第15話 ダブルデート?(午前)

 空いている椅子に腰かけ、美沙姉とおしゃべり。

 自然に膝を合わせ、両脚を斜めに揃える彼女を見た途端、小さく「わぁ」と声が漏れてしまった。

「どうしたの潤美ちゃん」

「歩き方も座り方も素敵。お手本にするね」

「ふふっ。猫かぶってるだけよ。学校じゃ、よくこうしてるの」

 そういうと、くっつけた膝から下を八の字に開き、椅子の前側左右の脚にそれぞれ足首を引っ掛けて見せた。

 ああ、いるいる。中一の教室でもこういう座り方してる女子が。

 そういえば倍巳の時って、あまり女の子を凝視するのも失礼だという思いがあって、クラスメイトの女子がどんな座り方をしているかまで気にして見たことはなかったな。

「ビキニで椅子に座るとき、よく足を組む女の子もいるでしょ。それが似合う子はいいんだけど、あたしが組むと、良く言えば背伸びしてる感じ? 悪く言えば生意気? だから、なるべく組まないようにしてるの。……ほら」

 言いながら実際に組んで見せた。自分で生意気とは言ったものの男のようにふんぞり返るわけではなく、やはり綺麗に斜めに揃え、薄く笑いながら流し目を寄越す。

「美沙姉、色っぽい。惚れちゃうよ」

「あら、あたしはとっくに惚れているのに。いつでもウエルカムよ」

「わーい、あたし押し倒しちゃう」

「あらあら潤美さん。『押し倒されちゃう』と間違えていてよ。可憐な着せ替え人形さんは非力でいらっしゃるもの。返り討ちにしてさしあげてよ。おーほほほ」

「はぅ」

 悪役令嬢による言葉責めだ。美沙姉に押し倒されるリアルな映像が脳裏に浮かぶ。

「どうしよう。あたし、それも悪くないとか思っちゃった……」

 その言葉を聞くが早いか、美沙姉は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。

「きゃー。もう、あたし潤美ちゃんの愛人になっちゃう!」

 一瞬で悪役令嬢の仮面を脱ぎ捨てた美沙姉にハグされ、頬に頬を押し当てられた。

 嬉しいんだけど……嬉しいんだけどっ。ほっぺただけじゃなくってさ、お互いの胸も強く押し付け合ってるよっ。ちょっと鼓動が早くなってるよっ。

「誰にも渡さないぞ」

 あなたのもので構わないですけど変な気持ちになりそうです理性の箍が外れる前にとりあえず椅子から立ちたいです。

 周りの目が……、などと頭の片隅で考え始めたとき、まっすぐこちらへ歩み寄る足音が聞こえた。

「お、おおぅ」

「悪い、遅くなった」

 よく知った声による奇妙な呻きに続き、高等部の教室で一度だけ聞いた声。

 先に声をかけてきたのは高身長の残念イケメンもどき、食欲魔人の哉太。次の声の主もやはり高身長で、涼しげな眼差しを持つ真性のイケメン——

「洋介、おそーい。でも、今日に限ってはもっと遅い方がよかったかも」

「そいつは邪魔して悪かった」

 それはアレですか。あたしが美沙姉に美味しく食べられちゃう的な。

 苦笑しながら身体を引き離すと、彼女は名残惜しそうに「あん」などと声を漏らす。あたしに向かってウインクしてから紹介してくれた。

「こちらが学校で紹介した幼馴染の妹、御簾又潤美ちゃん。たった今あたしの愛人になったところなの」

「美沙姉……」

 冗談でも嬉しいけどね——、という本音を苦笑で隠し、立ち上がってぺこりとお辞儀した。

「初めまして。よろしくお願いします」

「うわあ、可愛いね。こちらこそよろしく。俺は佐美名洋介。美沙の愛人ってことは、俺は一歩負けてるってことか。しかしこんな美少女が相手じゃ分が悪いな。……お手柔らかに」

 差し出された手を両手で握り返しながら、にこやかに応じた。

「ふふっ。ライバルですね、佐美名先輩」

「潤美ちゃんと呼んでいいかな。俺のことは洋介と呼んでくれ」

「よ……洋介さん」

「いてっ」

 美沙姉の拳骨がイケメンの脳天に激突した。

「調子に乗んな」

「ふふ。仲いいんですね、美沙姉と佐美名先輩」

「ちぇ。甘かったか。複数の美少女から名前呼びされるなんて男の夢なのに。哉太が妬ましいぞ」

「あはは。なんですか、それ」

 へえ。こういう雰囲気作り、悪くないかも。やるな、洋介。

「じゃ、妥協案として。洋介先輩と呼ばせてくださいね」

「おお……! それもいいな!」

 ところで、哉太兄がやけに無口だ。

 ん? おいこら。哉太、お前は無言でなに凝視してんだよ。あ、目を逸らしやがった。なんだよ、哉太は何も言ってくれないのか。

 いやいや。あたしは何を期待してるんだろう。

 ……ちょっと待て、期待だって? そんなバカな。

 視界の端で、洋介先輩が肘で哉太兄を小突く様子が見て取れた。

「ん、ああ。すっごい可愛くてびっくりした。水着似合ってるよ、潤美ちゃん」

 とくん、と心臓が跳ねた。

「無理して褒めなくていいわよ」

 食欲魔人のくせに。……違う、こんなこと言いたいわけじゃない。

「でも……、ありがと」

「お、おう」

 美沙姉と洋介先輩の冷やかすような笑顔を見て、ちょっとだけ頬が火照った。

「ふふっ。哉太ったら。潤美ちゃんが洋介の手を握るもんだから嫉妬して。本当は真っ先に褒めてあげたかったのよね」

「おっと、すまん哉太。気付かなかった」

「ばっ、んなわけ……!」

 おいおいバ哉太。そこはきっちり否定しろよ誤解されるだろう。

「なんにせよ、潤美ちゃんはもうあたしの愛人なんだから。哉太になんか渡しませーん」

「美沙。哉太をからかうのは面白いけど、潤美ちゃんが困ってるだろ」

「俺がいじられるのは毎度のことだけどな。なんかごめんな。潤美ちゃんまで巻き込んで」

 うん。もうこの話題はやめてほしいかも。でも、どうせなら乗っかろう。

「気にしないよ。でも哉太兄が気になるんなら後で飲み物おごってね」

「おう」

 ちら、と視線を巡らすと、親指を立てる美沙姉と目が合った。それは何の意味を込めたサムズアップなのかな。



「まずはどうする? 潤美ちゃん、決めて」と美沙姉。

 改めて大小様々なプール群を見回した。

 施設内の水着で移動できるエリアは室内プール部分だけとは言っても、その面積はかなりのものだ。ただし、人気が集中するのは主に二箇所。

 一番人気なのは五十メートルプールだ。水中エクササイズを行う人達や、割と本気で泳ぐ人達が整然と列をなし、交代で泳ぎ続けている。歩くためのコース、泳ぐためのコースに分かれ、みんな黙々と自分の順番を待っていた。

 次いで人気なのは流水プール。ゴム製の筏に彼女を乗せ、彼氏が泳いで引っ張りながら会話を楽しむ姿がちらほらと見られる。

 家族連れが少ないだけに幼児の姿がほとんどなく、小学生も少ないためか目玉アトラクションたるウォータースライダーにはさほどの列ができていなかった。

 ここはやっぱり、見た目十二歳女子としては。

「ウォータースライダーやりたいな」

「ふふ、そうこなくちゃ。潤美ちゃんの歳ならきっと好きだと思ったから。あたしの歳くらいの女の子だと、列に並んでも割と最年長っぽくなっちゃうでしょ。滑りたいけど並ぶには勇気が要るなー、と思ってたのよ」

 たしかに、列を見ると高校生くらいの女子の比率が少ない。もう少し混雑していたら気にならないかもしれないけれども、今日くらいの混み具合だと目立つかもしれない。

「美沙姉は洋介先輩と滑るんじゃないの?」

 暗に、洋介先輩は美沙姉と滑りたいんじゃないの、と聞いたつもりだったのだけれど。

「高校生にもなるとね。男の子ってあんまりああいうの、やりたがらないのよ。ね、洋介」

 そういうものなのか。倍巳と哉太なら喜んで利用すると思うんだけどな。

「お、おう」

 あ、これは滑りたかったパターンだ。あはは、美沙姉の視線の圧力に負けてるよ。

「俺たち、筏を用意しとくから。スライダーの出口のプールで待ってるよ。行くぞ、哉太」

「わかった」

 洋介先輩の視線を受けた哉太も、どこか哀れむような表情を見せていた。

 ああ、でも、うん。あなたになら、安心して美沙姉を任せられるよ。

 胸の奥がちくりとしたけど、この痛みは倍巳に戻る日まで封印だ。



 スライダー内は専用の浮き輪に乗って滑る方式だ。一人用のコースと二人用のコースに分かれている。美沙姉は迷わず二人用のコースを選択し、あたしを引っぱっていった。

「うふ。なんだかんだ言っても、哉太といい感じなのかな?」

 予想はしてたけどね。美沙姉、この話題から離れる気なさそう。

「違うよ。幼馴染だし、お兄ちゃんの親友だし。だから、お兄ちゃんなら哉太兄にしてあげただろうなと思うことで、あたしにできることがあれば、できるだけしてあげたいの。……あくまでもお兄ちゃんのために、ね」

「ふふ。今のところは、そういうことにしておいてあげる」

 あんまり変なこと言わないでほしい。

「もう、美沙姉。夕べからなんでそんなにあたしと哉太兄をくっつけたがるの。そもそも、手料理といっても手間のかかるものは作ってないし。それに、哉太兄は中学生に手を出さないって宣言してるし」

 あれ、そういえば。

「夕べ、あたしには勿体無いとか言ってなかったっけ」

「な、何言ってるの潤美ちゃん!? それ、真逆だからね?」

 ふむ。それならなおのこと、積極的にくっつけたがる意図がわからないよ。

「だあってえ。あたしの周りから聞こえてくる色恋沙汰と言ったら、今は潤美ちゃんしかないんだもの」

「い、色恋沙汰……」

 お姉様、肉体年齢十二やそこらの小娘に使うには、その言葉濃厚すぎやしませんかねえ。

 それにしても美沙姉、高一女子なのに周囲に浮いた話がないなんて——ああ、あれか。勝者の孤独ってやつ。

「彼氏持ちがガールズトークで恋バナに持ち込もうとしても、ウザがられるだけという……」

「うん。まだクラスのみんなと打ち解けたわけじゃないからね。それに、割と話せる感じになった人たちの中にも、彼氏がいても隠してる雰囲気の人もいるし。でもそのせいで、おおっぴらに恋バナしにくい雰囲気なのよねえ……、って、え? 中一女子の潤美ちゃんに、この雰囲気がわかると言うの? 今どきの中一、やはり進んでいるのね!?」

「耳年増なだけよ。あたしたちみんな、先月までランドセル背負ってたんだからね。……あたしは結局小学校には顔を出さず、外出許可もらったのもこの朝北学園受験のときだけなんだけれど」

 後半はアルガーの入れ知恵による追加説明ね。潤美が目覚めたのは半年くらい前で、病院内学習によって中学受験に挑戦した設定なのだそうだ。

 ……それなんて優等生?

「それで北学きたがくに合格するなんてすごい! 潤美ちゃん、容姿だけじゃなくて頭脳もパーフェクトだったのね!」

「つ、詰め込み学習だもん。今じゃ何もかも記憶から抜け落ちてるもん」

 なんかもう今更な感じがしないでもないけど、少なくとも十一体のワームを除去するまでは、なるべく目立ちたくないのが本音だ。

 この際ドジっ娘認定でも構わないから、等身大なイメージで見てもらいたいところ。

 あ、もうすぐ順番が回ってくる。

 一回伸びしとこう。

「ふぅ……んっ」

 あれ。知らない男の子と目が合った。あの子も中一くらいかな。なんだろう? とにかく笑っとこう。

 なんだよ、結局目を逸らすのか——あ、前傾姿勢。

「潤美ちゃん? 今のはちょっと無防備かも」

「えっ」

「男の子ってね。女の子が両腕を真上にあげる仕草に萌える、って子、結構いるみたいよ」

 マジですか。中身男なのに知らなかったよ。

「しかも潤美ちゃんのような美乳美少女がビキニで。これはクるわよ……」

「き、気をつけますぅ……」

「うんうん。潤美ちゃんの胸はそこらの男どもに簡単に触らせるような安いものではないのだよ」

 美沙姉、鼻息荒いよ。

「あ、順番だ。美沙姉、前がいい?」

「あたし後ろがいい。潤美ちゃんを背中から愛でるの」

 はいはい。言い方がちょっとエロいけど美沙姉だからしょうがないよね。

 スタート!

 あれ、これ倍巳のときに哉太とやったことあるけど、こんなに速かったっけ!?

「きゃー!」

 今の、美沙姉——じゃない。あたし!?

 自然に声が……あ、もうゴールだ。

 わあ、出口のプール、結構深い。そっか、元の身長より低いんだった。

「ぷあ」

 ふう。この身体のせいか、感じるスリルが半端なかったよ。

 あ。哉太兄だ。

「おーい——」

 両手で手を振ろうとして腕を上げた途端、後ろから美沙姉の慌てた声が聞こえてきた。

「わあ、潤美ちゃん!」

「ひゃん!」

 ちょっと美沙姉、なんでこんな衆人環視の中であたしの胸を——

「ブラ外れてるっ。一旦潜って、胸隠して。あたしブラ探してくるから!」

「ふえぇ」

 これはもう、ラッキースケベ体質確定かも。気を付けよう。本当に気を付けよう。

 ……って、もしかして哉太兄に見られた? みたいね。

 逸らした横顔が耳まで真っ赤だもん。ええい、もうっ。

 美沙姉に手伝ってもらい、ブラをつけてプールから上がる。まっすぐ哉太兄に歩み寄った。

「大丈夫か? ……というか、すまん」

「なんで哉太兄が謝るの? 見えちゃったものは仕方ない。注意力が足りなかったあたしの落ち度。だいたい、一度がっちり掴んでるんだから、ちらっと見えたくらい気にしないの」

「そっか、そうだな——はぅっ!」

 こちらを向いた哉太兄の表情が凍り付いた。

 彼に向けて吹き付ける冷気の気配は背後から漂ってくる。

「な、な、な、なあんですってえ!? かぁぁなぁぁたぁぁ。あなた、あたしの潤美ちゃんにいぃぃ」

「ちょっと待て話せばわかるごか——」

 ああ。プールサイドに結構いい音が鳴り響いたよ。

 ごめんよ哉太兄。美沙姉のあまりの剣幕に、止めるの忘れて固まってた。

 洋介先輩は生温い眼差しで明後日の方向を向いている。

 いつまでも黙ってるわけにはいかない。慌てて事情を説明した。

 すると、今度は美沙姉が固まった。

 頬にきれいな紅葉マークを刻印された哉太兄は、平謝りする美沙姉に苦笑を返す。

「別にいいよ。ラッキースケベにしっぺ返しはつきものということで納得するさ」

「ほんとごめん。朝言ってた、潤美ちゃんに飲み物おごる件、あたしも半分出すから。……そんなことくらいしかできないけど」


 その後、美沙姉とあたしが筏に乗り、流水プールをのんびりと何周か周った。組み合わせは一周交替で、男たちはずっと筏を引きながらまったりとおしゃべりをするだけなのだが、これはこれで飽きなかった。

 洋介先輩は主に自分の経験から、下心のあるナンパ野郎の見分け方講座を開いてくれたが、倍巳の知識にもない様々なことが聞けて勉強になった。

 待てよ。今でこそ誠実そうに見えるけれども、これって洋介先輩自身が結構ナンパ野郎だったってことじゃないのか。ここで聞いた話、全部美沙姉にリークしておこう。女の子の口ってどちらかというと固くないってイメージがあるからね。ふふふ。


 哉太兄は主に倍巳の小さい頃のことを。小五の時、野球で滑り込みをして、ズボンのおしりが破れたのに気付かず最後まで試合した話。小二の時、肝試しで友達が扮するお化けに驚いてお漏らしした話。

 ——簡単に秘密をばらしやがって。覚えてろ哉太。

 楽しく笑う仮面の裏で、仕返しの炎を燃やすのだった。


 あっという間に時間が過ぎ、お昼時になった。

 楽しかったけれども、午後もプールで遊ぶ気にはならず、場所を移動することに。

 プールサイドは飲食物の持ち込みが禁止だったこともあり、敷地内に併設された遊園地で食べようという話になった。

 夢に見た遊園地デート。

 できれば倍巳として女の子と遊びたかったところだ。まあ、女の子なら美沙姉もいることだし、多少の不満はおいといて午後も楽しもう。

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