第12話 女三人、お買い物

 全く迷うことなく演劇部に入部してしまったが、部活勧誘期間中は中等部の一年生にできることは特にない。高校生とはいえ、同じ新入部員なのにダンス練習に普通に参加できてしまっている敦は例外なのだ。

 それでも、安濃部長は僕らに来て欲しそうな様子だった。帰り際、こんな遣り取りがあったのだ。


「あなたたちがここにいてもほとんど構ってあげられないの。心から残念だわ。それに、期間中同じ物ばかり見せることになっちゃうからあなたたちも退屈よね」

 部長の言葉遣い、耳に心地良いなあ。

 僕の身の回りには、母さんと美沙の他にもこうして女言葉を使う女性がいる。父さんの希望もあることだし、僕ももう少しこの身体に見合った言葉遣いに気を遣うべきだろうか。

 なんというか……。この身体とこの声で元のままの言葉遣いをしても、まるで小さい子が虚勢を張っているような、思わず頭をナデナデしてあげたくなるような微笑ましさを振りまくばかり……って、自分で考えてて虚しくなってきた。

 そうしてまた菜摘に頭を撫でられるのさ僕は。

「でも、どちらかというと明日から早速来て欲しいくらいなの。だってほら、観客のサクラになるし、あたしたちとしても可愛い観客がいれば俄然やる気が出るし」

 そう言う部長に対し、星野副部長はやはりクールだった。

「実際の活動前に飽きさせちゃうのは本意ではありません。中等部一年の皆さんには来週いっぱいまで帰宅部を楽しんでほしいです。一日の時間は限られていますからね。勉強や趣味の時間は大切です」

 公開演出の様子を見ていた僕としては、少しはらはらしたものだ。副部長はこれを部長の真横で堂々と発言したのである。演出家たるもの、多少は角が立とうが普段から言うべきことをズバズバ言わなければならないのだろうか。

 しかし実際には、部長は全く気を悪くした様子を見せず、周囲の部員たちもいたって穏やかなものだったのだけれど。

「僕も副部長に賛成ですよ、部長。中等部の一年って、高等部の一年以上に慣れなきゃいけないことや覚えなきゃならないことが多いんですから」

 その時にはすでに着替えを終え、男の格好に戻っていた敦が年下の副部長を援護した。

「うふ、わかってるわよ。あなたたちが正しいわ。ただ、あたしが個人的に、ちょっとでも長くこの可愛い三人組を愛でたいだけなんだから。だからね」

 柔らかく微笑んで部員達に答えてから、僕らの方を向いてウインクしてみせた。部長って、舞台映えするんだろうな。あざとさも嫌みもなくこういう仕草ができるのは一種の才能ではないか、と思う。こんな風に自然に注目を集めることができるのだから。

「あたしの目を楽しませるために、来週も一回でも二回でもいいから遊びに来てねん」

 そう言って僕ら一人ずつハグして回ったのだ。

 部長は加奈とほぼ同じ背丈。服の上から見る限り、あまりはっきりわからなかったのだけれど……。抱きつかれたとき「もしかしたら菜摘より大きいかも」と思ったのは内緒だ。その後、自分の胸にそっと触れ「まだまだだな」と思ってしまったのはもっと内緒だ。

 おかしい。女の人に抱きつかれてるのにどきどきしないなんて。きっと、今は身体が女だからだ。絶対そうだ。

 おかしい。僕が自分の胸の大きさを気にするなんて。目立ちたくないのに服でごまかせなくて、男子たちにちらちら見られるのが鬱陶しいと思っていたはず。大きい方がいいだなんて、見る側の立場としてであって、決して自分に対してそう思っているわけではない。ちょっと混乱しただけだ。絶対そうだ。

 でも、僕どうしたんだろう。


 ——もっと大きかったら、もっと長く哉太に見てもらえるのかな。


 一時の気の迷いだ。絶対。


 * * * * *


 部活見学の翌日は特に変わったこともなく過ぎて行き、間もなく放課後という時間となった。

 ワーム十一体の除去、仮に毎週一体ずつのペースで対処できたとしても一学期まるまる経過してしまう。万が一夏休みにかかるようだと深刻だ。休み期間中は学校に来る生徒が激減してしまう。二学期も中学生として過ごすのか、僕は。このまま女の子として。

【マスミ様。焦るお気持ちは充分に理解しております。しかし、最初の憑依ワームの処理をミスしますと、短期決戦が難しくなる確率が跳ね上がるのです。それを回避するための準備を進めているところですので、なにとぞご辛抱を。準備さえ整えば、週三体以上の処理も夢ではございません】

 それでも一か月くらいかかる計算だよね。早くても五月の連休明け……。げっ、中間テスト直前って時期じゃん。

【いざとなれば、試験問題をば——】

 だーめだってば! ……ってかアルガー。ミッションクリアしても僕の中に留まるつもり?

【ソンナワケナイジャナイデスカ】

 ま、いっか。


 ところで、退院したという設定の倍巳あにの肉体は、実は御簾又家に存在しない。いや、御簾又家どころか世界中のどこにも、だ。部屋で寝たきりになっているという「情報」のみの存在となってしまっている。言うなれば、現状、倍巳ぼくの部屋で食費を必要としない引きこもりが寝ているようなものである。我ながらあまり適切な譬えだとは思わないけれど。

 本来であれば、何らかの栄養を投与し、下の世話をするなど数々のケアが不可欠だというのに、それらの手間が全くかからないのだ。僕の肉体は今は潤美なのだから当然といえばそれまでなのだが、この不自然さは我がことながら気味が悪い。はやくスッキリしたいものだ。

【早く戻りたいですか、マスミ様】

 何を当然なことを——。あれ? 菜摘と加奈の顔が頭から離れない。

 やばいな。急がないと、あの二人から離れるのが辛くなるかも。今でさえ別れを想像すると辛いのに。

 あれ。哉太の顔が——。いやいや、てめえは関係ないっ。

 哉太の隣に立つのは倍巳としての僕。なのに、目を閉じると哉太と腕を組む潤美の映像が目に浮かぶ。

 勢い良く首を左右に振って映像を追い出した。


 女体化して初めての週末だというのに憂鬱な気分になっちゃったよ。

「どったの潤美、もしかしてあの日?」

「ひゃうん! 加奈のバカっ」

 男子が聞き耳立ててるだろうがっ。……僕だって中身男子だけど。

「違うから胸揉むな——んんっ、横を撫でるなぁ! 菜摘ママ助けてえ」

 あ。僕と目が合った男子がみんな目を逸らした。前傾姿勢になっちゃって可愛い……くないっ。僕もしかして男子諸君の今夜のオカズになっちゃったりするの? ……嫌あああ!

 もう、なんで教えてくんないのさアルガー。

【全く脅威度がございませんし、こういうスキンシップこそ——】

 黙れ役立たず。もし揉んでもらえないと気が済まないカラダになったらどうしてくれるんだっ。加奈の揉み方が上手くて気持ちいい——とか、思ってないんだからねっ!

 若干上気した顔でようやく加奈の魔手から逃れた僕に、名前を覚えたての女子が声をかけてきた。

「潤美。高等部の先輩がお呼びだよ」

「ん、ありがと」

 おや、神谷さん。今日は佳織を追っかけなくていいのかな。……ごめん、余計なお世話だよね。

 高等部の先輩って誰だろう。まさか哉太だったりしないよね。もしそうなら厳重に注意してやる。妙な妄想の形で僕の脳内に侵入しやがって。……うるさい、反論は認めないっ。

 八つ当たり全開のジト目で扉を見遣ると、明るい茶髪のポニーテールが視界に入った。あれ、美沙だ。

 鞄を手に歩み寄ると、軽く手を上げて微笑みかけてきた。

「ハイ、潤美ちゃん。一緒に帰ろ」

「美沙姉、今日週末だよ。佐美名先輩とデートじゃないの?」

「ふふ、いつもいつも遊んでるわけじゃないわよ。それより、おばさまに誘われたの。洋介よりもそっちが優先」

 今日はこれから携帯ショップに行く予定で、ついでに買い物をすることになっているのだ。てっきり母さんと二人きりだと思っていたのだが。

「美沙姉も一緒に行くの?」

「そうよ。……迷惑だった?」

 小首を傾げて尋ねると、美沙も同じような仕草で返してきた。くそう、本物の可憐さには敵わないなぁ。

「美沙姉、携帯のこと詳しそうだから一緒にいってくれるのは嬉しいけど、買うのは僕の携帯だよ。退屈でしょ」

「なぁに言ってるの。可愛い潤美ちゃんのこと、眺めてるだけでも幸せな気分に浸れるというものよ」

 あなた鏡を見ないタイプですか。中身からして本物の美少女にそう言われても、からかわれているだけとしか思えないぞ。

「え、なになに。潤美、携帯デビュー? 休み明け、アドレス教えてね!」

「こら加奈さん。すみません、来栖先輩。あっ、潤美さん。あたしにも教えてくださいね」

 僕のすぐ真後ろで話を聞いていた加奈が話に割り込むと、すかさず菜摘が注意する。でも、そんな菜摘もやっぱり我慢できずに割り込んできた。あなたたちやっぱり可愛いよ。

「もちろんだよ。じゃ、僕は美沙姉と帰るから、今日はここで。また来週ねっ」


 * * * * *


 携帯については僕自身にこだわりがないせいか、あっという間に契約完了してしまった。

 パスワードだのメールアドレスのアカウントだの、小学生時代のほとんどを寝て過ごした設定の僕がほとんど戸惑うことなく決めてしまったのは流石に不自然だっただろうか。

 母さんはあっさりと「やっぱり現代っ子ねえ」などと呟くことで納得したようではあったけれども。


「さあ、これからが本番よっ」

 母さん、本番ってナンデスカ。

「決まってるじゃない。今日は潤美ちゃんのためのお買い物なのよ。いえーい、リアル着せ替え人形っ!」

 は!? 美沙、何言っちゃってるのっ!?

 尻込みする僕には、二人の女性に抗うほどの筋力さえもなく。

「今のサイズに合った夏服、一枚もないものね」

「きゃーん、潤美ちゃん、スタイル抜群だもの。今から楽しみぃ。うふふ」

 あかん。母さんはともかく、美沙の目がイっちゃってる……。


「うわぁ……」

 十代の少女御用達のショップ。ああ母さん、このために美沙に声かけたんだな。

「うわぁ……」

 母さん、美沙のコンビと僕。先に声を上げたのはどちらだったか。似たような音が、両者で全く異なる感情のベクトルと共に口から漏れた。二人の視線は僕に注がれ、僕はと言えば軽く天を仰いでいる。

 タンクトップ、ノースリーブ、キャミソール。フレアミニ、キュロットミニ、ホットパンツ。

「思った通りね。凄く似合うわ! 買いよ」

 揃いも揃って露出度の高い服ばかりを着せられた。

 下着も家にあるのとは違う、フリルのついた可愛らしいものから母さん用としか思えない勝負下着っぽいものまで——待ってそんなのいつ穿くの!? それ着けたら僕もう後戻りできない気がするから勘弁してお願い。

「ちょっと脚を交差させてみて」

 はい。

「前かがみになってみて」

 はーい。

「しゃがんでみて……。あ、お尻に手を添えて、姿勢は真っ直ぐのままね。ゆっくり、そうそう。そうしないと見えちゃうからね」

 だったらこんな短いスカートを僕に穿かせるなよ。あー、はいはい。僕はにこにこしていればいいんだよね。

「可愛いわあ。完璧! 購入っ」

 あはは。もうなんか感覚が麻痺してきた。長袖? 長ズボン? 隠してごめんなさいって感じ……なわけあるかっ!

「さて。本日のメインイベント」

 あの。くたくたなんですけど。まだ何か着ろと仰るのですかお母様。

「じゃーん」

「は? 水着? いやまだ四月だよ母さん。しかもビキニって。いろんな意味でまだ早いってば」

「何言ってるの。まさかビキニは高校生になってからとか思ってる? それだけのパーフェクトボディの持ち主なのにビキニを着ないとか、世界の損失よ」

 パーフェクトボディって……。あかん、母さんも軽くイってるね。

「だって、海だのプールだの行く気ないし」

「しゃーらっぷ! 明日の土曜日、あたしと潤美ちゃんは温水プールで遊ぶの! 決定っ」

「え、ええっ!?」

【マスミ様。事故に遭った際の潤美様は、買ってもらった真新しいビキニを持ってプールへ向かっている途中だったことになっているのです。お二方は潤美様のため、失った時間を取り戻すのに必死なのですよ。ここはご厚意をありがたくお受けすべき場面かと】

 その設定、アルガーが作ったんだよね!?

 しかし、結局——。

 素敵な笑顔を向ける母さんと美沙を拒絶することができず、僕はなし崩し的にビキニを試着させられるのだった……。


 お店の外はすっかり暗くなっていた。

「いい買い物ができたわあ。楽しかったわね、潤美」

「そうだね母さん」

 他にどう答えろと。

「あたしが泳ぎを教えてあげるからね。学校の水泳の授業で困らない程度には。だから、毎週とは言わないけど定期的に通いましょうね」

「頼りにしてるよ、美沙姉」

 もう好きにして。

 ——ん? あの小さな布切れだけを身につけて人前に出ろと!?

 でもまあ、思い返してみると。試着室のカーテンを開けた段階で、すでに不特定多数の視線に晒されてた気がする。この二人、無駄に声がでかい分それなりに注目を集めてたし。

 男は愛嬌、女こそ度胸、ってね。もうわけわからん。

 男……? あっ、我が家の男、放ったらかしじゃね?

「さて、お二人さん。オムライスでいいかしら。あたしの好きなお店がこの近くなのよ」

「オムライス大好きです! ご馳走になります、おばさま」

「待って母さん。父さんは?」

「うふ、大丈夫よ。店屋物をとるようにって言ってきたから」

 父さん、悪いけど独り寂しく食べててくれ。あと、今日も稽古つけてもらえなかったね。それも含めてごめん。

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