第3話

 二、

 

 ぼやぼやと思い出しながら歩いていると、十分ほどで駅に着いた。谷間の時間なのか待ち合わせ時よりもずっと人は少ないようだ。愛花ちゃんは変わらずに俯いたままで、左手も、つないだままだった。

 とりあえず近くに見えるファミレスに入る。ここも谷間の時間なのか、店内は意外なほど空いていた。冷房も寒いくらいに効いている。今はどちらも、ものすごくありがたい。

 なるべく見えづらい奥の席を選び誘導すると、愛花ちゃんは倒れ込むように腰を下ろした。

「学人さん。本当に申し訳ありません。わざわざ付き合って頂いたのに……」

 愛花ちゃんは震える声で、心から申し訳なさそうに口を開いた。

「ううん。大丈夫だよ。とりあえずなにか食べよう。ここはお兄さんがおごる! 好きな物をたくさん食べなさい。甘い物を食べたら元気になるよ」

 必死で明るい調子を取り繕って、メニューを渡す。

「あっ、ありがとうございます……」

 うわずった声だった。そして愛花ちゃんは笑った。恥ずかしそうな笑い方にほっとする。いろんなことに触れすぎたのか、空腹感はあまり無かったが、愛花ちゃんに合わせて注文した。話ならとことんを訊くぜ。と意気込みしてドリンクバーもふたつ頼んだ。

「なんか飲む? 取ってくるよ?」

「気を使って頂いて有り難うございます。お言葉に甘えて、野菜ジュースをお願いします」

 コーラと野菜ジュースを持って席に戻ると料理は到着していた。愛花ちゃんはそばとサラダの妙な組み合わせのセット。しかも真夏なのに温かいそばだった。俺はハンバーグステーキ。お互い「頂きます」と言って食事をはじめた。

 崩れ落ちてしまった理由は全くわからないが、愛花ちゃんが話してくれるまで待とう。と、ここに来るまでに決めていた。どうしたの? こうしたの? って根掘り葉掘り聞かれるより、自分から話すほうが素直に喋れるだろうし、気持ちも楽だろう。遠回りかもしれないが、それが得策だと思う。

 食事は無言のまま黙々と進んでいき、あっという間に終了した。

「甘い物は大丈夫?」

「あっ。ごめんなさい。わたし、果物以外は甘いもの食べないんです」

「えっ。なにそれ? どういうこと?」

「人工的な甘さが駄目なんです。一番の理由は肌に悪いことなんですけど」

「だってまだ高校生でしょ? 肌なんて気にすること無いんじゃないの?」

「わたしは肌の奇麗さだけには自信あるんです。戦うためには自信のある所を鍛えなきゃって思って、ものすごく気を使っています。実生活でも、なるべく肌にいい物を取るようにしていますし、ケアも怠らないようにしています」

 戦うって何とだ? 君は悪の組織に狙われているのかい? しかも肌を武器に戦うヒーローなんて訊いたこと無いぞ。ただ愛世ちゃんの肌を見ると、確かに奇麗だった。

 繊細できめが細かく、上質な絹ごし豆腐を想像させる。色白特有の不健康さは無く、肌色らしい肌色の肌は実に健康的で魅力に溢れていた。質感にも不自然さは見当たらなく、上を向いた長いまつげを除けば、おそらくすっぴんだろう。

「あの……またじろじろ見ています」

「ごめん。ごめん。ごめん」

「そんなに謝らないで大丈夫です。あっ、飲み物取ってきますね。同じ物でいいですか?」

「うん。ありがとう」

 立ち上がり、愛世ちゃんはドリンクバーに歩き出した。歩くたびにふわりふわり揺れるスカートを眺めていると、なんだかくらくらしてきたが、さっきよりは落ち着いたように見える。安堵がふっと胸をかすめた。

「どうぞ」

 差し出してくれたコーラを一口啜った。ちゃんと氷が入っているし、ストローも新しくなっていた。愛世ちゃんも野菜ジュースを啜る、そしてゆっくりと息を吐き――

「あの……こういう言い方は失礼かもしれませんが、学人さんってすごく優しいですね。姉の愛世に大学の話を聞くと、必ず学人さんのお話をする理由がわかりました。人として学びました」

「ははは。そんなこと無いって」

 否定して思う。俺は優しくなんか無い。ただのお節介なだけだ。

「少しお話をしてもいいですか?」

「うん。大丈夫。なんでも聞くよ」

 首を思い切り縦に振った。異を決したように、愛世ちゃんはゆっくりと話しはじめる。

「ありがとうございます。察しがついてると思いますが、わたしと柚鈴子は親友です」

 まるで予想外の返事だった。愛花ちゃんはさらに続けた。まるで何かを吐き出すように……

「親友といっても、中二から会っていないんですけど。学人さん、引かないで訊いて下さいね」

 ゆっくりと頷く。大丈夫だ。もうなにを言われても驚かない。

「わたしと柚鈴子はずっとアイドルを目指していたんです。お互いに履歴書を送った数は二百回は有に越えています。でも全く駄目で何処にも引っかかりませんでした。そして柚鈴子は中二の時に転校してしまいました。一つわたしと約束をして……」

 二百回という数にも、もちろん驚いた。それよりも、あのステージ上で圧倒的だった柚鈴が落ちてばかりだったって。それに愛世ちゃんだって十分すぎるくらいにかわいいし、テレビに出てるアイドルにも負けないくらいだと思うが。

「約束ってなに?」

「アイドルとしてデビューするまで一切の連絡を取らない、です。柚鈴子いわく『アタシ達は二人でいすぎて、依存してる。これを機会にもっとストイックにいこう。夢は逃げない、逃げるのは自分だ』だそうです」

 愛花ちゃんは柚鈴の毅然とした態度を真似て言ったが、どこか似合ってなくて思わず吹き出してしまった。

「笑わないで、下さい。物まねは不得手なので……」

「ごめん。ごめん。その約束だけど、柚鈴はデビューしたわけだから連絡が来たってこと?」

 愛世ちゃんは暗い顔になって、野菜ジュースを大きく啜った。中身はからっぽになった。

「飲み物、取ってこようか?」

「いいえ、大丈夫です。それよりも訊いて下さい」

 険しい顔で、はっきりとした声だった。

「うん。大丈夫」

「八月の頭に柚鈴子から手紙が来ました。そこにはこう書いてありました。『アタシは夢を叶えた。夢は逃げなかったよ。だってアタシが逃げなかったから。愛花はどうするの? どうしてるの? まさか、逃げてるんじゃないでしょうね?』と書いていました」

 愛花ちゃんはスクールバッグから便せんを出すと、おもむろに開き手紙を差し出した。そこには今、言った言葉が大きく、いや大きすぎるくらいに書いてあった。字は女の子らしいけど、行は無視してるし、なにより半分近くの大きさを自身のサインが占めていた。あとは事務所との契約書のコピーが同封されている。これっておそらく他人に見せちゃいけないものだよな?

「本当に柚鈴子らしいと思いました。電話じゃなく手紙ってところも含めて。あとは生放送用のマイクと、今日のチケット二枚。あと千疋屋のフルーツと化粧水が入っていました。機械が入ってるのに柚鈴子ったらクール便で送ってくるんですよ……」

 愛花ちゃんは呆れたように笑う。

「学人さん、すいません。少し、愚痴を言っても構いませんか?」

 表情は変わり、神妙な顔つきだった。もちろん、いいよと返す。

「わたし、正直もう諦めていたんです。先月で十七歳。もう諦めるべき年齢に差し掛かっています。部屋で一人で歌って、踊って、アイドルになったふりして、それだけで満足していました。なのに柚鈴子に……あんな目で見られたらやるしかないじゃないですか? でもどうすればいいんですか? わたしは彼女と違って何もないし、キラ動で一番になんかなれないです」

 言い終えた愛花ちゃんは、ゆっくりと泣きだした。気持ちは痛いくらいにわかった。なぜなら俺も努力して、現状、挫折していて……

「でもさ、もう十七歳って、まだ十七歳だよ! 俺が言うのも変だけど、まだまだ若いじゃん! 別にキラ動にこだわらずに、またオーディション受けたらいいんじゃない?」

「学人さんはわからないかもしれませんが、今のアイドルは十二歳までには事務所に入って、十五歳までには結果を出さないと解雇。というのが当たり前です。わたしがオーディションを受けようとしても、年齢制限で弾かれますし、もしも受けられたとしても周りは小学生だらけでしょう」

 いや、きっと彼女のほうが何百倍も努力してるだろう。挫折だって俺が想像をしてるよりも、ずっと辛いはずだ。がたがたと震える小さな肩は、夢への信念と重圧が重くのしかかって浮かび映る。今の俺が何を言っても、きっとこの子の心には響かない、気がした。だから何も言えなかったけど……

「すいません。すいません。初対面なのに、わざわざ付き合って頂いたのに、泣いてしまって……」

 うわ言のように愛花ちゃんは「すいません」を繰り返した。

 なんでこんなにかわいい子が、泣かなきゃならないんだ。そんなにキラ動とやらで一番になるのは難しいのか? いっちゃ悪いが高々、動画サイトだろう。確かに一人じゃ難しいかもしれないが……だったら……それにアイツだって力になってくれるはずだ。

「一人じゃ難しいなら、手伝わせてくれないか? 俺も逃げてるし、何も出来ないかもしれない。でも二人なら出来る。そう強く、なぜか思うんだ」

 愛花ちゃんはきょとんとして、首を傾いだ。

「あっ、ありがとうございます。でも……これはわたしの問題です。これ以上迷惑はかけられません。聞いていただけでうれしいので。それだけで十分です」

「ここまで聞かされて、なにも感じないような男じゃないよ。手伝わさせて欲しい。それに俺の友達でネット関係に詳しい奴がいるんだ。きっと役に立てる」

 現状、逃げてるだけの男が自分のことを神棚に上げて、何を偉そうに言ってんだよな。だけど愛花ちゃんは真剣な顔つきになって、真っ直ぐに俺を見ながら「一緒に戦ってくれるのですか?」と言った。

 俺は「もちろん」と一言、返した。

 あぁ、相変わらずお節介だよな、俺ってと、思わず自嘲気味に笑うと、愛花ちゃんも満面の笑みで微笑んだ。さっきまでの営業スマイルじゃなく、心からの笑顔だ。

 それはアイドル服にぴたりとはまった、きらきらの眩しい顔だった。

 ふいに心臓の鼓動が、ファンファーレみたいに二度、大きく脈を打った。

 この子はアイドルになれる、いや、なって欲しいと漠然とだけど思った。

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