第24話 禁じられた力

「沙耶姉、大丈夫? どこも怪我はない?」

「うん、あたしなら平気よ」

「良かった。それにしても……」


 次郎太は周囲を見回した。天井が高く壁も遠い無機質で広いその部屋は、何かが暴れ狂ったように瓦礫が散乱し荒れ果てていて薄く煙が漂っている。ざっと見ただけでは何がどうなっているのかまるで状況が掴めなかった。


「今、何がどうなっているんだ? ん? あの子は」


 周囲を見回す次郎太の目が一人の少女の姿を見て止まった。それは彼がこの宇宙へ来てすぐに出会ったあの少女だった。


「君はあの時の子だよね。良かった。僕はやっと沙耶姉に会えたんだよ。もしかして君も探してくれてたのかい?」


 次郎太はそちらへ近づこうとする。そんな彼を見て、ミザリオルは悔しそうに唇を震わせて、怒りに燃えるままにどなりつけてきた。 


「お前えええええ!! 何を何を何を何をお、わたくちのブラックホールを真っ二つにしているのでちゅかあああ!!」


 足をがんがんと踏み鳴らしながら、わめき叫ぶ。少女のあまりの態度に次郎太は思わず立ち止まった。


「何を怒っているの。いったいどうし」

「次郎太! 気をつけて!」


 沙耶が注意を叫び終わる間もなくミザリオルは両手を振り上げる。


「頭が高いって言ってるんでちゅよお! どいつもこいつもこの外道どもがあ!」


 手を振り下ろすとともに、見えない重力が次郎太の体に伸し掛っていく。


「うおっ! なんだこれ!」


 不意に感じたその重さに次郎太は思わずよろめきかける。沙耶は叫んだ。


「次郎太!」

「あっはっはっはっ! そのまま神の前にひざまづきなしゃい! そうして態度で示せれば、チミの心にもこの神の素晴らしい音色を聞かせて感動させてあげましゅからねえ!」


 盛大に気分よく笑い声を上げて、ミザリオルはその手に笛を取り出しかける。だが、その両手がしっかりと笛を握るよりも早く、次郎太は上から伸し掛ってくる重力に逆らって剣を振り上げた。


「くっ、おおお!」


 剣に斬り裂かれ、掛けられていた重力が真っ二つとなって散っていく。ミザリオルはその驚きのあまり思わず手の上であたふたと笛を躍らせてしまった。


「ぬわあっ! な、なんなんでちゅか、それはあ?」


 何とか笛を落とすことは避け、それを再びしまう。


「次郎太、その剣はいったい何なの?」


 沙耶は心配になって聞いた。

 あのミザリオルの操る重力を切り裂き、驚愕をもさせてしまうほどの剣。それほどの物がただの力であるはずがないからだ。昨日までの次郎太は断じてあのような剣は使っていなかった。いったいあのような物をどこで手に入れたのか。あんな力を使って大丈夫なのか。沙耶の不安は募るばかりだった。

 そんな心配に見つめる彼女に、次郎太は安心させるように微笑んだ。


「大丈夫だよ。これは沙耶姉を助けるために僕が手に入れた力なんだ」

「そんな物……そんな力使わないで!」


 沙耶は悲痛の思いで叫んだ。


「どうして?」

「だって、そんなの次郎太らしくない!」

「沙耶姉……」


 沙耶の必死な形相に次郎太は引き下がってしまった。沙耶は決意を口にした。


「ミザリオルはあたしが倒すから。だから次郎太は黙って見てて」


 強い意思をもって沙耶は前へ出る。次郎太の知るあの少女と睨み合う。

 そうして彼も感じた。これが沙耶の戦いなのだと。神の少女は不敵に笑った。


「あたちを倒す? ちっぽけな人間ごときが随分と大きく出たものでちゅねえ」

「大きくなんてない。それがあたしのやることだから。やり遂げなければいけない、あたしの使命だから!」


 沙耶はその背に光の翼を広げて飛ぶ。


「フッ、どこまでも頭に乗るんじゃないでちゅよ、この甘ちゃんがあ!」


 ミザリオルが重力のエネルギーを踏み切りの力として飛ぶ。二人の拳が中央でぶつかり、せめぎ合う。


「重力を斬る剣。あれがあった方が少しは戦いが有利に運べたんではないでちゅかねえ? 今からでも助けを求めたらどうでちゅか? お願いしまあす、どうしても勝てないので手を貸してくださあいと情けなくねえ!」

「そんなこと頼まなくてもあたしは勝てる! この力でお前をぶっ倒す! そのためにあたしはここにいる!」

「何をこの糞生意気なガキがあ!」

「ここにいるんだああ!」

「何ぃ!」


 沙耶の決意をこめた必死の拳がミザリオルの手を弾き飛ばした。後方へと飛ばされながら、ミザリオルは腕を上から下へと振り下ろす。


「勝ったつもりでいい気になるのもここまででちゅよ! 先に地に落ちるのはチミの方でちゅ! 沈め! グラヴィティストライク!」


 沙耶は頭上に重力が迫る予兆のようなわずかな揺らぎを感じ取った。素早く横へ飛び、その場を離れる。直後その下の床が見えない重力に押しつぶされ、へこんでいった。

 ミザリオルは体を回転させて着地してまだ憎たらしくも宙を飛んでいる沙耶の姿を睨みつけた。


「神にでもなったつもりでちゅか、チミは! 黙って潰れろ!」


 ミザリオルは沙耶を叩き落とそうと次々と重力によるその攻撃を繰り出していく。沙耶はその攻撃を次々と回避していく。そして、神に迫る勢いで突撃する。


「ミザリオル!」

「ちい! 神の嵐に飲まれて消えろ! グラヴィティデストラクション!」


 神の周囲に展開する重力の嵐に沙耶は飲み込まれていく。だが、どのような嵐にも流れがある。沙耶は必死になってそれを掴もうともがきあがいた。


「どこまでもしつこい奴でちゅね~。ならばこれをくらえ! グラヴィティインパルス!」


 嵐の中を切り裂いて、一筋の槍として固められた重力が沙耶に向かって放たれる。嵐に翻弄される沙耶はそれをかわせなかった。


「キャアアア!」


 正面からまともにそれを喰らい、嵐の外まで弾き飛ばされ倒れていった。

 嵐をおさめてミザリオルは嘲り笑う。


「思い知りまちたか、これが神の力! なのでちゅよ」

「なるほど、これが神の力、なんだ。だいたい分かってきた」


 沙耶は足をふらつかせながらも立ち上がった。その顔には何かを掴みかけてきたかのような嬉しげな笑みが現れていた。

 ミザリオルはそれを不審に思う。


「分かってきたとはどういうことでちゅか」

「あなたが凄まじい重力を使うことは分かっていた。でも、それがどんな物でどう対処すればいいのか、あたしにはそれがよく分からなかった。でも、だんだんと掴みかけてきたよ。その威力は凄まじく目では捉えづらいけれど、感じることは出来るし、避けることも出来る。おじいちゃん達がやったように押し返すことだって出来るんだ。あたしはもうそんな物を脅威とは思わない!」


 この宣言を聞いて神はきっと怒り狂うだろうと沙耶は思っていた。そして、彼女がその怒りのままに再び重力の嵐を放ってくれば、沙耶は今度こそそれを乗り越え、ミザリオルを倒せる自信を持っていた。

 だが、その予想に反し、神の少女はそれをどこかおかしそうに静かに笑っただけだった。


「なるほど。チミはこの重力を知っただけで神を知ったつもりになっているのでちゅか」

「え?」


 沙耶はその発言に思わず呆気にとられて目を丸くしてしまった。ミザリオルは怒るどころか逆に機嫌良く言葉を続けてくる。


「チミは神の力とはなんだと思っているのでちゅか?」

「だから、重力でしょ?」


 それは博士が集めてきた情報でも、沙耶自身が体験したミザリオルの今までの行動からも明らかなことのはずだった。

 驚愕する沙耶の前で、ミザリオルは大きく両手を広げて半分おふざけも乗ったような口調で高らかに宣言した。


「そんな物、この神にとってはほんの力の一部分にしか過ぎましぇん」

「なん……ですって……?」


 緊張に後ずさる沙耶に、神は無慈悲で冷酷な視線を向けてくる。


「その程度の知識で神を知ったつもりになるとは正に滑稽な愚か者! いいでしょう、チミには特別に教えてあげましょう。この神の力の真髄をね!」


 そう宣言したミザリオルの全身に今まで重力を操っていた時とは全く違う異質の力が膨れ上がっていく。

 沙耶は何も対処することが出来なかった。それはあまりにも未知の力だった。怯える沙耶に向かって神の右手が向けられる。


「神の力! それは全てを燃やし、凍てつかせ、粉砕し、押し流すもの! これら全ての現象を恐れ、古来より人々は神の力をこう呼んだのでちゅよ。天変地異とね!」

「天変地異!?」

「そうでちゅ。天変地異こそこの神の力の真骨頂! 重力などその一部に過ぎないのでちゅ。さあ、そうと分かったらとっとと失せなしゃい。この神の天罰の光を受けてね! アークサンダーボルト!」


 沙耶の視界の中を一瞬の光が走り抜けた。沙耶は何も反応することが出来なかった。直後、その体に雷で打たれたような衝撃が走り抜ける。一瞬意識が飛びかける。

 とにかく何とか体勢を立て直さないと。沙耶は本能でそう動く。

 だが、神の攻撃はその一撃では終わらない。いつの間にか沙耶の眼前に巨大な津波が迫ってきていた。

 これほどの量の水がいったいどこから? そう思う間もなく沙耶の小さな体はその大波の中へと飲み込まれていく。


「ダイダルウエイブ!」


 嵐の海に投げ出された無力な人間のように沙耶は翻弄されていく。だが、沙耶は無力な人間などではない。三大脅威を倒すために造られた存在なのだ。重力の嵐も乗り越えたのだこんな物ぐらい。

 沙耶が巨大な水の流れに何とか対処しようとしたその時、突如として周囲の水が幻のように消え失せ、沙耶は固い床の上に投げ出された。


「がはっ、はあはあ!」


 いったい何が。状況が掴めないまま沙耶の体の下の床が凍りついていく。


「フリージング!!」


 とにかく反撃に出ないと。起き上がろうとするがその体が動かなかった。


「な、何これ。う……動けない!」


 沙耶は絶望の思いでうめいた。凍っているのは床だけで、体の方には何の異変も無かったのに、それはまるで手足一本として動こうとしない。

 沙耶の耳にミザリオルが床の氷を踏みしめて歩み寄ってくる音が聞こえる。沙耶は動けない。唯一動く目だけでそちらを見る。見下してくる神と目があった。


「無駄でちゅよ。神の氷は物質だけでなく、触れたものの時間と空間をも凍りつかせる。こうして神がこの氷を踏みしめ、チミとこうやって足元の氷で繋がっているうちはこの呪縛は決して解けることはないのでちゅ」

「そ、そんな!」


 驚愕する沙耶を見て、ミザリオルは機嫌よさそうに笑った。


「頭だけは動くようにしてやってるのはせめてもの神の情けでちゅよ。何も知らずに逝ったのではあまりにも可哀想というものでちゅからねえ。さあ、最後はこれで終わりにしましゅよ。メギド!」


 神の右手が燃え上がる。少女の顔が不気味に笑う。


「この神の炎メギドの温度は三兆度。触れればチミのちんけな体など一瞬で跡形も残らぬ消し炭となることでちょうねえ。ククク」

「くっ」


 沙耶は動こうとするが動けない。神はいたぶるようにその炎を左右に揺らめかせている。


「でも、神にここまで逆らったチミをひと思いに消してしまうのもそれはそれであまりにも芸がないというもの。どうやっていたぶってやろうか、神に望む何か良い案があるのなら聞いてあげまちゅよお」

「沙耶姉!」


 もう勝負は決まってしまっている。次郎太はたまらず飛び出そうした。


「お前は動くな! 動くとひと思いにこいつを消しまちゅよ!」

「くっ」


 睨んでくる少女の言葉に次郎太は立ち止まってしまう。ミザリオルは名案でも思いついたようににんまりと微笑んだ。


「そうだ。良いことを思いつきまちた。今更でちゅが、ここで命乞いをするというのはどうでちゅか? このあたちにでもあいつにでも構いましゃんよ。助けてくださいと惨めに哀れにお願いするのでちゅ。神に逆らい追い詰められた今のチミには実にお似合いの態度だとは思いましぇんか? ああ?」


 だが、沙耶はそんな神の言葉には屈しなかった。


「次郎太。あたしは大丈夫だから。三兆度の炎ぐらい何ともないから!」

「沙耶姉……」

「チミは、どこまでこの神を侮辱するつもりなんでしょうかねえ! 特別に慈悲を掛けてやろうと言っているのが分からないんでちゅかあ! チミの頭には脳みそが詰まってないんでちゅかあ?」

「あたしはお前なんかに負けない! 何度も言わせないで!」

「この大馬鹿ちんがあ!」


 ミザリオルは炎のついてない左手の方で殴りつけた。そして、沙耶の髪を引っつかんで顔を上向かせ、右手の炎をその鼻先へと突きつけた。


「もういいでちゅ。この神の言葉にどうしても従えないというのならば、ひと思いにとどめを刺してやるのも一興というもの!」

「くっ、うう……」


 沙耶は強がってはいるが、やはりその炎は熱いのだろう。顔を苦痛に歪ませる。次郎太は迷っていた。姉に止められた力を使うのか、神の少女の静止の言葉に逆らって沙耶を助けるために動くのかと。その時だった。


「待ちなさい!」


 突然、その場にいない誰かの声が響き渡った。


「あん?」


 神の手が止まった。髪を離され、沙耶の顔が床に倒れこむ。ミザリオルは怪訝な表情で振り返った。


「この神を呼び止めるとは。なんなんでちゅか、チミは」


 それは次郎太も知らない少女だった。それにおよそこんな場所では似合わない地球で見慣れたその格好。


「なんでこんなところにメイドさんが」


 次郎太は正直な感想を呟いていた。

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