第8話 事前と事後

 三十分という長い長い時間、俺は千人ほどの攻撃を避け続けた。全ては会長のおっぱいを拝むために。ただそれだけのために俺は三十分もの間、嵐よりもひどい攻撃を避けてみせた。全てが終わった後、俺と会長を除いたすべての人間が驚きを隠せなかった。

 当然だ。俺という最弱に誰ひとりとして攻撃を与えられなかったのだから。それは倒せなかったというよりも、ある意味で圧倒されたということに等しく、そのほとんどの驚きはいずれは呆れへと変わる。最後にはありえないという笑いに変わって戦場が一瞬のうちに笑いの嵐に変化する。

 こんな時、疲れ果てた俺はどういう反応をすればいいのでしょうか? と迷うのは贅沢なことだろう。ひとまず、俺は腰をその場に下ろして息を深く吐いた。と、座り込んだ俺の隣にすっと会長がしゃがみこんだ。


「お疲れ様。生徒会長の座は奪われずに済んだよ。ありがとね」

「いえいえ……俺こそ、いいものを見せてもらったので」

「ふふっ。やっぱり戦闘中、私の胸を見てたんだね?」


 ええ、そうですとも。嬉しそうに笑う会長の笑顔と揺れるおっぱいを……え?


「か、会長――」

「七海だよ?」

「な、七海さん。もしかして気がついていたんですか?」

「うん。視線は武術をする時には最も重要になる項目だからね。視線はよくわかるように鍛えてあるよ。だからかな、君が私の胸を見てたのが直ぐにわかったよ。もちろん、最初の戦いの時もね」


 俺はしばしの硬直。そして、次の瞬間には土下座をしていた。もちろん、こんなことで許されるとは思っていない。ただ、死なない程度にして欲しいという希望的観測のために土下座をしたのだが……。


「ははっ♪ そんなことしちゃダメだよ。君は、これがないと強くなれないんでしょ?」


 そう言って、大きく美しいおっぱいを両腕で持ち上げる七海さん。マジでエロいっす。

 俺はどうしてか許してもらえた罪に、少しばかりの安堵を覚えつつ、七海さんの話を聞く。


「最初から、君はおかしいと思ってたんだ。私を本気にさせるほど強いのに、どうして視線は私の体の動きじゃなくて胸だけを見ているのかなって。それから何回かの戦闘を見させてもらったけど、君が本気で戦っているときは必ず胸が大きい子が周りにいた。しかも、映像では君は相手のことなんて見てもいない。君は『相手を見ないで攻撃を避けている』んだよ。それがどれだけすごいか、分かる?」

「……というか、それが普通じゃないんですか? 俺は、別に相手の動きなんて見なくても避けられる時がありますけど……?」

「やっぱり気がついていないだね……。相手の攻撃を避けるってことは、相手の動きを完璧に読まなくちゃいけないんだよ。それをできるのは本当に強い人だけ。私でも、相手の攻撃を完全に読んで避けるのは不可能なの。それを君は、感覚で出来ている。まるで、相手の行動が手に取るようにわかるように、ね」


 そんな大したことではない。とは思うものの、確かになんで俺は相手の攻撃を避けられるのだろうと考えると不思議と答えは出てこない。俺は親父に武術は教えられなかったし、自ら進んで学ぼうとしたことはない。むしろ、何も考えずに自然と相手の攻撃を避けることが出来るようになっていた気がする。

 それは、果たしてすごいことなのだろうか。上位の人はみんなそうだと思い込んでいた俺からすれば、さっきの七海さんの言葉はカルチャーショックにも似たもので、芸術は爆発だ並に脳内が混乱している。

 そんな俺に七海さんは続ける。


「一体どんな修行をすればそんなに効率よく相手の攻撃を避けることができるのって、聞きたいけど。君はその答えは知らないんだろうね」

「ええ、まあ……。気がついたら出来ていたもので……」

「ほら。そんなの、天から授かった才能、君たちがよく言う『天才』だよ。私たちがどれだけ努力しても手に入らない天賦の才。全人類が欲してやまない枯れた人生への潤い。全てを輝かせる希望。君は、そんなものを生まれた時に既に持っていたんだよ」


 だから、俺のこれはそんな大したものではないのだ。ただ、ほかの人よりも避けるのが上手くて、誤魔化すのが得意なだけで。正直、七海さんの言葉は大袈裟だとしか思えなかった。


 しかしながら、七海さんには魔性の説得力がある。なんと言ってもそれが正しいと思えてしまう説得力が。七海さんの言っていることが絶対に正しいとは思えなくても、七海さんの行動力がそれを無効にする。だから、七海さんは注意しなくてはいけないのだ。そんな才能としか思えない説得力や行動力は間違いを正せないから。自らの言葉は正当化しかされず、必ずと言っていいほど「YES」としか答えては貰えない。否がない世界に、七海さんは住んでいる。

 ゆえに、俺も「YES」と言いかけた。言いかけて、やめた。きっと、それは間違っているから。少なくとも、俺が強いという言葉だけは間違っていると信じたいから。


「だとしても、俺は弱いんですよ。避けるっていう才能は、逃げでしかない。人生、どこまで行っても逃げられない局面は存在するし、避けられない事件だって存在します。だから、こんな逃げの一手しかない才能を持つ俺は、弱いんですよ」

「そんなこと……うん。確かにそうだね。逃げられないことは、確かに存在するね。必死に逃げようとしても、避けようとしても、逃れられない鎖くらい、あるよね……」


 七海さんは何かを言いかけてやめた。その代わり、似合わない弱音のような言葉を発してすっと立ち上がった。立ち上がった七海さんの表情に先程までの弱気な姿はなく、いつもの笑顔がそこにあった。

 なぜか、そんな七海さんが気になって……でもそのあとの七海さんの行動は追えなかった。


「いや~。楽しかったね、燿~」

「お前さ、何回俺を殺そうとした?」

「ん~。三十回くらいかな~?」


 陽気な声で話しかけてくるのは金鵞だった。会話の通り、金鵞は先ほどの戦闘中、俺を三十回以上殺そうとしてきたのである。目潰し、喉突き、金的。全て避けてやったが、当たっていたら死は免れなかっただろう。そんな殺人行為をしてきた奴は、俺に満面の笑顔でいい汗かいたと言わんばかり近づいているのだから世の中は怖い。

 まあ、俺も避けられるという確信があったのでその辺は追求しなかった。その代わり、金鵞が隠していることを聞き出そうとした。


「金鵞、お前何隠してんだ?」

「ん~? 何が~?」

「副会長と、何かあったのか?」

「……はは~。何のことだかわからないな~」


 ひたすら隠そうとする金鵞に、俺は首を傾げた。まあ、コイツが言いたくないというのならそれもいい。ただ、悩んでいるようにも思えたので聞いたのだが、野暮だったらしい。

 

――――いや、そうでもなかったらしい。


「ホント、何にもないよ~。ただ、ね~」


 言いたくないが、聞いて欲しいという矛盾が、金鵞に似合わないそんな迷いが、俺には新鮮で面白かった。いや、親友が困っているのに面白いというのは不謹慎だが、それでもやはり、金鵞が迷うところは歳相応の某を感じさせてくれていい。

 親友の新たな一面に面白さを見出している俺に、声がかかる。


「おい。今度は俺様とジャン拳しようじゃないか! 俺様の截拳道ジークンドーをお前に披露してやろう!!」

「……流石に第四位とのジャン拳はつらいっすよ! てか、少しは休ませろよ!」

「腑抜けが! 闘いはここからだろう!?」


 目を輝かせながら騒いでいるのは戦闘大好き、男大好きの第四位様だった。どうやら、千人の攻撃を避ける俺に興味を持ったらしくジャン拳を申し込んでくるが流石に疲れた俺はその申し出を断ろうとした。だが、その輝きは消えることなく、むしろ増している。

 ふと、萬羽金綱は何を言い出すのかと思ったら、とんでもないことを言い出した。


「じゃあ、明日だ! そんでもって明後日もだ! 今日から毎日勝負しようじゃないか!」

「死ぬわ! 俺、死んじゃうわ! 自分の強さ考えろ!!」

「死ぬか阿呆! お前は強いじゃないか! それに、お前の避けるというものは俺様も学びたい!」

「……は?」


 何を言っているんだ? 俺から、この激強に教えることなんて何一つないだろう?


「俺様の武術は流派というのは存在しない。ただし、共通の理念の下、動いている。その理念は道徳だ。そして、俺様が最初に教えてもらった道徳は、他人を思いやれでな。ほら、俺様は見た目通り強いだろう? 少しでも攻撃が当たれば相手を傷つけてしまう。でも、お前は違う。相手を傷つけることなく、限定的ではあるが勝利を収めた。それはすごいことだぞ」


 そう言って、萬羽金綱は何度も頷いた。

 そうか。人によってはそういう取り方もするのか。俺は、ただ我武者羅がむしゃらに避けていただけなのに。迫り来る恐怖から逃げていただけだというのに。

 ふむ。色々な意見を聞いて、俺は七海さんが言いたいことが分かりそうになったが、結局答えには行き着かなかった。あと少し、ほんの少しなのに、手が届かない。

 もどかしさの中で、今日の修行は終了した。各自撤退し、俺は明日、萬羽金綱との闘いを強制的に決められ、この場を後にする。

 校門前、疲れた体で伸びをするとバキバキと骨が悲鳴を上げていた。筋肉も限界だ。ここまで疲れたのは何年ぶりだろう。


 明日も忙しくなる。そんなことを考えながら、俺は今朝より爽やかな表情で、疲れているにも関わらず身軽に弾むように校門を抜けた。

 その矢先、目の前によく見た可愛らしい姿の女子が歩いている。俺は、一瞬声を掛けようか迷ったが、一応声を掛けることにした。


「七海さん」

「え? ……あっ、君か」


 目の前にいたのは臥雲七海。俺の師匠になった人であり、先ほど理由は知らないが悲しい顔を見てしまった人物だ。そんなこともあったから話しかけづらかったのだが、もう気には止めていないらしい。


「えっと、俺だけ名前で呼ぶのはずるいですよ。七海さんも、俺のことを名前で呼んでくださいよ」


 そんな無茶な願いを言うと、そういえばそうだと言った顔で七海さんは笑顔で、


「燿くん」


 と美しい輝きとともにそう弾む声が聞こえる。

 なんだろう。俺の名前ってこんなに輝いていたっけ? これが美少女補正ってやつか。クソっ、なんでも輝いて見えるぜ!

 涙すら出そうな勢いで拳を握り締めていると、吹き出すように七海さんが笑った。それが嬉しくて、俺はバカみたいに笑わせようと試みる。馬鹿な思春期男子によくある行為だが、それすらも青春の一ページだと言わんばかりに黒歴史を積み上げている頃。時間は思いのほか早く進んでいた。あたりは少し薄暗くなっており、女子一人では危ない時間へと突入する。

 場所的には俺の家の近く。ただし、七海さんにとってそうかはわからない。家を知らないというのは結構不便である。


「暗くなってきましたね」

「そうだね。まあ、冬だから夜が来るのが早いのは仕方ないよ」

「この暗さは危ないと思うんで、送りますよ」

「え……い、いいよ、そんなの。迷惑でしょ?」

「全然。七海さんと一緒にいられるなら本望です」

「ば、バカっ。学校ではいいけど、こういうところではそういうこと言わないの。私たちは、付き合ってるわけじゃないんだよ?」


 むしろ、付き合いたいと思うんですが、負けフラグですよねわかります。

 しかし、送るというところだけは突き通したい。男としてそれだけは突き通さなくちゃいけないと思うのだ。

 だから、頼み込むように言うと、七海さんは、


「……驚かない? 絶対に、驚かない?」

「そんなに豪邸なんですか? まあ、驚かないと思いますよ、きっと」

「……わかった。じゃあ、お言葉に甘えて送ってもらおうかな?」


 苦笑いのように、最後は退かない俺に呆れるようにそう言ってくれた七海さん。ここからが、甘い時間だと思っていたのだが、どうも簡単には行かせてくれないようだった。

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