第20話 覚悟の瞬発力

 お昼になった。

 食べ終えて空になった弁当箱を片付けていると——

「佳織!」

 神谷さんの声だ。佳織、またどっか行っちゃうのね。

 佳織のスレイブ状態も早く解除してあげないと。彼女、今のところ唯一の友達である神谷さんさえ拒絶してる形になってる。スレイブにされていなければ当たり前に享受できたかもしれない中学生活を、ワームのせいで邪魔されているようなものだもんね。

 ところで、行き先はやっぱり高等部かな。矢井田先輩、今日は学校に来ているのかな。

【いえ、反応が感じられません】

 いや、反応って。いくら同じ敷地って言ってもここから高等部の校舎まで結構距離あるよ。

【一度マーキングした相手ですからね。マスミ様もウエスト部分を巻いてスカート丈を短くすれば、感じられるはずです】

 し、紫外線は女の子のお肌に良くないんだからっ。

 それに、よく考えて見たら今朝だって、制服に隠れた部分まで皮膚がちりちりして、廊下歩いてるときから教室の中に岡くんがいるって普通にわかったし。

【ですから、感度が全く違ってきます。バスターコマンドの威力も】

 覚えてるわよ。ちょっと言ってみただけ。

【ああ、紫外線についてはお気になさらず。ナノマシンで防御しますので。真夏の炎天下でさえオイルやクリームなどの日焼け止め対策要らずですよ】

 お願いだから真夏になっても倍巳に戻れないフラグを建てるのやめてね。

【真夏を待つまでもなく、これからどんどん気温が上がって行きます。ビキニをお召しになったマスミ様におかれましては、今さらミニスカートを敬遠する理由など皆無ではないかと。むしろ現在の容姿にマッチして大変可愛らしいですし、なにより自然です】

 他人事だと思って。ナノマシンのことがあるから、これだって校則の範囲内で一番短くしてるんだからね。まあ服装検査なんてほとんどないけど。

【膝上五センチなどミニスカートとは呼べません】

 股下五センチくらいしかないスカートを穿いてる娘もたくさんいるけど、あれ完璧に校則違反だからね。あと、普通にパンチラしちゃってるし。

 ようやく制服の長さにこそ慣れて来たけど、それだってパンツ見えちゃうかもっていう緊張感が常につきまとうんだから。

【すでに身につけられた所作をもってすれば何も心配ありませんよ。それこそ、上りエスカレーターの真後ろに立つ人物が盗撮野郎でもない限り、そうそうスカートの中を覗き見られるものではないのですから。もちろん相手が盗撮野郎ならば、たとえ一般人であってもこのアルガー、微塵も容赦しませんがね】

 わあ嬉しっ。でもその心意気、倍巳が襲われた時点で発揮してくれていたらなあ。

【罪ほろぼしをさせてください。あの時までの私は、あまりにも規則に拘りすぎました。現代人への配慮——というより遠慮と言うべきでしょうか、その想いが先に立ち、結果的に最大の配慮をすべき協力者であるマスミ様をおろそかにしてしまいました】

 アルガー……。

【もう二度と、同じ失敗は——】

  なによ規則って。あたしへの意趣返しみたいに聞こえるんだけど。あと、雰囲気たっぷりに語ってくれるのはいいけどさぁ——

「やあぁぁぁんっ!」

 なんでいつもいつも、あたしの注意を加奈から逸らすのさ!

「加奈のバカぁ! 今朝、一日おきにするって言ったばかりじゃないっ」

「あら、それはきっちり守るわよ。うふっ、一日おきなのは許してくれるのね」

「うっ……」

「一日一回だなんて一言も約束してないもの」

「そんなのずる——あんっ。横はダメぇ」

 ほらぁ、男子たちが前傾姿勢になってるってば。

「加奈さん、さすがにやりすぎです。いい加減にしないとあたしが禁止しますからね」

「……はぁ、しょうがない。菜摘には弱いもの」

 ほっ、助かった。やっぱり菜摘ママは頼りになるよ、うん。

「もう中学生なんですから、もっと節度をもって——きゃあっ!」

 加奈ったら、今度は菜摘の胸を揉んでる。

「じゃ、明日からは一日一回にするよ。そのかわり、潤美と菜摘を交互にねっ」

「それじゃあんっ、加奈さんはっ、毎日じゃないんんっ、ですかっ」

「だってあたしの掌、潤美の胸にすっかり開発されちゃって。揉まないといられないのよ」

 それ逆でしょ——違っ! あたし断じて開発なんてされてない。ないったらない。


 男子が近づいてくる。あえてそちらに顔を向けず、視界の端で確認。森くんだ。

 うひゃあ、きっと本人無自覚なんだろうけれど、女子たちの視線も一緒に動いてるよ。

 そして森くんとあたしを見比べる温度差の酷いこと。視線が痛いって、比喩でもなんでもないんだね。実感したわ。

 さて、スカート巻き巻きして、と。

 あらほんと。かなり離れてるのに、佳織の気配と大体の位置が感じ取れる。

 そして岡くんは教室にいる。絶好の機会だね。

 森くんに話しかけられる前に行動しなきゃ。彼に気づかないフリをして、そそくさと席を立つ。

「み——」

 きこえなーいっ。

「岡くんっ」

 ごめんね森くん。今は相手してあげられない。

 岡くんは無言でこちらを振り向くと、軽く左右を見た。すぐにこちらと目を合わせてきたので、あたしは微笑みながら首を縦に振ってみせる。すると、彼は驚いた顔をして自分自身を指差した。

「あのアイドル気取り、まさかの森様無視っ!? 勘違いが酷くなる前に対処しないと——」

「ねえ、やめようよミチ」

「何をよ、まや」

 道原さん恐い。えっと、あたしが岡くんに笑いかけたことが気に食わないのかな。本人、自分が何故怒ってるのかよくわかってないよねきっと。

「冷静になって考えてみて。潤美、何も悪いことしていない。むしろあたしたちこそ……」

「なによ。はっきり言いなさいよ」

 ちょ、道原さんマジ恐いって。アルガーの集音が必要ないほどの声量で教室に響き渡ってるし。勘弁してよ、こんな時に。

 でも山井台さん、頑張った。応援してあげたくなるよ。


 あ、岡くんが立ち上がった。

「んっ!?」

 なにこれ。全身がヒリヒリするような刺激に苛まれてるんですけどっ。

 うわ、岡くんの目付きがきつくなってて——睨んでる。あたしのことを。

【こちらの存在に気づかれました。オカの人格を抑え、憑依ワームが前面に出ている状態です】

 わかってる。紫の人魂。あたしの目にハッキリ見えてるもん。

【全力で対処します】

「お前ら、来い! 俺の壁になれっ!」

 なんとまあ。ワームめ、岡くんの喉を使って、めっちゃドスの利いた声を出してる。

「潤美! 道原さんがあんたのことを話題にしてるってのに!」

「それを無視して男子と遊ぼうとか、非常識よっ」

「ちょっと可愛いからって調子に乗らないで」

 うわー、取り巻き三人娘が立ち塞がった。なんなのこの状況。彼女たちに自覚があるかどうかわかんないけど、あれじゃ道原さんのじゃなくて岡くんの取り巻きとしか思えないんですけど。

「潤美っ!」

「潤美さん」

「どうした岡。お前、突然何を?」

 今は昼休み。教室を離れた生徒もいるが、室内にはクラスの半数ほどが残っている。

 一気に騒がしくなった。

 アルガー。誰も——、岡くんも含めて、一人も怪我させずに対処できる?

【それが私の存在意義だと自負しております。ですが、オカは女子生徒を文字通りの壁にするつもりのようです。奴の狙いはマスミ様の無力化】

 不良でもなんでもない女子生徒を使役して暴力行為をさせようだなんて。


 一般生徒にアルガーの重力操作は効かない。

 三枚の壁を突破して岡くんにさわるには——

【思考加速します。ご負担をおかけして申し訳ない】

 やるわよ。いずれやんなきゃならなかったことなんだし。

 御簾又流柔術。誰にも怪我させずに対処してみせる。

 だからアルガー。アフターケアは任せたわよ。

 覚悟を決め、あたしは一歩踏み出した。


 こちらへ掴みかかってくる取り巻きさんたちの動きがスローモーションになる。

 真ん中の娘は岡くんを背に隠すようにして手を広げて立ち止まり、向かって右の娘が突進してきた。

 時間差をつけ、左の娘も踏み込んでくる。

 加速しているのは思考だけなので、あたし自身もスローな動きしかできない。でもタイミングがわかっていれば最小の動きですり抜けることが可能だ。

 背の低いあたしを威嚇するように腕を持ち上げている右の娘の真正面へ。

 はしたないとか言ってられない。

「やあっ!」

 席の主が不在の椅子を踏み台にして机の上に乗り、彼女に背を向けて後方へ跳躍。

 全身のバネを使って飛び上がると、伸身の後方宙返りだ。

 右の娘の肩の上に両手を置いて倒立する形に。

 実際には一切体重をかけてない。

 伸ばした脚に張り付くスカートは、遠心力のおかげでめくれることはない。

 よし。狙い通りの場所へ着地。

 度肝を抜かれ、取り巻きさんたちの反応が遅れている。これも狙い通り。

 着地の反動を利用して岡くんへと肉迫。

【マスミ様! 右へっ】

 反射的にアルガーの警告に従う。

 背後から腕が。

 どうして。着地地点に手が届くのは山井台さんしかいなかったはず。

【黒板際まで退避を。彼女の体格はマスミ様にとっては脅威です】

 そんな。じゃ、この腕はやっぱり山井台さんの。

【完全に精神支配から脱け出していたわけではないようです。……正面左、取り巻きが来ます】

 まずい。この身体では最初の動きだけでかなり体力を消耗してる。

 どんな体術を使うにせよ、相手に怪我をさせないためには極力接触を避けるのがセオリー。その意味で、あたしの狙いは最初に派手な動きを見せて隙を作ること、その一点だったのだ。

 瞬発力。ただそれだけを頼りに踏み出した一歩だったのである。

「あうっ」

 取り巻きさんを避けようとしたところで、背後から山井台さんに組みつかれ、羽交い締めされた。

 菜摘と加奈、それに森くんが駆け寄ってくる。しかし、取り巻きさんたちが立ち塞がった。

 それ以外の生徒たちは突然の事態に当惑するばかりで完全に固まっている。

『ふん、接触タイプのバスターか。おどかしやがって』

 この声、誰っ? スローじゃないよ。

【オカのワームです。一人前に、こちらに割り込みをかけてくるとは】

『邪魔をするな。この学園を支配するのは俺だ。この通り、独自アップデートにより矢井田には使えない能力を得た』

 はあ? 学園を支配って……。ワームが厨二病ってわけじゃあるまいし、これって岡くん本人の意志なの?

『御簾又。お前が——お前たちが協力するなら危害は加えないが、どうするね』

【あー。ヤイダの時にも少し感じたのですが……。どうやら、今回のワーム。宿主を支配するよりも宿主の潜在願望を歪めて実現させる方向で活動しているようですね】

 うわー、大迷惑。

 岡くんってば、学園を支配したかったのね。

 答えはノーよ。アルガー、伝えて。

『残念だ。お前の兄貴同様、病院に戻るがいい』

 へえ。こちらの正体を知ってなお、倍巳とあたしが別人だと思ってるんだ。

 てか、アルガー。あたし捕まってて、岡くんに触れないんだけど。

 こちらに近寄ってくる道原さんも、なんか鬼の形相になってるし。

 どう控え目に見ても、これって絶体絶命だよね。

 やけに落ち着いてない?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る