第2話


 第一幕


 一、


 会場に着くとさらに人の山だった。愛花ちゃんの言う通り俺は浮いているし、誰も彼女の服装を不思議がったりしていない。

 腕時計を見ると、既に一時を回っている。ここに来るまで、一時間以上かかっていた。

 東京ビックサイトに向かう(会場の名前は愛花ちゃんが歩きながら教えてくれた)長い一本道の階段は満員電車以上に混んでいた。

 牛歩で炎天下に晒されながら、着いた時にはもうへろへろだ。なぜか愛花ちゃんは汗一つかかず、涼しい顔をしているけど。

 道中での愛世ちゃんからの説明によると、キラキラ動画(正式にはKiRa KiRa動画らしい)とは、

『きわめて健全に、個人が好きなことを日本中に配信できる。つまり誰でもきらきらできる総合部活動サイト』

 そんなサイトらしい。知らないって言った時の愛花ちゃんの「えっ? 本当ですか?」という辟易した顔を見るに、かなり有名らしい。

 そして配信者達が一年に一度、集まるお祭りが、この『キラキラ大会議』だそうだ。

 会場をぐるりと見渡すと、俺らが進んでいる真っすぐな広い通路を挟んで両サイドに、二十メートルくらいの感覚でパーテションされており、教室のようになっている。入り口にはでかでかと『合唱部』や『踊り部』『美術部』というデフォルメされた文字が書かれている。ド派手な配色と、ポップな手書き風のフォントはお祭りというか、高校の文化祭をイメージさせる。

 その奥には『動画部』反対側に『軽音部』更にその奥には『研究部』や『前衛的芸術部』などというぱっと見では、なにをするのかわからな教室になっている。

 なるほど。配信者たちが学校の部活になぞられて活動しているのか。個人が好きな部に属して活動し、一年に一度、作品を見せるために集まってるってわけだな。

 もしも俺だったら美術部に属し、絵を描くのだろう。まるで、どでかい文化祭って感じだな。来る前は不安でしかたなかったが、なかなかおもしろそうじゃないか。

 辺りを見廻すと、ブースに人が集まってるのか、目の前の道はだいぶ空いていた。あちこちで歓声が沸いていて、盛り上がっているのが否応無しに伝わってくる。ちらりと映る各教室の入り口からは、ステージ上で踊ったり、歌ったり、演奏したりしているのが見えた。反対側の教室では油絵や、幾何学的な巨大なオブジェ、何かの研究結果だろうか、巨大なスクリーン上にびっしりと文字が並んでいた。

 ただ、疑問がある。なぜ皆おかしな格好をしてるのだろう?

 愛世ちゃんと同じようなアイドル風の女の子や、メイド服、日本的に浴衣、所変わってチャイナ服。中には目のやり場に困るような、超ミニスカートの短いセーラー服(頭にはアンテナみたいなヘアバンドをしてる)なども見える。男の方も大概で、愛らしい女の子のプリントのTシャツを着た集団や(それって子どもが見る物じゃないのか?)明らかに場違いなスーツ姿で、なぜか模造刀を持っている金髪がいたり、アメリカの特殊部隊みたいな集団もいる。しかもしっかりとガスマスクを付けていた。

 全く動画配信と、おかしな服装で集まることが、なんの関係があるというのだろうか? 

「皆さん好きなアニメやゲームのキャラクターになりきってるんです」

「そうなんだ。愛世ちゃんのもなにかのキャラクターなの?」

「いえ、わたしのは憧れの人が着ていた衣装です」

 何度目かの口角だけをあげた笑い方に、不器用な笑顔を作って頷いた。

「そろそろ、はじまってしまいます。急ぎましょう」

 愛花ちゃんは様々な教室に目もくれずに、ずんずん進んでいった。俺も隣をついていく。所々で睨むような視線を感じるが気にしないことにした。確かにかわいい娘と歩いてるが、ただの付き添いだっつーの。

 会場内は多少だがクーラーが効いており、炎天下の牛歩よりもずっとましだった。広い通路なので、すれ違う時もぶつからずに済むのもありがたい。

「ってどこに向かってるの?」

「あっ。すいません。言ってませんでしたね。向かってるのは『キラキラ動画 アンダーセブンティーン杯 年間王者表彰式』です。一番奥に見える特設ブースがそうです」

 奥を見ると、巨大な文字で特設ブースと見える。他のブースとは違い、左右には分かれておらず、ちょうどそこで一つに繋がっている。用はこの会場の突き当たりってことだ。どうやらフリーで入れるブースではないらしい、スタッフが立っていてチケットを確認しているようだ。

 程なくして特設ブースに着くと、愛世ちゃんはスクールバッグから二枚のチケットを出し、会場に入っていった。もちろん俺も続く。

 入った瞬間に、熱気がすごい。体育館くらいの巨大なブースには満員の人が集まっていた。奥にはこれまた巨大なステージが見える。

「こっちです」

 愛花ちゃんは軽やかにするすると人ごみを進んでいく。せっかく乾いた汗が、また吹き出す。べたべたの他人のからだにもまれながら、あとに続く。どうやらステージの方に進んでいくらしい。

「ここです」

 着いた場所はなんとステージの目の前だった。

「はじまります」

 愛花ちゃんがそう言うと、ステージ上に司会者らしき男が出てきた。Tシャツにはキラキラ大会議と、くだけたフォントで書いてある。

「皆さん。こんにちは! 今日はお集まり頂きありがとうございます!」

 そう言った瞬間に会場中から、「わー」だの「おー」だの怒濤の歓声が巻き起こる。熱気は一匹の龍の様に会場中を駆け巡り、大声は俺の耳の奥をつんざいた。あまりの音の大きさに思わず耳を塞ぐ。どうやらものすごく盛り上がってるらしい。

 全然、知らない俺がこんないい場所で見てもいいのだろうか。ぼやぼやしていると、すぐに三位の子の名前がスクリーンに表示される。

「千春さんは女の子の方が人気あるんですよ」

 愛世ちゃんがぽつりというと、三位の発表がはじまった。スクリーンには小島千春(こじまちはる)と出ている。

 その時、会場中がブルーに染まった。皆は光る短い棒を振っている。警備員が持っているようなやつだ。リズムよく前後に、揺れる青い光はどこか幻想的だ。

「各々の女の子に色が決まってるんです。アイドルだと本人が決めるのですが、キラキラ生放送、通称キラ生ではファンが色を決めるんです。ちなみにちょっと昔はサイリウムて言う、ぱきっと折る使い捨てタイプが主流だったんですが、今はキングブレードっていう電池式で、一つ持っていると全て色が出せるんですよ」

「なるほど。ライブで振っている映像を、どこかで見たことがあるよ」

 運動会の色分けみたいなものなのかな。 

 ステージ上の千春は、黒髪のシャギーの効いたショートカットに切れ長の目というボーイッシュなルックスで、確かに女の子にもてる女の子という感じだ。ノースリーブのTシャツにショートパンツ、というシンプルなスタイルも好感が持てる。黄色い声援がわき上がる中、千春はマイクを取った。

 少しハスキーな声で快活に挨拶をはじめると、さらに歓声は高くなった。比喩じゃなく、文字通りの意味だ。

 女の子達の甲高い叫びはキンキンに響きわたり痛いくらいだった。

 なるべく耳を傾けないように、ぼんやりとしていたら、いつの間にか挨拶は終わり千春はステージからはけていた。

「それでは続きまして二位を受賞しました。各務原奈津(かがみはらなつ)ちゃんです!」

 ステージ上には小柄な女の子が現れた。「なっちゃーーーーーーん」「なつーーーーー」などと歓声があちこちは上がる。もはや叫び声に近い大声だ。

 会場は毒々しいまでの、ショッキングピンクに色を変えた。ブルーからの反転はくらくらするくらいに眩しい。

 壇上の奈津はゆっくりと、中央のスタンドマイクを手に取る。髪型はゆるくふわふわな茶髪に、真っ白なミニワンピース姿。奈津の名前にふさわしく、夏の夕暮れの海岸が似合いそうな雰囲気だ。小柄ながら、出るとこは出ていて、顔も整っている。

「はい、夏色は奈津の色。各務原奈津です。皆っさ~ん。今回はなんと年間二位を受賞することができました!! 奈津うれしくて死んじゃいそうですっ! 本当にありがとうございます!」

 ミルクティーにこれでもかと砂糖を入れたような甘いしゃべり方で、壇上の奈津は続ける。一言を話す度に大声が湧き、ブレードがぶんぶんと振り回される。飛んだらどうするんだよ。と思ったがしっかり手首にストラップが付いているようだ。混沌とした会場にも最低限のルールはあるらしい。

 一番前の席のためマイクからの声はなんとか聞こえた。

「でも……奈津、実は悔しいんですぅ。去年も今年も二位ですよ……あたしって一番になれないの、かな?」

 かな? の部分で奈津は大げさに首をかしげた。わざとだろ、絶対にわざとだろ。

「そんなこと無いぞ!」「奈津が一番だ!」「そんなこと言わないで!」

 だから今の計算だろ? この子は確かにかわいいが、こびてるというか、ちやほやされたい性質なのか。とりあえず苦手だ。というか嫌いだ。ファンと奈津の生暖かいやり取りは数度、続いた。

「あたし、ここで宣言します! 次こそは一番になりまぁす! 奈津は来月で十七歳だから、次回もエントリーできるんですよ。ママに感謝しないとねっ」

 今度は大げさにウインク。

「だから皆さんも応援お願いします!」

 最後に大きく頭を下げると、奈津はステージの裏にはけていった。名残惜しむような声「なっちゃんのお母さんさすがです!」「次こそは絶対に一位にしようぜ!」などがあちこちから聞こえる。だ・か・ら全部、計算だろう……全くなにが楽しいかわからんぞ。

「奈津さんのファンの方は、熱狂的なアイドル好きの方が多いですから。こういう方って……申し上げにくいのですが、わたしはあまり好きではありません……」 

「同感だ。俺も苦手」

 なんとなくだが『こういう方』にはファンだけじゃなく、奈津本人のことも含まれている気がした。

「いよいよです。あの、恥ずかしいのですが、少し掴んでもいいでしょうか?」

「全然、いいよ」

「少し……緊張してしまいます」

「愛花ちゃんが見たかったのって、次に出てくる子なの?」

「はい。そうです。ずっとライバルなので」

 ライバル? それは目標という意味なのか? 愛花ちゃんもこのステージに上がりたいのか? いろいろ考えたが、横顔からは何も見えてこなかった。

 愛花ちゃんは俺の汗まみれのTシャツの裾をきゅっと握った。むせ返るような熱さなのに、かたかたと小さく震えていたのが、すごく印象的だった。

 そして、スクリーンに大きく『年間王者 會澤柚鈴子(あいざわゆずこ)』と表示された。

眩しいくらいのスポットライトの中、一人の少女が壇上に立った。

 そして次の瞬間――歓声が、爆ぜた。

 少女はゆっくりと、マイクを握った。

 会場はまた一転、痛いくらい目に刺さるイエローに。

「皆様、ありがとうございます! 柚子のように小さくてもいい、綺麗な花を咲かせたい。會澤柚鈴子(あいざわゆずこ)です!」

 毅然とした態度だ。さらに歓声は巨大になっていき、シュプレヒコールのように『柚鈴』の名前が繰り返し、繰り返し叫ばれる。

 合わせるように、ブレードも加速、加速していく。

 後ろから、切るような風圧を感じた。 

 会場の雰囲気が異質なくらいに、変わった。

 最前列にいる俺達の背中には、痛いくらいの轟音の矢が刺さる。声に押し出されて、吹き飛ばされそうな感覚が走った。

 周りを見回すと、皆が恍惚な……いや、狂信的な顔でステージを見入っている。

 愛花ちゃんはどうしてる? 隣を見ると悔しいような、恨めしいような顔でステージを睨んでいた。緊張の現れなのか? 

 つか何者だよ、この子? 

 奇麗に染まった金髪のロングヘアーに、真っ黒なドレス姿。それも奈津が着ていたような子どもっぽいものではなく、ジャズシンガーが着るような、タイトでしっかりとラインの出る大人っぽいやつだ。足元は高いヒールで、スカートの裾が叫び声を浴びるたびに、ふわり、ふわりとやわらかく揺れている。

 明らかに十代が着る服ではないのに、柚鈴は畏怖させるくらいに似合っていた。

 つか、なによりもその存在感と威圧感。オーラというのか。なにも知らない俺でさえ目を奪われ、彼女から目を離せなくなった。この子は超能力者なのか? そんな荒唐無稽なことを思ってしまい、アホなこと考えるなよ。と一人で苦笑する。

 怒号のような声の渦の中で、澄んだ声で柚鈴は続けた。

「皆さーーん。盛り上がってくれるのはすごくありがたいんですけど……そんなに叫ばれたら柚鈴の声が聞こえなくなっちゃいますよーー。少しクールダウンしましょっか? はい! 深・呼・吸!」

 そう言って柚鈴は左足を軽くうしろに上げ、勢い良く振り下ろした。そのままヒールを軸にして、一度ターン、そして大きくお辞儀をした。

 かぁぁぁんと乾いた音が響く、一瞬で声は静まった。会場中がたった一人の少女に操られている。いや、そんな甘いものじゃない……ひれ伏しているだ。 

「ご存知だとは思いますが……今回一位になれたことで、今年中にメジャーデビューが決まりました。これからは『キラ動』発のはじめてのアイドルとして、より大きなフィールドで戦っていきます」

 あちこちから「うおー」「もちろん応援するぞ!」「他のアイドルなんかに負けるな!」という声が上がる。柚鈴のスピーチは抑揚がはっきりしていて、透明感のある声と相まると、まるで政治の演説みたいだ。

「そして……重大発表があります! 皆さん、いいですか! よく聞いて下さいね」

 柚鈴は大きく息を吸って、続ける。

「なんと、なんと、次回のアンダーセブンティーン王者はあたしとユニットを組むことが決まりました!  しかも期間限定ではありません。一緒にアイドルとして、ずっと、広いフィールドで戦っていきます!」

 怒号に近い声があちこちから上がり、会場がぐわん、ぐわんと揺れた。

「更に! 次回のアンダーセブンティーンは一年間ではありません。期間は来年の三月末の約七ヶ月です。ルールも変わり、新規の方もよりチャンスが増えました! みっなさん! 柚鈴と一緒に、アイドルの頂点を目指しましょう!」

 その瞬間、泣き声が聞こえた。遠くじゃなく、ずっと近くで……愛花ちゃんがぽろぽろと大粒の涙を流していた。

 そして――ステージ上の柚鈴が――

 なぜかこちらを、挑戦的な目で見ていた。

「わたしに……まだ諦めるなと言うのですね……」

 愛花ちゃんは涙声で呟くと、その場に崩れ落ちてしまった。

「もう、行こうか」

「……はい。すいません。取り乱してしまいました」

 俺はなにも聞かずに震える肩を支え、左手を握る。そして逃げるように歩き出した。

 今は召使いらしくいよう。何があったのかわからないが、事情はあとでゆっくり聞く。もちろん気が済むまでだ。

 会場を出ると、炎天下最高潮の太陽が出迎えてくれた。

「なにか食べて行こうか。少し休んだほういいでしょ?」

「お気……遣いありがとう、ございます。助かります」

 俺達は真夏の中を、駅に向かって足を進めた。

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