第21話 神の演奏

 そのまま床に叩きつけられる。


「ぐはっ!!」


 あまりにもレベルが違いすぎる。沙耶は立ち上がることすら忘れ、必死になってさっきまでそばにいたはずの祖父のぬくもりを探す。


「おじいちゃん……おじいちゃん、どこ……」


 涙と疲労と恐怖と様々な感情でかすむ目の前を黒い影が遮った。見上げると先ほど自分達を吹き飛ばした美しくも不吉な神の姿。


「ミザ……リオル!! キャアア!!」


 少女の足が沙耶の手を踏んでくる。何度何度も繰り返し繰り返し踏んでくる。


「あう、あがっ」


 もう痛みさえ遠のこうとしている。ミザリオルは力を緩めない。さらにいたぶるように手をなじってくる。少女の口が笑う。


「お馬鹿でちゅね~、チミは! 神を敬う心を知らないんでしょうか! ねえ!!」

「ぐきゃあっ」


 沙耶は体を蹴られ、瓦礫の上を転がされていった。仰向けになったことで遥か高くにある天井が見えた。遠い天窓に覗く宇宙の星がきれいに見える。今の自分の気持ちも知らないで悠々と光っている。


「何か珍しいものでも見えるんでちゅかあ。ああん?」


 絶望はすぐにやってくる。幼い少女の姿をとったあまりに巨大すぎる邪悪。

 どうしてこんな物が見えるんだろう。見たくないのに、目がそらせない。


「もう……殺して……」


 次郎太はいなくなってしまった。祖父と博士もいなくなってしまった。飛鳥も自分が戦ってしまったばっかりに傷つけてしまった。全ては無力で何も出来なかった自分がいる故の罪なのかもしれない。

 沙耶の言葉に反応して少女が強く眉をひそめる。聞こえているんだ。神に声が届くなんて、こんなことがありえるなんて。


「はあ? 宇宙のチリごときが神に命令するなでちゅ!! 何様のつもりなんでちゅかねえ、チミは。言うなら『ミザリオル様、お願いします』と言え! 言え! 言っちまええい!」


 沙耶は体を何度も蹴られた。もう痛みも感じないはずなのに、やっぱり痛い。それが何かおかしかった。

 不意にミザリオルは足を止めて沙耶を蔑むように見下ろしてきた。


「あたちが何故チミタチのようなカスを一思いに消さずに相手してやってると思ってるでちか、この大馬鹿ちゃんは! 全てこの優しい神様がチミタチのようなカスを思ってやればこそなのでちゅよ。あたちは優しい神様なのでちゅよ!」

「う……うぐ、ミザリオル様、お願いします……」


 それで楽になれるならもうそれでいい。薄れる意識の中で沙耶はそう思った。だが、神は無慈悲に答える。


「声が小さい! そのような言葉でこの神を動かそうとはチミはどこまでアホたれなんでちゅかねえ! このクズがあ~!」


 あまりに厳しい声。沙耶は残されたわずかな力を振り絞って声高に叫んだ。


「ミザリオル様!!! お願いします!!!」

「よし! 上出来!」


 視界の端を茶色い物が走る。笛で殴り飛ばされたのだということに気づいた時にはもう宙を舞い、地に倒れ転げ落ちていた。

 もうわずかに動くことすら出来ない。


<ミザリオル様……>


 心の中でそう呟く。もう全てが終わっていた。

 三大脅威とは決して立ち向かってはいけない存在だったのだ。だからこそ先人たる宇宙の人々はそれらの存在を脅威と呼び、決して挑まず逃げるようにと促していたのだ。そんな教訓を言葉に込めて。

 沙耶は今更ながらにそのことを思い知る。


「これは神の慈悲なのでちゅよ。チミのような不心得者を恥ずかしくなくあの世へ送るためのね。チミの中に巣食っていた身の程知らずの邪悪は今の笛の一撃で消し飛ばしまちた。では、最後にこの神の素晴らしい音色を聞いて心を安らかに清めて、逝きなしゃい」


 烈火のようにたけっていたミザリオルの気配がふと収まり、少女は静かに笛を吹き始める。あまりに優雅に涼やかに。静か動か、優しさか畏怖か、この少女の本質はいったいどこにあるのだろう。

 力尽きている今でも耳に笛の音色は届いてくる。あたしでももっとうまく吹けるのに、なんて下手なんだろう。

 でも、この曲が終わるまでは生きていられる。それが嬉しかった。



<あたしは……生きたいと思っている……>



「!?」


 自分は今、何を思ったのだろう。絶望に染まる沙耶の心の中であまりに小さすぎる何かが弾けた。それは、虚無の世界にあった時にもずっと心の底で願っていたこと。

 自分の存在を取り戻し、この世界で生きることを、虚無の世界に囚われていた自分も願っていた。今その心はここにある。戻ってきたのは何のためか。


「あたしは生きたい……生きたいよ……」


 沙耶が無意識にそう呟いた瞬間、笛を吹いていたミザリオルへ向かって不意に何かの光線がどこからともなく走り、見えない渦に吸い込まれるように消えていった。

 神は演奏をやめない。そんな物の存在など考慮するにも値しないとばかりに。

 沙耶の前にかばうように立つ黒い後姿があった。


「はか……せ」


 それはゼツエイだった。

 ミザリオルは笛を吹きながら軽く目を上げる。幼い少女の姿をしていながら、それに不似合いなあまりの静けさに満ちたその瞳をゼツエイは真っ向から見返し、銃を振り上げた。


「やめろ、沙耶を殺すな。私の沙耶を殺すなあ!」


 叫びながら撃ちまくるが、神に攻撃は届かない。全ては見えない虚無の空間の中へと吸い込まれていく。それでもゼツエイは撃つのをやめない。そのしつこさに神は次第にいらだちを募らせていったようだった。

 少女の口から笛が離され、その演奏が中断される。静けさに満ちていた瞳が強い怒りの感情にとって変わる。


「神に武器を向けるとは、チミもまた身の程というのを知らないらしいでちゅね。今大事な演奏をしているんでちゅよ。静かにしないでちゅか」


 ミザリオルが薄く目を細めると、空間を飛び越え見えない重力がゼツエイを押さえつけにかかった。体に掛かるその重さに彼もまた床に膝まづいてしまう。


「この力はいったい。うう……」

「愚かなら愚かなりに、そうやって素直に膝まづき頭を下げるのが神を前にした人のあり方というものでちゅよ」


 だが、ゼツエイは頭を下げ切らない。必死にのしかかる重力に逆らって顔を上げ少女の姿をした神を見返した。


「お前は何者なのだ。どこから私の船に入ってきた!」

「どこから? ハッ、お馬鹿なことを言うんでちゅね、人間は。この宇宙に人をいさせてやっているのはこの神の方だというのに」

「神だと?」

「そうでちゅよ。この宇宙にある全ての物は神の物。この宇宙に存在する全ての場所は神の庭。そして、その神こそがこのあたち、ミザリオル! 人はただ素直にこの神の到来を喜び迎えておけばいいのでちゅ。それと先に忠告しておくならば、このあたちを呼ぶ時はちゃんとミザリオル様と呼んで崇めるのでしゅよ」

「お、お前があのミザリオルだと言うのか! 三大脅威の一人の!」

「うっさーい!」

「うがあ!」


 さらなる重力がのし掛かり、ゼツエイは一気に床に倒されてしまった。


「チミの耳は飾りなのでちゅか? ああん? この神がわざわざ先に忠告してやっているのにどうして理解しないんでちゅか! この大馬鹿ちんがあ!!」

「ぐっがあ!」

「博士!」

「う……さ、や……がああああ!!」


 ミザリオルはさらに掛ける重力を強めていく。沙耶は必死になって叫んだ。


「やめてください、神様! 博士が死んでしまいます!」

「やめてくださいだあ?」


 烈火のごとく怒っていたミザリオルの瞳が沙耶を見る。その意思の強さに沙耶は身を震わせてしまう。それを見て神は不敵に笑って怒りを収めた。


「フッ、まあいいでしょう。小さき人の頼みを聞くのも神というものでちゅ」


 ミザリオルの瞳が再び沙耶からゼツエイを見る。重力からは解放されたが、彼はもう起き上がれなかった。神はただ無慈悲に告げる。


「では、チミも聞きなさい、この神の演奏を。そして自らの罪を悔い改め、感動に涙するのでちゅ」


 ミザリオルはまた笛を吹きに戻る。さっきまで荒れ狂っていた場所に静かな音色が響いていく。

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