第三章
第4話第三章
第三章
夜時間の繁華街は、観光客の親子連れや、男女様々な組み合わせのカップルなどで賑わっていた。帝国領内は極めて治安が良い。犯罪を犯したとしても逃走が容易ではなく隠れ場所も限定される。また警察機構も謹厳実直であった。それに関しては、領内に暮らす国民がそもそも少なく(五十万人余り)、建国時の事情から軍、警察関係者が多数を占め、観光収入による潤沢な国家予算のため給料も良い点が大きいであろう。更にはある種の危機感に起因する一体感も強いのであった。と、それはともかく、今や正アクイナス帝国は安心して遊べる、宇宙に浮かぶ夢の箱庭として国際的に定着しつつあったのである。
繁華街を通る車列(全て電気駆動車である。帝国領内で排気ガスを垂れ流す化石燃料車を走行させる事は許されない)は、遅滞なく流れていた。離宮への道路と同様ながら、両側には建物が並び歩道のアーケード上に機関砲座は無いが。歩道は空気圧低下などの緊急事態にはシャッターが降り、簡易シェルターとなる。車道の下をチューブも走っている。
車列の車間距離は、ほぼ一定であった。自動運転による人為的ロス解消の成果であった。その中にカイムの乗用車もあった。運転席に一人、しかしステアリングは収納され、スーツ姿の(当然大小も帯びていない)彼は、腕を組みぼんやりと前を眺めている。その表情は、やはり少々険しめである。カーナビモニタの表示は、間もなく目的地に到着する事を示していた。
バー”アースライト”のカウンターで、カルロは先にグラスを傾けていた。
「あら、お久しぶり」
コースターにグラスを置く。
「そうだね、少々驚いたけれどね」
隣に着席するカイム。
「そうだった?どうしたの、険しい顔をして?」
「…正直、悪い予感しかしないんだけれど」
言って同じ物を、とバーテンダーにオーダーする。
「あら、お言葉ねぇ。元恋人に対して」
悪戯っぽく微笑むカルロを睥睨し、溜息を一つ。
「タカシを振るのに突然言い出した事でしょう?あの後少々面倒な事になったんだけれど?」
グラスを取り上げ、半分ほど呷る。
「あら、本気だったって思わなかった?」
下から顔を覗き込んでくるのを、視線を外しつつ右手で髪を撫でつける。
「学校時代はともかく、現場に出てからも何度か尻拭いさせられたし」
「あら、私のお尻を拭いてくれたかしら?」
「ふざけないでよ。早く用件に入って。昔話するために呼びつけた訳じゃないでしょう?」
「そうね」
微笑みが消える。居住まいを正すと、再びグラスを傾け。
「実は、相談があるの」
「相談?」
「ええ。私がアブシデ協商同盟圏内で凍結資産の管理人をしてきたのは知っているわよね?」
「うん」
「今回は任期終了で帰国するのだけれど、少し気掛かりな事があって」
「どんな?」
「向こうで親しくして貰っていた資産家の経営していた会社が倒産してね。破産管財人が入ったのだけれど、その人が会社の資産をつまみ食いしているらしいのよ」
意味ありげにカイムを見詰める。
「…へぇ、それで?」
その意味を読み取り、カイムは先を促した。
「その会社の資産を狙っている同業他社は複数存在するのだけれど、彼らに知られては不味い訳ね。この事実を知っている者にも黙っていて貰わないと」
「何か、きな臭いね」
「そうなのよ。本来なら、司法当局に介入して貰うところなんでしょうけれど、そちらの方に顔が利くらしくて、なかなかね。だから、貴方のところでどうにかしてくれないかしら?」
「私達のところで?」
「貴方の力でもいいわ」
耳元に口を近付け、囁く。少し身を引くカイム。
「いや、アブシデじゃねぇ、大した役には立てそうにないよ?」
小さく首を振った。
「あらそう?残念」
肩を竦めてみせるカルロ。
「ところで、他にあちらで出来たお友達がいるみたいだけれど?」
さりげなく背後をチラ見する。店の戸口で一度見回したとたん、その男達には気付いていた。まずはその雰囲気。次に完全交換体から発する、特有の微かな科学薬品臭。事故や病気などで体の一部を失ったとしても、再生医療の発達により欠損部分の補填が容易となった時代、敢えて初期費用、維持費の高額な人工物を使用するメリットを取る者達の職業は限定的といえた。軍隊では個人装備として宇宙服とパワードスーツの機能を一体化させ耐弾、耐衝撃性能を付与した装甲外殻が一般化しており、完全交換体化するのは軍内でも一部の特殊部隊や、非合法な活動を行うテロリスト達と相場が決まっていたのである。また、ごく一部には特殊な事情により生身の肉体を捨てざるを得なかった者達もあったが、彼らが後者に当るとは思われなかった。そして不自然なライター。テーブル上のそれが、煙草を吸う筈のない彼らに不要な物であると一目瞭然であった。恐らくはカメラであろう。
「あら、友達じゃなくてストーカーならいるけれど。こちらも悩みの種よね」
上着のポケットから何か取り出し、カイムのグラスに落とす。カイムはグラスを右手で包んだ。
「じゃあね、楽しかったわ」
立ち上がり、一人出て行く。それを追い、男達も席を立った。一人残されたカイムは、グラスからカルロの置き土産を摘み上げた。それは透明なケースに収められたメディアであった。ハンカチを取り出し包み込んでポケットに納めると、カイムも席を立ったのであった。
駐車場には、彼の乗用車以外停まっていなかった。帝国領内でも飲酒運転は犯罪であるが、まず逮捕に到る事はない。運転などまずしないのであるから。
鍵を開け、運転席に滑り込む。電源を入れるとライトが点灯する。その光の中に、二体のヒトガタが入ってきた。ロボットの様なメタリックの外観のそれを、カイムは熟知していた。装甲外殻。戦時中でもない限り、街中で目にする事はまず無い。天井に右手が伸びる。
『おい、お前!』
ヒトガタが、加工された声で呼ばわった。その一体は正面を、もう一体は運転席の横へ素早く移動する。窓ガラスが叩かれた。
「はい?」
面食らった様に、開いた窓から顔を出した。
『お前は、バーで女と会ったな?』
「そりゃあ、バーはそういう所でしょう?」
とぼけてみせると、ネクタイを掴まれた。
『下らねぇ事言ってんじゃあねぇ!あの女から、何を渡された!?出せ!』
「ちょっとちょっと!落ち着いて…」
狼狽した様な声を上げながら、右手は車内をまさぐり。
「!」
ネクタイから手が離れる。装甲外殻の胸部から、短剣の柄が生えていたのであった。耐弾性に優れる装備も、高周波振動剣にはさして効果がない様である。車に凭れ掛かってくるのを、カイムはドアを開け倒した。
『てめぇ!』
前を塞いだ装甲外殻が走り出したのと、乗用車が走り出した(一時的に手動運転に切り替えた)のとはほぼ同時であった。装甲外殻はボンネット上に乗り上げ、組んだ両手を振り上げるとフロントグラスへ打ち下ろした。通常ならばヒビで白くなる筈が、衝撃を吸収され微動だにしない。
「悪いけれど、この車には皇室警護隊用並みの防御力があるんだ」
車内から飛び出しざま、言いつつ右手の剣を振るう。振り上げられた両腕が甲高い金属音を上げ、合掌状態のまま転げ落ちる。
『おうぅ!』
苦痛の声を上げながらも、ボンネットの上から向こう側へ転げ落ち二撃目を避ける。しかし両腕を失った状態では、立ち上がる事もままならない。その隙を、カイムは逃さない。背後から、立ち上がりかけたその両脚を薙ぎ払う。
『ぐぁぁぁ』
途切れた手足をばたつかせると、黄緑色の液体が飛び散った。
『死ねぇ!』
仲間が短剣をそのままに、ボンネット上に跳躍した。そのままカイムに躍りかかろうとして、しかしカイムに先んじられた。こちらも両脚を薙ぎ払われ、二体は仲良く転がった。
「丁度良かった。これで引き渡せる犯人が出来たよ」
短剣を引き抜こうと左手を伸ばし、それを掴もうとしてくるのを切り払うと短剣を引き抜いた。運転席に横たえられていた鞘に大小を収める。トランクを開けると騒々しい二体を放り込み、手足は後部座席へ。黄緑色に床が少し汚れるが、気にする風もない。ドアを閉め運転席に回り込み、乗車するとトランクを閉めた。ドアを閉め自動運転に戻しカーナビの行く先にエルマンド宮を指定すると、車は静かに走り出した。
カイムの乗用車が、交差点の先頭で停まった。交差する道路に車が流れようとし始めたその時、不意に警報が鳴り響いた。何者かが重大な交通法規違反を犯したのである。車の流れが即座に止まる。向こうの対向車線から、他の車と衝突するのも構わず一台の黒い車が飛び出してくるのが見えた。その上空を、警察のドローンが追跡している。車はカイム車へと突進してくる。そのまま正面衝突した。相手はボンネットをひしゃげさせたが、カイム車はびくともしない。
「はは。普通の車で、これに正面からブチかましてくれるなんてね」
右手を天井に伸ばす。長方形の蓋を開くと、中からは頼もしい相棒が姿を現す。窓の外では、車を飛び出した二人の男(カルロを尾行していた)が機関銃を乱射していたが、運動量吸収甲鈑製のボディは銃弾を悉く路面に転がしていた。フロントグラスも同様である。左手の盾を展開し、剣の柄に手を掛けカイムが飛び出そうとした、と。一人の胸に、大きな穴が空いた。もんどり打ち倒れる間にも、もう一人も同様の運命を辿る。見れば、交差点の向こう側、対向車線に仁王立ちとなり拳銃を構えているカルロの勇姿が。
「雄々しいねぇ」
警察のフローティングカーがようやく到着したのは、その直後であった。
男達は未だ生きていた。完全交換体の面目躍如である。護送車に収容、連行されてゆく傍ら、カルロとカイムも事情聴取を受けた。カイムは身分証を示し、自分がテロリストに命を狙われており、危機一髪のところをカルロに救われた事、男達の仲間を生け捕りにし、皇室警護隊に引き渡すためエルマンド宮へ向かっていた事などを説明した。男達の目的は仲間の奪回であろうという推測を添えて。カルロの拳銃は正式な所持許可を得ており、ドローンの映像からもその使用は緊急避難措置として正当と判定され、二人は間もなく解放されたのであった。「あーあ、やっぱり悪い予感は当ったなぁ」
運転席でカイムがぼやくと。
「あら、私は疫病神?」
少し拗ねてみせる様に、助手席のカルロ。
「そこまでは言わないけれど、ね」
小さく溜息をつく。警察署を出た後予定通りカイムはエルマンド宮に寄り、生け捕りした者達を引き渡したのであった。今はカルロをホテルまで送る途中である。
「ところで、何で皇室警護隊なの?」
興味津々、といった風で訊ねてくる。
「そうだね…今抱えている事件に関係していそうだからね。さっきの君の話で、どうやら見えてきた様だよ」
「何が見えてきたのかしら?」
「それは…それより、帰国の準備はどう?統治顧問団への挨拶回りは?」
無理矢理話題を切り替える。共和国出身の彼女は、統治顧問団の推薦という形でアブシデ協商同盟担当資産管理人に就任したのである。
「明日よ。今日は真っ先に会いたい人が居たし」
カイムの頬に、軽くキスする。
「私を唆しても、大した役には立てないよ?」
「あら、残念」
くすり、と笑う。と、次の瞬間には真顔に。
「また陛下の暗殺未遂なのね?タイミングが悪いわ。帰国の挨拶なんて出来るのかしら?」
「…タイミングが悪い、ね…少し、帰国が遅れるかもね?」
「陛下には申し訳ないけれど、それは困るのよね。早く返答があればいいのだけれど」
エルマンド宮に寄った際、カルロはアーリアを通じ最後の活動報告及び帰国の挨拶のためのスケジュールをくれるよう依頼していた。返答を直接貰えるよう、情報端末の番号も教えてあった。
「ああ、そうだ。さっき預かった物を返さないと」
ポケットに伸ばしかけた右手を、カルロは制止した。
「いいわ、コピーだから。持っていて」
「いいの?重要な物でしょう?」
無言で頷くカルロ。そうこうするうち、乗用車はホテルの正面玄関前に停まった。
「それじゃ、またいつか」
助手席のドアを開ける。
「…ねぇ、私の部屋に、今夜泊まらない?」
「悪いけれど、明日も仕事だしね。宿舎に」
「私じゃ、ダメなの?」
カルロの方を見遣れば、真顔で見返してくる。
「…冗談だったら、感心しないよ?」
「…冗談だと、思う?」
瞳が潤みだす。暫し見つめ合った後、硬直していたカイムはドアを閉め、カーナビに駐車場行きを指示したのであった。
暗闇の中、会話する四人の声がした。
「Cチームも君達を除き、全滅か…」
「計画は台無しです、A-1…」
口惜しげなC-5の声。カイムとカルロの活躍により、Cチームは機能不全状態と化していたのであった。
「事ここに至った以上、作戦中止を進言しては?」
C-6が躊躇いがちに言うが。
「それは無理だ。この作戦が失敗となれば、依頼主も我らも終わりなのだからな」
A-1の、言下の否定。
「ならば、Aチームも召集し、全力で!」
「忘れましたか?彼らには退路確保という重大な役割があるのですよ」
苛立つC-5を宥める様なA-3の声。
「では、我ら四人で襲撃を!?」
「充分可能と考えるが?標的さえ確実に仕留めれば、後は時を見極め撤退するのみなのだからな」
「…了解しました。標的の動向は?」
「既に拝謁日時の問い合わせメッセージを捕捉しました。応答も間もなくです」
「その時まで、行動を控えるよう。装備の点検を万全にな。例の邪魔者に対する装備も調達してある」
「おお、それは!のこのこ出て来たなら、報復の絶好のチャンスですね!」
幼い声がはしゃぐ。
「子供用は用意してあるので?」
「調整済みですよ。後で試着して下さい」
「話は以上。解散!」
A-1の号令一下、暗闇の中に蠢く者達の音だけが響いた。
翌朝。情け容赦ない光量を誇る全天照射パネルの光が、彼女を覚醒させた。レースのカーテンの役立たず、と無体な文句を心の中で呟き、シーツを胸元まで引き寄せつつカルロは上体を起こした。彼女は全裸であった。昨夜、カイムと濃厚な愛し合い方をし、久々に女の愉悦に耽溺した。カイムとは、これが始めてであった。職務上、必要とあれば男女を問わず女の武器を用いる事も厭わない彼女が感じられた、ほぼ唯一の至福の時。それまで快楽はあっても、幸福は無かったと言ってよい。幸福を感じようとする努力は虚しいものであった。
サイドテーブル上の情報端末には、音声メッセージ有り、のアイコンが表示されていた。そっとタッチすると。
『お早う。任務があるのでお先に失礼するよ。またいつか、再会する時を楽しみにしているからね』
言葉とは裏腹な、無機質な微笑を浮かべたカイムの映像が消える。まるで二人の間には何も無かったかの様な態度。知らず、頬を涙が伝う。きっと彼は、自分が誰かから異性として愛されているなどと、微塵も考えてはいないのだ。いや、その様な事は理解していた筈。昨日の事も、何らかの目論見があって報酬の前払いをした程度にしか考えていないに違いない。そういった面を、完全には否定出来ない。しかし、それだけではない…涙を拭い、両手で頬を叩く。自分に喝を入れた。そう、私は計算高く強かな女でなければならない。組織、上司、そして何より彼を失望させないために。深呼吸を何度か。全裸のままベッドを降り、浴室へ向かう。
拝謁日時の返答メッセージを受信したのは午後、統治顧問団への挨拶回りを済ませた後であった。
「明後日、ね。連絡しておかないと」
情報端末からメッセージを消し、ポケットに仕舞う。イヤホンマイクに向かい、暗号らしい名へ電話を掛けるよう指示したのであった。
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