第12話 魔竜の挑発

 ゼツエイの電話を宇宙船の廊下で受け取った飛鳥は苦笑したような笑みを浮かべて兵衛門の方を振り返った。

 窓の外ではぐんぐんと下方へと通り過ぎる雲の空が見える。船は宇宙へ向かって上昇していく。


「ゼツエイ博士もせっかちな人ね。用があるから早く来いってさ」

「用?」


 もしかして沙耶に関係のあることであろうか。兵衛門は注意深く気を引き締めるよう意識する。そんな彼の態度も気にせずに飛鳥は軽く言ってのける。


「仕事の話よ」

「いい若いもんが仕事などしとらんで遊んではどうじゃ」

「遊びも仕事もわたしには一緒よ」


 そう言ってしばらく歩き、彼女は一つの扉の前で立ち止まって手を触れた。扉は軽い音を立てて開いた。


「どうぞ、入って」


 案内されるままに兵衛門はお邪魔する。彼女と事を荒立てることはすでにこの船に入った段階で半ば以上あきらめていた。

 自分にとって最も重要なことは沙耶と次郎太を助けることなのだ。そのためにはどうしてもゼツエイの船にまで行かなければならない。ここであがいてもどうにもならないことなのだ。

 扉をくぐるとそこは綺麗に整理はされているが無機質で生活感のない部屋である。飛鳥は壁際のスイッチで電気を付けた。


「ゼツエイ博士のところへは自動操縦で飛んでいってくれるわ。どうぞ、座ってよ」


 飛鳥が部屋にある椅子を手で示す。


「いやに優しいの。何かの罠かの」


 こちらの警戒を飛鳥はちっとも気にしていないようだった。実力差を考えると当然かもしれないが。


「おじいさんを殺せって依頼は受けてないからね。わたしの暇潰しにぐらい付き合ってくれてもいいでしょう?」


 飛鳥は余裕の態度で勧めた椅子の向かい側に腰掛けて腕を組んだ。そのまま見上げてくる。兵衛門は彼女の目を見返して言った。


「暇なら肩をもんでくれんかの。久しぶりに運動したから凝って凝ってたまらんわい」

「いいけど、わたしは高いわよ」

「いくらじゃ?」

「いくらと言っても意味ないでしょ。おじいさん。フフ」


 飛鳥の表情から思考は読み取れない。いったい何を企んでいるのか。まあ、せっかくの勧めなので座ることにする。

 素直に言うことを聞いているお陰からか敵意は持たれていないようだ。今すぐ襲ってくるということは無いだろう。もっともこの少女の場合、必ずと言えるわけではないが。

 だが、このままただだらだらと飛鳥の暇つぶしに付き合うわけにもいかない。兵衛門はせめて情報を引き出そうと訊くことにする。


「お主とゼツエイ、沙耶はどういう関係なんじゃ」

「そうね。まあ、その前に食事にしましょう。わたしは今朝はまだ何も食べてないんだから、おなかが減ったわ」


 兵衛門の言葉を聞き飛ばし、飛鳥がテーブルのスイッチを押すと小型のロボットがメニューを持ってやってきた。飛鳥はそれを手にとって軽く持ち上げてから兵衛門の方へ広げて見せた。


「わたしのおごりよ。何でも注文してくれていいわよ」

「太っ腹なことじゃな」

「これでも宇宙一の殺し屋だからね。お金ならたくさん持ってるから気にしなくていいわよ」


 兵衛門は手に取ってそのメニューを眺める。見てから、はめられたと思った。


「わしには宇宙語は読めんからの。飛鳥ちゃんと同じ物でいいわい」

「あっそ」


 ロボットは注文をとって去っていく。飛鳥はテーブルの上に指を置いていたずらっぽく頬をゆるめて兵衛門を見つめてきた。


「字が分からないなら、遠慮せずにメニュー全部とか言っても良かったのに」

「全部と言っても食べ切れるものではないからの。食べ物は粗末にするもんではないと、親に言われんかったか?」

「わたしが親に言われたのは殺しのことだけよ」

「そうか、ならばわしが言っておこう。食べ物は粗末にしてはいかんぞい。お百姓さんに感謝して食べるんじゃ」

「お百姓って……誰?」


 飛鳥が小首を傾げる。どうやら本当に知らないようだ。


「知らぬのか。ならわしに感謝しておけ」

「そうね、おじいさんにはいろいろと感謝しているわ」


 目の前を見つめながらもどこか遠くを見るような飛鳥の目。兵衛門はどこかその少女に同情するものを感じていた。

 彼女も戦いの犠牲者なのかもしれない。この年で戦いや殺しの世界にいることは決して幸せなことではないのだ。




 広い宇宙船の内部では、ベルゼエグゼスに見守られ、黒の沙耶が余裕を持って宙を浮かんでいる。

 肩を貫かれ、倒れていく沙耶。スローモーションのようなその光景をゼツエイはただ息を飲んで見ていた。

 静かな床に沙耶が倒れる軽い音が響く。広いその部屋に比してその音は余りにも軽く儚く思えた。そこでゼツエイは始めて我に返ったようだった。


「沙耶!」


 いつになく取り乱した声を上げて、倒れた少女に駆け寄り抱き起こす。微かにうめき声をあげる沙耶はぐったりして気を失っている。命に別状はないようだが、肩をレーザーで抉られてしまっている。


「沙耶……」

「どうした! まさかこれで終わりというわけではあるまい!」


 激昂した様子のベルゼエグゼスのどなり声が部屋を震撼させる。それは戦いを望む獣の吼え声だ。その竜の目線の前で無表情にわずか宙を浮かぶ黒い沙耶――ベルゼエグゼスが造り出した沙耶の偽者――

 その背後で巨大な竜がその黄色の瞳を輝かせている。


「立て! 小娘! わらわはまだ実力の百分の一も出してはいないのだぞ!」


 どなる巨竜をゼツエイは激しく睨みつけた。


「待てと言っているだろう! ベルゼエグゼス! 沙耶はまだ戦闘システムが機能していないのだ!」

「それがどうした!」

「今の沙耶はまだ戦える状態ではないのだ!」


 その言葉にベルゼエグゼスは軽蔑を持ったようだった。わずかばかりに声のトーンが落ちる。


「何い!? それではお前はなんのためにそいつを連れてきたのだ! わらわに必要なのは戦える兵器だ! 役立たずのクズなどではない! それを分かっていないわけではあるまい!」


 竜の意思を受け黒の沙耶が放つ光線が、ゼツエイの前の床を焦がす。


「この、能無しめ! 早くせよ! そのゴミをわらわの前から下げよ! なんならわらわが消し炭と変えてくれようか!!」


 黒い沙耶の口に高密度のエネルギーが収束していく。怒りのままに今度はフルパワーの光線を放つつもりなのだ。ゼツエイは我知らず固く沙耶を抱きしめた。

 その様子にベルゼエグゼスは気を良くしたようだった。


「フフ、ゼツエイ、随分そいつが気に入っているようではないか」


 軽い調子で巨竜がせせら笑う。黒き沙耶が口を閉じ、エネルギーが霧消した。


「お前とわらわの付き合いだ。今回は大目に見てやろう。お前の言う攻撃の準備とやらを早く整えてくるがいい」

「大目にだと?」

「そうだ。お前の兵器には今までも世話になったからな。その間わらわはもう一人の様子を見てやろう、殺し屋キラーとやらのな!」


 ベルゼエグゼスの瞳が一層の輝きを増し、その光が前面に立つ黒い沙耶の体に降り注がれる。巨大な竜が瞳を閉じ、黒い沙耶が強い意思に瞳を煌かせる。

 精神移動――自らの意思を別の物に宿すベルゼエグゼスの秘術。それは対象となる者の精神に阻まれることもあるが、ただの人形に過ぎない黒沙耶にそのようなことは関係なく、パワーを振るう器としての技量もある。ベルゼエグゼスにとっては一石二鳥というものか。

 黒沙耶に乗り移ったベルゼエグゼスは動きを試すようにその小柄な両手を動かし、唇に笑みを形作る。無機質な人形が描いた始めての表情と言えるもの。沙耶に似たその少女の口が語る。


「わらわの竜の体にはこの船内は狭すぎるからな。ふむ、この体もなかなかいけるではないか。わらわは行ってくるぞ。ゼツエイ、あまりわらわをがっかりさせるな」

「ベルゼエグゼス、何をするつもりだ。飛鳥を挑発するのはやめろ。あいつは危険だ」

「う……」


 ゼツエイの腕の中で沙耶がうめきを上げる。苦しむ沙耶を見て、ゼツエイの表情がゆがむ。この程度の性能ではないのだ。私の兵器は。

 ベルゼエグゼスはさげすむような目で見る。沙耶と同じ姿をしたその瞳で。


「ゼツエイ、お前の言うことは信用できん。わらわが確かめれば全て済むことだ」

「なんだと?」


 今のベルゼエグゼスは沙耶と同じ姿をとっている。それがゼツエイにとってはたまらなく不愉快だった。


「お前はただ武器を造っていればいい。後のことは全てわらわが決める。お前は何に気を配る必要もない」


 それだけを言ってベルゼエグゼスは廊下へと飛び去って行った。ゼツエイは手を奮わせる。


「何様のつもりだ、あいつは。沙耶の力はこんなものではない。それを証明してやる。知ってから後悔しても遅いぞ!」


 ゼツエイは沙耶を抱き上げて立ち上がった。

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