第4話 沙耶の不機嫌
三人が家に着くと、祖父が庭で水やりをしていた。ホースから飛び出す気持ちよさそうな水のシャワー。きらきらとした飛沫が庭の草花にかけられていく。
その光景を見て次郎太は首を傾げた。兵衛門が声をかけてくる。
「おかえり」
「ただいま」
「おじいちゃん、水道はもう治ったの?」
「はて、治ったとは何のことかいの」
「だって、沙耶姉が。沙耶姉!?」
「次郎太、水はそこに置いといてね!」
沙耶はそれだけ言い捨てるとさっさと玄関に入ってしまった。突然のことに次郎太はわけが分からずぽかんとする。
「なんなんだ?」
「青春ね。ありがとう」
飛鳥はそっと地面に降りようとする。なんだか話をしているうちに自然と家まで連れてきてしまったけど良かったのかな。
「……って、足くじいてたんじゃ」
「あ、忘れてた」
飛鳥はふらつき倒れかけたが、兵衛門が急いでかけつけてきて手をのばして支えることでなんとか危険を回避することに成功した。
「ごめんなさい」
「あやまる相手が違うのではないかな」
「わぶぶ」
兵衛門の手から離れたホースの水が勢いよく次郎太の顔にかかっていた。
「ぼ、ぼぐがなにヴぉやっだどいうんどぶあ」
「あっはっはっ!」
飛鳥は目尻に涙まで浮かべて大声で笑った。ひどい。
次郎太と別れて、沙耶は足早に廊下を歩いていく。
「次郎太ったら、でれでれして」
部屋に入り、そこにある姿見で自分の姿を見る。壁際の大きめの鏡に自分の全身が映っている。見慣れた容姿。金色の髪、つんとした顔つき、小さな体。
「飛鳥ちゃん可愛かったな。あたしだってせめてもう少し背があればいいのに」
くるっと回ってみる。
「なんでこんなこと気にしてるんだろ」
沙耶は馬鹿馬鹿しくなってため息を吐いた。
ずぶ濡れになった次郎太は風呂に入ることにした。窓の外では飛鳥が火に薪をくべている。彼女なりにさっきのことを悪いと思っているようだ。
「湯加減はどうですか、ご主人様」
「うーん、ぬるすぎるかな」
湯を軽く混ぜて次郎太は言う。ヒノキのお風呂の独特の匂いが鼻につく。
「じゃあガシガシ入れちゃいますね」
「うん、お願い」
「ご主人様?」
「何?」
「なんでわたしがあんたのことご主人様なんて呼ばないといけないのよー! けりけり!」
「ああ、壁蹴らないで! 抜けちゃう! 抜けちゃうよ、古いんだから!」
次郎太が叫ぶと飛鳥は蹴るのをやめてくれた。再び薪くべ作業に戻ったのか静かになる。
一体彼女はどういう人なんだろう。宇宙の星から来た殺し屋とか言っていたけどそれはきっと冗談で、休みを利用してこの島に来た旅行者なんだろうけれど。それにしてもたいして名物のないこんな田舎に来るなんて物好きな人だと思う。
顔はかわいいんだから都会の街でも歩けば誰彼ともなく声をかけてくるだろうに、こんな田舎では望みも薄いだろう。
そんな微笑めば可憐であろう彼女が声をかけてくる。
「ああ、ノリが悪いお兄さんだなあ」
「僕は弟だよ」
「え?」
「沙耶姉は僕の姉さんだからね」
「あっそ」
飛鳥は興味なさげに呟いた。田舎の家族のことなんて彼女にとってはどうでもいいのかもしれない。
「それよりも怪我は本当に大丈夫なの?」
「うん、なんか治ったみたいだから気にしないで」
なんて言うかいい加減だなあ。もっとも彼女は多少とぼけてるところがあるみたいだから、深く追求するのは野暮というものだろう。本人が治ったと言い切っているのだからきっとそれで良いのだろう。
「次郎太、着替え置いておくね」
浴室のドアの向こうから沙耶が声をかけてくる。もう機嫌は直ったのだろうか。次郎太は軽い気持ちで訊いてみた。
「沙耶姉、いっしょに入る? お風呂気持ちいいよ」
「何馬鹿なこと言ってるのよ。もうそんな子供じゃないでしょ」
「そうそう、まったくもってそうそうそう」
飛鳥まで外から相槌を打ってくる。
二人そろってもう。昔は沙耶はいっしょに入ってくれたのに。やっぱり変わらないように見えて成長してるのかな。
そんな考え事にひたっていた時、次郎太はあることに気がついた。ぽこぽこと湯気が増えている。温度も上がっているような。熱い、ような気が……する。ていうか熱い。
「熱い! お湯が熱いよ!」
立ち上がろうとしてすっ転ぶ。なんてこった。ちょっとぼーっとしていた間にこんなことになるなんて。
「ああ、熱い熱い」
外で飛鳥がぶっきらぼうに呟く。
「次郎太! どうしたの!?」
沙耶は気になりつつも飛び込んできたりは出来ないのだろう。パニックが正常な動作を奪ってしまう。次郎太はお湯を跳ね上げる。
「ほんとに熱いんだって! 冷ましてよ!」
「こっちでは無理だって。水入れたら?」
「あ、そうだった」
次郎太は素早く水道の蛇口をひねると水を出し、湯を冷ましていった。水道があって水が出る。それがこんなにもありがたいことに感じるなんて。
「次郎太、大丈夫?」
「薪入れるの多すぎたかな? ごめんね」
「ああ、命に別状はないから気にしないで」
声にならないため息を上げ、次郎太は水道のありがたさをしみじみと実感していた。
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