第19話 睨み合いの均衡
翌朝。
教室の扉を開ける前から肌がちりちりする感覚に襲われた。
【ワームです。脅威度E】
岡くんだよね。こちらに気付いてるのかな。
【おそらくそれはないでしょう。活性化しているのをろくにカモフラージュしていない割に脅威度が低すぎますので】
じゃ、手っ取り早く手でも握れば駆除できるね。
【お待ちを。カオリ様――ヤイダのスレイブの反応もあります。まだ、ヤイダ陣営にはマスミ様がバスターであることを知られたくありません。なるべくなら、彼女がいない場所で駆除したいところです】
わかった。
ん? なんで前扉のところで立ち止まってる生徒がいるのかな。
【嫌がらせですね。後ろ扉のすぐ内側にオカが立たされています。その背中に、昨日集音した声の主の片方が手を添えています】
ああ、あたしが扉を開けたら背中を押して、胸にタッチさせようってイタズラね。小学生か。
……変だな。イジメ側が女子生徒だとして、あたしへの嫌がらせというより、それだとまるで岡くんへのイジメじゃない?
中学生レベルのイジメの第一段階というと持ち物隠したり机に落書きしたりかなと思ったけど、これはまた随分と体育会系というか、男の子寄りの可愛らしいイタズラだね。
【女子生徒は一般人ですが、オカにはワームが憑依しています。オカが女子生徒らに何らかの精神攻撃を仕掛けた可能性も考えられます】
アルガーってさ。一般生徒やスレイブには敬称つけるけど、憑依ワームが活性化したら呼び捨てになるんだね。
【区別のためです。……オカには重力操作が効きますが、こちらで対処しましょうか】
それやったら佳織にばれちゃうでしょ。ここはあたしに任せて。岡くんに触らなければいいんだよね。
前扉でわざとらしくもたついている女子生徒に声をかける。
「おはよう、
「あ、おはよう潤美」
ショートボブで太めの眉毛、まだ四月だというのに制服を肘まで腕まくりした、割とスポーティな印象の少女だ。その外見からはほとんど陰湿さを感じ取ることができないが、彼女の声は確かに昨日アルガーが集音してくれた声の片方と一致する。
「ごめん、こっちの扉、人がたまっちゃってて。後ろから入ってもらえるかな」
うっわ、見た目だけは爽やかさん。なにこの演劇部も真っ青な演技力。白々しいなあ、もう。
「うんわかった」
引きつってないよね、あたしの顔。
後扉へと向かう。カウントダウン開始。
三、二、一……。
「――――っ!」
扉を開けた途端、岡くんの顔が間近に迫る。勢い良く押し出されたのだ。
このままあたしがおとなしく胸を触らせてあげれば、ワーム一匹除去だけれど。
それはやっぱり嫌。佳織にばれちゃうし。
だから――右へ半回転。
あたしの横をすり抜けて廊下へ飛び出る岡くん。その背を見送りつつ、口許へ両手を持っていく。
「わあびっくりした」
棒読みだったな、反省。だってまだ演劇部での活動始まってないから。あたしの演技は古池さんの足下にも及ばない。
「おはよ、岡くん。かわった挨拶だね」
「ご、ごめん御簾又。驚かしてしまって」
おや。普段の彼は眼鏡くんか。背は入部の時とプールの時に見た通りで、あたしとほぼ同じ。痩せ型で、少し出っ歯だ。
「あたしはいいけど、他の人に挨拶する時はもっと普通にしてあげてね」
「う……うん」
にっこりと笑ってあげる。
おや。顔を赤くしちゃって可愛いなあ。そっか、憑依されてる側には自覚がないんだったね。
……ということはもしかして。長く憑依され続けると、自我そのものを乗っ取られてしまうんじゃないの?
【そうですね。およそ十か月も憑依され続けると、たとえワームを除去しても本当の意味で元に戻れるかどうか難しくなることでしょう】
そっか。
「…………」
待って待って、今ちょっとほっとしたけどそんなこと言ってる場合じゃないよね。もう今さら倍巳の留年を回避したいとは言わないけど、せめて一学期が終わるまでの間には決着つけたいからね、アルガー。
しかし不良っぽくなってはいないね、岡くん。ワームに性格変えられてないのかな、まだ。
【わかりません。どのような性格に変わるかについては、宿主による部分が大きいのかもしれません。あるいは既に、目立たない性格に変えられていて、それが災いしてイジメのターゲットになったのかも】
もしそうなら、女子たちのイジメはワームの精神攻撃によるものではないってことになるよね。
【断言はできません。ですが、私の見解としては、女子生徒たちの側にもイジメの加害者となる原因があり、それがオカの目的と合致して精神操作に及んだのではないかと】
そんなこと決めつけんな、と言いたいところだけれど。アルガー、もしかしてあたしの知らないことを知ってたりする?
【いえ、過去の侵略事例を参照しただけです。イジメによる学級崩壊。子供たちの心を荒ませてクラスのほとんどをスレイブに変え、古代種族の亡霊の受け皿にしてしまおうという事例です。管理者権限レベル2、「浄化」コマンド実行寸前でした】
おっかない。しかし、子供の心を何だと思ってるんだ。
このクラスでは——この学園ではそんなことさせないぞっ。
【バスター因子を持つミサ様やアツシ様はもちろん、バスター因子を持たない人間であってもナツミ様のような強くてバランスのとれた精神をお持ちの方々は、おいそれと精神攻撃に屈することはありません。日常的にマスミ様の胸を揉むカナ様も守りは堅いです】
あのさ。最後のやつ、今言う? 思わず胸を抱いて隠しちゃったじゃない。
【つまり、このクラスでは思い通りに精神攻撃をかけられず、オカはそれなりに焦っている可能性があります。最早バスターに正体を知られることを恐れず、何らかの行動に移るつもりかも知れません。こちらとしても予定を前倒しし、奴を早めに仕留めるために対応させていただきます。マスミ様におかれましてはその心づもりでお願いします】
わかった。
教室に入ると岡くんを押し出した女子生徒と目が合った。
肥満不在の我がクラスにおいて、女子の中で一番大柄な少女。背は加奈より五センチは高い。横幅も、あたしをはね飛ばした神谷さんを上回る。おそらくクラス一の巨乳の持ち主であり、その柔和な丸顔からは母性あふれる印象が漂う。彼女も古池さん同様、とても陰湿な雰囲気など感じられない外見だ。
その彼女が今、岡くんを押し出した姿勢で、まるでバスケットボールをパスし終えた直後のような格好で固まっている。
その両手を掴んであげた。
もう演技なんて考えない。普通に笑って挨拶しよう。
「
【お見事です。人を疑うことを知らぬ天真爛漫な笑顔に見えますよ】
ええと、喜んでいいのかな、それ。
「お、おはよう潤美。ち、ちょっと岡くん、き、気をつけなさいよね!」
噛み過ぎでしょ。
あたしの肩越しに怒鳴ると、彼女は手を振り払って自分の席へと向かった。
今、教室の中には山井台さん、古池さんの他に数人の女子生徒だけ。その中には佳織もいるけど我関せずという顔で本を読んでいる。
「…………」
一方、岡くんは何事もなかったかのように教室に戻ると、顔を伏せ、髪で隠した目を光らせる。
ぞくりとした。
獲物を狙う猛禽の眼光。その向かう先にいるのは山井台さん。
あれ? 山井台さん、どうして泣きそうな顔しているの。
肌がざわざわする。アルガー、何か探っているね。
何かわかった?
【いえ、特に何も。これは推測ですが、ヤマイダイ様はイジメを――少なくとも、このような形での嫌がらせを望んではおられなかったのではないかと】
じゃ、ワームによる精神攻撃?
【その可能性が極めて高いと思われます。マスミ様は素手でヤマイダイ様の手を握られました。その瞬間、ヤマイダイ様のワーム抵抗力が跳ね上がり、オカによる精神攻撃の影響からある程度脱け出したのではないかと】
じゃ、今の彼女、さしずめ激しい後悔に苛まれているってところかな。何故あんなことをしたのかわからない、と。
ワームめ、いたいけな女子中学生になんてことを。
ねえアルガー。あたし、岡くんのワーム許せないんだけど。今すぐ除去したい。
【どうか冷静に。オカが単独で活動しようとしているのか、ヤイダ陣営と連携しようとしているのかわかりません。それに、マスミ様はまだカオリ様からの監視を受けておられます。バスターをいぶり出す罠である可能性も否定できません】
もどかしい。
ふと、佳織の席へと視線を走らせてみた。どうやら彼女、岡くんを睨んでいたみたい。
あ、目が合った。
「矢井田さん、おはよう」
「……おはよ」
あんまりあたしに関心なさげ? もちろんその方が都合いいんだけれど。
「おはよう!」
前扉を塞いでいた女子生徒たちは古池さんの他に三人。なんとなく、あのスポーティ少女の取り巻きさんっぽい雰囲気。彼女たちにも元気に声をかけておく。
「……はよ」
元気ないなあ、女子中学生。
ありゃ。古池さんは爪噛んで山井台さんを睨んでる。下手すると山井台さんとの間で一悶着あるかも。そちらに気を回している余裕はないけれど、それとなく様子を窺ってみよう。
取り巻きさんたち、どこか気遣わしげに古池さんを見つめてる。取り巻きさんたちも岡くんの精神攻撃を受けている可能性は——
【おそらく、それはないと思います。同時に精神攻撃をかけるには、人数の制限があるものと。それに、そこまでの操作を行ったのならこのアルガーに探知できないはずがありませんので】
さらっと自慢しやがった。
それで、古池さんと山井台さんが狙われた理由は何なんだろうね。
【精神攻撃を受けやすい者には共通点があります。ある種のコンプレックスに悩む者ですね。コイケ様は、クラスのムードメーカーたり得る方ですが、今のところカナ様に一歩及ばず、あまり目立たない存在となっています】
目立つことができない自分にコンプレックス?
【ヤマイダイ様はクラスの精神的な支えとなり得る方ですが、今のところナツミ様にその役を譲る形となっております】
自分の存在意義を見失っている。承認欲求が満たされない、と。ある意味中学生らしいコンプレックスかもしんないけど、根拠あるの、それ?
【推測ですがね。このクラス、マスミ様の影響により精神攻撃に耐性を持つ生徒が多いですから。これまであまりマスミ様に接触してこなかったお二人は、耐性が低かったのは事実です】
アルガー、我慢できないよ。それが事実だろうと違おうと、今すぐ岡くんのワームを除去しようよ。
【ではせめてお昼までお待ちを。カオリ様の動きも注意しておきたいので】
……わかった。
「御簾又、おはよう」
「おはよう潤美!」
「おはよう森くん、おはよう菜摘」
次々にクラスメイトが集まってきた。
とりあえず、普段通りに振る舞わないとね。
「おはよぉん」
「ひゃぁぁんっ」
加奈、あなたは普段通りにしなくていいのっ!
「もうっ、毎日胸を揉まないでっ。これ以上大きくなったらどうすんんっ!」
「しょうがないなあ。じゃ、一日おきにしてあげるっ」
加奈のばかぁ!
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