しかし、そうは言われてもどんな攻撃かもわからないのに避けようがない。

 そのまま、数秒が経った。六花ちゃんの腰に固定されていた両手が、左手は軽く前に、右手は捻って深く後ろへと引かれる。

 腰は低く、閉じられていた視線は次の瞬間には死線となって俺の全身を射抜く。全身が、狙われている。そんな感覚が俺の脳内を支配すると同時に、目にも止まらぬ速さで俺は六花ちゃんの領域テリトリーに無理やり吸い込まれた。

 いつの間にか、戦闘の中で抜け出すことのできないほどに追いやられ、俺の背後には一メートルも幅はない。この間合いで、この距離では背後には逃げても避けきれない。左右には逃げられる。ただし、『光速』と呼ばれる六花ちゃんの攻撃を前に左右に逃げている時間などない。

 俺が六花ちゃんの間合い入って一秒もしないうちに、六花ちゃんは右足を前に踏み出し捻る。次は腰を捻り、肩、腕、手首の順で捻る。それをほぼ同時に行い、放たれた攻撃は音速を超え、光の速さで迫ってくる。これは……死ぬっ!

 そう思ったのが早かった。だが、残酷にも神様は存在した。光の速さの攻撃が迫っているというのに、俺の目には六花ちゃんの決して中学生ではありえない大きめのおっぱいが揺れたのが見えた。

 ああ、神様って本当に残酷だ。もしかしたら悪魔よりも残酷なんじゃないか?

 このおっぱいを見ていたいと、どうして思えないだろう。否、思わなくては男ではない。

 ゆえに、俺はこのおっぱいを見るために生き延びなければなるまいよ。

 体を捻っても避けることは不可能。左右に逃げる時間はない。ならばどうするか。光の速度を超え、マッハ、第三宇宙速度の絶対的スピードで俺の脳細胞が活性化する。馬鹿な頭が数百億年考えなければ出ないであろう答えを導き出す。


――――避けれないなら、ずらしたらいいじゃないっ!


 ありえない速度で計算した結果、馬鹿な俺の頭が叩き出した答えはそんな馬鹿らしい答えだった。

 六花ちゃんの殺人パンチの軌道はわかっている。ならば、そこに少しの力を加えてやればずれるはずっ!

 俺に攻撃はできない。なぜなら、戦闘は素人であるから。でも、今から俺がやろうとしているのは何も戦闘ではない。人が、迫って来るものに手を使って避けるのと同じで、俺は迫ってくる攻撃に少し手を加えるだけだ。

 俺は一メートルもない背後にジャンプ。同時に左手を六花ちゃんの攻撃に向けて横流しする。すると、パンッと音を上げて、六花ちゃんの攻撃はずらされた。そのせいで態勢を崩した六花ちゃんは足を縺れさせて転びそうになる。


「わっ!」

「おっと」


 くるんと一回転して転びそうになる六花ちゃんを俺は抱き支えた。

 その反動で俺は背中を壁にぶつけてしまったが六花ちゃんに怪我はなさそうなのでまあいいだろう。当の六花ちゃんは目をきゅっと瞑って混乱する頭で少しの間、何かを考えていた。だが、来るはずだった衝撃が来なかったからか、ゆっくりと目を開ける。そして、俺に抱かれていることに気がつき、反射的に――。


「きゃぁぁぁぁああああっ!!」

「なっ……っ!!」


 大振りのアッパーカットが俺の顎に炸裂。背後に壁があったせいで俺はそのまま後頭部を壁に叩きつけられ意識を完全に彼方に飛ばされてしまった。

 り、理不尽じゃないかぁ……。

 俺はそんなことを最後に涙を流しながら地面に倒れたのだった。

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