母の追憶

「ごめんなさいね、あなただってお仕事があるのに」

「このくらいどうってことありません。

それに怪我した人を見捨てたなんて局長に言えません」

それを聞くと、彼女は可笑しそうに笑った。

「あなた、とても真面目な方なのね」

「ありがとうございます」

淋しそうだった彼女の目が細くなって、僕も嬉しくなった。


「ジャックっていうのはね」

僕が彼女の腕に包帯を巻いていると、今度は彼女から、言葉があふれてきた。

「ジャックっていうのは、私の、息子の名前なのよ」

僕の手が止まった。

何となくそうではないかと思っていたから、予想通りで、それに驚いた。

彼女の眼差しは、僕の母さんが、本当にたまにしか見せてくれないけれど、そんな優しい目にそっくりだったから。


「世界で一番大切な子なのよ。私の宝物なの。でも、彼はいなくなってしまった」


僕は包帯を巻きながら、彼女の言葉を待った。


「彼の父親は漁師だったの。でもある大嵐の日に、海に出たきり帰ってこなかった。

小さなあの子に、もうお父さんに会えないのよ、なんて言えなかったの。それも私が弱いせいね。だから、お父さんは今、海の中に住んでいるって、歳を重ねてものを知れば自然と溶けてしまう嘘をついた。


ある日、ジャックの姿が見えなくなった。

いくら探しても何処にもいなかった。

おませの女の子たちが、きっと、お父さんが死んじゃって寂しくてどこか行っちゃったのよ、なんて話していた。

わたしは海に走った。波の中でジャックが苦しそうにもがいていた。

荒波の中で必死で彼の手を掴んで、浜辺に戻った時は疲れて死んでしまいそうだった。

でも彼は、大声で泣いていた。

怖かったのだろうと思って彼を抱きしめたら、震えた小さな声がした。

「お母さんごめんなさい、お父さんを見つけてこられなかった」って。


何年か経ったわ。近所の子に、あの子は父親が死んだことをからかわれていた。

わたしはその様子を、彼の後ろで見ていたの。いまにきっと泣いてしまう、抱きしめなくちゃって思って、わたしは彼に駆け寄った。

でもね、彼は、ジャックはね、笑っていたの。

そんなはずないって。お父さんは海に住んでいると、お母さんが言っていたから間違いないって、笑っていたの。彼はもう、水の中で息ができないことを身をもって知っていたのに。馬鹿なわたしの嘘を、必死でほんとうにしようとしてくれていた。」







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