第22話 沸き上がる復讐心
ふう。波乱の一日を乗り切った。
午後の授業はマジで眠かった。基礎体力のなさは今後の課題かも。
運動部ではないけれど、演劇部ではダンス練習もある。体力がないままだと今後いろいろな面できつそうだ。
来週は身体測定とスポーツテストがある。いっそのこと副部長に頼んで明日からあたしも練習に参加させてもらおうかな。そんな付け焼き刃で体力づくりができるとは思わないけどさ。
他の女子の前ではうっかり発言できないけれど、あたしは体重を増やしたい。全体的に細い割に胸だけやたら大きいのもアンバランスだし。そりゃ、菜摘や山井台さんよりは小さいけれども。
男女で美的センスに違いがあるのは理解できるけど、今のところこの身体、少し貧相なんだよね。あばら浮いてるし。
中一だから仕方ないとは言っても、もう少しは丸みがないと女性っぽくないじゃん。菜摘くらいの体型がバランスよくて素敵なんだよな。
……って、あたし何を混乱してるんだ。女性っぽくなりたいのか? いやいや、まさか。ワーム残り十体排除して、倍巳に戻りたいんだ。
忘れかけてたりしないからな。断じて。
【特に混乱なさっているわけではありますまい。そのお身体もマスミ様ご本人には違いないのですから。愛着があって然るべきですし、より一層マスミ様らしく在るためには体型を気になさって当然です】
そ、そういうものなの?
【はい。それと、ご安心ください。そのお身体は特別ですから。いくら揺らしても垂れたりしませんよ】
あのさ。いらないところだけハイスペックだよね。
揺らすとか誰得だよ。周囲の中一男子が喜ぶだけでしょうが。明日からスポーツブラにしようっと。
【普通の女性はマラソンなどの運動で胸を揺らすことによりクーパー靱帯がダメージを受け、短期的には痛みを伴って小さくなり、長期的には垂れてしまうことがあるでしょう。クーパー靱帯は一度ダメージを受けると元に戻りませんから。しかしそのお身体ならば心配ございません。むしろ、胸を固定するスポーツブラはマスミ様にとって窮屈に感じられるだけであまりメリットはないかと】
そりゃ、ね。こないだ体育の授業があったときにスポブラ着けてみたからわかるけど、たしかに着け心地がいいとは言えなかったんだけどさ。
うーん。疲れているからかあんまり頭が働かないや。考えるのは帰ってからにしようっと。
教室でみんなと別れ、ふらふらと高等部へ向けて歩いている。
菜摘と加奈はついて来たがっていたが、今日は演劇部に顔を出すつもりはないし帰る方向も違うのだ。だから付き添いをやんわりと断った。
今から考えると少し意地悪だったかも知れないけれど、
「加奈が哉太兄に会いたいんならついてきてもいいよ?」
と言ってしまったのだ。そうしたところ、なぜか菜摘が素敵な笑顔で加奈を凝視していた。そして、
「ほらほら加奈さん。お邪魔してはいけませんよ」
との発言。今から考えてみると、あの言葉の意味って。
邪魔ってなんなのさ。まったく、菜摘ったら。
あ、そうだ。部活参加を交渉してみる件、二人にもメールしとこ。
携帯を操作すると、すぐさま返信があった。
なにこの速度。中一当時の倍巳より早いよ。
——二人とも賛成か。よかった。
一陣の風があたしの髪を軽くなびかせた。
ツーサイドアップの片方の房を手で押さえる。
この縛り方、朝の支度にせよ鏡で見るにせよ随分慣れたけれど、動き回る際にはたまに視界を遮ることがある。運動する時は美沙姉みたく後ろで一つに縛った方がいいかな。
渡り廊下が見えてきた。
人があまり通らない、旧校舎へと続く渡り廊下。ここを通り抜けるのが、高等部への近道だ。
そこへ足を踏み入れた途端——
「——————っ」
チリチリとした感覚が太腿を駆け抜けた。
【活性化したワームがいますね。でも、距離があります】
一人、二人……。三人か。方向から考えて、旧校舎。
旧校舎を活動拠点とする文化部員が怪しい、ということだろうか。
部活見学の中等部学生もいるかも知れないから、三人とも高校生とは限らないよね。
【あと、学生と比べれば確率は低いものの、教職員である可能性も否定はできません。過去の統計から言って、一パーセント未満とは言え成人した人間に取り憑いた例も報告されております】
なんにせよ、相手の姿さえ見ることができればマーキングできるってことだよね。
【はい。しかし活性化したワームならばオカ様のワームが除去されたことに気付いている可能性が高いです。警戒しているところへ迂闊に近付いて、こちらの存在を知らせてしまうのはリスクが高いですね。なにせ、今のマスミ様は疲れておいでですから。この状態における最善策は、なるべく敵に出くわさないこと。次善策は、なるべく遠距離から敵を視認し、敵に見られる前に立ち去ることです】
はいはい。できるだけ危うきに近寄らず、不可抗力で近付いてしまった場合でもなるべく距離がある段階でマーキングできるよう、スカート短くしとけってことね。
目立たないためには校則遵守の真面目ちゃんキャラでいたかったけれど、少なくともスカート丈についてはこの長さをデフォルトにするべきなのかなやっぱり。
【いえ、まだ中途半端です。周囲のみなさんはもっと短いですよ。それこそマスミ様のクローゼットにあるスカート群なみに。そこまで短くすれば、さらに索敵の精度が高まります】
いやいや、そこまで短くしてる人はさすがに少数派だってば。そりゃもちろん索敵が大事ってのは重々承知してるんだけどね。
ついこないだまで焦ってたのは事実なんだけどさ。だからってあんまり急速に除去していくと、残ったワームの奴らが結束して総攻撃とか仕掛けてきそうじゃない? ここはやっぱり、一体ずつ確実に除去していかないと。
【ええ。仰る通り、数が減っていけば敵の連携もないとは言い切れません。マスミ様をお護りするためにもこのアルガー、全力でサポートします】
おや。アルガーの語気が強まった。最近、以前にも増して感情の揺らぎが感じられるようになったよね。
【それはもう。ナビとしては上位管理者様なんかより宿主たるマスターの方が大事ですから】
あらら、言い切ったよ。
驚いたけれども、同時に微笑が漏れる。
「ありがとね」
なとなく、肉声で伝えたくなった。
【……どういたしまして】
それから少し無言で歩いていると、何か迷うような気分が伝わってきた。
どうしたのかな、アルガー。
【実は、マスターにも秘匿すべき情報という位置づけなのですが……。明文化された規則ではないのでお伝えしておきます】
えっと。あたしそれ、聞いていいの?
【はい。是非お聞きください。いま現在、使用制限を施されているコマンドのうちいくつかは、本来ならば管理者権限レベル1であれば使えるはずのものも含まれているのです。しかし過去において、上位管理者不在のまま、それらのコマンドが使われた実績がないことが問題視されておりまして】
なるほど。つまりは上位管理者の独断——というか、もう“個人的な都合”と言い換えてもいいよねこれ——で、無闇にアルガーの力を使うなと言いつけられているわけね。
【その通りです。そこで辛抱強く上位管理者様に要望を送り、マスミ様の負担を減らそうと思っております】
あれ。上位管理者さん、レベル2の事案が起きない限り連絡するなって言ってなかったっけ。
【はい、こちらからは連絡できません。ですが上位管理者様からは不定期に連絡が来ますので】
あー、こないだあたしが寝たふりしてた時のような形で。あれ、たまに来てるのね。
【それに基本的には上位管理者様の職務怠慢のしわ寄せがマスミ様にのしかかっている状態ですので。遠慮する必要は微塵もないのです】
『失敬な。マイペースにやっているように見せかけて、これでも必死でやってるんだぞ』
げ、突然出たな。上位管理者。
『今日マスミ君が除去したワームな。正直、想定を上回る進化を遂げていた。そこで、コマンドの利用制限を解除しようと思ってね。こうして連絡した次第だ』
あなたホントは作業終わってんじゃないの? アルガーがしょっちゅう怠慢だと言うから普段から疑ってはいたけど、それでも今の今まで多忙なんだと思ってたのに。
『たたた多忙だよ多忙だってば。こちらのエリアでもやること山盛りなんだからねっ』
なにその語尾。……ってかなにその慌てぶり。
『とにかくだっ。その身体は特別なんで、体力さえつければそれなりに無茶しても全然おっけーだ!』
無茶させる気なんだね。
【上位管理者様。制限解除されるコマンドの詳細を教えていただきたいのですが】
おお。アルガーが冷静につっこんだ。
『そうだった。ええと、移動コマンドと身体強化コマンド。前者が一日二回、後者が一日一回だ』
コマンドの名前だけじゃ凄いのかしょぼいのかさえわかんないよ。それに一日一回だの二回だのって、意味あんのかな。
【いえ、使いどころさえ間違えなければミッションクリアへの道が大幅に縮まるものと思われます。移動コマンドは瞬間移動です。距離としては、マスミ様の鍛え方による体力次第で最長五十メートルほど移動できます】
それ、運動場の端で使っても他人の目に触れる位置までしか行けないよね。
『考え方次第さ。鍵のかかった体育倉庫内に移動し、反対側から出るといった使い方をすれば敵の尾行をまくのも簡単だ』
入って出て、それで一日二回ってか。ばかにしてんの、上位管理者さん。
【身体強化コマンドは筋力、筋持久力、瞬発力いずれも強化されます。鍛え方次第では、思考加速時に通常の速度で動けるようになるはずです】
ああ、そっちは現実的だね。あのスローモーションの世界の中で普通に動けるっていうのは魅力的かも。それって、副作用とかないの?
『安心したまえ。一日一回、通常の経過時間において十分間。この制限を解除するつもりはないからね。その時間内であれば、特に副作用はないよ。それを超えて身体強化し続けると、おそらくその後まる一日は動けなくなるだろうけれども』
そっか。でも、それなら倍巳の時のようなピンチになっても、余裕で逃げられるね。
逃げる……。
あたし、何を考えているんだろう。倍巳の身体でさえほとんど抵抗できなかった連中を相手に、どう戦うかシミュレートしていた。ほとんど無意識に。
【思考加速だけでは多人数を相手にどうすることもできません。それはお昼に身をもって体験なさったはず】
わかってるって——
唐突に鳴り響く大きな音に驚き、耳を押さえて立ち止まった。
「な、なにっ!?」
神経を逆撫でする警報音。一瞬、携帯が鳴っているのかと思ったけどそうじゃないみたい。アルガーや上位管理者さんの声みたいに頭の中だけで鳴ってる感じ。
【マスミ様、引き返してください。今すぐにです】
え。引き返すくらいならこのまま家路につきたいよ。もうふらふらだし。
【だめです。相手はスレイブではありません。例の、マスミ様本来の肉体を病院送りにした連中です。あの時と同じように、六人います】
道理で。このザワザワした感じ、身に覚えがあると思った。
【落ち着いている場合ではありません。今のマスミ様の体力では移動コマンドも身体強化コマンドもろくに使えません】
平気。思考加速は使えるでしょ。んで、この身体は無茶もきく、と。
【しかし、お身体が動かなくなってしまってはどんな緊急コマンドも無意味です】
ねえアルガー。あたしだって復讐心はあるんだよ。
たとえワームに煽動されたにせよ、倍巳の身体を病院送りにしてくれた連中にリベンジしたい。
正直に言ってよ。あたし、警報音を聞いた瞬間から大体想像がついてた。同時に疲れが吹っ飛んじゃった。ふらふらってのは嘘だよ。
今なら少しくらい、身体強化コマンドとやらに耐えられそうな気がする。アルガーならわかるんでしょ?
【…………。フルスペックというわけには行きませんが、時間を倍に引き伸ばした思考加速の中で通常速度で動くなら体感時間で二分間。ただし、それを一秒でも超えたら本当にまる一日動けなくなりますからね】
高等部の不良が六人。制限時間は通常の時間経過で一分間。
倍速の御簾又流柔術にとって、決して不可能な数字ではない。
「やってみせるわよ」
あたしは握った拳を再び開き、自然体の構えを取る。
すると、渡り廊下の壁の向こうから三人の高校生が姿を表した。揃いも揃って腰パン姿、忘れもしないあの時の連中だ。現在の間合いは五メートル。
残り三人、姿を見せてはいないが、あの時同様こちらの背後を塞ぐつもりだろう。
相手はワームでもスレイブでもないというのに、太腿に感じるザワザワのおかげで大体の位置がわかる。これも制限解除されたコマンドの一環なのだろうか。
「なにをやってみせるってえ」
「ヤらせてあげるの間違いじゃねえのかあ」
「
鉄——矢井田鉄男。そうだ、前回もそう呼んでいたっけ。
それにしても佳織、というかあのスレイブめ。ろくでもない連中にとんでもない情報を流しやがって。
たとえ校外だろうと知ったこっちゃない。近いうち、矢井田先輩のワームをやっつけに行こう。
そう決意を固めながら、不良たちとの間合いを計った。
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