第18話 気になる視線
玄関の外で、美沙姉と哉太兄が待っていた。これから毎朝、この三人で登校することになったのだ。
あたしは哉太兄に包みを手渡しながら言った。
「はい、今日のお弁当」
「おう、ありがとな」
睨まないでね美沙姉。あと独り言。しっかり聞こえてくるんだけど。
「バ哉太のくせに妬ましい」
「最近とみに扱いが酷くねえか。贅沢は言わねえ。洋介に向ける好意の一万分の一でいいから分けて欲しいぜ」
あたしを真ん中に、右側に美沙姉、左側に哉太兄という並びで歩く。学園までは徒歩十五分、自転車利用禁止圏内なのだ。
ちなみに、倍巳のペースなら十分ちょっと。潤美のペースを気遣い、二人の高校生がゆっくり歩いてくれているのだ。あたし一人なら多分、倍巳のペースで歩くと思う。
「ふん。一億分の一でも贅沢ってものよ。ただでさえ美少女二人と幼馴染だってのに」
「自分で言うか……。悔しいが、事実だけに反論できねえ」
「その上、潤美ちゃんと部活まで同じだなんて」
「美沙も入りゃいいじゃねえか、演劇部」
「やあよ。帰宅部から転部するつもりは微塵もないわ。潤美ちゃんの下校時の護衛は任せたわよ」
「政府の要人かよ、大袈裟な。俺なんかが四六時中張り付いてたら、潤美ちゃんだって鬱陶しいだろ?」
そこであたしに話を振るか。登校時限定の
「あたしは――」
「誰も張り付いてろなんて言ってない。そんなのあたしが嫉妬で狂う」
「み、美沙姉あのね……」
口を挟む隙がないよ。
「でも大事な潤美ちゃんがそのへんの中坊に手を出されたり、変質者やストーカーに狙われたりする方がもっと嫌。なら、哉太がそばについててくれた方がマシ」
「マシて。いやわかってたけどゴミでも見るような目付きで睨むのやめてマジでへこむから」
やれやれ。
「ん、なんだよ潤美ちゃん。その遠くを見るような表情は」
「ふふ。仲いいなーと思って」
「よしてくれ。眼鏡作った方がいいんじゃねえかな」
「潤美ちゃんが眼鏡……。あたしが一緒に選んであげるっ。あと、潤美ちゃんが嫉妬してくれたのなら嬉しいわ。哉太なんか最初から問題外だけど、洋介だって簡単に切るからねっ」
美沙姉どうした。また変なスイッチが入ったみたい。
「お願いだから切らないでね」
冗談だとわかってはいるけれど、
話題変えよう。
「二人にお願いがあるんだけど。あたしのこと、呼び捨てで呼んで。プールの時から思ってたんだけど、ちゃん付けだと距離を感じちゃって」
「あたしと潤美の距離はゼロよっ」
いや美沙姉。登校中のハグは控えようね。困ったことに嫌じゃないんだけれども。
「わかったぜ潤美」
頭を撫でられた。哉太って大きな手してんだなー、などと思っていたらぺちんという音がすぐ耳許で聞こえた。
「……ってえな。なにすんだ、美沙」
「女の子の髪をなんだと思ってるの。むやみに触らない!」
「っお、おう。悪かった、潤美」
なんだか名残惜しいな、などと思ったのはその場のノリってやつだよね。本気で謝る哉太兄には同情してしまう。
だって、あたしのことで美沙姉から責められているのだから。とりあえず、怒ってないよアピールってことで笑顔でウインク。
「…………」
こら、何故そこで顔を赤らめる。
「だめよ潤美。あなたみたいな美少女が自分を安売りしてはっ」
そして美沙姉の過保護ぶりが加速してるのは何故。
「それはそれとして。潤美の女子力、少しはあたしも見習わないとね。たまには洋介にお弁当作ってあげたりとか、さ」
「そんな大したものじゃないと思うけどなあ。地味な盛り付けしかしてないし」
あたしの作るお弁当は、見た目になどろくに気を配っていない。夕べの残り物や冷凍食品などを適当に詰め、日によってはおかずが茶色一色の場合もある。
その点、小学校の行事で何度か見かけた来栖家――美沙のお母様が作る、色鮮やかなお弁当には遠く及ばないのだ。
それでもよければ作ってあげるよ、という提案はメールで美沙姉に伝えてある。だが彼女としてはやはり自分でやりたいらしい。
「父さんも母さんも家事を分担してくれることになったから、週に三回までなら時間とれるよ」
分担の話が出たのはメールの後だ。それを踏まえ、新たな提案をしてみる。
「よかったら一緒に料理する? お互いの台所を交互に使って。美沙姉の家で料理する日なら、翌日のお弁当の準備もできるでしょ」
お互い、家が近い。倍巳の中学時代こそやや疎遠になってはいたものの、小学生の時は家族ぐるみの付き合いだったのだ。互いの食卓にお邪魔するくらい何の遠慮もない。
「楽しそうだなそれ。是非俺ん家の台所でも――」
「あんたは料理なんてしないでしょ、哉太。話に割り込むな」
「しゅん」
哉太兄を威嚇してからあたしに微笑んでみせた。
「潤美さえよければ。よろしくお願いします」
「仲間ハズレだ、イジメだー」
哉太兄、棒読み口調で抗議してる。でもこの表情、割と本気で参加したがってるみたい。しょうがないなあ。
「あんたは『うしお』か」
「なんだようしおって」
「うるさいしつこい往生際が悪い」
再び夫婦漫才を始める二人を交互に見てから告げる。
「大勢で食べた方が楽しいかも。客観的な味の感想とか聞けるし。あとほら、近所と言っても夜道は物騒だから。あたしや美沙姉が帰る時の護衛になるし」
「送り狼にならないかしらね」
「信用ねえなおい。俺、なんかしたか?」
「……したことないわね。悲しいくらいに」
「……………………」
あたしは哉太兄の背中をぽんぽんと叩いてあげた。
「やめてください泣いてしまいます」
美沙姉と目を合わせ、一応の確認。ん、大丈夫そうだ。
人畜無害の食欲魔人、味見役なら適任でしょ。
「じゃ、哉太兄も参加ということで。場所は来栖家と御簾又家を交互にね。今週の予定は……木曜と金曜でいいかしら」
「やったぜ! 潤美、マジ天使」
「そんなの当たり前じゃない。何言ってんのいまさら」
あなたたちの中であたしはどういう存在になってるの。
「でもさ。お料理が女子力アピールだと言うのなら、あたしのお弁当作りはお兄ちゃん譲りで色気のない感じだと思うんだけど」
「何言ってるの。お料理するというだけで十分な女子力なの。そう言えば倍巳の女子力ハンパなかったもの。さすが兄妹よね」
美沙姉、それ褒めてない。絶対。あ、こら哉太。そこで笑うんじゃねえ。
* * * * *
今日、岡くんは欠席だった。
佳織は来ているけれど、本体である矢井田先輩のワームを除去しなければ意味がない。
いまさら焦っても仕方がない。アルガーの方でも準備を進めてくれているようだし、今はまだこちらから攻勢に出る時ではない。のんびりとその時を待つことにしよう。
そんなわけで、菜摘や加奈とアドレス交換したり……。
「ひゃうん! もうっ、またぁ。これ以上大きくなったらどうすんんっ」
「あはっ。気持ち良さそうに仰け反っちゃって可愛いなあもう。菜摘のように指が沈むレベルに達するまであたしが育ててあげるからね」
「いらないお世話あんっ」
加奈に胸を揉まれたりしながら午前中が過ぎていった。
お弁当を食べ終わり、午後の授業までまったりと雑談タイムのはずが、やっぱりこうなるのね。
【おかげでカナ様のワーム抵抗率は抜群に高い数値となっております】
アルガーうっさい。
お願い菜摘。加奈を止めて。
「だれの胸に指が沈むんですかっ」
え、なんで胸隠して顔赤らめてんの。
「んっ。加奈って、見境なく……あっ。友達の胸揉んでるの?」
「失礼ね。ちゃんと選んでるわよ。憧れの巨乳と美乳。だってあたし貧乳なんだもん」
「まだ中一じゃない。これから育……んっ、いい加減手を離しなさいよっ」
「よう。お前らいつも仲いいな」
男子が声をかけてきた。
加奈の手が緩んだ隙に菜摘の背中へ避難。
「あたしの胸を揉んだからって加奈のがおっきくなるわけじゃないでしょっ」
「あたしが気持ちいいからいいの……えっ?」
「あっ」
加奈と菜摘に凝視された。何?
「潤美さん、一人称と喋り方、少し変えましたか?」
「ああ、うん。変だった?」
「ううん。むしろそっちのが自然だから、あたし今まで気づかなかった」
「そう。ならよかった。……それで、林くんだっけ。あたしに用?」
話しかけてきた男子の視線はあたしに固定されている。
身長はあたしと加奈の中間くらい。髪は校則ぎりぎりまで伸ばしてるね。目は細めで、鼻筋がすっと通ってる。同い年の子が見たら、目許の涼しげなイケメン……なのかな。あたしから見たらまだまだ可愛い中学一年生なんだけど。少し筋肉が足りなくてほっそりしてるよ。もっとも、元の身体と比べたら、とても人のこと言えないんだけどさ。
「惜しい。俺は
「ごめん、森くんか。もう覚えたよ」
あたしのことは潤美でいいよ、と言いそうになったけれど、相手が男の子の場合は許可を求めてこない限り名前呼びに応じない方がいいのかな。まあ、呼びたい方で呼んでもらえればいいか。
「お、おう。こないだの土曜日なんだけど――」
げー。森くん、岡くんと一緒にいたのかな。
「なになに? こないだの土曜日がどうしたって?」
加奈が割り込んできた。はあ。しょうがない。
「どこかで見た人だと思ったら。もしかして、岡くんと一緒にいた?」
「なんだ、岡のことは名前覚えてるんだな」
「たまたまだよ。同じ部活に入部届出してたから」
「ああ、演劇部か。御簾又と同じ部活なんてうらやま――ごほん」
なに語尾ごまかしてんだよ、可愛いなもう。
「森くんも演劇部入りたいの? まだ全然間に合うよ」
「いや、俺は陸上部に決めているからね。それよりも――」
話題を逸らすのは無理か、やっぱり。
「俺と岡でギガスパーで泳いできたんだけどさ。御簾又も誰かと来てなかったか?」
「うん。幼馴染の高校生に連れてってもらったの」
「道理で。すっげえ可愛い子がいるなって思ったけど、どっかで見たことあるって。あれやっぱり御簾又だったのか。プロポーションいいからビキニすっげえ似合ってたぜ。それに、女の子の胸ってごまかせるって聞いたことあるけど、しっかり本物だったしな」
この野郎。お前も見たのかっ。
「森くん。それ以上言ったら口きかないからね」
「悪い悪い。御簾又みたいな可愛い娘から嫌われたくねえからな。褒められるのが嫌なら黙っとく」
オーケー。胸ポロリは黙っててくれるらしい。ひとまず気が利くみたいだな。
「ビ……ビキニですって!? どうしてあたしたちを誘わなかったんですかっ」
「落ち着いて菜摘。美沙姉……、来栖先輩から突然誘われたの。次は誘うから」
「おおっ。そん時は俺も——」
待て待て森くん。どうせ間近で胸ポロリ見たいだけだろ。そうはいくか。
「んー。それはちょっと嫌かも。ほら、あたし精神年齢せいぜい七歳か八歳程度だし。高校生の人たちはすっごく気を遣ってくれたからのびのび遊べたけど、同い年の男子と外で遊ぶのはまだハードルが高いな。まあ、考えとくけど」
絶対気を遣っちゃうから楽しめない。それにほら、このクラスの中にもなんだか森くん狙いの女子結講いるっぽいよ。あからさまに顔を向けないながらもひしひしと視線を感じるもん。こちらを気にしてる女子の多いことと言ったら。
「森様の誘いを断るとか信じらんない」
「ちょっと可愛いからってお高くとまっちゃって」
いやいや、それ聞こえなくていいから集音しないでアルガー。
一緒に遊んだら遊んだで絶対やっかむでしょ、そういうこと言う娘たちって。森くんに限らず、中一男子ってあたしからしたらみんな弟みたいで可愛いだけなんだから、是非他の娘と遊んであげなよ。
それをあたしが言ったら角が立つんだろうなあ。うわーん、なんか面倒臭いことになりそうだよぉ。
「そういうことですから森くん。潤美さんと外で遊びたければ、まずあたしたちに言ってくださいね」
「ま、そう簡単には許可しないけどね」
「ごめんね。森くんは優しそうな人だとは思うけど、あたしにとってはクラスの男子がみんな年上の男の人みたいで少し怖いっていうか。今のところ、男の人と遊ぶならうんと年上でないと」
まあ嘘だけどね。
おお、森くん。なかなか爽やかな笑みができるじゃないか。ちょっと罪悪感が……。
「いや別にそこまでして遊びたいわけじゃないよ。まあ、気が変わったら俺も誘ってくれ」
手をひらひらさせて立ち去る彼に、笑顔で手を振り返してから二人の親友と真正面に向き合った。
「ありがとう二人とも。あ、でも二人が男の子と遊びたいならあたし頑張るからね」
「慌てなくていいんですよ」
二人からハグされた。こら、加奈はまたあたしの胸に……まあ、今回は目をつぶろう。
「そのかわり、あたしたちとは遊びに行こうね」
なんだか遊びの予定ばっかり詰まっていくなあ。倍巳の中一って、もう少し味気なかったと思うんだけど。
その時、アルガーが集音した声がまた耳に届いた。
「これ以上調子に乗るようなら、中学生らしい生活態度ってものを教えてあげないといけないかもね」
「そうね。チヤホヤされてつけあがるような娘がいると、クラスの和が乱れるものね」
あう。女子中学生コワイ。これ以上目立たないようにしなきゃね。
* * * * *
決して力のある方ではなかった倍巳の肉体と比べても、
その代わりになるのかどうか、身体の柔軟性は激増したようだ。プールの時に割と思い切り身体を動かしてみて、特に関節の可動域が驚くほど広がっているのを実感した。
加えて、倍巳の時にはなかった動体視力により、相手の動きを見切ることが容易となっているのだ。
【基本的にはいざという時にしか加速できませんが】
わかってる。でも、素の動体視力がいいのは、特に加速してるわけじゃないんでしょ?
【はい。そのお身体は非力ですが、その代わりにと言っては何ですけれども五感の性能は高めだと思います】
普段から加速状態では、逆に生活が不便になるだろう。それに、アルガーとて万能ではないことは倍巳の時に身に沁みてわかっている。便利な能力に頼り切りになってしまうのは危険だ。
しかし、総合的に見ればこの現状、悪くないかもしれない。
突進してくる相手のいなし方、相手の力を利用するやり方。万が一投げ飛ばされた時の受け身のし方。それらは全て、倍巳の時の知識が継承されている。
ただ、体重が軽いので組み付かれた時の対処は不安要素だ。
背後から羽交い締めされた場合、逃げようとして前傾姿勢をとると首を締められてしまいかねない。逆に仰け反るようにして体重を預けると、相手は動き辛くなることにより隙を作ることが期待できる。
しかし、潤美の体重ではいくら仰け反っても……。
だからこそ、五感を研ぎ澄ませて危険を察知することが肝要だ。倍巳の時は、目の前に迫った危険に気づくことさえできなかったのだから。
掴みかかってくる相手の腕を、抱え込むと見せかけて横へ避ける。
しかしすぐにまた身体を寄せて、相手の軸足を蹴り上げる。
この時、そこそこ空いていた間合いを一気に詰めようとして踏み込んだのなら、その相手への対処についての難易度は低い。
少し体重を乗せただけの蹴りで、相手のバランスを崩すことができるからだ。
相手はほとんど本能的に、転ばないようにしようと慌てて体勢を整えるため、こちらへの注意がおろそかになる。
あとは背後に回り、後ろから肩を押すだけ。上手くやれば相手を転ばせることさえできるだろう。
派手な音を立て、父さんが畳の上に転がった。
うん、きちんと受け身をとったからこそ出る音だ。
「父さん。いくら初心者向けと言っても、手加減しすぎなんじゃない?」
「いや、お前の素質、凄いぞ。倍巳の奴はそこまでたどり着くのに三か月かかったというのに」
あ、しまった。つい身体が反応しちゃったんだ。
「ま、まぐれだよ」
「いやいや大したものだ。呑み込みが早くて教えがいがある」
悪かったね、倍巳の時は出来の悪い弟子で。
「もう時間だから。夕食の支度するね」
「お、おう。どうしたんだ、潤美」
「なにが?」
「褒めたのに、急に不機嫌になって」
「気のせいだよ」
ふんだ。今夜は父さんの苦手なきゃらぶきを多めに盛ってやるんだから。
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