塚原の部屋に向かうあいだ、二人とも無言だった。スリッパの音だけがパタパタと暗い廊下に響く。

 恩田、どうしたんだろ。

 さっきまでいつも通りの彼だったのに、突然別人になったようだった。いつも彼がまとっている穏やかで柔らかい雰囲気はどこかへ消えてしまって、そのせいか、廊下の冷たい空気がいつも以上に肌にしみ込んでくる気がする。それに引きずられて、塚原も口が開かなかった。

 送るって、たかが同じ寮の中の部屋じゃん。それに歩いて一分もかからない距離だし。……女子じゃあるまいし。


 そう思いながら、心の別のところでは少し前の松谷との会話がよみがえる。

 ――あんまし言いたくないけど、お前最近人気あるから。

 ――そういう可能性を頭に入れとけってこと。告白される可能性。

どきりとした。馬鹿。その記憶を急いで頭から振り払う。


 果たして、一分もかからず塚原の部屋へ着いた。鍵を開け、中に入る。塚原が振り返ると、恩田の顔に少し、いつもの雰囲気が戻っていた。

「……忘れてたなって。ネクタイの結び方、教えるって言ったやつ」

「……あ、そうだったな」

 なるほど、そういうことか。勉強道具を置いてクローゼットを開け、ネクタイを取り出した。恩田はスリッパも脱がず、ドアの近くに立ったままだった。急いで駆け寄る。


「太い方を長めに取って……このくらいな。で、こうやって輪を作って――」

塚原の首にネクタイをかけて、恩田が結びながらひとつずつ説明をする。塚原が部屋のフローリングに上がっているので、その段差でいつも少しだけ見上げる恩田の顔が、今はまっすぐ目の前にある。

 静かな部屋の中で、彼の声だけが響いていて、彼の伏せた目の先、塚原の首元で彼の指が動いている。

 カーディガンを借りたときと同じ、小さな痺れが塚原の身体中を通り抜けていく。もしかして、彼の吐息が今鼻先に触れているのだろうか。

 ……俺、何考えてんだろ。

 今朝だって、同じことをしてもらったのに。

「……上から通すだろ」

あごを持ち上げる。恩田の手が唇をかすめた。心臓が跳ねた。

「結び目を締めるとき……鏡でちゃんと形を見ながら調節して……」

いつもより静かな声になんだか息が苦しくなる。

「はい、これでできあがり。……わかったか?」

「……う、ん」

かすれた声でとりあえずうなずいたけれど、恩田は片眉を上げて目で問うてきた。うわの空だったことがわかったらしい。いけない、と思ったけれど、次にはまったく別の言葉が塚原の口から出ていた。


「……お前と初めてラウンジで会ったときにさ」

「うん」

特に咎める気もないらしい。恩田はその静かな声のまま相槌を打つ。

「この寮にそれなりにそういうやつがいるって話したじゃん」

「……男と恋愛するやつって話か」

「そう」

「うん」

ごくりと唾を飲み込む。

「……変な話、恩田も、そうだったりすんの?」

「…………」

今までそんなことを疑問に思ったことなどなかった。それなのに今、流れるように口から滑り出た問いが、気がつけば塚原の心のうちを占めていた。

「言いたくないんなら、別に言わなくていいけどさ」

「…………」

恩田が黙っているので、ついその顔をじっと見てしまう。彼は戸惑ったようにまばたきを繰り返し、口を開くが、言葉が出ない様子だった。慌てて塚原は両手を広げる。

「……あ、いや、ごめん。言いたくないならそれでいいんだ。ちょっと聞いてみたかっただけだから。……そうだとしてもそうじゃなくても、俺恩田好きだし。別に気にしない」

そう言うと、恩田はふっと微笑した。少し困ったような、観念したような表情。


「……そのことで、お前に話があるんだ」

「……え」

恩田が塚原の首元に手を伸ばし、たった今締めたばかりのネクタイをほどいた。くるくると丸めて塚原の手に持たせる。昨日までなかった、今の二人の静かな空気が、塚原の手にもひとかたまり乗せられたような気がする。なぜか緊張する心を感じながら塚原がそれに目をやると、恩田が話し始めた。

「……噂になってるみたいなんだ」

「噂?」

「俺とお前が」

「俺と恩田?」

こくん、と恩田がうなずく。

「何か色々言われてるみたいだけど、共通してるのは俺がちょくちょく塚原のとこに夜這いに行ってるってことみたい」

「は? 夜這い?」

「そう」

「よばいって、」

恩田の顔を見る。彼が真面目な表情で小さくうなずいた。意味がわかって、反射的に顔が熱くなった。

「何だよそれ! なんでそうなるわけ? あり得ねえし、そんなバカなこと言った覚えもねえよ!」

「うん。俺もそうなんだけど」

目を伏せて恩田がはっきり言う。

「じゃあなんで……」

そこまで言ってはっとした。そうか。

「たぶん、夜俺がお前の部屋行くところ、見たやつがいたんだと思う。普通だったらそんなの別に大したことじゃないけど……ここ、一人部屋だから」

男同士だということを、一言も恩田は触れなかった。

「……なるほどな」

塚原は大きく息をついた。驚きの次は、呆れていた。「つーか俺もお前も男だけどな。まあ寮生だし、ここのやつらにはそう思われるってことか」

「……そういうことだな」

「ばっかじゃねえの。くだらねえ。俺と恩田のこと何も知らないくせに、赤の他人が勝手なこと言いやがって……要は憶測でしゃべってるってことだろ」

「…………」

「女子じゃあるまいし、付き合ってらんねえよ」

うんざりして塚原が頭をがりがりとかいた。誰と誰がどうしたとか、誰が付き合っているとか、ワイドショーの芸能ニュースじゃあるまいし。興味もない上、そういう話を本人がいないところでこそこそと話すような人間は、あまり好きではなかった。松谷や甲斐、クラスメイトが事情を直接訊いてくるなら話はわかるが、顔も名前も知らない生徒からそんなことを言われたところで、どうでもいい。

「…………」

「変なこと言うやつには言わせとけばいい。下手に意識して色々言っても逆効果だし。事実はそうじゃないって俺もお前もわかってんだしさ」


「……塚原は、気にならねえの」

 やや硬い声が言った。塚原ははっと恩田の顔を見た。彼が途方に暮れたような、不安そうな顔をしていて、どきりとした。

「おまえ……」

「俺さ、好きな人いるんだ」

「え」

恩田は床に目をやったまま話す。

「今日、この噂……その人から聞いたんだ」

「!」

「半信半疑みたいだったから、急いで誤解ですって伝えて、一応信じてくれたみたいだけど……」

 驚いた。とても驚いた。突然目の前の恩田が彼本人でなくなったように思われて、塚原は目を見張って彼の頭のてっぺんからつま先まで見つめ直した。

「……好きな人……、って……この学校?」

「うん」

「じゃあ……男……なんだ?」

「うん」

痛々しく笑って肩をすくめる。以前、恩田が夜部屋を抜け出した事情を塚原が知って、甲斐とその恋人のことを非難したとき、恩田が彼らをかばったことを思い出した。唾を飲み込む。言葉が、それ以上出なかった。

「…………」

「……そういうこともあって、」

恩田が言いにくそうに言葉を切る。まるでどこか怪我をしていて、その痛みを懸命にこらえているようだった。眉根を寄せて、唇を噛む。

「これ以上、噂の種になるような行動は取れない。……塚原の世話になるわけにいかないって……思って」

 怪我をしているみたいな。そうだ、心が。

 恩田、苦しんでるんだ。

 ――好きな人のことで。

 ――俺といることで、好きな人から誤解されて。


「ごめん。俺の事情で塚原のこと振り回したくせに、その上――」

「……俺、別に世話なんかしてねえよ」

わざと明るい声で遮った。恩田が何か言い出そうとするのを制して、塚原は続けた。

「まあでも、そういうことなら気にしないわけにいかねえよな。くだらねえとか言って、悪かった」

「……本当にごめん。お前、嫌な噂立てられることになって」

「言ったじゃん。俺はそんなん全然気にしねえし。お前が悪いことしたみたいな顔すんなよ。俺の方が、かーちゃんみたいにお前に世話かけちゃったし。俺が謝るべきだろ」

頭を下げようとする恩田を慌てて止める。顔をのぞき込んで、できるだけ優しい声で言った。よく彼がそうしていたように。

「ごめんな、恩田。あとありがと。お前のお陰で色々助かった」

「……ごめん」

それでもまだ痛みをこらえるような顔で、恩田はそう言った。



 恩田が部屋を出て行ったあと、ベッドへ向かおうとして塚原は足元に落ちている青い何かを踏んでしまった。ネクタイだった。話している間にいつの間にか手から落ちていたらしい。きれいに丸めてあったそれが落ちた拍子に崩れて、踏んでしまったために少しよれている。拾い上げ、元のようにきれいに丸め直してベッドの横に置いた。ついでに明日着るシャツを隣に出しておく。


 これから夜はどうするのか、一応聞いた。またラウンジで寝るなんて言いやしないかと少し心配になったのだ。とりあえず期末テストが終わるまでは甲斐の恋人が部屋に来ることはないだろうから、その間に別の友達に声をかけてみると恩田は言った。

 ――色々わかってて、融通がききそうなやつ。見つからなかったら、あと二ヶ月とちょっとだし、もう我慢して部屋にいるよ。

 そんな都合のいいやつが果たしているのか。そいつが協力してくれるのか。


 そこでぷっつり気力が切れ、塚原はベッドに倒れ込んだ。さっきまでそこにいた恩田の表情や言葉が頭の中に隙間なく浮かび内側から頭を圧迫して、なんだか鼻の奥がツンとする。

 恩田に好きな人がいるなんて知らなかった。

 俺の部屋に来ることで、恩田がそんなことになってたなんて。

 そのことが、思った以上にこたえていた。夜は塚原が恩田にベッドを貸してやり、朝は恩田が塚原を起こし、朝の支度を手伝う。ギブアンドテイクのちょうどいい関係だと思っていた。少々恩田に比重が偏っていたけれど、それも許されている気がしていて。


 彼のあんな不安そうな、悲しそうな顔を初めて見た。

 俺といるときは、いつも穏やかに笑ってたのに。

 よっぽどその人のことが好きなのか。

「つーかやっぱり、恩田もそうだったのか」

男が恋愛対象だったのか。仰向けになって天井を見上げ、一人つぶやく。恩田があんな風に思いをかける相手とは、どんな男なのだろう。


 最初にベッドを貸してやると塚原が言ったときの、彼の安心したような柔らかい笑顔を思い出した。毎朝彼に起こしてもらうときに感じる、あの心地良さも。

 ――幸せなやつだよな、そいつ。

 恩田はどういう男に恋をするのだろう。考えてもわかるはずのないことを考えながら、塚原はいつまでもベッドに転がっていた。




 次の日は案の定、遅刻した。きっかり夜の十二時に寝ている毎日でも朝起きられない塚原が、夜中一時を過ぎても眠れなかった日に起きられるはずがなかった。半分寝ぼけたまま目覚まし時計を止めたのは覚えているが、次に意識が戻ったとき、時間は九時半だった。一限目に間に合わない、久しぶりの大遅刻である。

 仕方ない。一限終わる頃に行くか。

 顔を洗って、寝癖を整え、着替えを済ませる。ネクタイを締めるとき、微かに頭に残る恩田の声が思い出された。けれどそれはあまりにもぼんやりした記憶でしかなかったので、もっと真面目に聞いておけばよかったと少し後悔した。


 時間を見計らって登校し、休み時間に教室へ向かう。

 そこで、教室のドアから恩田が顔を出しているのが見えた。きょろきょろと廊下を見回している。

 あれ、もしかして。

 塚原を探しているのだろうか。おそらくそうだろう。少しおかしくなる。けれど一方で、そんなことをしてまで塚原を探す行動は少々危なっかしく思えた。傍から見れば噂を肯定する材料になるのではないのか。


 ほどなく塚原を見つけると、彼はまず「ちゃんと起きて学校に来た、よかった」という表情になり、次に「昨日遅くまで俺としゃべったせいで遅刻させてしまった」という表情になったのがありありとわかって、申し訳ないと思いながらも少し笑ってしまった。訊かれる前に、遅刻の理由を素直に告げることにする。

「……寝坊した」

「そんな気がした。なに笑ってんの」

「……別に昨日お前としゃべったせいじゃないよ」

笑いながらそう言ってやると、恩田は苦笑して肩をすくめた。

「そうか」

「それよりお前さ、そうやってドアのとこずっといたのかよ」

「……いや、」

視線をそらして頬をかく。塚原は少し声を抑えた。

「……昨日の今日だろ。周りに見られてまた変な噂になったらどうすんだよ」

「教室でクラスメイトと話すくらい普通だろ」

「いやどこで何言われてるかわかんないから噂なんじゃん」

 どうして遅刻した自分が偉そうに、自分を心配してくれている恩田を非難しているんだろう、と思いながら塚原はそう言った。けれど言われた方は言われた方で、「なんか俺、『はじめてのおつかい』に出てる親御さんの気持ちがものすごくよくわかる気がする。心配でじっとしてられないっていうか」とありがたいような不甲斐ないような複雑な気分になることを言う。

 そもそも、恩田にクラスメイトの範囲を超えて世話をさせた塚原自身が原因といえば原因なのである。


「恩田」

「ん?」

「……俺、朝自分で起きられるように頑張る」

恩田の両肩を掴んで真剣に塚原はそう宣言した。

「噂とかそういう問題以前に、クラスメイトのお前にそんなこと言わせておく状態ってやっぱ異常だわ」

「そんなこと?」

「……母親みたいなことだよ」

ずばり言ってやったつもりだったけれど、恩田は特に気にした様子もなかった。むしろますます心配そうに塚原の顔をのぞきこんでくる。

「……無理すんなよ?」

「おう」

大きな声で返事をして、塚原は大股で自分の席へ向かった。


 ――遅刻しないように毎朝ちゃんと起きるには。

 もはや塚原の人生の命題とも言えるこの問題が、またしても彼の目の前に立ちふさがる。と言っても、今までその問題を完全に乗り越えたことはなく、壁は壁として存在していたのだ。それにいつも誰かがはしごをかけて彼を助けてくれただけで。――例えば母親や、恩田が。

 思い返せば、九月まではなんとか自分で起きることができていた。目覚まし時計を壊してしまってからまた起きられなくなって、けれど恩田が起こしてくれるようになって、そして目覚まし時計を買い直したにもかかわらず……やっぱり彼に甘えていたのである。


 恩田が来てくれると思うからいけないのだろう。わかっている。恩田は来ない。もう来ない。自分で起きて、学校に行く。自分で起きて……恩田に会おう。

 そうすれば恩田も余計な心配せずに済む。好きな人のことだって大いに考えられるし、変な噂も消える。完璧だ。

 もう彼と朝を一緒に迎えることはないのだと思うと、少し淋しくもあるけれど……それは、単なる塚原のわがままだった。




「やっぱデマだったか」

 その日の昼休み、塚原は珍しく松谷に誘われて、わざわざ学校の屋上まで来て弁当を食べていた。もちろん昼とはいえ寒いし、風は強い。外には出ず、屋上へ続く階段に並んで座っている。

「……お前も知ってたのか」

驚いて塚原が松谷を見る。彼は肩をすくめた。

「耳にしたのは今日の朝だよ。知ってて黙ってたりしねえから」

そう言ってストローで紙パックのジュースをすする。

「それにしても恩田にそこまで世話させてたとはな」

「……悪かったな」


 二人でここにやってきてすぐ、松谷には「恩田が塚原の部屋へ夜這いに行っている」という例の噂の真偽を問われた。塚原は急いで否定し、根拠としてここ一ヶ月ほどの恩田とのいきさつを簡単に説明したのだ。もちろん、恩田が部屋を抜け出す理由――甲斐の恋人の件については伏せた上で。

「つーかもうそれただの噂じゃないじゃん、本当のことじゃん」

松谷はため息混じりに言った。

「なんで」

「だってマジで恩田と寝たんだろ」

「いやそうだけど……本当に寝てただけで、何もないって」

「でも同じベッドでだろ」

「毛布はお互い自分のだよ」

「……そりゃ噂にもなるわ」

心底呆れた、という様子で松谷が目を細める。

「むしろお前、よく男と同じベッドで寝ようと思ったな。――いや違うか。恩田の方か」

腕組みをして独り言のように言う。塚原はさっき話した主張をまた繰り返した。

「だってあんな寒いラウンジで一晩過ごしたら、凍え死ぬと思って」

「あーはいはいわかった。……そうだな。寮の事情なんて知らなかったんだし、お前がそう言うのもわからなくはない。同じクラスの顔見知りだしな。軽率だったのは恩田の方だ」

「は?」

思わず塚原が訊き返す。

「……寮内にそういう目があることとか、偏見があるとか、自分が目立つ存在だってまさかわかってないはずないのに、あいつはお前の提案に乗った。それが軽率だったって」

松谷の話し方は、まるで出来の悪い生徒を投げやりに教え諭す先生のようだった。反射的にむっとして塚原が反論する。

「いや、それ言うならそもそもベッド貸すって言った俺の方が軽率だろ」

 どうして恩田が悪いみたいな言い方すんだ。


 松谷は腕組みをしたまま、塚原の方をちらと見て、また視線を前へ向けた。

「……恩田はお前に言わなかったろ」

「なに」

「男が恋愛対象だってことをだよ」

「……まあ」

「お前は鈍感だから気づいてないと思うけど、あいつ、寮の、男が好きだってやつらからかなり人気あるんだよ」

「……マジ?」

松谷がうなずく。

「それこそお前の比じゃない。きれーな顔してっからさ。まあ百歩譲って自分の評判に気づいてないとしてもだ。一人部屋のお前のとこに泊まれば、そんで誰かに見られでもしたら、一発でこういう噂が立つってこと予想できるはずなんだよ。それがお前にとってすっげーはた迷惑なものになるってことも」

 塚原の脳裏に、あの日ラウンジのソファで毛布にくるまっていた恩田の姿が浮かんできた。

「しかも、お前に対しては男が恋愛対象だって明かさずに部屋で一緒に寝てる。……何回も」

 ――怒りがわく前に抜け出した。そう言って苦笑いするその表情。

 松谷は腕組みを解いて塚原の顔を見やった。

「……お前さ、恩田が男が恋愛対象だってわかってたらベッド貸すとか言えたか?」

「…………」

 わからなかった。そんなことを聞かれても……記憶をあの日に戻して想像してみてもわからない。昨日の彼の表情、痛みをこらえるようなあの顔が思い出されて、塚原の方が胸が痛む。


 ――そうだとしてもそうじゃなくても、俺恩田好きだし。別に気にしない。

 今もその気持ちに変わりはない。恩田がいくら軽率だった、塚原にとってはた迷惑な事態を引き起こしたと言われたところで、恩田を責める気持ちなんて少しもわいてこなかった。それどころか彼を軽率だという松谷にこそ言ってやりたくなる。

 あの時の恩田の姿見ても同じことが言えるのか。あいつは友達のことを思って行動した結果、俺の部屋に来ることになっただけだ。俺はあいつがあんなにいいやつなのに、寒さに震えているのが理不尽だと思って――。


「……まあ、終わったこと言ってもしゃーないけどな」

 軽い口調で松谷は話を終わらせた。釈然としない思いがしたが、塚原もそれ以上は言わなかった。

「それで今日は遅刻したのか」

「……明日からは自力で起きてみせる。どうせ来週からテストも始まるし」

そっぽを向いて言う塚原の言葉に、松谷は肩をすくめた。

「テストが終われば冬休みだしな。三学期までは部活にさえ遅刻しなければいいってわけだ」

 部活のときはいつも松谷が塚原を起こしている事実を言ったのである。それは充分わかってはいるし、申し訳ない気持ちもあるけれど、こいつにごめんなさいと言うのは癪だ。

「お前さー、俺が頑張るって言ってんのになんでそういう言い方するわけ」

「そんだけ付き合いが長いってことだよ」

皮肉っぽく片眉を上げてこちらを見る。塚原はついに顔をしかめて「お前ほんと嫌なやつ」と文句を言った。

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