第16話 ダブルデート?(午後)

 遊園地内には家族連れの姿も多く、プールと比べると人口密度が高かった。特に人混みが凄まじいのは売店や施設内レストランだ。昼食を求める列は、どのアトラクションより長く伸びている有様。

「ベンチもみんな埋まってるね。芝生にでも直に座るか」と哉太。

 お前はそんなだから女の子にもてないんだぞ。あたしはともかく、美沙姉のおしゃれがわかんないのか。

 いやごめん。今の哉太兄は倍巳の時の自分と同じ。それを責めるのは自分を責めるのと同じことだ。

「哉太兄、座る前に飲み物買いに行こうよ」

 それはそれとして、やっぱりワンピの女の子を芝生に直に座らせるなんて考えられない。説教してやる。

「潤美ちゃん、雑用は俺たち男どもに任せてよ。こんなこともあろうかとビニールシートを用意してあるから。ほら、哉太」

 洋介先輩が声をかけてきた。彼は哉太兄に顔を向けるとイケメンスマイルと共に言葉を続ける。

「言葉が足りないから潤美ちゃんに気を遣わせちゃっただろう。ビニールシートを用意しようと言ったのはお前なのに」

「え……えっ?」

 鈍いな哉太兄。イケメンからの助け舟に気付けよ。まあ、その鈍さこそがあなたの個性なんだけどね。

 ここはあたしの方で乗っかろう。二人の男たちを交互に見て褒め称える。

「そうなんだあ。さすが、高校生の男の人って気が利きますね」

 そしてあなたは首を捻ってるんじゃないよ、バ哉太。

「ビニールシート? 俺、そんなこと言ったっけ」

 台無しだよ。美沙姉ったら身体揺らして笑ってるし。声殺してるけどこらえきれてないってば。

 てきぱきとシートを広げる洋介先輩。それを見るや、哉太兄もすぐに手伝い、四人が座れるスペースを確保してくれた。

「じゃあ俺、飲み物買ってくるよ。みんなの希望は?」

 美沙姉はひっぱたいたお詫びに半分出すと言ったことを忘れていなかったようで、律儀に財布を出そうとしていた。

「……ああ、美沙は出さなくていいぞ」

 ジュースを買いに行く哉太兄を背中で見送り、あたしはビニールシートの上に、用意したサンドイッチと簡単なおかずを詰めたタッパーを適当に並べ始めた。美沙姉が目を丸くして言う。

「今朝、潤美ちゃんが朝ごはんの支度と一緒にサンドイッチの用意をしてくれてたのは知ってるけど、その後あたしと一緒にまったりしてたわよね。いつの間にこんなに用意してたの?」

「朝ごはんの前に。でもこれ、ほとんど冷凍食品をチンしただけだし、あたしが起きる前から母さんもある程度下準備してくれてたし」

 洋介先輩が感心したようにタッパーの中を覗き込んだ。

「こうしてみんなのために早起きできるだけでもすごいことだし、余計な隙間ができないようにタッパーに詰めてあるのもすごいよ。随分手慣れているんだね」

「そうね。あたしなんかに言われたくないことは百も承知だけど、おばさまってほら、どちらかと言えば家事が不得意な方でしょ。それなのに潤美ちゃんってばすっごく手際がいいんだもの」

 そこへ、人数分のジュースを抱えた哉太兄が戻ってきた。

「潤美ちゃんは兄貴に似たのさ。弁当の味もあいつとおんなじだったし。そういや、弁当箱返し忘れてた。今夜にでも届けるよ」

 そちらを振り向き、「弁当?」と聞き返す洋介先輩。あたしが何か言う前に、美沙姉が声を上げた。

「そうなのよ。聞いてよ洋介。哉太の奴、潤美ちゃんにお弁当作ってもらってるのよ。こうして二人並んでいるところを見ると、やっぱり不釣り合いだわ。こんなに可憐な潤美ちゃんが、よりによって哉太みたいな木偶の坊に。改めて考えると妬ましくてたまらないっ」

「木偶の坊……」

 うわぁ、洋介先輩が若干引いてるよ。

 美沙姉、なんかスイッチが入ったっぽい。

「お、おう。改めて考えると俺なんかにはもったいない話だ」

 何を言い出すんだこいつは。

「哉太兄。まさか、もうお弁当はいらないとか言わないわよね?」

 あ、あれ? 思ったより低い声が出た。つい、睨み付ける視線になってる。我ながら、これは一体どうしたことだ。

 情緒不安定……。落ち着けあたし。どう考えても腹を立てるような場面ではないはず。声を荒げないように気を付けて、と。

「もしかしてお弁当、口に合わなかった?」


 後で知ったのだが、この時のあたし、何かにすがるような上目遣いで哉太兄を見つめていたらしい。自覚がなかっただけに、今となっては穴があったら入りたい気分だ。

 しっかりと自己分析できていないが、「哉太に弁当を作ること」は現時点における潤美の存在意義の一部だと漠然と感じていて、それを否定されることを恐れていたのかも知れない。


「ち、違うって。むしろ出来すぎだ。だからこそ、だよ。俺なんかのために貴重な時間を使ってもらっちゃっていいのかな、と」

 ああ、もう!

「よく聞いて。あたしがやりたいからやってるの。お兄ちゃんがやりたかったことだからやってるの。それが迷惑だというのなら——」

「迷惑なわけあるか。むしろありがたくて、いくら感謝しても足りないくらいだ」

 ハンカチ噛むのやめて美沙姉。それ地味に怖いから。

「ところでさ」

 哉太兄は、あたしにつられて大きめになっていた声を穏やかなトーンに戻した。

「里芋食ってみて思ったんだけど。あれってまんま、倍巳の味じゃん。自宅療養の期間とか考えると、兄貴から直接手ほどきを受ける機会なんてほとんどなかっただろうに。やっぱり兄妹、そういうところも似るものなのかな」

 それを聞くと、くすくすと笑みが漏れた。

 すると、「やっぱり潤美ちゃんは笑顔が一番だな」などと頭を撫でてくる。

 心地良さについ目を細めつつ、答えた。

「あの里芋はお兄ちゃんが作り置きしておいたものを温め直しただけ。あたしなりに手抜きしてるのよ。……あ、大丈夫。傷んでないかどうか、ちゃんと味見してるから」

「そっか。俺なら多少の事じゃ食中毒にならんから心配すんな」

 ぎりぎり、と音が聞こえてくる。

「洋介、あたし悔しいっ」

「あー、はいはい」

 そちらを見遣ると、美沙姉の頭を撫でる洋介先輩の姿があった。生温い視線を斜め上に逃がしている様子が哀愁を誘う。

 よくわかんないけど半分くらいはあたしのせいだよね。ごめんね洋介先輩。

「あー、潤美ちゃんのせいじゃないから。さ、食おうぜ。んで、残り半日遊ぼうぜ」



 幾つかのアトラクションを楽しむにあたり、なぜかほとんどあたしと美沙姉、哉太兄と洋介先輩というペアで回った。

「ごめんね洋介先輩。なんかあたし、思いっきり邪魔しちゃってるみたいで」

「美沙と潤美ちゃんが楽しいならそれが一番だよ。俺も同性の友達って久しぶりだから新鮮だし。な、哉太」

「えええ」

 強く生きろ、哉太兄。あなたのレベルアップはまだまだ先だ。多分。

 まあ、うん。夕べのお風呂以来、美沙姉とのスキンシップが激増してるけど、むしろ嬉しいから良しとしよう。

 時間の流れ方は午前中のプールよりも早く感じる。ふと気付いたら午後四時を回ろうかというところだった。

「さて。潤美ちゃんはまだ中一だし、そろそろお開きにしようか」

 洋介先輩の提案に対し、あたしは首を縦に振った。

「じゃ、ラストね。あたし、哉太兄と観覧車乗りたい」

 最後くらい美沙姉と洋介先輩、二人っきりにさせてあげなきゃね。

 えっ。美沙姉、なんで哉太兄のこと睨んでるのさ。

 そして哉太兄。頬を染めるなっての、きしょいだろうが。

「なんかごめんな。洋介、美沙。誘ってもらったのをいいことにのこのこついてきて」

「あはは。俺ら、今んとこ友達の延長線上だからな。どっちかっていうと多めの人数で集まって遊ぶ方が楽しいよ」

 そう言ってみんなを見回す洋介先輩の物腰はとても柔らかい。この人の自然な気遣いって心地いいな。

「あたしは潤美ちゃんと二人っきりでもいいんだけどねー」

 ふふ、美沙姉が照れてる。



 観覧車は大して待つことなく順番が回ってきた。

 ゴンドラ内で向かい合わせに座り、哉太兄の体格をまじまじと眺める。

「ちょっと見ないうちに逞しくなってこの子は」

「親戚のおばさんか」

「ふふ」

 早く倍巳に戻らないと、背丈どころか筋肉量でも天地ほどの差がつきそうだ。そう思うとやはり焦りを感じてしまう。

 でも、今それを考えてもせっかく楽しかった一日が台無しになるだけ。今は頭の片隅に追いやっておく。

「しっかし哉太兄、美沙姉からいいのもらってたね!」

「全くだ、あの馬鹿力。まだ紅葉マーク、消えてないだろ」

「ん。もうそんなに目立たないんじゃないかな」

「えー。夕日のせいじゃねーか?」

 ゴンドラの窓に映して確かめようとしながら言う。

「女の子にビンタされるなんて男の勲章だよね」

「嬉しくねえし」

「しょうがないなあ、もう。どれ、よく見せて」

 哉太兄の隣へと移動した。座ろうとして——

「ひゃあっ」

「……っぶねえ!」

 つんのめったあたしは哉太に抱きとめられた。

 大丈夫。今回は肩を支えてもらっただけ。胸は掴まれてないよ。……胸は。

 ……大丈夫なはずの胸は早鐘を打ち続ける。

 だって、今。さわっちゃった。

 哉太のほっぺた。


 あたしの、唇で。


「ハプニングだ。ノーカン。気にするな、潤美ちゃん。……俺も気にしな……い」

 何か言わなきゃ。何か。

「なななにいってんのノーカン当たり前じゃないそんなの」

 完全に挙動不審だ。

「ぶはっ」

 げ、哉太め。噴き出しやがった。

「あはははは!」

 そうだよ。胸を掴まれたり見られたりしたのと比べれば全然大したことない。ひとしきり笑あってから窓の外を見た。

 なんで動悸が収まらないんだろう、と不思議がりながら。



 結局真っ赤な顔をしたままゴンドラから降りたあたしは、美沙姉に強くハグされることになった。

「かぁぁなぁぁたぁぁ! 二人っきりなのをいいことに、あんたあたしの潤美ちゃんに何かした!?」

 これには二人して首を横に振ったのだが、美沙姉の瞳にはかえって強く訝しむ光が宿っていた。

 そして、今日何度目だろうか。洋介先輩が明後日の方向へ飛ばす生温い眼差しを眺めた後、あたしたちはようやく帰路につくのだった。


 来た時と同様、帰りも男女に分かれ、あたしと美沙姉は母さんの車で送ってもらった。

 胸がざわざわする。

 今日こそ父さんに稽古をつけてもらわなきゃ。

 この身体は女の子だけど、中身は倍巳。そのことを一秒だって忘れるつもりはない。


 だけど、潤美としての一秒、元の身長より十センチ低い視界で切り取った一刹那の風景が、その蓄積が……。

 あたしの中で、次第に高く大きく積み上がって行こうとしている。それを無視するなんて、とてもじゃないけどできそうにない。

 暮れなずむ景色を車窓の外に眺めながら、流れていく景色のそこかしこに住まう人達にも例外なく、高く大きい風景の積み重ねがあるのだろうと想像する。

 今この瞬間の大切さ。

 あたしは今を生きている。そこから目を逸らすことなど、出来はしないのだ。

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