第2話 家への道
港を出て二人は故郷の家への道を歩いていく。両側を見渡せば広い田畑や草木の伸びた草原が眺められるゆったりとのどかで平和な田舎の土道だ。
港のにぎわいはどこへやら。しばらく歩くともう閑散としている。人の通りはほとんど無い。慣れた土地柄に次郎太はほっと安堵する。
「この辺りは変わらないね」
「まあね。一年や半年でそうそう変わりまくるもんでもないわよ。次郎太の方はどうなの? 都会ならころころごろんごろんと変わりまくってるものなんじゃないの?」
どこか挑戦するような視線で沙耶が問いかけてくる。都会と田舎の差が気になるのかもしれない。
「さあ、毎日忙しいから外の景色のことなんて気にする余裕は僕にはないよ」
「寂しい人生送ってそうね」
次郎太の横を歩きながら沙耶がふふんと鼻で笑うように言う。毎日あくせく暮らす楽しみのない人生を送っているとでも思われたのかもしれない。次郎太は沙耶に負けまいと余裕を持って答えることにする。
「そんなことはないけどね。みんないい人達だし、学園生活もそれなりに楽しく送ってるから、忙しくても毎日充実してるよ」
「それって、遠まわしにあたしなんていなくていいって言ってない?」
「え? そんなことはないよ。沙耶姉がいないとやっぱり寂しいよ」
「嘘ばっかり、ほんとはあたしのことなんて思い出してもくれないくせに。どこかの忙しいハイカラ高校生さんは」
「ハイカラって……」
沙耶の様子はどこかおかしい。何か気になることでもあるかのようだ。聞くと自分の方がおかしいのだと笑われそうだが。
沙耶姉、何考えているのかな。思っていると沙耶が見上げて声をかけてきた。
「次郎太、罰としてせっかく帰ってきたからにはちゃんとあたしを楽しませていきなさいよね」
「はいはい」
「はいはいっか~い」
「は~い」
軽く雑談を交わしながら昼下がりの道を歩いていく。暑すぎるでもないぽかぽかとした陽気。内陸にある都会より、海に囲まれたこの島の方が気候は過ごしやすいのかもしれない。草木が風に揺れていく。
代わり映えのしない穏やかな景色の中をしばらく歩いた頃、自然とは違う機械の音を立てて道の向こうから何かが近づいてくるのが見えた。
「おや、神崎さんとこの次郎太ちゃんじゃないかい。帰ってきたのかい」
トラクターに乗った近所のおじさんだった。人懐っこい笑みを浮かべている。沙耶と次郎太は足を止めて答えた。
「はい」
「今度はずっとここにいるのかな」
「いえ、少しの間だけですけど」
「そうかい。沙耶ちゃんを悲しませないようにな」
そう言っておじさんは去っていった。次郎太は気になって沙耶に聞いてみた。
「沙耶姉、悲しんでるの?」
「そんなわけないじゃない。あのおじさんの冗談真に受けちゃ駄目よ」
次郎太の質問に沙耶は笑って答えるが、きっと寂しがってるんだろうなと次郎太は思った。
でも、自分には都会での生活があり、沙耶には沙耶の生活があるのだ。
それでも、たまに帰った時ぐらいは一緒に楽しく過ごそうと次郎太は心の奥底でこっそりと決意したのだった。
そうこうしているうちに家へ着く。木造の古い大きめの一軒家をちょっとした木の柵が囲っているわらぶき屋根の家だ。広々とした田舎の景観の中に悠然と建っている。沙耶は玄関の扉に手を置いて次郎太を振り返った。
「次郎太にとっては久しぶりの我が家よね。さあ、入って入って! ただいま~!」
「おかえり、沙耶。次郎太もよく帰ってきたな」
沙耶が元気よく扉を開けるとちょうどタイミングよくおじいちゃんが出てきた。もしかしたらずっと帰ってくるのを待って狙っていたのかもしれない。
彼の名前は神崎兵衛門(かんざきひょうえもん)、次郎太の祖父である。
文学青年系のやややせ気味の息子や普通の青年の孫である次郎太の体躯と比べ、がっしりとした体つきをしているのは農作業で鍛えているせいもあるだろうが、戦場で鍛えていたという話も聞いたことがある。60歳を越えた今でもトレーニングはかかさないらしく、年の割りに若い次郎太よりも元気そうに見える。
体も熊のように大きく、とても自分や父と同じ血が流れているとは思えない。きっと次郎太がかかって行ったら軽く投げ飛ばされてしまうだろう。
「ただいま」
返事をすると兵衛門はまじまじと次郎太の全身を眺めやった。こんな時に言われることは決まっている。
「相変わらず貧弱な体をしておるな、次郎太。どうせ向こうでは太郎介と一緒に勉強ばかりしておるのだろう。そんなことで沙耶を守れるのか?」
「いや、守らないし」
太郎介とは兵衛門の息子であり、次郎太の父のことである。次郎太の言葉に沙耶は不服そうに声をあげた。
「ひどい、次郎太! ちゃんと守ってよ!」
「いや、だって、何から守れって言うんだよ」
「そりゃあ、害虫とか、ウジ虫とか……」
沙耶が考え考え言う。次郎太は正直参ってしまった。
「そんなの僕だって近づきたくないよ。沙耶姉が何とかしてよ」
「だから次郎太がなんとかするんでしょ!」
「はっはっは、まあええまあええ。沙耶も次郎太も長歩きで疲れたじゃろう。部屋にお上がり」
祖父に薦められ次郎太は玄関を上がった。入ってすぐそばの廊下の壁際の棚には祖父がとった射的やら柔道やらのトロフィーや賞状がいろいろ飾ってある。父は父で絵画で賞を取っているし、何もないのは僕だけか。はあ。
そのことを思うとかすかに劣等感のような物を感じたりもする。でも、人生は長いんだからのんびり頑張れば良いとも思う。
次郎太は帰ってきた時にはいつも使っている2階の和室に荷物を置き、ごろりと横になった。
天井を見上げながらしばらく物思いにふける。黒ずんだ染みが天板を汚しているのが見える。中央の電灯から降りた紐が密かに抜けていく風にゆらゆら動いている。
目に力を入れてその紐の先に精神を集中してみる。そして、気を緩める。
はあ~、田舎かあ~。
「次郎太、水汲み行こうよ」
何となくそうやって寝転んでぼんやりとくつろいでいると、沙耶が部屋を覗いて声をかけてきた。いつもの見慣れた金髪がさらりと肩に揺れる。次郎太は気だるげに体を起こした。
「水道、無いの?」
やはり田舎だからなのか。今は昔話ではない現代の時代なのだから、それぐらい普通あるだろうと期待するのは高望みというものなのだろうか。
次郎太の言葉に沙耶は首を横に振る。あっけらかんとしたように口を開く。
「あるけど壊れた」
「壊れたなら治せばいいじゃない」
「次郎太が治してくれるなら水道屋さんを呼ぶ手間が省けるんだけどね」
「仕方ない。水汲みに行くか」
次郎太は重い腰をあげることにする。どうせ行くなら早い方がいい。沙耶も待ってるし。
「行ってきます」
「気をつけてな」
祖父に一声かけて沙耶と一緒に山へ水汲みに行く。
今度は港へ行く道とは反対の裏山へと続く道だ。山の上流で流れる川では不思議なほど清らかで澄んだ良い水が取れると近所でも評判なのだ。だから、近場の井戸で汲むよりも山まで出かけて汲んでくるという人がこの近所ではわりと昔からいたりする。
昔はよくこうして沙耶姉といっしょに出かけていたな。昔というほど前でもないような気もするけど、もう随分遠い出来事のように感じる。
そう思いながら山道へ差し掛かる。右手に広い田舎の風景が見渡せる緩やかな上り坂を歩いていく。
「ねえねえ、次郎太」
「ん?」
「景色きれいだよね」
「うん、そうだね」
小高い道から見下ろせる村の景色はちょっとしたパノラマだ。緑の風景が昼過ぎの陽光と細かな風にほどよく調和して佇んでいる。都会ではなかなか味わえない景観ではある。
「都会もこれと同じぐらい綺麗なんだろうね」
「うん、そうだよ」
次郎太の記憶にある限り、沙耶がこの田舎を出たことはない。誘っても断られるのはいつものことだ。
沙耶と少しばかりの話を交わし、川に着く。豊かなせせらぎの音を奏でる小川の水は久しぶりに見た今も変わらず綺麗だ。この山には何か神秘的な力でも働いているのではないかといった噂もあながち根拠のない噂ばかりでもないのかもしれない。
次郎太は持ってきた三つの木桶に水を入れる。くんだ桶の一つを沙耶に渡す。
「沙耶姉、持てる?」
「持てるに決まってるでしょ。あたしを誰だと思ってるの?」
その小柄な両手にうんしょと効果音が付きそうな感じで持ち上げて見せる沙耶。どうやら大丈夫そうだ。
「ほらね」
軽く揺らしながらにこっと笑う。
「さすがは沙耶姉だね。じゃあ、二つに挑戦しようか」
二つ目を差し出す。とたんに沙耶の顔が曇ってしまった。
「いやよ、残りの二つは次郎太が持ってよ」
「しょうがないな」
と言いながら最初の予定通り二つを持つ。
そうして川で水をくんだ帰り道。日はそろそろ傾いてきている。横を歩きながら沙耶はにこにこと微笑んでいる。
「さすが男手があると頼りになるね。ねえ、次郎太。ずっとここにいる気はないの?」
「学校があるからね。沙耶姉こそ都会に来ればいいのに」
「うーん、あたしは賑やかなのは苦手だから。それにあたしってこんなだし」
沙耶がうつむきながら恥ずかしそうに言う。
<沙耶姉はやっぱり小さいこと気にしてるのかな>
次郎太が幼い頃聞いた話では沙耶は昔おじいちゃんが裏山で見つけてきた捨て子だったそうだ。本当の親は今でも分からない。
彼女とは本当の姉弟では無いけれど、次郎太が物心付いた時から沙耶はすでにここにいたし、いろいろ遊んでも(いじめられても)もらっていたので本当の姉弟では無いと言われても次郎太にはちっともぴんと来なかった。
ただ気になることと言えば、沙耶はどういう体の構造をしているのかあの頃から全然姿が変わっていないということだろうか。
かつては空から神秘の山へと降りてきた天女かもしれないと本気で思ったこともあったけど、単に本当の両親から受け継いだ遺伝的な問題なのかもしれない。ともあれそんなことはいつしか全く気にしないようになっていた。
人間とは何にでも慣れるものなのだ。次郎太にとって沙耶姉はなんであれ沙耶姉なのだ。
沙耶がこの片田舎に残ったのはここが生まれ育った場所だからというのもあったが、次郎太の両親になんとなく敬遠されているのを感じたせいもあるのかもしれない。次郎太はそんなこと全然気にしてないけれど。
「沙耶姉がなんであれ僕は沙耶姉のこと好きだよ」
「なによそれ、変なの」
沙耶は顔を赤くしてぷいっと横を向いてしまった。
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