第17話 バカじゃないの?
【マスミ様。寝たふりを続けてください。声を立てないようにお願いします】
アルガーの声は他人には聞こえない。
頭ではそう理解している。でも、声を小さく潜めたような雰囲気が伝わってきて、緊張を感じつつも寝たふりを続けている。
今日はまる一日遊んだ後、父さんによる稽古を受けたというのに、まるで疲労を感じていない。もっとも、稽古とは言っても今回は初心者に身体の動かし方を教えるための座学と準備運動でしかなかったけれども。
この身体は非力だけれども、決して体力がないわけではない。ただし、疲れていない理由はそれだけではなかった。
入浴後のことだ。今夜は少し夜更かしをお願いします——そんな言葉と共に、アルガーがあたしに対して回復コマンドとやらをかけたのだ。
おかげで眠気もとんでしまっていて、こうしてベッドで横になった上で目を閉じているというのに意識は冴え渡っている。
『アルガー。そちらのマスターは寝ているな?』
あ、この声。ミューテーション前に見た夢の中で聞いた声だ。
なんだろう、上位管理者とやらにとっては、あたしに聞かせたくない話があるってこと? でもアルガーとしてはあたしに聞かせたい? とりあえず、大人しくしていよう。
【はい、熟睡なさっておいでです。上位管理者様】
『今回のマスターは素晴らしいな。遅効性センサーの結果がこちらに届いているぞ』
なに、それ?
【……ということは。マスミ様に塗布したナノマシンが私の操作を必要とせずにバージョンアップした、と?】
『うむ。マスターが無自覚にマーキングした情報によると、岡|孝夫(たかお)なる人物がワームキャリアだった。それにしてもさすが高い適合率を誇るだけのことはあるな。まだ潜伏期間中だというのにマーキングするとは驚きだ』
岡孝夫……、岡くん。あ! あたしたちの直後に演劇部に入部したクラスメイトだ。顔はまだ覚えてないけど。
『どうやら午前中、マスターの近くに居合わせた者の中にキャリアがいたらしい』
午前中ってことは、プール。来てたのかな。もしかしたらあたしの胸ポロリ、見られたかも。クラスメイトに見られてたとか恥ずかしすぎる。うわー。
おっと。声出しちゃいけないんだった。同姓同名の別人の可能性もあるよね。そうであることを祈ろう。
【そのキャリアも朝北学園の生徒ですか?】
『うむ。中等部一年四組だ』
あー。確定ですかそうですか。
記憶を辿ってみる。演劇部室を出た時にすれ違った男の子と似た背格好の……。
いた。ウォータースライダーの順番待ちの時。
彼が滑ったのがあたしより後ならセーフだけど、先だったら——絶対見られてる。
中一の時の倍巳だったら、もし見ても黙っていられるだろうか。
無理だ。そんな美味しい出来事、少なくとも哉太にはしゃべる。下手したらクラス中に知れ渡るかも。
ふえーん。美沙姉には悪いけど、もうウォータースライダーはやらないっ。
おっと。背格好が似てるからって岡くんだとは限らないよね。
『ワームキャリアだがな。今回のマスター、実にスムーズにミューテーションできたおかげで拡散せずに済んでいる』
【では、キャリアは全て朝北学園の生徒なのですね?】
『うむ。もっとも、生徒は全員自由に校外に出られる以上、校外でスレイブを作られる可能性は依然としてあるのだが』
【そちらは上位管理者様の方でなるべく抑えていただければ幸いです】
『無論だ。この事態は我々古代種族の責任なのだからな。ただ、連絡はあまり頻繁にはできん。こちらの地域でのデバッグ作業がなかなか終わらないのでな。……ところで』
おや、アルガー? 普段声が聞こえるだけの存在なのに、どこか身構えるような気配が伝わってきたよ?
『今回のマスターは実に有望だ。エリアIHCIAのワームを除去したら、エリアEIMも——』
【ダメです。現代人の協力者に依頼するミッションは一つのみ。最上位管理者様の許可がない限り例外はありません。それに、マスミ様にはマスミ様の人生がございます】
アルガーいい奴。大感謝だよ。実体があるなら抱きしめたいくらい。
『わかってるわかってるって。ところで、今回のマーキングに感動したので、マスターには新装備を支給しようと思う』
【それは、どのような?】
『現状、ナノマシンの中で最も活性化しているのはマスターの胸部脂肪部分なのだ。そこで、外れやすいトップスのビキニアーマーを——』
【却下です】
『なぜだ。胸部脂肪で探知すれば、潜伏期間中のワームでさえマーキングできるのだぞ』
バカじゃないの?
衆人環視の中でおっぱい見せて歩けってか。
バカじゃないの?
上位管理者とやら、二度でも三度でも罵ってやるっ。
【ワームをマーキングできる代わりに、マスターはろくな社会生活が送れなくなります】
友達なくすね! 未成年者だから警察のご厄介にはならないだろうけれどもね! 菜摘も加奈も今まで通りにはつきあってくれないだろうね!
『むう。残念だ。では、最後に』
【まだなんかあるんスか】
あ。アルガーの受け答えがやさぐれてきた。
『胸部脂肪部分以外の件で確認できたナノマシンのバージョンアップについて伝える。……唇だ。マスターの唇で現代人に触れた場合、ミューテーション適合率を持たぬ一般人であってもワームの憑依に対する抵抗力が飛躍的に向上する』
【ふむ。今回、カナタ様の頬にマスターの唇が触れていますが】
あああ。改めて言うなよおおお。大人しくしていられなくなっちゃうじゃんかああ!
『おや。マスターがレム睡眠に移ったようだな。うむ。その人間は、まず憑依されることはないと思って良いだろう。ではこれにて通信を終了する。諸君の健闘を祈る』
【了解。上位管理者様、あまりサボってないでとっととデバッグ作業終わらせてくださいね】
なぬ? まさか上位管理者様。あなた自分がサボりたいために、こちらでの作業をあたしたちに丸投げしたんじゃないでしょうね。……お願い、違うと言って。
【通信が終了しました。マスミ様、大変残念ですが】
な、なによ。
【おそらく、ご想像通りかと】
ふざけんなー!
「もう、なんなの上位管理者って。……あ、哉太からだ」
ベッドから起き上がると、充電中の携帯が目に入った。メールの着信があったみたい。
——今日は楽しかった。これからもいっぱい楽しもうぜ。
ふふ、短い内容。哉太らしいや。
思いっきり女の子っぽく、顔文字いっぱい使って返信してやろ……やめやめ。
——とりあえず、次はカラオケだね。お兄ちゃん、『哉太は音痴』って言ってたから、耳栓用意して行くよ。
でも、この喉で歌ったことってないんだよね。
「もう、遊ぶことばっかり考えてちゃダメじゃん、あたし。それじゃ上位管理者様と変わらないよ」
【まずは、オカ・タカオ様のワームを除去しましょう】
一つ気になることがある。矢井田先輩は何故、倍巳と哉太と敦の三人を揃って演劇部に入部させようとしたんだろう。
岡くんがキャリアだってこと、矢井田先輩が一方的に知った上での行動なのかな。お互いに知っている場合、協力体制を敷いているかもしれないよね。
【これまでの経験から言わせていただけるならば、キャリアは互いに生き残りをかけて闘争する傾向にあります。ヤイダがすでにスレイブを従えている点を考えると、奴は最後まで自分が生き残るという野望に燃えているのではないかと】
そうだね。なんだか凄く尊大な態度だったもんねえ。
【その点を考慮するならば、奴が自分以外のキャリアを見破った場合、取る行動として可能性が高いのは——】
バスター。つまりあたしのような存在を近づけることで、除去させようとする?
【ご名答です。どうやらヤイダは、かなり早い段階でオカ様をキャリアと見破り、かつ、演劇部への入部を検討していることを知ったようですね】
ふうん。
【そしてヤイダ自らはぎりぎりまで逃げ回り、キャリアが一人となった時点でバスターであるマスミ様を返り討ちにしようとするでしょう】
じゃ、やっぱり矢井田先輩のワームを真っ先に除去すべきかな。
【いえ、最新の調査結果によると、どうやら本物の不良にかなり近い状態となっております。今後の行動を予測するならば、あまり学校に近寄らないことでしょう。マスミ様のお立場を考えると、奴に近付くのは容易ではありません。ここは奴の策にあえて乗っかり、ワームの数減らしを行うこととします。……ご安心を、マスミさまのご負担は極力抑えてご覧に入れます】
わかった。じゃ、憑依ワーム最初のターゲットは、岡くんだね。
ところで、どうすれば除去できるの?
【上位管理者様との通信で判明したことを付け加えてご説明します。最も攻撃力が高い除去方法は、相手の身体が露出した部分のどこかに……】
どこかに?
【マスミ様の唇で直接触れることです】
無理。
【次に攻撃力が高いのは、相手の身体が露出した部分のどこかを……】
もういいから。もったい付けずにさっさと言ってよ。
【マスミ様の胸に触れさせることです。この時、マスミ様ご自身の衣服も薄着であればあるほど攻撃力が高まります】
バカじゃないの?
もっとマトモな方法はないのかな。
【次は、相手の身体が露出した部分のどこかに……】
ないのね。
【マスミ様が素手で触れることです】
それ一択じゃん。最初の二つは忘れるから。アルガーも二度と言わないようにね。
【承知いたしました】
なるほどね。バスターが女の子じゃなきゃならない理由がわかったような……。
気がしないよ! バカじゃないの?
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