第10話 裏腹と事件
辺りは暗くなり、少なくとも学生はほとんど外にいない時間帯。俺と七海さんは七海さんの家に来ていた。七海さんの家は、七海さんが言うほど悪くはなく、ホームレスたちに比べればちゃんとした建物であるだけマシだと言わせられるほどの家だ。
しかしながら、普通の家と比べれば数段劣る。いかにもボロボロで、床など少し暴れれば抜けてしまうだろうと思われるその外見は、いかにも貧乏生活を強いられていることを示す。
そんな感想が浮かぶ家を前にして、俺は七海さんに引っ張られるために握られた右手を見つめ、ニヤニヤしていた。
ん? おかしいじゃないかって? 何が? 男が、可愛い女の子に手を握られたのにボロボロの家に目が行くわけないだろ? むしろ、ボロボロな家に目が行く輩の方が頭がおかしいと思うぞ?
少しだけ息を切らした俺と七海さんは肩を上下させながら、子供のように笑顔で見つめ合った。
「ここが、私の家だよ。想像通りだった?」
「え? ああ、うん。そうっすね。正直、どうでもいいですね」
「あはは。燿くんのことだからそうだろうなーとは思ってたよ。本当に燿くんは女の子が好きだね」
この言い方からして俺が握られた手を見てニヤニヤしていたことはバレているらしい。その上で手を離さないのは誘っていると思っていいですか? むしろ、ここで告白するレベルですか? ……俺にそんな勇気があると思いますか?
意外とチキンな自分に呆れを覚えて、そのことを忘れるために七海さんに視線を戻す。
「本当にありがとね。燿くんに会えてよかったよ。私、こういうのは知られたくなくて……。ほら、馬鹿にされそうでしょ? 私、メンタル弱いからさ。そういうの、辛いんだ。だから、私の頑張りを否定して、もう休んでいいって言ってくれて。ホントにありがとね」
俺は大したことはしてませんよ。とは言えそうにない。七海さんの笑顔と肩が上下するせいで揺れる胸に目が行ってしまって、それに加えてそれを見なくてはならないという焦燥に駆られて、俺は口を動かすという動作すら面倒になっていた。
それをわかったからか、七海さんは話を聞いて欲しくて胸の揺れを自ら押し留める。そのせいで俺は膝をついて地面を何度も叩いてやろうかと思ったが、それをすればただの変態になってしまうと考え既で諦めた。かなり残念そうに俺が顔を上げると、七海さんの顔が近かった。それこそ、キスが出来てしまいそうなくらいに。
咄嗟に、俺は後ろに下がった。キスをできるチャンスをみすみす見逃した。だが、それはそれで良かった。なぜなら今、この場でキスをしたところで何の意味もないからだ。
「? どうしたの?」
「い、いや。そういうのは良くないかなーって思ったので……」
「え? なんで?」
「ほら、そういうのは愛がなくちゃ、とか言うじゃないですか。お礼にキスとか、認めたからキスとか、そういうのは違うと思うんですよ」
「……燿くんって結構ロマンチックなんだね。まあ、いいや。じゃあ、どうやってお礼しようかな。あっ、そうだ。家でご馳走するよ。って言っても、そんなに豪華なものはないけど。そんなのでも、いい?」
その誘いは嬉しいが、スマホで時間を確認すると六時を回っている。家に電話を入れていないため、流石に帰らねばならない時間だ。親父も母親も帰ってきてはいないだろうが、もしもという場合がある。それに、これ以上七海さんの近くにいると俺が発狂してしまいそうだ。
そういう理由から帰ろうと宣告する。
「すみません。俺、そろそろ帰らなくちゃ――」
「私の妹が作った料理ね、すごく美味しいの。多分ね、今日はハンバーグなんだよ? あの子が作ったハンバーグは私の大好物なんだー」
「是非ともお供させてもらいます」
その妹という人に会ってみたい。きっと、七海さんのように可愛らしくて、将来性に富んだ胸を持っているのだろう。
「ははっ。燿くんもハンバーグが大好きなんだね♪」
どうやら七海さんは俺がお供させてもらう真意を分かっていないようだが、今はそういうことにしておこう。今日から俺はハンバーグが大好きだ。俺はハンバーグを作る七海さんの妹さんを見たいわけではない。もちろん、そのハンバーグを食べて嬉しそうに笑う七海さんを見てみたいわけでは断じてない。
ニヤニヤと、楽園が待っているであろう七海さんの家に入ろうとすると、シュンと何かが俺の顎もとを通った。瞬時に避けたのにも関わらず何かが顎元を通ったのだから避けていなければ顔面に当たっていただろう。そして、俺の顎もとを通ったのは小さめの女の子の足だった。
見れば、七海さんをそのまま若干幼くした女の子がドアを開けた前に立っていた。その目には殺意が込もっており、もっと言えばその殺意は俺に向けられていた。
「誰?」
「え、えぇーっと。な、七海さん?」
「六花。この人はね、『不審者』だよ♪」
あちゃー。七海さんの目が面白そうという目に変わった。そして、六花と呼ばれた七海さんそっくりの少女はさらに濃厚な殺意を目に込め、俺を睨みつける。
あのー、七海さんの言うことは嘘ですよ? 確かに、妹さんがどんな人なのかなーとか思ったことはありますけど、断じて口説こうとなんて思ってませんよ? だから、せめて死なない程度でやめてくれませんか?
そう懇願しようとも思ったが、七海さんと違って少女は話が通じそうもないので本気、というものを出してみようと思う。
「不審者、死ね」
風切り音とともに鋭い蹴りが俺の顔面を捉えて放たれる。しかし、俺はその鋭い蹴りを紙一重で避け、次なる攻撃も避けてみせた。
それからは、どんどん早くなっていく攻撃を俺はありえない反応速度で避けていく。こんな芸当ができるのは一様に少女のおっぱいが、七海さんには劣るものの高校生といい勝負をしているからである。攻撃を放つたびに揺れるそのおっぱいは、七海さんとは違い大きな揺れはない。ただし、小刻みで、しかし圧倒的存在感を醸し出しながら揺れている。
それを見逃すまいと、俺は見るついでに攻撃を避け続けた。
やがて、俺がただの不審者(決してそうではない)じゃないと理解したのか、少女は態勢を整えるのと俺を見極めるために距離をとった。
少女が距離を取ったのと同時に、七海さんが『止め』と言って、強制的に戦闘を中止させた。
「お姉! なんで止めさせるの!」
「まあ、待ってよ六花。さっきのは嘘だよ。この人は学校での私の弟子さん。今日は送ってもらったの」
「え……え? その……え?」
状況が全く理解していないのか、少女はブンブンと頭を振りながら俺と七海さんを交互に見つめる。そして、
「本当にごめんなさいっ!!」
状況を理解するのに数分の時間を有し、その後は謝罪の嵐だった。俺は別にいいよと何度もいているのだが、初対面、しかも年上で、お姉ちゃんの弟子ということで謝っても謝りきれないという状態になったらしい。
家に招かれた俺は、リビングでそんな嵐を少しだけ困りながら対処していると、七海さんが料理を持ってきた。今夜の晩御飯は七海さんの言ったとおり、大好物のハンバーグだった。
そして、料理を作ったというこの中で一番幼い少女が姿を現す。少女の名前は
全員が揃ったのでテーブルに着席していく。そのおかげで謝罪の嵐を一旦勢力を落とし、肩を落としながらも俺の目の前に座った。
俺の目の前の少女は
個性豊かな姉妹に圧倒されつつ、俺は出されたハンバーグを食べる。七海さんが大好物だと言うのも頷けるほどとてつもなく美味しい。肉の柔らかさやハンバーグにかかっているデミグラスソースもきっと手作りだからこそ出せる味なのだろう。
出されたハンバーグをぺろりと平らげると、俺は時計を見てドキッとした。
時刻は優に八時を過ぎ、九時に到達しようとしている。流石に帰らなくちゃいけないと思うのだが、食べたあとで動きたくないという考えが邪魔して動けない。
そんな中、七海さんが時間と俺の行動を見て察してくれたのか、
「今日、泊まってく? 明日は休みだし、私たちはいいけど?」
という問題発言をしてきた。
いやいやいや! 女の子三人しかいない家にチキンな俺が泊まれるわけ無いでしょう!? 嬉しいですよ! 嬉しいけど、流石に俺の心臓がやばいわ!!
七海さんのありがたい申し出を断ろうとすると、
「是非そうしてください! 布団も余りがありますし!」
と、六花ちゃんが先ほどの失態を埋め合わせようと姉に話を合わせる。でもね、わかってるかな? すごい問題発言ですよ、それ。
最後の砦だと言わんばかりに最年少の五美ちゃんに助け舟を求めると、
「男手が必要だったのでちょうどいいですね。私からもお願いしたいです」
と、ちゃんと仕事を与えてくれるとの通達が! おいおいおい! 臥雲姉妹、それでいいのか! 男をそんなに簡単に家に止めていいの? どうなの?
どうしようもないと思ったその時、本物のヒーローからの電話。俺は縋るようにその電話に出た。相手は親父だった。どうやら仕事(修行)を終えて家に帰ってきたらしい。そして、俺がいなくて電話をしてきたみたいで……。
『おい。燿』
「ああ、親父! いいところに! 今――」
『家が、燃えてるんだが。これはお前の仕業か?』
「は?」
俺は電話を切らずに、そのまま臥雲姉妹の家を出て、そう遠くもない俺の家がある方を見る。すると、明らかに俺の家がある場所がオレンジ色に光っている。よく見れば空には黒い雲が登って行き、遠くからのサイレンが耳に痛い。
電話先から何やら声が聞こえるが、そんなものは耳に入らず、そのまま俺は振り返って臥雲姉妹の家のリビングに戻る。
そして、
「七海さん。お金は払うんで、数日間ここに止めさせてください」
静かに土下座してそう懇願した。
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