第21話 次元隔離
この身体の柔らかさを最大限に活用すれば、特に鍛えていない女子中学生による拘束を逃れるのは簡単だ。端的に言えば、後頭部で相手の顔面を強打すればいいのだ。
顔面打ちの直前に少し逃げようとする素振りを見せてやれば、カウンターぎみに決めることも可能だろう。
でも、山井台さんを酷い目に遭わせたくはない。きっと今も、なぜ岡くんに協力しているのか自分でもよくわからず、悩んでいるはずなのだ。
『余裕かましている場合じゃないと思うぞ。どうせ、俺の脅威度が低いので舐めてかかったんだろう。ま、俺だってさっきまでは、まさかこのクラスにバスターが紛れ込んでるなんて思わなかったんだ。カムフラージュでも演技でもなかったんで、そっちのナビが欠陥品だとは言わねえよ』
周囲がスローモーションで動く世界の中、口を動かさない相手からの声が自然な速度で頭の中に響くという体験は気色が悪い。
アルガーによる思考加速と同じ体感時間を共有している時点で、こちらの優位性は相殺されている。
『矢井田みたいな注意力の欠片もないワームならともかく、他の九体はそう簡単に尻尾を出さねえと思うぜ。どうだ。俺と組んで、学園を支配しねえか』
はあ?
『俺は日々能力をアップデートして来たんだ。ナビには及ばんが、俺以外のワームを探知する能力を得た。それにたった今やってるように、教室一つ分くらいなら次元隔離だってさせられる。だがバスターじゃねえから他のワームを見つけてもそう簡単には排除できねえ。だからよ。俺と組めば、ワームの発見効率も駆除効率も上がるぜ』
学園を支配して何になるのよ。こちらにとっては大して魅力のない提案なんだけど。
『もちろん、その先も見据えてるぜ。学園出身者を一生使役して、地域から順番に支配していくんだ』
やれやれ。何を言ってんのさ。ワームの方が中学生の夢物語に引っぱられてるんじゃないの?
『古代種族の亡霊なんて、どうせ俺たちワームがいなけりゃ何にもできねえんだ。なあ、御簾又のナビさんよ。マジで協力しねえか。……どうした、返事もできないか』
いやいや、アルガーだって呆れてるんだよきっと——と思っていたら話しかけてきた。
【マスミ様。防御にリソースを割きますので、思考加速を解除します。あと、その……。少しの間、ご辛抱を。このアルガー、必ず全員無傷なままで解決してご覧に入れます】
これ、岡くんには聞こえていないっぽいね。
周囲のスローモーションが元に戻った。
女子生徒の切羽詰まったような叫びが耳に届く。後ろ扉のそばだ。
「山井台さん、岡くんっ! 潤美が何したって言うのよ! あたし、先生呼んでくるっ」
あれは、白河さん? あの髪型はロブショートというやつだね、ガーリーなゆるふわ系にアレンジしてるけど、先生からパーマを疑われてたな。あたし含めて女子の多くが結束して、天然だって抗議して事なきを得たんだけど。
「うーんっ!」
力を込めて踏ん張る声。それはすぐに困惑の悲鳴に変わった。
「あかない。あかないよ! なんでっ」
「嘘だろ!? こっちもあかないぞ」
前扉から男子の声。
見ると、男子が数人がかりで扉を開こうとしているけど、それでもびくともしないようだ。
よくわかんないけど次元隔離とか言ってたもんね。扉の向こう、今は学園の廊下に繋がって無いんだろうなきっと。
「そう慌てるな。ここにいる者たち全員、俺の親衛隊になってもらう。いわゆるエリートってやつだ」
「頭がおかしくなったのかよ、岡! なんだか知らないが、わけのわかんないことは今すぐやめろ。じゃないと殴るぞ」
森くんの言葉を受けて取り巻きさんたちが身構えた。でも岡くんは涼しい顔だ。
「ああ、君たちもういいよ。御簾又が冷静すぎて不気味だから、俺がいいと言うまで取り囲んでおけ。特に何かする必要はないが、そうだな。彼女、胸を揉まれるのが好きみたいだから交替で揉んでやれ」
は、何言ってんのこのワーム。
「潤美に手を出したらあたしが許さないっ!」
「みなさん、何をするんですかっ! 潤美さんに酷いことをしたら、本気で怒りますよ。誰か! 誰か一の四に来てください! 扉があかないんです、廊下からあけてくださいっ!」
岡くんは高笑いを始めた。
その様子を睨みつける森くんも、加奈と菜摘も固まっている。
違う。もがいている。まさか、身体が思うように動かないの?
それだけじゃない。声も出なくなってるみたい。
「見ろよ、この能力。精神操作が効かない奴には運動制限。いくら心が強くても、動けない状態でゆっくり精神を侵食してやりゃ、嫌でもスレイブ化できるはずだぜえ。古代種族の亡霊は、俺ら現代人を容れ物にして憑依しようとしやがった。だがそうはいかない。今の世界は今の人間のもんだ。力を使うのは岡孝夫。どっちかというと『岡孝夫だった者』と言った方が近いけどな」
「とんだ矛盾じゃない。今の人間のものだと言うなら、今すぐ岡くんの中から出ていきなさいよ」
他の生徒たちの声が聞こえない。もう、この教室で声が出せるのはあたしと岡くんだけみたい。
「ははは。いつまで元気に反論できるか見物だねえ。お前の親しい者がみんなスレイブになれば、嫌でも俺に協力したくなるだろ。……そうだな、協力を約束してくれるなら、光永と中野くらいは元に戻してやってもいいぜ」
「ふざけないで」
あたしのすぐ真横にいた道原さんが、躊躇なく胸を掴んできた。
「んあっ。ちょ、やっ、あんっ」
一度、下から持ち上げるように揉んだ後、今度は指を這わせてくる。
触れるか触れない程度の力加減で、円を描くように刺激された。取り巻きさんたちがこちらへ手を伸ばしてくる様子を見たのを最後に、もう目を開けていられなくなる。顎が跳ね上がるのを自覚した。
山井台さんに羽交い締めされて動けない状況が作用して、変な気分になっちゃう。
「は、あんっ」
やだ、これ自分の声なのっ!?
なんて甘やかな……って、それどころじゃないっ。
早くなんとかしてアルガー。力が抜ける。ホントにおかしくなっちゃうようっ!
「くううっ」
限界。頭が真っ白になっちゃう——
【バスターコマンド発動!】
わ、なんだろう。閉じている瞼の裏からでも、光が乱舞している様子がうっすらとわかる。
あたしはゆっくりと目を開けた。
虹色の光が教室を満たしている。
身体が自由に動くので周囲を見回してみると、周囲の生徒たちは膝を折ってしゃがみこんでいた。
立っているのは例によってあたしと岡くんの二人だけだ。
「ば、ばかなっ。貴様、接触タイプのバスターじゃないのかっ!?」
「よくわかんないけど、甘かったわね。チェックメイトみたいよ」
なんとなく勝ち誇った気分。腰に手を当て、堂々と宣言してやる。
すると、岡くんは見開いていた目を細め、悔しげに口許を歪めた。
「よくも、時間をかけて隷属させたスレイブたちを……」
そこまで言うと、今度はにやりと笑ってみせる。
「ふっ。だが、貴様は女でこちらの宿主は男。体力のない小娘など敵ではないっ」
こちらへ突進してくる岡くん。
伸ばした左腕を見せつけ、本命の右腕で掴みかかろうと狙っている。
フェイントのつもりなのだろうけれども、あたしの動体視力に頼るまでもなく動きがバレバレだ。
甘いよ岡くん。体力がなくても体術なら負けない。
本物のフェイントってこうするのよ。
左へ避けると見せかけて右へ。
間合いぎりぎりのタイミングまで我慢できなかった時点であなたの負け。
岡くんの右腕が空を切る。
しかし、彼の口端が笑みの形に上がる。同時に左腕も動かしていたのだ。
残念。あたしに言わせれば素直な動き。
素人は、視線の向きと爪先の向きで動きの大半が決定してしまう。
突進するベクトルとは違う方向に伸ばす腕に体重を乗せることは難しい。
だからその腕は、あたしでも難なく弾くことができるだろう。ついでに手を触ってしまえば駆除完了だ。
でも——
彼本人は悪くないけど、ワームにはさすがに頭に来てる。
だから、手にはさわってあげない。
脚から先に、滑り込むようにして腕の下を潜り抜けた。
身体を起こしつつ半回転させ、右手で岡くんの首筋を後ろから掴む。
『ぎゃああぁ』
それは、ワームの断末魔だろうか。
虹色の光が一際強く輝いたかと思うと、瞬き一つの間に教室の様子が元に戻った。
【お見事です。オカ様に取り憑いていたワームは完全に消滅しました。残り十体です】
ああ、でも岡くんを転ばせたりはしないからね。
「よいしょっと」
彼の正面に残した左腕で、腹を支えてあげる。
「あ」
あたしの体重じゃ支えきれなかったよ。
「きゃん」
岡くんの左手があたしの胸に。
まあ、ワームが抜けた後だし許してあげよう。
「ふう」
で、どうすんのこの後始末。
【オカ様のワームが次元を隔離しておりましたが、間もなく通常空間につながります。他の生徒が教室に戻ってくる前に彼らの記憶を操作しますので、マスミ様は演技をお願いします】
わかった。
なんか、演劇部での活動が始まる前にお芝居の本番を迎えた気分だよ。
うずくまっていたクラスメイトたちが次々に立ち上がった。
みんな一様に虚ろな目をしている。
やがて少しずつ目に光が戻り始めた。
【今です、マスミ様】
「岡くんどうだった、あたしの演技っ」
「えーと、あれ? あ、そうそう。僕の脚本で突然演技してみようって話だったっけ」
アルガーが操作した偽の記憶が、教室内のみんなに作用し始めたようだ。この場で見たこと、聞いたことを都合良く置き換え、それを事実として定着させる必要がある。そのための仕上げが、あたしの演技なのだ。
「うん。でもごめん、セリフ覚えきれなくて。ほとんどアドリブになっちゃった」
「アドリブであんだけできりゃ、すげえ才能だとは思うけどさ。あそこまで自由にやられたら、周りの役者が困ると思うぞ」
「なんだ、岡。お前、やっぱり俺より先に御簾又と会話してたんじゃないか。やっぱ同じ部活ってのは羨ましいぜ」
ごめん森くん。てか、公衆の面前であたし狙いを仄めかされても、ねぇ。
「お気の毒ですが、森くん。潤美さんには心に決めた殿方がいらっしゃいますので。彼女を困らせるような言動は謹んでくださいませ」
おーい菜摘。誰が誰を心に決めたって?
「なんだそうなのか。残念だが、辛抱強く待ってれば俺にもチャンスが回ってくるかな」
いや、ないから。でも眩しいな、その前向きな根性。倍巳の時の自分にはなかったもの。
がたんという音に振り返る。
後ろ扉のそばで、「えええーっ」という奇声を上げる女子生徒がいた。白河さんだ。
「演技ぃ!? あたし、潤美と岡くんが本気で喧嘩してんのかと思ったよぉ」
「ごめんね白河さん。みんなもごめんね。あたしの演技がどのくらい通用するか試してみたかったの」
しんと静まる教室内。
やば。もしかしてみんな怒ってるのかな。
「ま、潤美! すごかったっ!」
すぐ背後から拍手が聞こえた。
「えっ、山井台さん?」
それを皮切りに、教室中が拍手の渦に。取り巻きさんたちも、古池さんも手を叩いてる。
ちなみに、あたしが披露した伸身のバック宙はなかったことになっている。
「潤美、いつの間にっ? てか、もう少しで岡くん張っ倒すとこだったよ」
ごめんね加奈。
「なかなかの演技力でしたよ潤美さん。でも同じ演劇部員の私達にも黙っていたのは少し寂しいですね」
ごめんね菜摘。……あと、ちょっと怖いんですけど。
「罰としていっぱいスキンシップしちゃいます」
あー、まあそういう罰ならむしろご褒美だけどね。
「あたしも!」
「むぎゅ」
背中に大きなクッションを押し付けられた感覚。同時に正面からスポーティ少女にハグされた。
あたし、山井台さんと古池さんに挟まれるようにしてハグされてる。
「ごめんね潤美」
「ほんとにごめん」
「え、二人ともなんで謝るの?」
記憶を塗り変えたはずじゃないの、アルガー?
「わかんない」
「わからないけど、謝らないといけないと思ったの。上手く言えないけど……」
「こんな可愛い子なのに、あたしたち嫉妬しちゃってて。生意気だとかアイドル気取りだとか、陰口叩いてたの」
「だから、ごめん」
あ、そっちの記憶はあるのか。でも律儀な子たちだなあ。
これは、なおさら許せない。ワームの奴らめ。
なんとか身体を離してもらったあと、こちらから一人ずつハグしてあげた。
「そんなこと言わなきゃわからないのに。でも、謝らなくていいよ。これから仲良くしてくれれば、ね。あたし、周囲のことなんにも見えてないから、よくないことしてるときは遠慮なく注意してね」
可愛いとか優しいなどと囃したてる二人の後ろから取り巻きさんたちが近づいてきたかと思うと、なぜか彼女らにもハグされた。
ドサクサに紛れ、手を広げて近寄る男子どもは、主に加奈と古池さんが容赦なく撃退してくれている。
そうこうするうちに昼休みが終わった。
一つ気になることがあるとすれば、その日、佳織が戻ってこなかったことだ。そのまま早退したらしく、いつの間にか鞄もなくなっていた。神谷さんが届けたのかな。
それにしても佳織……。こちらに気付かれたのでなければいいけれど。
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