第10話 宇宙であった少女
次郎太は人気のない静かな小部屋に倒れていた。体を動かそうとして何かの装置のような台座の上から転がり落ちる。ここは奴らのUFOの中なのだろうか。
倒れた拍子に響く物音と体を走る痛みに思わず身を硬くするが、ロボット達は集まってこないようだ。今は近くにいないのだろうか。
いや、そんなはずはない。ここは敵地の中なのだ。
次郎太は油断しないよう気を引き締めて、注意深く進む。体が痛むがじっとしているわけにもいかない。
そっとドアに近寄り、音を立てないように開けていく。食い入るように隙間から目を覗かせながら。しかし、その目に入った光景を見て次郎太は思わず一気に扉を開け放ってしまった。
そこはゆったりとした広さを持った余裕のある幅の金属質の廊下だった。それだけなら普通の光景だった。問題は窓の外だ。
暗い。星がきらめいている。一面の星空に妨げる物は何もない。
<宇宙……>
そう、そこに広がるのはまぎれもなく宇宙だった。
地上から見上げるそれではない。まさしく曇のない純粋な宇宙が目の前に展開している。途方もなく、まるで全てがそこに存在するかのように。きりがなく。
窓に近寄り、見回してみる。どこまでも続く途方もない星空、眼下へと目を向けるとそこには青い地球が浮かんでいる。
「いったい何だってこんなところに」
本来の目的を忘れて思わず呆然と見とれてしまう。窓に手を当て、視線を廻らせる。
周囲には何の物音も……いや。
不意にすぐ近くから笛の音色が聞こえてきて次郎太は横へと振り向いた。
いつの間にか背の低い見知らぬ少女が少し離れた場所に立っていて、窓の外の宇宙を見つめながらただ静かに笛を吹いていた。空いているのは少しばかりの距離。数歩歩いて手を伸ばせば届くと思えるそんな間合いが妙に遠く思える。そう思うのは少女の発する雰囲気ゆえか。
形のいい品のある帽子とそれに似合った小奇麗な制服を着た幼い少女だ。今は夏休みだが音楽関係の習い事でもしているのだろうか。背筋まで流れる長い綺麗な髪は赤い。物静かにうれいた表情はどこか繊細で気品のような物も感じられる。
年はおそらく7、8歳ぐらいだろうか。小学校低学年ぐらいだろうと思えるその少女を次郎太はまじまじと見つめてしまった。
少女が指を止め、笛の音が止まる。次郎太ははっと我にかえった。少女がこちらを見つめている。静かな、きれいな瞳だと思った。
次郎太は少女を恐がらせないように言葉を探した。何か下手な言葉を発すると彼女の存在を汚してしまう。そんな気がした。やっと思いついた言葉は、
「君、ここで何をしているの?」
「……」
そんな冴えない言葉だった。
無言の時が流れる。しばらくしてから少女は視線を戻してまた笛を吹くのを再開してしまった。
まだ吹くのにそれほど慣れてはいないのだろう。学校で使っているような縦笛の上を動く手はたどたどしくぎこちなく、そこから奏でられるメロディもまたどこかずれている。
だが、彼女が一生懸命なのはよく伝わったから、その音色が終わるまで聞き届けようと次郎太は思いかけ……
「って、そんな場合じゃないだろ!」
思わず自己ツッコミをしてから、慌てて彼女に近寄っていってその肩に手を触れた。練習中の彼女には悪いが今は急ぎの用があるのだ。
何の手がかりもなくこの中を探し回るのはあまりに不用意すぎる。彼女からは敵意を感じないし、何か知っていることがあるなら聞いておきたかった。
少女が笛をくわえたまま次郎太を見上げる。思わず吸い込まれそうな静かな瞳を見返して次郎太は声をかけた。
「ごめん、君に聞きたいことがあるんだけど。沙耶姉を」
言いかける途中で、少女の静かな瞳にいらだちのような感情が宿るのを次郎太は見た。
「汚い手で触らないでくださいでちゅ、この下郎」
肩に置いた手を払いのけられてしまう。下郎って……おとなしそうな顔をして実は結構過激な少女なのだろうか。それに言葉使いも……変だ。神秘的な彼女には似合わないと思う。
少女は軽く肩を払い、今度はきつめの目つきで見上げてきた。
「それともさっきのは従順な態度を示すお手というポーズだと認識すればいいんでしょうかねえ?」
彼女の先程までとは打って変わった態度と言葉に多少面くらいながらも次郎太は返事を返す。
「うん、そんなところ。僕は君に聞きたいことがあるんだ」
何とか機嫌を直してもらおうと、次郎太は下手に出た。沙耶との生活で小さな少女を前にしたそんな態度も慣れたものだった。
そんな彼の低姿勢に少女は少し機嫌を直したようだった。
「このあたちに頼みごとをお願いしようとは良い態度でちゅね。今時の人としては感心なことでちゅ。しかし」
だが、すぐにその表情が険悪なものとなる。次郎太は思わず背筋を震わせてしまった。
「あたちは今忙しいんでちゅよ。この宇宙のために、今思いついたばかりのすんばらしー曲を聞かせてあげないといけないんでちゅから。分かったらうせなしゃい。しっしっ」
犬でも追い払うかのように手を振られてしまう。なんて言い草だろう。黙っていた時の印象とあまりにも違いすぎる。もっとも邪魔をしたこちらも悪いのだろうが。
次郎太はあきらめて自分で沙耶を探しに行こうとした。我知らず肩を落としてしょんぼりと。
「待ちなしゃい。そんなにあたちにその話を聞いて欲しかったのでちゅか?」
ふと先ほどの少女に呼び止められる。振り返ると視線が合った。話を聞いてくれる気になったのだろうか、少女は優しい目をしていた。
彼女はゼツエイの仲間かもしれない。今更ながらにそう思ったが、こんな幼い少女相手に警戒を抱くのもどうかと思い、とりあえず事情を説明することにした。
「うん、ここに来るのは初めてなんだよ。僕は人を探しにここに来たんだけど……沙耶と言って君より少しお姉さんぐらいの女の子なんだけど、知らないかな?」
「さや?」
「うん、さや」
「さや……知らないでしゅね、そんな人は」
「あ、そう。どうもありがとう」
落胆し、立ち去ろうとするところを再び呼び止められる。
「お兄しゃん」
「ん?」
少女がにこっと微笑んで来る。思わずどきっとしてしまう。
「これから何かがあって神に助けを求めたくなった時はこのあたちのことを思い浮かべると良いでちゅよ」
機嫌よさそうにそんなことを言ってくる。
「ああ、うん、そうするよ」
せっかくの好意を断るのも悪いと思い、次郎太は肯定のうなずきを返すのだった。
今度は笑顔で手を振る少女相手に次郎太も同じように手を振って別れた。
笛の音を背に聞きながら、次郎太は静かな廊下を歩いていく。
なんだか体が軽くなってる気がする。
そして、気づいた。
<重力が軽くなってるのか>
宇宙だからなのかもしれない。今はそう思ったのだった。
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