第3話 飛鳥との出会い

 それからしばらくしてのことだった。

 二人がなんとなく沈黙状態になって山道を歩いていると上の茂みの方からがさごそと音がした。二人は黙って右手の斜面の上に広がる林を見上げた。猪だろうか。

 そこは数メートルばかりの小高い急坂が切り立っており、そのさらに上に山頂まで続くうっそうとした林が広がっている。高さと草木と角度から奥はよく見えない。

 何かが滑り落ちてくるのかがさごそとかきわけてくる音が近づいてくる。次郎太はさっと身構えた。


「沙耶姉!」


 何かが飛び出してくる。

 次郎太は沙耶をかばって立ちはだかった。上の茂みを突き破って現れたのは……動物ではなく人だった。

 年は中学生ぐらいだろうか。次郎太よりは年下と思われる都会人らしいこしゃれた格好をした少女。山へ登るのに街をぶらついてるかのような不似合いな軽服をしている。背には小さい空色のリュックサックを背負っている。

 その少女が叫ぶ。


「ど、どいてえー!」

「どこう!」


 こくりとうなずく沙耶と一緒に、次郎太は言われた通りに横にジャンプしてどいた。遅れてさっきまで立っていた場所に少女が顔面から着地して凄い勢いで滑っていく。


「ぐへっ!」


 妙な音と土煙を立てて数メートルいってから動かなくなってしまった。沈黙。もくもくと上がる土煙を前に唖然としてしまう次郎太と沙耶。


「……」

「……」


 しばらくしてから口を開いたのは沙耶だった。


「ね、ねえ、次郎太。どかずに受けとめてあげた方が良かったんじゃない?」

「そ、そんなの無理だよ。それにどけって言ったのは彼女なんだし」


 そう言いながらも微妙な罪悪感を感じる。出来るかどうかは分からなくても助けようとするのが人情だったのではと思う。

 次郎太は緊張にごくりと息を呑み、気を落ち着けるよう意識して倒れている少女に近づいていってその肩をゆさぶった。


「もしもし、大丈夫ですか? もしもし? 君?」

「死んで……ないよね?」


 次郎太の後ろでは沙耶が落ちかなげにおろおろしている。次郎太は軽く沙耶の方を振り返ってから、再び謎の少女に目を戻して答えた。


「分からないけど……ひっくり返してみようか」


 うつぶせに倒れている彼女を起こそうかと手を伸ばす。顔は髪で隠れて見えない。染めているのだろうか天然だろうか、きれいな茶色い髪が肩にかかっている。

 そっと触れようとした時、沙耶の言葉で手を止めた。


「下手に動かさない方がいいかもしれないよ!」


 言われてみればその通りだ。あの高さからあの勢いで転がって落ちたんだし、どんな怪我をしているのか分かったものではない。


「じゃあ、どうしようか。……あ、そうだ」

「救急車! 救急車呼ぼう!」

「僕も今それを思いついたところだよ!」


 次郎太と沙耶はお互いに人差し指を立ててうなずきあうと、近くにあるお宅の電話に走っていこうとした。

 その時だった。彼女が声を出したのは。


「う……うーん」


 うっすらとした声を発し、ぼんやりと起き上がる。ぱらりと髪が降り、顔が覗いた。


<かわいい>


 と思ったが、沙耶の手前黙って置くことにする。沙耶はまだおろおろしている。

 少女は土で汚れた顔と意識のまだはっきりしないとろりとした目で周囲を見、次郎太と沙耶を見たところで視線を固定した。


「あ」


 何かに気づいたのか軽く目を見開いて呟く。そして言った。


「ここどこ?」


 その言葉に、次郎太は事態を把握した。


「なんてことだ。彼女は記憶喪失だよ」

「いや、覚えてるけど。足滑らせて落ちてそれで……ここに来たんだっけ?」

「これが記憶喪失なのね。ドラマの中だけの設定かと思ってた」


 沙耶も納得する。少女はむっとした顔をした。


「覚えてるっちゅーに! なんでよけるのよー!」


 ぶんぶんと元気に両手を振って抗議の声を上げる少女。あんなにして痛くないのだろうか。痛くないんだろうな。次郎太は安心した。

 怪我はしてないみたいだし、どうやらすっかり元気な様子だ。最近の女の子はたくましいとは聞くけれど、どうやら想像以上のようだ。


「じゃあ、これで顔を拭いて」


 ハンカチを差し出すと言われるままに拭く彼女。犬みたいだ、と言ったら彼女に失礼だろうか。


「ありがとう」

「お大事にね」

「早く日が暮れる前に家に帰りましょ」


 返してもらったハンカチを受け取って、次郎太は沙耶と一緒に立ち去ろうとする。


「ああ、待ってよ!」


 その次郎太の足に少女はいきなり飛びかかるようにしがみついてきた。突然の感触に次郎太は慌てた。


「な、何?」


 少女はうるんだ瞳で見上げてくる。やはり犬みたいだと次郎太は思う。


「足くじいちゃった。立てない」

「……しょうがないな」


 数秒思案して、彼は彼女をおぶっていくことにした。元気なように見えてやはり怪我はしていたようだ。その責任は少なくとも自分にもあるだろうし、一人で置いていくのもやはり悪い気はしていたのだ。


「次郎太、大丈夫なの?」


 沙耶が心配そうに訊く。


「うん、多分」

「水桶、一つ持つよ」


 沙耶は次郎太が持っていた桶を一つ受け取り、今まで持ってきたものと二つ合わせて運ぼうとして……動かなかった。小さい彼女には片手ではやはり無理な重さなのだろう。


「やっぱり僕が持つよ」

「うん、ごめん」


 次郎太はひょいと持ち上げる。沙耶はすまなそうに身を引いた。

 水をくんだ桶と見知らぬ少女を合わせた重さはかなりのものだが、無理が利かないわけではない。次郎太はなんとか歩いていく。


「わたしって重い?」

「う、うーん……」


 背中の向こうから少女が訊く。こんな時なんて返事をしたらいいんだろう。

 しばらく考えながら歩いて、重さにも慣れてきた頃に違う質問を彼女にすることにした。


「君、どこから来たの? この辺りの子じゃないよね」

「わたしは宇宙の星からやってきたのよ」


 頭の後ろから答えが返ってくる。意識ははっきりあるらしい。だが……おかしい。


「へえ、そうなんだ。凄いね」

「ねえ、わたしのこと馬鹿にしてるでしょ」

「してないよ」

「うっそだあ、じゃあなによそのつっけんどんな態度。気に入らな~い」


 おんぶされたまま足をばたばたと振る彼女。次郎太は水がこばれないようにうまくバランスをとった。


「暴れるなら降りてよ」

「やだぽ」

「もう、しょうがないなあ」


 次郎太は苦笑しながら行く。迷惑をかけられてはいるが、若い女の子と話をして悪い気はしなかった。沙耶はむすっと黙って横を歩いている。


「どうしたの、沙耶姉」

「別に」

「?」


 次郎太は意識を再び沙耶から少女に向ける。


「僕は次郎太。君の名前は?」

「わたしは飛鳥(あすか)。人には殺し屋キラーと呼ばれているよ」

「なにそれ、殺し屋の殺し屋?」


 と訊いたのは沙耶だ。


「殺し屋をも恐れさせる殺し屋の中の殺し屋よ。この星にはある依頼を受けてきたのよ」

「へえ~」


 やはり頭を打って混乱しているのだろうか。次郎太は飛鳥と名乗った少女にショックを与えないように適当に話を合わせてあげることにした。


「それで今回は誰の命を狙っているのかな」

「それは秘密よ」

「うーん、そこをなんとか」

「企業秘密なんだから。秘密と言ったら秘密だも~ん、教えてやんないもーん」


 飛鳥はちらっと沙耶の方へ流し目をくれてから言ったが、前を向く次郎太がそれに気づくことは無かった。


「参ったなあ、あはは」


 わざとらしく笑う次郎太の横で、沙耶は機嫌を悪くして地面を見つめていた。


<なによこの図々しい女は。あたしが次郎太と楽しくお話するはずだったのに>


 結局山を降りるまで次郎太は飛鳥と名乗る正体不明の少女と楽しそうに喋り、沙耶は黙って塞ぎこんでいた。

 一応次郎太は沙耶にも話を振ってくれてはいたが、沙耶はとても会話に加わる気にはなれなかったのだった。

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